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バンドー  作者: シサマ
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第26話 武闘大会参戦!⑰ 救世主ミューゼル


 準決勝第2試合、チーム・カムイ VS チーム・エスピノーザの戦いは、チーム・カムイの先鋒ミューゼル、次鋒のゲリエがチーム・エスピノーザの新人、サンチェスとタワンをそれぞれ退け、チーム・カムイが決勝進出に有利なスタートを切った。


 とは言え、サンチェスとタワンはキャリアも浅い頭数合わせ要員。

 不祥事と欠員による大会追放を免れた主要メンバーは彼等に感謝し、組織の拡大とアピールの為に改めて優勝候補、チーム・カムイに挑む。


 

 「チーム・カムイ、選手の交代をお知らせします。次鋒のイブラヒム・ゲリエ選手が、顔面の腫れで視界が狭くなった事により残りの試合を辞退した為、代わってレディー・ニニス選手が入ります。チーム・カムイ中堅、レディー・ニニス!」


 「ヤッホー!よろしくー!」


 相も変わらずクネクネした動きで観客に愛想を振りまく、微妙なオネエキャラのレディーではあったが、交流を持ったバンドーを始め、彼女(?)の人柄に触れた者からは、これも彼女の自然体である事が既に理解されていた。


 「チーム・エスピノーザ中堅、ハビエル・ガジャルド!」


 「また来たぜジャーマニー!」


 準々決勝と同じセリフ、同じ型の棒を用いて、時に元サッカー選手の経験を活かし、長い棒をリフティングするという、スーパーテクニックで観客にアピールするガジャルド。


 期せずして大会屈指のパフォーマー同士の一戦が実現し、満員のアレーナもポジティブな盛り上がりを見せていた。


 「俺はこう見えても、女に手は上げねえ主義なんだ。だが、オカマ野郎には容赦しねえ!さっさとケリを着けてやるよ!」


 棒高跳びすら出来そうな長い棒を畳に押し立て、両手の甲に顎を乗せる不敵なポーズでレディーを挑発するガジャルド。

 その様子を視線では捉えながらも、レディーの意識はガジャルドの装備に向けられている。


 (準々決勝では伸びる仕込みがあった棒だけど、今リフティングしても変化が無い所を見る限り、変な仕掛けは無さそうね……。って言うか、あんなに上手いんなら大人しくサッカー選手に戻ればいいのに……)


 愛用のヌンチャクと寝技で準々決勝を勝ち抜いたレディーにとって、上背がさほど変わらないガジャルド相手で注意すべき点は棒のリーチ。

 だが、ガジャルドが準々決勝で対戦相手のコールを逆転した仕込み棒は、後の戦いで破損してしまった事は確認していた。


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 「行っくぜえぇ!」


 試合開始のゴングとともに、小柄な両者はともに攻めに出た。

 血の気の多さで若干ガジャルドの出足が速いものの、レディーも何やら策を感じさせるポジショニングを意識して間合いを詰めている。


 ガジャルドはまるで棒高跳びに備えるかの様に棒を前面に突き出していたが、相手は彼よりも上背で劣るレディー。

 準々決勝で対戦したグァンリョン・イムの様に、わざわざアクロバティックなパフォーマンスで背後に回らなければならない程、戦いにくい相手ではない。


 (……あれは……突きね。あたしが避けるタイミングより早く押し込むつもりだわ)


 ガジャルドの肘の関節に余裕を感じたレディーは相手の攻撃を素早く予知し、右利きの棒術をかわしやすい左側への回避ではなく、敢えて右寄りにポジショニングして相手の出方を待っていた。


 攻撃をかわした時点で、すぐに反撃に移れるからである。


 「そりゃっ……!」


 挨拶代わりの突きをレディーの左肩にお見舞いするガジャルド。


 だが、レディーも予めその手は読んでおり、必要最小限の動きで棒の先を左肩から掠め、自らのヌンチャクをそこに巻き付けた。


 「……くっ……!」


 攻撃を読まれたガジャルドはやや渋い表情を見せ、ヌンチャクの動きに武器を奪われない様、すぐに両手でしっかりと棒を握り締める。

 

 細長い棒は空気抵抗の都合上、両手で扱わなければパワーもスピードも落ちてしまう。

 だが、一方のレディーがヌンチャクを扱うのに両手は必要ない。


 「ハアアッ……!」


 一瞬に見えてじりじりと流れるこの時間にピリオドを打ったのは、レディーの掛け声と強引なヌンチャクの振り上げによる、ガジャルドの棒の強奪であった。


 「おおおっ……!?」


 レディー自らがカスタマイズしたヌンチャクを経由した、その予想外のパワーに上半身を引きずられたガジャルドは慌てて千鳥足で棒に喰らい付き、そんな下半身の不安定ぶりが誰の目にも明らかである。


 (チャンス!)


 ヌンチャクをガジャルドの棒に残したまま、右手を離したレディーは持ち前のスピードで、ヨタつくガジャルドの足元にスライディングタックルを炸裂させる。


 「……どわっ……!」


 「テイクダウン!」


 試合開始直後にして、両者の武器がその手を離れる波乱の展開にアレーナは沸き立ち、うつ伏せの体勢で畳に顔面を打ち付けたガジャルドの背後に回るレディーは、すかさずマウントを取りに行った。


 「ええいっ……!」


 自身が腕力に欠ける事を自覚しているレディーは両手を組み、頭上から勢いをつけてガジャルドの脊椎へと拳を振り降ろす。


 「……ぐおっ……!」


 日常からストリートファイトで鍛え上げているガジャルドも、ガード出来ない体勢での脊椎攻撃に平然ではいられない。

 苦痛に顔を歪ませ、下半身に跨がるレディーを振り払わんと身体を捩らせた。


 「……ひゃっ……!?」


 自らの足場が揺らぐ中、両手でのハンマーパンチを諦めたレディーは左手で畳を支えながら、右手で更に脊椎や脇腹を殴り続ける。


 「このっ……このっ……!」


 チャンスを逃せば何を仕出かすか分からないガジャルドやエスピノーザに、情けは無用とばかりにダメージを上乗せするレディー。

 このカードでは観客を味方に付けやすい立場ではあったが、その声援も耳に入らない程の集中力で、流れる額の汗を目に入れながら一心不乱に相手の背中を殴打した。


 「……ぐっ……な、舐めやがって……」


 レディーのパンチを成す術無く受け入れていたガジャルドは残された力を振り絞り、下半身に跨がった相手ごと起き上がろうと四つん這いの体勢を取る。


 「……ちっ!一旦おさらばね!」


 自らが跳ね飛ばされる前にガジャルドから離れたレディーはヌンチャクを拾い、一方でガジャルドの棒を大きく外へと蹴り出したが、意外な重さから余り遠くへは飛ばせなかった。


 「……くそ……これじゃお前がヒールだろ……」


 恨みがましく背中を擦りながらガジャルドは立ち上がり、脊椎の痛みが残る中、まだ両足が完全に伸びきらない姿勢でレディーを睨み付ける。


 かつて期待のサッカー選手だったガジャルドの一番の強みは、やはりスピードとキック。

 しかしその反面、パンチの技術はストリートファイト仕込みの粗削りなもので、武闘大会では武器と知略に頼る戦い方を採用してきた。


 レディーが背中の攻撃にこだわっていた理由は、そのダメージでガジャルドから下半身の安定感を奪い、得意のキック攻撃の威力を弱める意図があったからなのである。


 「悪いわね、ゲリエの試合を観た後だと、どうしても省エネで勝ちたくなっちゃうのよ!」


 心地好い緊張感に笑みもこぼれたレディーは、顔面崩壊レベルの打ち合いを演じたチームメイトを引き合いに出し、あくまで決勝を見据えたプランを臆する事無く語った。


 「……へっ、決勝に行きたい気持ちならこっちが上だぜ!何せここで負けたら、3位決定戦も出れずに大会追放だからな!」

 

 「レディー!ムダなお喋りに付き合うな!奴は回復の時間を稼いでいる!」


 両者の会話を遮る様に、カムイがベンチから檄を飛ばし、自らの胸の内を見透かされたガジャルドは不機嫌そうにカムイを睨み付け、やがてガードの構えを取る。


 「あたしもお喋りは好きだけど、聞くのはあんたの敗戦の弁だけにするわ……それっ!」


 レディーはガジャルドのキックの間合いから離れ、まずは確実なダメージを狙って相手がガードを固める両腕にヌンチャクを打ち込んだ。


 「舐めんじゃねえ!」


 レディーの安全策を読んでいたガジャルドは、左肘でヌンチャクを素早く打ち払い、背中の痛みに耐えて前に踏み出しながら、レディーの顔面に右ストレートを当てに行く。


 「ひいいっ……!」


 慌てて反り返るレディーは辛うじてガジャルドの右ストレートをかわすものの、相手のパンチに気を取られて自らの下半身のガードには手が回らなかった。


 (チャンス……!)


 限界まで間合いを縮めていたガジャルドは、背中に負担を掛けない低反動の右ローキックをレディーの左太股に決める。


 「……あいたたたた!」


 痛みに思わず声が出るレディー。


 だが、脊椎を痛め付けて相手のキック力を弱めたからこそ、ダウンする程のダメージを受けずに済んでいるのだ。


 「ハアッ……!ハアッ……!」


 背中の痛みに耐えながら、目の前のチャンスをものにすべく左右のコンビネーション・キックでレディーを揺さぶるガジャルド。

 

 ヌンチャクでの反撃に怯まずに打ち込まれる相手のキックに、レディーの両足に徐々にダメージが蓄積していく。


 「おりゃっ……!」


 ヌンチャクの動きに目が慣れてきたガジャルドは、相手の反撃に合わせて柄の部分を爪先で蹴り上げる。

 その衝撃にレディーの手からヌンチャクがこぼれ落ち、思わず武器の行方を一瞬目で追いかけた隙を、彼は見逃さなかった。


 ドオォッ……


 相手から視線を離したレディーの額と左テンプルの間にガジャルドの膝蹴りが直撃し、無意識の内に嗚咽を漏らしていたレディーは頭を抱えて畳に崩れ落ちる。


 「ダウン!」


 「……休ませねえぜ!」


 会場のどよめきも何のその、顔を押さえて畳の上を転げ回るレディーに猛然と詰め寄ったガジャルドは、マウント体勢に備える為に素早く立て膝を着いた。


 「ストーップ!ニニス選手、強めの出血が見られます!止血治療の後、試合の続行を判断します」


 レディーの額から勢いのある出血を確認したレフェリーは、慌ててガジャルドを制止して両手を大きく振りかざし、試合を止める。


 (レディーさん……)


 昼食作りを手伝いながら親交を深めたレディーの負傷は、観客席のバンドーの心もざわつかせていた。


 「……運のいい奴だ。だが、お返しはさせて貰うぜ!」


 反撃のチャンスを潰されたガジャルドは、去り際の腹いせにレディーのヌンチャクをフィールドの外へと大きく蹴り出し、一方では自らの棒を取り戻しに走って行く。


 

 「レディー、大丈夫か?」


 ベンチ前で止血治療を受けるレディーをチームメイトが取り囲み、額の左側からの出血と足のダメージを懸念したハッサンは、チームを代表して声を掛けた。


 「……大丈夫よ、上手く試合が進んでいたから、少し油断があっただけ」


 表情こそ痛みでやや歪んでいたものの、どうにか出血は止まり、包帯が巻かれた頭部以外のダメージが少ない事を、普段と変わらない手足のスピーディーな動作で証明して見せるレディー。


 「……ならいいが、この間にガジャルドのダメージは回復してきているはずだ。第1ラウンドを凌いで、次のラウンドではキック対策で武器を代えた方がいいな」


 カムイの言葉を黙って聞いていたレディーは軽く右手をかざしてそれを遮り、早期決着に意欲を見せた。


 「……ダメよ!このラウンドでケリを着けないと。相手が調子に乗っている時が最大のチャンスなんだから」


 自身のスタミナも考慮した上での判断ではあるだろうが、何やら自信を窺わせるレディーの表情にカムイは納得し、肩を叩いてベンチへと引き下がる。


 

 「ガジャルド、ざまあ無えな。オカマ野郎に手こずってんじゃねえよ!」


 気心の知れた仲間同士とは言え、エスピノーザの激励は荒っぽいものである。

 彼からして見れば、屈強なコールや大巨人グァンリョンを倒したガジャルドが、一見非力に見えるレディーを圧倒出来ていない事が不思議でならないのだ。


 「……奴はヌンチャクを手足みてえに使いやがる。自分で作っているらしいしな。だが、もう触らせねえから大丈夫だ」


 そう言ってフィールドから蹴り出したヌンチャクを指差し、ガジャルドは不敵な笑みを浮かべてみせる。


 

 「会場の皆様にお知らせします!ニニス選手の止血が終了し、試合続行可能と判断された為、出血当時の状況を再現しての試合再開となります。尚、ニニス選手に再び出血が見られた場合、選手の安全を考慮してガジャルド選手のTKO勝利と致します!」


 男声アナウンスがアレーナに響き渡り、取りあえずは無難な試合再開に沸き上がる大観衆。

 

 フィールド中央にレディーを横たわらせ、5メートル程距離を置いてガジャルドを立たせる。


 ガジャルドは既に自分の棒を取り戻しており、試合再開のゴングと同時にレディーに一撃を喰らわせられるか、それともレディーが先に立ち上がる事が出来るかどうかの勝負になる、そう誰もが思っていた。


 「ファイト!」


 「どうーりゃっ!」


 試合再開のゴングに先駆けるかの勢いを見せ、大ジャンプでレディーの前に立ち塞がるガジャルド。

 その余りの早業に、アレーナからは感嘆の様な、或いはお笑いの様な、ある意味微妙な空気が流れる。


 「ちょっとあんた!怪我して倒れているレディーをまさか棒で殴るつもりなの!?」


 自らに立ち上がる準備すらさせてくれないガジャルドの徹底したヒールぶりに、普段はユーモアが分かるはずのレディーも流石に怒りの表情を隠せない。


 「うるせえ!レディーなのは名前だけだろ!」


 嬉々として棒を振りかぶったガジャルドは、情け容赦無く包帯の巻かれたレディーの側頭部を狙って棒を振り降ろす。

 もう一度出血さえさせてしまえば、自身の省エネ勝利が確定するのだ。


 パアアアァン……


 ガジャルドの攻撃を間一髪かわしたレディーは肝を冷やしながらも、棒が畳に叩き付けられる音が意外な程に軽い事に気が付く。


 「お前程度の格闘家はゴマンといるぜ!お前が今の地位にいられるのは、たまたまカムイやハッサンにくっついていたからだろ?お前の実績なんて、ただの運なんだよ!」


 目を血走らせ、執拗にレディーの頭部への一撃による決着に執念を見せるガジャルド。

 小顔で首も細いレディーは、激しい上半身のアクションで辛うじて頭部への攻撃を避けられてはいるものの、第1ラウンドも終盤に来てスタミナの低下は否めなくなっていた。


 (このままじゃやられる……。でも、もしかしたら……?)


 レディーはとある推測を胸に、これまで棒のガードから避けていた両手を顔の前で構え、ガジャルドの棒に全神経を集中させる。


 「これで終わりだあっ……!」


 一際高く振りかぶられた棒を、全身全霊でレディーの頭部へと叩き付けるガジャルド。

 

 だが、次の瞬間……。


 パシイッ……


 これまでの戦いでは余り耳にした事の無い、一種異様な軽い打撃音とともに、ガジャルドの棒はレディーの顔面の手前で両手に受け止められていた。


 「……やっぱりね。この棒、両端は軽いのよ。さっき蹴飛ばした時、変だなって思ったわ。真ん中に行くにつれて、硬く重くなる。リフティングも楽に出来るわね。これ、先っぽで殴る棒じゃないんでしょ?」


 目先の棒が特殊な構造であると見抜いた、その言葉の前に硬直するガジャルドとは対照的に、レディーは確信に満ちた表情を浮かべる。

 

 そして、ガジャルドの棒の先を軽々と受け止めた後、質量のある中央付近に両手をしがみつかせ、一気に体重をかけてガジャルドを揺さぶった。


 「うおおっ!?」


 細身のレディーとは言え、成人男性の体重がかけられた棒の軽い先端部分からは、ガジャルドの両手がいとも簡単に外れ、そのまま棒を手にしたレディーは、それを杖代わりに勢い良く立ち上がる。


 「こういう使い方も……ね!」


 レディーは重い棒をバットの様に振りかぶり、一番硬い中央部分でガジャルドの両足をすくって見せた。


 「どわあっ……!」


 棒の最も密度の高い、硬質な部分の直撃を(すね)に受け、堪らず畳に両膝を着くガジャルド。


 「これでとどめよ!」


 相手の棒を奪ってから、間違いなく何かを掴んでいたレディーは冷静にガジャルドのキックを掻い潜り、相手の右膝裏の関節に棒の中央部を挟み込み、左足を強引に伸ばした4の字固めを完成させた。


 「ぐがああぁっ……!」


 本来ならば自分が決めるはずだった、膝裏に高密度の木材を入れて締め上げられる激痛に、流石のガジャルドも悲痛な叫びを上げ、畳の上で上半身がのたうち回る。


 「しぶといわね!早くギブアップしなさいよ!」


 レディーはレディーで、踏ん張り過ぎると額の傷口が開いてしまう。

 激痛と冷や汗、出血の恐怖を抱えた両者の我慢比べにピリオドを打った一撃は、レディーの左腕で敢行した棒への肘打ちであった。


 「……!!」


 悲鳴の声を失ったガジャルドは、無意識の内に畳を両手でタップする。


 「ストーップ!ガジャルド選手、ギブアップです!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド4分41秒、勝者、レディー・ニニス!!」


 不利と思われていたシーソーゲームを制したレディーに、客席から盛大な歓声と拍手が送られ、その中には興奮を爆発させるバンドーの姿もあった。


 決勝で戦うには厄介な相手に違いないが、今の彼にとって、レディーは既に良きライバルであり、敵という認識では無かったのである。


 「馬鹿野郎!相手を舐めすぎだろ!」


 ガジャルドの余裕が裏目に出たと判断したエスピノーザは、医務室に運ばれて不在だったタワンが座っていた椅子を蹴り飛ばし、怒りを爆発させていた。


 

 「レディー、動くな!また出血してきた」


 包帯の上から滲み出る出血を止める為、再びレディーに駆け寄るチーム・カムイの面々。


 レディーは一度額を押さえながらも、止血治療を暫し断ってガジャルドに詰め寄った。


 「……あたしがこうしていられるのは、確かにカムイやハッサンのお陰かもね。でも、あんただって自分の道は自分で選べた。故郷に帰って、またサッカー選手を目指しても良かったのよ……」


 そこまで話した後、言葉に詰まるレディー。


 カムイとハッサンはレディーをミューゼルに預け、一足先に医務室で治療を受けているゲリエの元に向かわせた。


 

 呆然と立ち上がるガジャルドの耳に入ってきた声はブーイングではなく、激闘を讃える歓声であり、彼がベンチに辿り着く頃にはエスピノーザも落ち着きを取り戻し、視線を合わせる事無くこう告げている。


 「恥ずかしいぜ、お前。サンチェスとタワンにすみませんって謝って来いよ」



 「トーレスは厄介だ。下手な小細工をしようとはしないからな。魔法で行くのか?」


 両手にバンテージを巻き終えた魔導士兼格闘家、ハッサンを呼び止め、トーレス対策を訊ねるカムイ。

 

 ボクサーであるトーレスの武器はパンチしか無いが、年代別の元ミドル級チャンピオンの実力は侮れず、精神を集中する時間と、魔法発動までのタイムラグを計算に入れなくてはいけない魔導士にとって、むしろトーレスの迷いの無さは脅威となるのだ。


 「……いや、この試合はキック主体で行く。チーム・バンドーの、あのリンという女、かなり危険だと分かった。決勝まで魔力は消費せずに温存したい」


 ハッサンはトーレス程の強力なパンチは持っていないものの、バランスに優れた格闘家でもある。

 チーム・バンドーに比べて、次の試合までの回復時間が短いという現実が、レディーやガジャルドの省エネ勝利へのこだわりを裏付けていたのである。

 

 「チーム・カムイ、選手の交代をお知らせします。レディー・ニニス選手が額からの出血により治療を受け、残りの試合を棄権した為、代わってアリ・ハッサン選手が入ります。チーム・カムイ副将、アリ・ハッサン!」


 レディーの健闘を讃え、ハッサンの豪快な魔法に期待する観衆から盛大な拍手が巻き起こる。

 

 しかし、同じ魔導士としてハッサンに注目していたリンの目には、そんなハッサンの明らかな変化が既に捉えられていた。


 「……ハッサンさんが、ネックレスをしたままです……」


 準々決勝では、首から放たれる魔法の邪魔にならない様に、ネックレスを外してフィールドに入場したハッサンであったが、今回は首にネックレスをかけたまま。


 無論、敬虔なイスラム教徒であるハッサンの事、身に付けるネックレスにも宗教的な意味合いがあり、無闇やたらと外す物ではないのであろう。


 だが、目から魔法を放つリンが試合時に眼鏡を外す様に、魔法を使用する際には、魔力の光を反射させかねない装飾品を外す事が無難とされている。


 「……決勝まで、魔力を温存するって事か?トーレスは準々決勝で凶暴化したパクも倒しているハードパンチャーだが……」


 ハインツはリンに視線を向けた後、ハッサンの濃いルックスに似合わない涼しげな表情を確認して神妙な様子だ。



 「……ネックレスを外していないな。魔法は温存するつもりなのか?」


 シャドーボクシングで最終ウォームアップを切り上げたトーレスは、会場の不穏などよめきから改めてハッサンを凝視する。


 「けっ、魔導士ってのは立場が悪くなると、お前を甘く見ていた。これからは本気で行く。とか言って魔法に頼らなきゃ何も出来ねえ奴等の事を言うんだろ?」


 かなり恨み節の入ったエスピノーザの皮肉に、完敗後自信を喪失していたサンチェスや、つい先程敗北したばかりのガジャルドも大声を上げて笑い出していた。


 トーレスはそんな仲間達の様子にやや困惑気味の微笑みを返し、親指を立てて決意表明する。


 「……お前らのそんな所が好きだよ!ダビド、カムイに恥をかかせる作戦、ちゃんと考えているんだろうな?」



 「チーム・エスピノーザ副将、エキセル・トーレス!」


 チーム・エスピノーザの中では、正統派のボクサースタイルの持ち主であるトーレスの人気は高い。

 ネックレスを着けたままのハッサンの真意が魔力の温存であるならば、ハイレベルな格闘戦が予想出来る……その期待感からか、これまでの試合以上の緊張感がアレーナの空気を引き締めていた。


 「……トーレス、あんたの人生には同情するよ。だが、付いて行く男を間違えたんじゃないのか……?」


 ネックレスを握り締めて何やら妄想するハッサンは、トーレスと目を合わせる事無く、しかしながら彼の生き様には何やら言いたい事があるらしい。


 「……そうかな?俺のファイトスタイルは正攻法だが、頭の中は汚れているんでね。目的の為には、奴等を選んだ事を間違いだとは思っていない」


 トーレスはそう切り返し、お互いに納得の笑みを浮かべた両者は軽く拳を合わせ、やがてゆっくりと間合いを空けた。


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 「行くぜええぇ……!」


 試合開始のゴングとともに飛び出したのは、意外にもハッサン。

 

 魔法使用時に自然だけでなく、神とも対話している彼の戦術は、魔法発動までのタイムラグを埋める為、基本的には待機状態からのカウンターだった。

 だが、決勝まで魔力の温存を決意した今、トーレスのパンチを呼び込む慎重な戦術を採用する事は、むしろ自殺行為に近い。


 (……やはり魔法温存か?おもしれえ……!)


 相手も格闘勝負を決めたと知るや、普段は冷静なトーレスにも熱い血がたぎり始める。

 

 彼にとってキックは、あくまで苦し紛れの回避手段。

 自らのパンチの間合いに相手から来てくれるのであれば、言うに越した事は無かった。


 「そおおりゃっ……!」


 ハッサンは相手の間合いに入る直前に大きく飛び上がり、挨拶代わりの飛び膝をトーレスにお見舞いする。

 効果を度外視したハッタリ混じりの大技と言えるが、ハードパンチャーに中途半端な高さへの膝蹴りは命取りになる事も確かだ。


 (フン、こんなもの……)


 ムエタイスタイルのチームメイト、タワンとのスパーリングが効を奏していたか、トーレスは自らの顔面を狙ったと思われる膝蹴りを難無くかわし、相手の着地点を予想して背後に忍び寄る。


 (背後ががら空きだが……まさかこうなる事を予測していない訳がない……)


 無防備な背中にストレートを打ち込む算段だったトーレスは、ハッサンの裏拳や回し蹴りといった奇策に備え、背後から相手の膝裏にキックを打ち込んだ。


 「……がっ……!」


 突然膝裏を狙われたハッサンは思わず前方につんのめり、そのまま畳に両手を着いて倒れ込む。


 「スリップ!ノーダウン」


 ハッサンの様子からダウンではないと判断したレフェリーが、左の掌を上下させて彼に立ち上がりを促している。


 「……そうやって俺を喰い付かせて、寝技に持ち込むつもりなんだろうが、無駄だぜ。全く、どいつもこいつも省エネ勝利狙いかよ!」


 互いに決勝を目指しているとは言え、経験豊富な選手に顕著な打算を大声で批判するトーレスの姿は、緊張感で静まり返っていたアレーナを一気に着火し、この試合で初めてエスピノーザ側に観客の心を傾けさせた。


 「……バレたか。しゃあねえな」


 己の胸の内を見透かされたハッサンは苦笑いを浮かべ、やがてゆっくりと立ち上がる。


 だがその時……。


 ドスッ……


 無防備に立ち上がるハッサンとの間合いを急速に詰めたトーレスは、鮮やかに懐に飛び込んでボディーブローを決めた。


 「……ぐふっ……!」


 「……言っておく。勝負は2人だけでやっているんじゃない。レフェリー、観客も含めて敵にも味方にもなるんだ。興行ってのはそういうもんだ」


 腹部を押さえてうずくまるハッサンに耳打ちしたトーレスは、そのまま両肩を突き飛ばして再び相手を畳へと這わせる。


 「テイクダウン!」


 「こっちの番だっ……!」


 不意のダメージを受け、まるで冬眠中の熊の様な姿勢で畳に転がるハッサンにマウントしたトーレスは、咄嗟にボディーをガードする相手の顔面を容赦無く殴り付けた。


 「ハッサンさん……やはり魔法を使わないと……!」


 この急展開の試合を、薄目を開けて正視し切れない心境のリンではあったが、そこは魔導士同士、このままハッサンが力負けする事には複雑な想いが交錯している。


 「大変だ!ハッサンさん!?」


 レディーを医務室に送り届けていたミューゼルは、沸き上がる大歓声を聞き付けて慌ててベンチに帰還していた。


 余程の事が無い限り、普段は追い込まれる事の無いチームメイトのピンチに動揺を隠せないミューゼルは、心配する素振りのひとつも見せないカムイに視線を送り、その視線に気付いたカムイは穏やかな笑みを返してフィールドに指を差す。


 「奴が魔法を使わないと決めたんだ、心配するな。あれを見ろ。畳の上にあの姿勢なら、身体の中心から動かないボディー以外は何度も直撃は喰らわない。要は顔面が強ければいいんだ」


 カムイの言葉をすぐに納得する事は出来ないミューゼルではあったが、フィールドに目を遣ると、確かにトーレスのパンチは余り致命傷を与えている様には見えない。


 「くそっ……面の皮が厚い奴だな!血のひとつくらい出せよ!」


 必死の抵抗に遭い、自らのパンチが思う様に顔面にヒットしない現実はあるものの、ハッサンの顔面の強さには、流石のトーレスも音を上げ始めていた。


 「トーレス!マウントが甘いんだよ!もっと強く、足で相手を挟み込むんだ!」


 ボクサースタイルへのこだわりから、マウントや寝技の経験が不足しているトーレスを懸念したガジャルドが、ベンチから大声を上げる。


 だが、ヒートアップを続けるアレーナの盛り上がりもあり、その声はトーレスまで届いていない。


 「……痛えなぁ……いい勉強させて貰ったよ!」


 ガードで乗り切ったボディーのダメージが回復したハッサンは、折り曲げて横向きになっていた身体を強引に仰向けに開き、トーレスのマウントの甘さを突いて上半身を起こす事に成功した。


 「よおっしゃあ!」


 ハッサンはトーレスの右フックを両手でがっちりと受け止め、相手が左を打って来る前に素早く立ち上がる。


 「ぐおおっ……!」


 右手を掴まれたまま引き伸ばされたトーレスは激痛に顔を歪めながら、どうにかしてハッサンの両手を離そうと左手でのパンチを試みた。


 「そんなもん、喰らうか!」


 トーレスの左ストレートを屈んでかわしたハッサンは、低い体勢でトーレスの右手を掴んだまま、背中を懐に忍び込ませる。


 「あれは……柔道技だ!」


 日系人のバンドーはハッサンの狙いにいち早く気付いた。


 これは、一本背負いの構えなのだ。


 「どおおぉりゃああぁ……!」


 咄嗟に繰り出した大技は、ハッサン自身も完全な形を理解していない粗削りなフォームだったが、それ故に加減を知らないパワーで放り投げ出されたトーレスは、受け身の知識も無く畳に激突した。


 「ぐわああぁっ……!」


 右手を掴まれたままの強引な投げ技に、冷や汗にまみれた表情で絶叫するトーレス。


 最悪の場合、右腕の骨折もあり得る事態にアレーナは騒然となり、レフェリーが慌ててトーレスの元へ駆け付けた。


 「トーレス選手、ギブアップか?」


 「……冗談だろ!折れちゃいねえよ!」


 勧告を即断されたレフェリーがトーレスの右手の動きを見た所、確かに骨折の様な不自然さは無い様に見える。


 だが、もうトーレスは右手のパンチを打つ事は出来ない。


 それは勇ましい言葉とは裏腹の、絶望を隠せない彼の目を見れば分かる事だった。


 「死にたいのか?今のうちに休めよ!」


 力無くぶら下がる右腕を背中に回してガードするトーレスを前に、ハッサンはローキックのコンビネーションを駆使して相手の下半身を削りにかかる。

 

 顔面の腫れが悪化し、徐々に視界が狭くなるハッサンにも、早期決着が必要とされていたのだ。


 (……最後にあと一発、左だ……。だが、奴の腫れた顔面にしかチャンスは無い……。ストレートが打てるか?それともフックか……?)


 「喰らえっ……!」


 ハッサン渾身のハイキックは、幸運にも右腕へのとどめを狙った左足。


 トーレスは不格好ながらも、蛙飛びの様な両足ジャンプでキックをかわし、万全の体勢とは行かないものの、左手と視界にハッサンの右テンプルを捉える事に成功した。


 「うおおおぉっ……!」


 ドゴオオォッ……

 

 トーレスの全てを賭けた左フックはハッサンの右テンプルを直撃し、その衝撃でハッサンの首のネックレスが外れ、畳の上に落下する。


 「……ぐおっ……!」


 右パンチ程の威力は無いが、顔面にダメージを蓄積していたハッサンは一時的に意識を失い、成す術無く畳に頭から崩れ落ちた。


 「ダウン!」


 張り詰めた緊張感から歓声ひとつ上がらないアレーナの空気の中、既にマウント攻撃に行く力を残していなかったトーレスは、ハッサンが立ち上がらない事だけを祈りながらレフェリーに視線を送り、ダウンカウントを要求する。


 「ワーン、トゥー……」


 静まり返る空気を背に、常に表情を変えずハッサンを見守っていたカムイは何かに気が付き、頭を掻きながら苦笑いを浮かべて立ち上がった。


 「……ハッサンさん、魔法が……!」


 リンがフィールドを指差す先には、目は見開いているがいまだ立ち上がれないハッサンの周りを取り囲む、蒼白い光の群れ。


 ハッサン本人の意識とは別に、魔力が彼を救おうとしていたのだ。


 (……くそ、ここまで来て使っちまうのかよ……)


 「……ファーイブ、シッ……!?」


 目の前でたった今起きている一種異様な光景に、突然ダウンカウントが止まるレフェリー。

 卒倒した姿勢のままのハッサンが、突如発生した風魔法によって立たされたのである。


 「……どういう事だ!?魔法か?」


 力を使い果たしたトーレスは、ただ呆然と目の前の神秘的な光景を見つめる事しか出来なかった。


 だが、幕切れは突然訪れる。


 「どわああぁっ……!」


 蒼白い光がハッサンから離れ、強力な風魔法となってトーレスを上空から押し潰したのである。


 「……ぐおおっ……!」


 上空からの圧力に何とか抗おうとするトーレスであったが、余りの威力に指一本動かす事が出来ない。


 これは制御出来ない魔力なのだ。


 「レフェリー、ダウンカウントだ!」


 魔力の意思を理解したカムイはすかさずレフェリーに指示を送り、今度はトーレスのダウンカウントが刻まれる。


 「ワーン、トゥー……」


 (……これで終わりか。魔力を温存しようと思ったんだが……。トーレスは強かった……俺は……まだまだだな……)


 自分の意思以外の何かに立たされていたハッサンは、完全に自分のものにしたと思っていた魔力に弄ばれ、己の修行がまだまだ道半ばだと思い知らされていた。


 「くそっ……!がああぁっ……!」


 「……テーン!」


 カンカンカンカン……


 最後の最後まで意地を見せ、足掻き続けたトーレスは結局、指一本動かす事が出来なかった。


 「1ラウンド4分39秒、勝者、アリ・ハッサン!!」


 言葉にはならないが、その神秘的な光景にエキサイトした観衆は我を忘れて熱狂する。

 

 しかし、自らの力で試合をコントロール出来なかったハッサンに笑顔は無く、失礼な事をしたトーレスに声も掛けられないまま、彼は静かにフィールドから去って行く。


 

 「……ハッサンさん……」


 普段から穏やかで、ユーモアを欠かさないハッサンの沈んだ表情を初めて見るミューゼルは、そんなハッサンに近付く事が出来ず、背後からやって来たカムイに肩を叩かれた。


 「……今はそっとしといてやれ。それより最後の勝負だ。俺がもしエスピノーザに負けたら、お前が仇を取ってくれよ、ミューゼル!」


 突然のカムイからのこの一言は、ミューゼルにとっては悪い冗談にしか聞こえなかった。

 だがしかし、既にゲリエとレディーは負傷で離脱し、ハッサンはいつ戻って来るのか定かでは無い。


 最悪の事態には、自分がこのチームの命運を握っているという現実が、ミューゼルの集中力を今一度高めていた。


 

 「トーレス、良くやったな。後は俺に任せな。俺がカムイに勝てる方法が、ようやく頭に浮かんだんだ。サンチェス!悪いが剣を貸してくれ!」


 トーレスを介抱したエスピノーザのその言葉に、チームメイトは驚きを隠せない。


 「剣ってお前……使った事あんのかよ?」


 突然の不可解な提案に眉をひそめるガジャルドはエスピノーザに詰め寄り、大きなジェスチャーを交えながら真意を追及する。


 「どうしても斬らなきゃいけねえものがあってな……後はこれだよ、これ!」


 エスピノーザは不適な笑みを浮かべながら足下の畳を指差し、先端をつまんで意外と軽く床から浮かせられる事実を見せ付けた。


 「エスピノーザさん、これ……安物ですけど……」


 剣を持ち、やや緊張した表情で現れたサンチェスに、親指を立てて感謝の意を示したエスピノーザは、生まれて初めて実物の剣を握り締める。


 「……ほう……?これが剣って奴か。意外と重いんだな!だが、確かにこれで斬られたら痛そうだぜ!」


 サンチェスから剣を受け取ったエスピノーザは、まるで子どもの様に剣を振り回してはしゃぎ、その様子を目の当たりにしたチームメイトは得も知れぬ不安に襲われていた。



 「チーム・カムイ、選手の交代をお知らせします。アリ・ハッサン選手がフィールドを離れたまま戻らない為、残り試合を棄権したと判断し、代わってバシリス・カムイ選手が入ります。チーム・カムイ大将、バシリス・カムイ!」


 会場には一瞬、不穏な空気が流れたものの、絶対的な真打ち登場に沸き立つアレーナの空気を思い切り吸い込み、集中力を高めるカムイ。

 

 エスピノーザが、慣れない剣をわざわざ持って来た背景に若干の懸念はあるものの、そのパワー、経験値に於いて、エスピノーザはカムイが恐れるには値しない相手だと、観客の大多数が認識していた。


 だが、準々決勝でエスピノーザは知略を駆使し、カムイに勝るとも劣らない屈強な剣士、ハドソンを倒している。


 相手の攻撃を受けて立つのではなく、知略の目を摘む迅速な攻めが必要になる……。カムイはそう考えて軽量化を試み、準々決勝で奇策的に使用した細身の長剣を置き、極太の愛剣1本で勝負に出る事を決めていた。


 「チーム・エスピノーザ大将、ダビド・エスピノーザ!」


 ハドソンを倒した戦いぶりからもエスピノーザの観客受けは悪く、嬉しそうに剣を振る何処か滑稽なパフォーマンスには、所々で失笑が漏れている。


 「両者ともに剣を持っている様だが……剣士ルールを採用するのか?」


 まさかの剣士エスピノーザの登場に、レフェリーも少々戸惑い気味のルール確認となっていたが、そこは知能犯のエスピノーザ、すかさず剣士ルールは否定した。


 「俺が剣でカムイに勝てる訳ねえだろ!あらゆる手を使いたいから総合ルールなんだよ!」


 ある意味正直なコメントに思わず吹き出したカムイは、そのエンターテイナーぶりを讃えてエスピノーザに握手を差し出したものの、ハドソンへの対応を思い出してその握手を引っ込める。


 「さあ〜来やがれ!」


 威勢の良い言葉とは裏腹に、エスピノーザは広い間合いを取ってカムイから離れ、自らのスピードを活かす助走距離らしきものを確保した。


 (……何やらおかしな事を考えているな。だが、こいつを甘く見てはいけない。なるべく早くカタを着けなくては……)


 「カムイさん……」


 ベンチにただひとり陣取るミューゼルは、最悪の事態に備え、全神経を集中させてエスピノーザのスカウティングを頭に思い描く。

 

 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 「うおりゃあぁっ……!」


 大方の予想を裏切り、スタートダッシュを決めたのは巨漢のカムイ。

 

 右足の膝から下が義足であるが故に、スピードに欠ける点は否めないものの、その巨体が醸し出す迫力と、生半可な剣士には扱えない極太の長剣のリーチと破壊力は、戦わずして対戦相手のメンタルを削りに来るのである。


 (よーし、来な……もっと来な!)


 不敵な笑みを浮かべるエスピノーザは、挙動を怪しまれない様にそれらしく剣を構えており、軽快なフットワークの裏ではカウンターを準備している……と、会場の誰もが予想していた。


 「でええいっ……!」


 例え剣がかわされようとも、その風圧で相手を吹き飛ばす。


 そう言わんばかりの豪快なスウィングを見せるカムイは、エスピノーザとの距離を畳1枚分まで縮めていた。


 「……今だ!」


 エスピノーザはタイミングを見計らうと、手にした剣の先を畳の下に潜り込ませ、てこの原理を応用して大きく畳を跳ね上げる。


 「……何いっ……!?」


 カムイは、目の前に突如出現した畳の壁に戸惑い、無意識の内に自らの剣で畳を突き刺してしまっていた。


 小気味良い音を立てて畳を貫通する剣……この光景に、アレーナには形容のしようの無いどよめきが沸き起こり、エスピノーザはしてやったりとばかりに、盾にしていた畳の陰から飛び出す。


 「そんなゴツい剣だと、畳からは簡単に抜けねえだろ?カムイさんよ!」


 「……ぬううっ……!」


 不覚を取ったカムイは必死に剣を畳から抜こうとするものの、畳の繊維が複雑に絡み合い、剣を抜く事が出来ない。

 細身の長剣を置いて来た事が、ここで裏目に出てしまう。


 「おりゃあ!」


 エスピノーザは小脇に剣を抱えたまま、畳の前から動けなくなっていたカムイの下半身に豪快なタックルを喰らわせ、丸腰となった相手を畳に転倒させた。


 「テイクダウン!」


 誰もが予想出来ない展開にアレーナの熱気はピークに達し、エスピノーザはカムイの攻撃を退けながら、相手の右足を取りに行く。


 「足固め……?カムイの右足は義足だったはずだろ?効かねえよな?」


 客席のハインツにはエスピノーザの真意が理解出来ず、隣のシルバに質問を投げ掛けた。


 「……ダビドは義足を外すつもりなんです!だから剣を持っていたのか!」


 背中に軽い戦慄を覚えたシルバは、有事に備えて常に持ち歩いていた武闘大会の規約をポケットから取り出し、ハインツと項目を確認する。


 

第16条……身体に何らかのハンディキャップを背負っている選手には、ハンディキャップトーナメントへの参加を推奨している。


ただし、参加者本人が希望すれば、希望する大会への参加は原則、認められている。


しかしその際、試合中のハプニングによる敗退、負傷等について、本大会の運営が責任を負う事は出来ない。



 「……おい、これってまさか、エスピノーザがカムイの義足を外して立てなくすれば、奴のTKO勝利って事なのか?」


 「……残念ですが、そうなりますね……。ルールを熟知したダビドの勝利でしょう」


 やや感情的になっていたハインツをなだめる様に、シルバは努めて冷静に受け答えた。



 「この為に剣が必要だったのさ!悪く思うなよ、カムイ!」


 エスピノーザはカムイのパンチによる反撃を背後に喰らいつつも、その痛みに耐えて相手の右足を包む袴を切り裂き、義足を結ぶベルトに手を掛ける。


 「止めろー!卑怯者ー!」


 「そこまでして勝ちたいのかー!」


 客席からは、感情的になった観衆から口汚い野次が飛んでいた。


 だが、エスピノーザに迷いは無い。

 

 彼等に求められているものは美しい敗北では無く、汚い勝利。


 人気者・有力者・模範的人間に恥をかかせてこそ、彼等を支持する組織が膨れ上がるのだ。


 「足は斬らねえよ!安心しな!」


 気休め程度の誠意を見せた後、エスピノーザはカムイの義足を結ぶベルトを切断し、その頑丈な義足をフィールドの外へと大きく蹴り出す。


 「……俺が立てなくても、お前をここでギブアップさせればいいだけの事だ!」


 片足のハンディを背負いながらも、残された左足のキックで相手を畳に倒そうと奮闘するカムイ。

 だが、小柄で身軽なエスピノーザに単純なキックは当たらない。


 「おおっと!流石にしぶといな……だが、例え片足立ちでも、お前を起こしはしねえぜ、そらっ!」


 カムイの巨体を軽々と飛び越えたエスピノーザは、とどめとばかりに相手の左足首の付け根に強烈なキックをお見舞いした。


 「ぐおおおぉっ……」


 全体重のかかる左足首にダメージを受けた事によって、カムイの片足立ちはほぼ絶望的となり、安堵の表情を浮かべたエスピノーザはレフェリーを捕まえ、早急なダウンカウントを要求する。


 「ワ、ワーン、トゥー……」


 「止めろ!あれは反則じゃないのか!?」


 ベンチのミューゼルも流石に冷静にはなれず、激しいジェスチャーとともに、やむ無くカウントを刻むレフェリーを睨み付けていた。


 「皆様お静かに。エスピノーザ選手の行為は確かに非紳士的行為で、減点には値しますが、本大会の規約で禁止されている行為ではありません。この様な事態の可能性を了承した上での、カムイ選手の大会参加である事をご了承下さります様、宜しくお願い致します」


 男声アナウンスの説明にも、観衆は何ら納得する事は無く、無情にもカウントは刻まれて行く。


 「ぐおおぉ……」


 どうにか立ち上がる手段を模索するカムイだったが、頼みの左足首は痛みで動かず、両手で掴める柱やロープも無い。


 万事休すだ。


 「……テーン!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド2分18秒、勝者、ダビド・エスピノーザ!!」


 割れんばかりのブーイングがアレーナを包み込み、その異様な光景を耳にしたチーム・エスピノーザのタワン、そしてチーム・カムイのゲリエ、レディー、ハッサンが治療を終え、慌ててベンチへと帰還する。


 

 「……カムイ!何があったの!?」


 綺麗に包帯が取れ、この短時間で意地のメイクをキメてきたレディーは、畳に倒れ込むカムイと、フィールドから放り出された彼の義足を目の当たりにして戦慄した。


 「……まさか……?」


 「……すまねえな、そのまさかだ。後はミューゼルに託した。奴は必ず勝つよ。俺の事は心配するな」


 敗戦のショックを事故と割り切ったカムイは、既に涼しげな表情を浮かべており、リーダーの仇討ちとチームの勝利を誓うミューゼルからは、これまでに無い程の熱い闘志が感じられる。


 「……おおりゃっ……!」


 畳から強引にカムイの剣を引き抜くエスピノーザ。

 畳の中央には子どもが通れそうな程の大きな穴が空き、見かねた警備員がその畳を試合の邪魔にならない様にと、選手の集合地点からやや離れた場所へと移動させる。

 

 その行方をミューゼルだけが、ただ真剣に目で追っていた。


 「すまねえな。俺も勝たなきゃならねえんだ」


 自らカムイの剣と義足を抱えてチーム・カムイのベンチに現れたエスピノーザは、次の対戦相手であるミューゼルからは激しく睨まれる。


 しかしながら他のメンバーからは、自らが矢面に立って謝罪に訪れる誠意が一定の評価を受けている様子であった。


 

 「ミューゼル……あの選手はこの大会の成長株よ。でも、カムイのあんなやられ方を見て冷静になれるか、そこに勝負はかかっているわね……」


 この試合で余り口を開く事の無かったクレアだが、エスピノーザが実力より悪知恵に頼らざるを得ない現状から、チーム・カムイの優位を崩してはいない。


 

 「チーム・カムイ、選手の交代をお知らせします。カムイ選手の敗退により、チーム内でフィールドに上がる権利を有する選手は、先鋒勝ち残りのミューゼル選手だけとなりました。チーム・カムイ先鋒、アレクサンダー・ミューゼル!」


 カムイの仇討ちという舞台、加えて地元ドイツ出身である事も手伝い、これまでに無い期待と歓声を浴びるミューゼル。

 

 だが、彼の持ち味は冷静な分析と優れた技術であり、既に経験した2試合で自信も付けた現在、彼からはある種の風格にも似たものが感じられるのも、また事実であった。


 

 「大したもんだな、ダビド!俺達が決勝に行ける可能性が高まったんだからな。だが、こいつはスカウティングが出来ていない。ガードが上手くて慎重な奴という印象だが……」


 「それだけ分かりゃ十分だぜ、ガジャルド。最初から攻め倒してやるさ!」


 ベンチに一時帰還したエスピノーザはガジャルドからの情報を受け、慣れない剣をサンチェスに返却し、ハドソンを倒した縁起の良い武器・三節棍(さんせつこん)を手に再びフィールドへと歩みを進める。


 

 「この試合の厳密な対戦成績は、チーム・カムイの4勝、チーム・エスピノーザの1勝。しかしながら、負傷による棄権等の事情がある為、現在フィールドに立てる選手は両者だけ。この大会は勝ち抜き戦である。よって、最後に残った両者の内の勝者が所属するチームを決勝進出とする。異論は無いか?」


 「ありません」


 レフェリーの説明にいち早く応えたのはミューゼルで、既にエスピノーザを睨む事も無く、普段の冷静さを取り戻していた。


 「ラウンド・ワン、ファイト!」


 「喰らえっ……!」


 試合序盤のミューゼルが様子見傾向にある事を理解したエスピノーザは、試合開始のゴングと同時に素早く間合いを詰め、挨拶代わりの三節棍を打ち込みに前へ出る。


 「……くっ!」


 ミューゼルにしては珍しく、自らの左肩へのガードが遅れ、防具に喰らった衝撃に一瞬顔を歪めた。


 「何だ?今更緊張してんのか?」


 ややもすると肩透かし気味のスタートを気に掛ける暇も無く、エスピノーザはリズミカルに三節棍をミューゼルの上半身に打ち込み、その攻撃の幾つかは相手のガードを潜り抜けて着実にヒットしていく。


 「たああっ……!」


 自身を苦しめていた三節棍の三節目、ここの動きのパターンを見切り始めたミューゼルは、見違えてガードが正確になり、エスピノーザの直感的な攻撃は早くも効果が期待出来なくなって来ていた。


 (……なるほどな……。確かにコイツは賢い。だが、前例からしか学べないんじゃ、格闘家とは戦えねえぜ……)


 何やら意味ありげな笑みを浮かべたエスピノーザは、一旦ミューゼルから間合いを空け、やがて低い重心から相手の左下半身に回り込み、剣の死角から巧みにタックルを仕掛ける。


 「……うわっ……!」


 サンチェスの強引なタックルとは違う、エスピノーザの狡猾な戦法は相手を振り回し、危うくダウン寸前に追い込まれたミューゼルは、タックルを恐れたのか、露骨に間合いを空けて後退りを始めた。


 エスピノーザのペースで進む試合に観衆からは不満のブーイングが漏れ出し、そのブーイングに気を良くしたエスピノーザは更に攻勢を強めていく。


 「どうしたどうした?逃げてちゃ決勝には行けねえぜ!」


 三節棍の攻撃は剣で無難にガード出来ていたミューゼルだったが、そこからの反撃手段を見出だせないのか、時にはじりじりと後退し、時には左に寄り、時折思い出した様に前へと攻めに出る。


 「……ミューゼルさん、動きおかしくない?何か狙ってるよね、あれ……」


 バンドーの考察に感心したのか、ハインツは彼の肩を叩いて遠くの席を指差し、その席に陣取るフクちゃんは自らの斜め下のフィールドを指差していた。


 フクちゃんの指差す先には、カムイが中央に穴を空けた畳の姿。


 ミューゼルは戦いながら、エスピノーザをその隣の畳まで誘導していたのだ。


 「でえええぇいっ……!」


 これまでに無い、全身全霊のパワーでエスピノーザの三節棍を弾き飛ばしたミューゼルは、自らとエスピノーザとの間合いを、丁度畳1枚分にまで広げる。


 相手の不審な行動に気付いたエスピノーザは自身の周囲を見渡し、自らがカムイを葬った畳がすぐ隣まで来ている事に大きく両目を見開いた。


 「……お前……何を……!?」


 「おおぉりゃああぁ!」


 ミューゼルはエスピノーザの動揺すら無視して畳を掘り返し、斜めの角度から相手目掛けて全力で叩き付ける。


 「どわああぁっ……!」


 猛スピードの畳の壁をかわす事の出来ないエスピノーザは、その壁に抱き付く様に激突し、畳の中央の穴から剣を突き出したミューゼルが、視界を塞がれたエスピノーザの胸の防具を完膚無きまでに貫いた。


 「ストーップ!エスピノーザ選手、胸の防具損壊により、戦闘不能と見なす!」


 カンカンカンカン……


 「1ラウンド1分48秒、勝者、アレクサンダー・ミューゼル!!決勝進出は、チーム・カムイ!!」


 「よっしゃあ〜!ミューゼル!」


 アレーナ全体を揺るがすかの様な大歓声。

 

 その勝利の瞬間、義足を着け直したカムイを筆頭に、チーム一丸となってミューゼルの祝福に駆け付けるメンバー達。

 去年までのチーム・カムイには見られなかった、新しい光景である。

 

 「ミューゼル、ゲリエ、よくやってくれた。お前ら、この大会が終わったら、ギリシャに来る気はあるか?」


 「……え?それって……?」


 ミューゼルとゲリエは、カムイからの突然の言葉に一瞬戸惑い、やがて確かな期待感を露にしていた。


 「……ああ、そうだ。レディーやハッサンからは前々から言われていたんだが、今日から俺達は正式な5人組だ。お前らさえ良ければ、これからも一緒に仕事をしようぜ」


 「はい!喜んで!」


 カムイの言葉に感極まったミューゼルとゲリエは、チーム正式メンバーの要請を即決し、チーム発足を祝う彼等は、互いに肩を抱き合う。


 

 「……おい、ミューゼルとやら。良かったな。俺の完敗だよ。この足で大会からもおさらばさ。何か俺に言いたい事はあるか?」


 畳に座り込みながら、破損した自らの防具を外して眺めるエスピノーザは、最後の相手ミューゼルに別れの挨拶を促した。


 「……貴方には、自分の行いを償って貰いたかった。だから、あんな形で勝たせて貰いました。言いたい事はそれだけです。また戦う事があれば、また全力で戦います」


 ミューゼルの真摯な言葉と、嘘の無い真っ直ぐな目は、エスピノーザには少々眩しかった。


 だが、彼にも大切な仲間がいる。

 彼等とともに、また明日から組織の拡大に励まなければならない。


 例えそれが、世間から犯罪と見なされる行為であっても……。


 「ダビド、行こうぜ。もうここは、俺達のいるべき場所じゃ無くなったんだ」


 チームリーダーに手を差し伸べるガジャルド、そしてその仲間達。


 エスピノーザはゆっくりと腰を上げ、嵐の様なブーイングの中、たまに聞こえる熱狂的な声援に頬を緩ませ、自らの存在意義を噛み締めながらアレーナを後にする。


 「……お前と戦わずに済んで、せいせいしたぜ、シルバ。だが、もしお前がスペインまで乗り込んで来た時は容赦しねえ。命は大切にするんだな」


 客席のシルバと目が合った瞬間だけ、エスピノーザの闘志は静かに燃え続けていた。

 


  (続く)

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全ての戦いが熱い!大将以外は全員負けた状況で、 頭脳と運を味方にして、勝利目前まで持ち込んだ、 エスピノーザは素晴らしかったと思います。 この試合の全てをエスピノーザが持って行った。 その…
2020/06/07 15:10 退会済み
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