第24話 武闘大会参戦!⑮ バンドー、決意新たに
準決勝第1試合、チーム・バンドー VS チーム・ルステンベルガーの戦いは、チーム・バンドー次鋒のシルバ、中堅のリンがそれぞれ対戦相手のシュタイン、バイスを倒し、バイスに敗れたシルバと精神的な消耗が顕著なリンは、フクちゃんの招きのもと、アレーナの外で休息を取る事となった。
試合は勝ち残りの先鋒バンドー、副将クレア、大将ハインツの3名が相手チームの大将、ルステンベルガーに挑む最終局面を迎えている。
勝ち抜き団体戦のルールとして、3対1という戦力差はチーム・バンドーの圧倒的優位を示してはいるものの、対戦は1名ずつであり、個人としての実力、実績はルステンベルガーが抜きん出ていた。
チーム・バンドーは、チームNo.1の実力者ハインツがルステンベルガーと対するまでに、いかに相手の心身を消耗させるかが、勝利への重要なポイントとなっている。
(誰が来ようと……やるべき事は同じだ……!)
現時点でチームメイト4人を、それぞれの事情により医務室に残しているルステンベルガーは、ひとりウォームアップに神経を集中させながらも、時折相手ベンチへと視線を送っていた。
相手側が何やら話している内容は聞き取れないものの、どうやらバンドー、クレア、ハインツの順で自分に挑みに来るらしい。
フル装備済みで剣の最終チェックを行うバンドー、ハインツと目を合わせる事無く防具の選択に余念の無いクレア、直立姿勢で身ぶり手振りの指示を出すハインツ。
各々の行動で一目瞭然と言えるだろう。
打倒ルステンベルガー3本勝負、1番手を買って出たのはバンドーだった。
自らの実力を理解し、後先考えず全力でぶつかれるポジションである事がその理由であったが、クレアとハインツがそれを望んだからでもある。
クレアやハインツに出会った頃に比べ、今のバンドーは確かに強くはなった。
様々な経験に加え、魔法を手にした自信も大きい。
だが、彼の戦いは周囲の協力や、リスクを顧みない行動が実を結んだラッキーな勝利も多く、いつの日か調子に乗った行動が取り返しの付かない悲劇を生む前に、理路整然と実力による敗北を経験しなくてはならなかったのだ。
「バンドー、お客さんは誰もあんたには期待していないわ。奇跡を起こしちゃいなさい!」
クレアは、極力バンドーにプレッシャーをかけない言葉を選んでいた。
バンドーにプレッシャーをかけ、彼が敗北の言い訳にしてしまう、消極的な戦いを選択させる訳には行かなかったのである。
「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。バイス選手に勝利したリン選手が体調不良により、残りの試合を辞退した為、先鋒として勝利を挙げていたレイジ・バンドー選手が再びフィールドに上がります!」
アレーナに男声アナウンスが流れた瞬間、リンの容態を懸念した男性ファンのざわめきと、ルステンベルガーの勝利を確信した地元ファンの大歓声が入り混じる、何とも形容し難い空気が会場を包み込んだ。
「チーム・ルステンベルガー大将、ニクラス・ルステンベルガー!」
立て続けにアナウンスされた地元の英雄に観衆は沸き立ち、その歓声の圧力にバンドーは衝撃を受けていた。
これが俗に言う、アウェーの洗礼である。
「お前がヤンカーを倒すとは、夢にも思っていなかったよ……。手加減はしない、2分でお前を倒してやる」
バンドーを闘志剥き出しで睨み付ける、ルステンベルガーの言葉には当然、バンドーを2分で倒す事の出来なかったチームメイトへのリスペクトが込められている。
しかし同時にこの言葉は、これから訪れる3本勝負の初戦として、魔法以外に不安要素のないバンドーに時間をかけられない、ルステンベルガー自身の決意表明でもあった。
相手の気迫に押されたバンドーは片手で自らの頬を叩き、深呼吸をして集中を高める。
経験値とパワーに裏付けされていたヤンカーの気迫とはまた違う、人間力の様な得体の知れない気迫を感じるルステンベルガーからはカリスマ的なオーラすら感じられ、視線のやり場に困ったバンドーは、改めて自らの剣に意識を集中させた。
(……これが、トップレベルの剣士……。まともに戦って、俺が勝てる相手じゃない。でも、まともに戦わなきゃ、チャンスの尻尾も見えて来ないんだ……)
バンドーはシュティンドルの形見の剣を見つめながら、彼との稽古で学んだ動きを頭の中で繰り返し復習する。
専守防衛策を取ったシュワーブ戦、出し惜しみ無く全力で仕掛けたヤンカー戦で見せる事は無かったが、バンドーが瞬間的に見せるスピードは練習に付き合ったカレリンを驚かせている。
秒殺を免れながら、クレアやハインツにヒントを与える事は出来るはずだ。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
割れんばかりの大歓声の下、特に気合いの雄叫びを見せる事も無く、冷静かつ迅速にバンドーに迫るルステンベルガー。
待ち構えるガードでは、技術で隙を突かれてしまう。
そう考えたバンドーは、敢えてガードの構えを見せず、軽快なフットワークを維持しながら攻撃の回避と反撃のシミュレーションを脳内で繰り返していた。
ルステンベルガーは右利きである。
攻撃をかわせるかどうかは別として、対面するバンドーの左半身が狙いであればギリギリまで右腕を動かさず剣を突く動作、右半身が狙いであれば剣を振りかぶるモーションの気配が見えるはず。
(……突きだ!)
己の許すタイミングまでルステンベルガーの出方を窺ったバンドーは、相手から剣を振りかぶるモーションを感じる事無く、自らの左半身への攻撃を避ける為に重心を右足に切り替えた。
「それっ……!」
右利きのバンドーが敢えて右足を軸足にする事により、スピーディに左足を斜め前に踏み出す最小限の動作で上体に捻りが入り、反動の必要ないコンパクトな剣の振りを実現する。
その狙いはルステンベルガーの左半身、腰から下にあった。
「でやああぁっ……!」
ルステンベルガーはバンドーの予想通り、剣を振りかぶる事無く相手の左肩の防具を突きに来る。
だが、彼の突きは身体全体のスピードとパワーを乗せただけのものであり、両手は伸ばさず肘を折り畳んだままだった。
(来たああぁっ……!)
ルステンベルガーの突きを、自らの左肩の防具から逸らせる算段を得たバンドーは、左足を斜め前に踏み出して自然な上体の捻りを作り、コンパクトな振りで相手の左半身を狙う。
「バンドー!」
「速いわ!」
ハインツとクレアは、これまでより素早い判断力と動き出しを見せるバンドーに驚き、早々のポイント獲得に期待を寄せた。
「……甘い!」
バンドーの攻撃エリアに入ったかと思われたルステンベルガーは、肘を伸ばして剣を突き出すタイミングで左手首を上から押さえ付けていた右手を放し、左手1本の真っ直ぐ自然な力でバンドーの左肩の防具を軽々と引き裂く。
「……何いっ……!」
自分としては完璧なタイミングで回避と攻撃を行えていると信じていたバンドーは、その目にも止まらぬ早業に全身を硬直させ、その隙を見たルステンベルガーは、悠々とバンドーの攻撃エリアから脱出して見せた。
「……お前のフットワークを見ていれば、俺とのファーストコンタクトは回避するとすぐに分かる」
表情ひとつ変えずに素早いターンでバンドーに向き合ったルステンベルガーは、始めからバンドーの最終ポジションを見抜いており、そこへ確実に誘導する為、敢えて剣を振らなかったのである。
一瞬の沈黙の後、実力の差を見せ付ける地元の英雄に浴びせられる大歓声。
バンドーは動揺を隠せず、クレアとハインツにも意気消沈の気配が窺えた。
「ニクラス!さっさと決めちまいな!」
アレーナの雰囲気に乗せられる様に、バイスを除くチーム・ルステンベルガーのメンバーが医務室から帰還する。
ヤンカーはバンドーの力を認めたものの、ルステンベルガーが苦戦するレベルの相手では無いと、チームメイトの誰もが確信していた。
「バンドー、気にするな!お前がやるべき事をやれ!」
ハインツの檄で気を取り直したバンドーは、何はさておき積極性を失わない様に間合いを詰め、ルステンベルガーの胸の防具を正面から全力で突きに行く。
「……そらっ!」
バンドーのパワーにだけは警戒を緩めないルステンベルガーは剣を両手でしっかりと握り、左から右へと相手の剣を弾き返した。
(……すぐ来る……!)
バンドーはルステンベルガーの剣の軌道から、素早く剣が振り降ろされると判断し、自らの剣を頭上に構えてガードの体勢を整える。
だが、ルステンベルガーは振りかぶりかけた剣を強引に三日月型の軌道へと変え、バンドーの左の腰にある防具を粉砕した。
「……!!」
ルステンベルガーの正確な技術により、痛みを感じる事も無いまま2ポイントを先取されたバンドーは早くも額に汗を滲ませ、焦りの色を露呈している。
「……お前のガードはガードになっていない。相手のレベルを理解しろ」
余裕すら感じられる不敵な笑みでバンドーを挑発するルステンベルガーに、バンドーは冷静さを失い、力任せの大振りで相手を遠ざける事しか出来ずにいた。
「俺に剣で勝てるとでも思っているのか?魔法を見せてみろ。無様に負けたくなければな」
この試合の初戦でスタミナも十分なルステンベルガーにとって、バンドーへの警戒要素は魔法だけ。
また、これだけの近距離を保てる状況であれば、バンドーの魔法発動時の異変にもすぐに対応出来る自信がある。
「…………」
バンドーは相手の挑発には乗らず、あくまで無言を貫きながら次の一手を模索する。
魔法を使いたくても使えないのだ。
しかしながら、その現実を相手に悟られる訳には行かない。
バンドーはこの間を逆に利用し、自らがこれまでに観戦したり、対戦したりした相手から盗めそうな技、通用しそうな技に思考を巡らせる。
シュワーブの堅実なポイント狙いの剣術。
これは、ルステンベルガーが彼の上位互換である為にまず通用しない。
ヤンカーの気迫溢れるパワーファイト。
今の間合いの近さでは、剣の振りや助走のモーションで相手にパワー攻撃を見抜かれてしまう。
バイスの……。
「魔法は決勝戦に温存か?そのチャンスがお前にあるかな?」
ルステンベルガーは、バンドーの挑発を諦めると剣を下から上へと素早く振り上げ、バンドーが警戒の為に前に突き出していた剣を先から跳ね飛ばした。
「……わっ……!」
コンパクトな振りからは想像出来ないパワーを持つルステンベルガーの剣に、バンドーは思わずバランスを崩して後退りする。
筋力を無駄なく鍛えれば、大振りせずともパワーを込める事が出来るのである。
「……くそっ、喰らえっ!」
後退りした勢いが幸いし、ルステンベルガーの左半身の真正面に立てたバンドーは、相手のお株を奪わんとする突きで左肩の防具を狙いにかかった。
「そんな苦し紛れを……!」
素人でも思い付く単純な反撃に呆れたルステンベルガーは、右から剣を振りかぶり、バットのスウィングの要領でバンドーの剣を打ち返しにかかる。
今のバンドーが見せている腰の入らない突きでは、ルステンベルガーのスウィングを受ければ身体が回転してしまう事だろう。
だが、バンドーはそれを待っていた。
キイイィン……
互いの剣が激突する瞬間、バンドーはためらう事無く剣を捨て、ルステンベルガーの剣から受けた衝撃に逆らわずに身体を回転させ、剣を振り切ってガード意識の無いルステンベルガーの顔面に右の裏拳を炸裂させる。
バイスの格闘技を盗んだのだ。
「……ぐおっ……!」
予想外の裏拳を顔面中央に浴び、脳への衝撃でよろめいたルステンベルガーは、受け身を取る事も出来ずに背中からフィールドの畳に崩れ落ちた。
「テイクダウン!」
レフェリーのコールは、大観衆のどよめきと僅かなアジア系の観客による熱狂に掻き消される。
ダメもとでバンドーを送り出しているクレアとハインツも、互いに拳を握り締めて小さなガッツポーズを見せていた。
「うおおりゃあぁっ!」
千載一遇のチャンス到来、バンドーは無我夢中で倒れたルステンベルガーを追跡し、抱き付かんばかりの勢いで正面からのマウントに挑む。
格闘技に慣れていないルステンベルガーに最も効果的なのは寝技だが、今のバンドーはそこまで冷静にはなれなかった。
圧倒的実力差を見せつけられていた焦りから、とにかく相手にダメージを与える事に意識が囚われ過ぎていたのだ。
「だああぁっ!」
ルステンベルガーがすかさず顔面のガードを固めた為に、取りあえず目に付いた、殴れる部分を一心不乱に殴り倒すバンドー。
防具の上からの打撃がどれ程の効果を上げているのかは疑問だが、後に控えるクレアとハインツの為、何よりも自身のプライドの為に、バンドーは腰を乗り出し、今にも前のめりに転倒しそうな勢いでルステンベルガーの全身を殴り続けていた。
「……ぐはっ……!ふざけやがって……!」
辛うじて顔面をガードしていたルステンベルガーは、バンドーの足の締め付けが弱まっている事から相手の体勢を把握し、両足を勢い良く開いてバンドーの股裂きを試みる。
「うわわわっ……!」
目先の攻撃に気を取られ過ぎていたバンドーは両足を限界まで広げられ、一瞬の激痛により仰向けに転倒してしまった。
「ニクラス!今なら立てるぞ!」
顔面のガードで戦況把握に苦心していたルステンベルガーに、格闘技の心得もあるヤンカーが大歓声の合間を縫ってアドバイスを送る。
「うおおぉっ……!」
バンドーを振り払って立ち上がったルステンベルガーは、ダメージで手足の重い身体を気力で引きずり、自らの剣を拾ってバンドーへと飛び掛かって行く。
「……これでジ・エンドだ!」
バンドーが相手の影に気付いた瞬間、時既に遅し。
ルステンベルガーの剣の先は、起き上がろうと中腰になったバンドーの胸の防具を確実に捉えていた。
「ストーップ!バンドー選手、胸の防具破損により戦闘不能と見なす!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド1分58秒、勝者、ニクラス・ルステンベルガー!!」
「うおおぉっ!」
大歓声に煽られた為なのか、それとも自らの宣言通りにバンドーを2分で倒す事が出来た為なのか、珍しく興奮を隠さないルステンベルガー。
ダメージを免れた彼の美しく、しかし精悍な顔が野生の本能を解放した瞬間である。
バンドーは終盤に意地のラッシュを見せはしたが、剣を捨てた格闘勝負に出るのであれば、曲がりなりにも結果は出さなければならない。
これまでの彼のプライドは、そうして守られて来たのだから。
「こんなに殴られるとは思わなかったな。ヤンカーの気持ちが分かったよ」
ダメージの残る身体を擦りながら、試合中の威圧感が嘘の様なフレンドリーな表情で、バンドーに話し掛けるルステンベルガー。
彼が握手に差し伸べた右手の先には、自らの未熟さを再確認してうつむいたままのバンドーが、畳に両手を着いてうなだれている。
「……バンドー、お前は何の為に剣士になったんだ?何の為に戦っているんだ?」
ルステンベルガーからの突然の質問に、バンドーは思わず顔を上げたが、自らの剣士への道は、特に強い決意によって切り開かれたものではない。
バンドーは口を開いて何かを伝えようとしたものの、結局彼の口から答えが出る事は無かった。
「……その答えが出せない内は、お前は今以上強くはなれない……」
ルステンベルガーはそう言い残してバンドーに背を向け、祝福する仲間の待つベンチへと歩き出して行く。
「……!?」
アレーナ敷地内の芝生に腰を降ろしていたシルバとリンは、対面するフクちゃんが急に目を見開いた、その表情の変化を見過ごさなかった。
「……どうやら、バンドーさんが負けた様ですね……」
女神であるフクちゃんは、アレーナから伝わる熱狂と人間の意地を感知し、試合を自らの頭の中でフラッシュバックさせる。
「…………」
シルバもリンも無言のままだった。
バンドーとルステンベルガーの実力差を考えれば至極真っ当な結果ではあるが、迂闊な激励や称賛を挟むべき試合では無い空気を、フクちゃんの神妙な様子から読み取っていたのである。
「……試合は完敗の様ですが、バンドーさんも相手にダメージは与えたみたいです。クレアさんとハインツさんが何とかしてくれるのではないでしょうか?」
恩返しの旅に同行中とは言え、女神のフクちゃんが特定の人間チームに肩入れする事は無い。
かつてシュティンドルの死により我を失ったバンドーを立ち直らせる為に、彼女が取った行動は、光線でバンドーを気絶させる事。
そうして、時にはよそよそしいまでに人間の業や性と距離を置き、情緒に頼った奇跡は排除する。
それは大自然の遣いとして、大災害を防ぐ事も出来ない自らを「神」と自覚しなければならない者達の矜持でもあった。
しかし、そんな神族だからこそ、芝生を彩る美しい蝶は警戒心を解いてフクちゃんに群がり、その神秘的な光景に引き寄せられた人間達は次々と写真を撮っていく。
その写真に残されたフクちゃんの姿は、彼女が神界に帰った時には消えていく運命にあるのだが……。
「シルバさん、リンさん、少しはリフレッシュ出来ましたか?」
フクちゃんはこの場に於いて特に回復魔法等を施す事も無く、美しい自然の中で他愛の無い話をするだけであった。
しかし、その超然とした能力と相反する素朴な少女の様な雰囲気に、自然の存在により魔力を回復するリンは勿論の事、肉体のダメージを負ったシルバにも不思議な力が沸き上がっていた。
「……自分はだいぶリフレッシュ出来ましたよ。ありがとうごさいます。色々と楽しいお話を聞かせて貰いました」
シルバだけではなく、リンも含めて一番興味深かった話題は、やはり食べ物に関する事。
大自然の遣いである神族は、野生の生き物を口にする事は無い。
フクロウの姿での修行中には、あくまで善意から生きている虫を餌として持ってきてくれた人間がいたが、思想信条に反するという理由で翼を左右にパタパタと振り、丁寧なお断りの態度を示してきた。
フクちゃんにも生き物による好き嫌いはあるものの、これは決して、虫がキモいからでは無いのである。
しかしながら、既に死んでしまった生き物、調理されてしまった生き物に対しては、倫理観を超越して魂の浄化を優先しなくてはならない。
何を食べても体内に取り入れられる事無く、空気中に気化させてしまう神族の行動は、ある意味生き物へのリスペクトと魂の浄化を優先した結果と言えるだろう。
その信条によるものかどうかは定かでは無いが、何故かフライドポテトや焼きそばパン等、炭水化物系ジャンクフードに慣れてしまった背景が、異種族である彼等の距離を急速に縮めていたのであった。
「……リンさんはどうですか?貴女からは時折、今の自分の立場への迷いを感じる事がありますが……」
フクちゃんは自らの提案が一定の効果を発揮した事に安堵し、シルバの回復が順調である事を確信していた。
残るはリンのメンタル面である。
「……はい。私は皆さんと一緒に過ごす中で、シルバ君はご両親の仇討ち、クレアさんは剣術道場作りへの夢、ハインツさんは世界一の剣士への道と、それぞれが目的や夢に向かってこのお仕事をされていると認識しました。でも私は……ひょっとするとバンドーさんも、人生経験の様な、ふわっとした意識でこの仕事を続ける事に、何処か後ろめたさを感じていたんです……」
リンの独白を、シルバは硬直した姿勢で聞き入っていた。
彼は殆ど、一目惚れの様な状態でリンを意識して来たが、彼女の人間性、そして魔導士としての実力は、既にチームに必要不可欠になっている。
そもそも、動物に優しいリンとバンドーがいなければ、フクちゃんだって修行のクリアを前にトラブルに巻き込まれていたかも知れないのだ。
「……でも、メロナさんと戦う為にフィールドに上がってから、私の意識は変わりました。この舞台に上がるからには、私だけが皆さんの足を引っ張る訳にはいかないと。そして今日は、私を守る為にフィールドに上がってくれたシルバ君が傷付いた時、私がシルバ君を守りたいと……」
そこまで言葉を絞り出した瞬間、リンは口を閉ざして瞳を逸らす。
リンを慰めたい気持ちを持て余しながらも、どう声をかけるべきか戸惑いを隠せない、シルバの動揺を察知したフクちゃんは暫し目を閉じ、その超然とした立場から冷静に言葉を紡ぎ始めていた。
「……リンさんには、他の4人に出来る事が出来ないという現実があるでしょう。でも逆に、他の4人に出来ない事が出来るという現実もありますね。貴女はこのチームの、最後の砦になれば良いと思います。大きな愛で、このチームを包んで下さい」
フクちゃんの言葉に、感極まったリンは首を縦にも横にも振る事は無かったものの、身を乗り出して手を握り締めたシルバと顔を合わせ、やがて穏やかな笑みを浮かべる。
「……ジェシーさんは、自分が守ります。そして自分の事を、ジェシーさんが守ってくれると……幸せに感じます……!」
元軍人のシルバが、この言葉を熟考に熟考を重ねて振り絞った事は想像に難くない。
フクちゃんはチームの人間的成長を喜ぶ様な達観した表情を浮かべ、頬を撫でる風を掌で遮りながら激闘の続くアレーナに再び視線を送る。
(さて……後はバンドーさんだけですね……)
その頃アレーナでは、完敗に肩を落とすバンドーをクレアとハインツが迎えていた。
「……まあ何だ……お前も色々と学んだだろ。その感触を忘れない内に、お前が出来る事をやって来いよ。ルステンベルガーは俺とクレアに任せろ。お前は決勝でもこき使わせて貰うからな」
ハインツはバンドーの肩を叩き、もやもやした心を抱えながらの試合観戦を無理強いする事は無く、バンドーの自由意思を尊重する。
そもそも、ルステンベルガーに派手に壊された彼の防具は補充が急務であり、アレーナの売店は決勝が近付くにつれて値段を引き上げるという、悪しき慣習があったのだ。
「……ありがとう……」
バンドーはクレアとハインツに見送られながら、取り合えず気分転換も兼ねて防具の補充へと向かう。
「ニクラス、大丈夫か?まあ、俺と違ってイケメンのままだがな!」
まずは順当にバンドーを退けたルステンベルガーを、最も付き合いの長い兄貴分、ヤンカーが皮肉混じりに激励していた。
「ニクラスさん、クレアさんは半端な男より強いと思います。彼女は懐に短剣を忍ばせていて、相手に隙があれば時間帯を問わず狙って来ますよ。彼女がハインツまでの繋ぎと考えるのは危険です」
本来ならばクレアと対戦する予定で、入念なスカウティングを行ってきたシュタインは、チームリーダーに警戒の念を押す。
「ルステンベルガーさん!ご家族が!」
シュワーブが指を差した観客席には、息子の晴れ舞台に間に合ったと言わんばかりの満面の笑顔で手を振る、ルステンベルガーの両親の姿があった。
常に引き締まった表情を崩さないルステンベルガーも、この時ばかりは緊張を緩め、軽く手を振り返して両親の笑顔に応える。
ルステンベルガー家、それはドイツに於いて、文武両道の代名詞とも言える名門一族であった。
学業は勿論の事、レスリングやフェンシング、はたまた空手や柔道、剣道、少林寺拳法、テコンドーと言った東洋の武術に至るまで、一族は必ずいずれかの武術を高いレベルで身に付けて来たのである。
しかし、そんな一族で唯一、武術の才能を持たない男がいた。
それがルステンベルガーの父、マルクス。
マルクスは2045年、双子の兄として生を授かるも、出産中に世界を襲った大災害により、母親と双子の弟を失ってしまう。
一族の総力を結集した必死のバックアップにより、大災害後の世界をどうにか生き延びたマルクスだったが、彼には一族伝統の武術の才能は備わっていなかった。
一族の中には、死産した双子の弟こそがルステンベルガーであるとまで言い出す者も現れたが、マルクスは悪評に耐えながら必死に学業を磨き続けて教師となり、その教え子でフェンシングの有望選手だった妻、ネーナと結婚。
ネーナの血筋もあり、武術の才能を持って生まれたニクラスには、ただの文武両道ではない、父マルクス譲りの人間としての真摯さも備わっていた。
(……俺は戦う。ドイツの為に、仲間の為に、そして何より家族の為に……。武術の才能が無くても、親父がルステンベルガー一族の偉大な男であると証明する為に……!)
「バンドーが与えたダメージは後から効いてくるはず。あたしも勝利は勿論狙うけど、ルステンベルガーにダメージが蓄積するまで、試合を引き延ばしてみせるわ。後はあんたが何とかしてよね!」
クレアは剣と装備を確認し、ハインツに後を託してフィールドへと歩き出す。
「チーム・バンドー副将、マーガレット・クレア!」
準々決勝で「トルコの生ける伝説」、アーメト・ギネシュを倒した女剣士クレアには、実力は勿論の事、そのルックスと名家の出身という話題性があり、今まさに沸き上がる大歓声が証明している様に、ヨーロッパで飛躍的に知名度を高めていた。
実績を評価されているハインツとシルバは勿論、バンドーやリンも戦前の予想を上回る活躍を見せ、この時点で、遂にチーム・バンドーは優勝候補の一角に名乗りを上げる事となる。
(ギネシュを倒した女か……。左膝を負傷したという話だったが、特に変化は無さそうだ)
バンドー、クレア、ハインツの3人を倒さない限り、決勝進出の道が閉ざされるルステンベルガーは、スタミナを温存する最短距離での勝利を模索していた。
だが、クレアがギネシュとの戦いで負傷したと考えられていた左膝には、テーピングや厚い防具等は見られず、相手が左膝への攻撃を特に恐れてはいない事が窺える。
(……この人、やっぱりイケメンだわ……。でも、イケメンは必死になった時の顔が一番よね)
無類のイケメン好きなクレアの大好物……それは、自らを紳士的に見下していた優男が追い込まれた時に見せる「本気の表情」。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「40000CPって……高過ぎるだろ!工房では20000CPだったんだぜ?」
アレーナ内の武器売り場を訪れたバンドーは、緊急事態の需要につけこんだ悪質商法に怒りを露にしていた。
準決勝で経験した3試合で派手に壊された防具を買い換える為に、背に腹は代えられない状況での買い物ではあったが、流石に2倍のぼったくりには、普段は温厚なバンドーも大人しく引き下がる訳には行かない。
「嫌ならアレーナを出て買い物に行きな。あんたら、決勝に出られそうなんだろ?買い物する時間を、体調管理とトレーニングに充てた方が賢明じゃないのかい?」
如何にも口だけは達者そうな、流行りのスタイルを継ぎ接ぎした軽薄な風貌の店員は、バンドーがカムイやルステンベルガーの様な影響力を持つ男ではないと判断し、上から目線で自らの暴利を譲ろうとはしない。
「あらら、またやってんのね〜。ツィオリス」
突然、バンドーの背後から聞こえて来る、馴染みのある声。
見た目と口調は女性だが、声のトーンは明らかに男性。
チーム・カムイの格闘家、レディー・ニニスだ。
「……げげっ!レディーの兄ぃ!?」
状況が今イチ飲み込めないバンドーをよそに、店員は冷や汗を浮かべて狼狽している。
「ちょっとあんた!レディーの兄ぃは差別用語じゃない!せめて姐さんとかにしなさいよ!」
レディーはデリケートな問題に憤慨した様子で、バンドーを差し置いて店員に詰め寄った。
「……あんた、セコい商売から手を引けってあれ程警告したのに……。あんたはギリシャの恥よ。もう1回警察に突き出してもいいのよ?」
「……そ、それだけはご勘弁を……。分かりました。定価にショバ代プラスの、22000CPで許して下さい……」
レディーとこの店員の間には、恐らく何らかの因縁があったのだろう。
彼女に凄まれた途端、店員は防具の値を下げた。ショバ代だけは譲らない様子だが……。
「……まあ、人気イベント出店の苦労は分かるし、22000CPで手を打つよ」
バンドーは時間を無駄にしない為に必要以上の交渉を避け、レディーに頭を下げて感謝の意を示し、トレーニングルームに行こうとしたその時、レディーに肩を掴まれた。
「助けてあげたんだから、ちょっと付き合ってよ。あの段ボール重いから、キッチンまで運ぶの手伝って!」
このオネエキャラに付き合わされる事を、ぶっちゃけ好ましくは感じなかったバンドーであったが、せめてもの恩返しになるならば……と、レディーが苦労していた段ボールを担ぎ上げ、彼女(?)に先導されるままにキッチンへと向かう。
「へえ〜。こんな広いキッチンが自由に使えるんだ!」
これまで、その存在すら意識していなかったアレーナのキッチンは、最先端の調理器具が並ぶ、まさに身体作りの秘密基地とも言える空間であった。
「あたしはチーム・カムイの料理番で、大一番の前には手料理を振る舞うのが験担ぎになってるのよ。勿論、決勝に進む前提ね!」
レディーは試合の合間を縫ったハードスケジュールの調理を全く苦にしないのか、実に充実した表情を浮かべている。
(……この人、ただのオネエキャラじゃ無くて、チーム・カムイのお母さんみたいな存在なのかな……?)
バンドーがレディーへの評価を改めようとしていた瞬間、キッチンでタイマー調理されていたと思われる鍋から、何とも言えない甘い香りが漂って来た。
「ビートの香りだ。懐かしいな」
何気無く呟いた、バンドーのその一言にレディーは血相を変え、慌てて相手の顔を覗き込む。
「……あたしの隠し味をすぐに見破るなんて……。あんた、只者じゃないわね。料理人なの?」
思いの外シリアスな反応に、バンドーは一瞬驚いたものの、やがて柔和な笑みを浮かべてレディーの質問にこう応えた。
「いや、うちの実家で作ってるから、ビート。実家が農家なんだよ。ニュージーランドのバンドーファーム」
バンドーはそこそこ大きな農家の次男坊として育ち、特に裕福とは言えないものの、必要以上の苦労を経験した事も無い。
家族と周囲の仲間に恵まれ、伸び伸びと育ったバンドーは、ついつい自己紹介がてらレディーに自分の故郷を誇らしげに語ってしまっていたが、そんな彼の様子から、レディーにもバンドーの人柄は伝わっていた。
「そのビート、ギリシャに送れる?あたしの知り合いのお店と契約していた農家が廃業間近で、ビートが手に入らなくなりそうなの」
まだ知り合って間もないレディーからの頼みに、バンドーは少々戸惑ったものの、実家の商売としてヨーロッパとのパイプが築けるチャンスと考えれば、これは自分にしか出来ない親孝行となるはず。
そう考えた時、自然に彼の手は動いていた。
「……これ、うちのメルアドと電話番号。ヨーロッパとは約半日時差があるから、電話の時間には気を付けてね。レイジから紹介されたって言えば伝わると思う。力になれるといいけど」
買ったばかりの防具のレシート裏に、手早く実家の連絡先を書き込んだバンドーは、そのレシートをレディーに手渡す。
「ありがとう!知り合いの店にも連絡するわ」
ビートから他の食材へと話題が広がり、バンドーは不覚にもライバルチームの昼食作りを手伝いながら、一見近寄り難いレディーとの距離を瞬く間に縮めていた。
その過程で、自らの不幸な生い立ちを語るレディーとの比較を余儀無くされたバンドーは、自身の幸せと家族の有り難みに、改めて感謝する事となる。
「素晴らしいご家族ね。あんたはその人達を裏切らない様に、全力を尽くさないとね!」
レディーから背中を叩かれ、少々の痛みと気恥ずかしさを感じざるを得ないバンドーは、ルステンベルガーから投げ掛けられた言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。
(……俺は、剣士を人生経験と割り切って、いつか故郷に帰る事ばかり考えていたな。でもこの経験は、今この瞬間の為でもあるし、生きて故郷に帰れる保証がある訳じゃない。恵まれた立場で送り出してくれた家族の為に、今この瞬間を全力で戦わないと……)
その頃アレーナでは、クレアとルステンベルガーの対戦の火蓋が切って落とされ、試合序盤はルステンベルガーの攻撃をクレアがガードする展開となっていた。
この後、更にハインツとの対戦を残しているルステンベルガーに決着を焦る空気がある事は否めないものの、元来カウンターや奇策に秀でるクレアに迂闊な隙は見せられない。
試合展開は誰が見てもルステンベルガーのペースではあったが、相手に積極的にスタミナを消費させ、イケメンの必死な形相も拝めるという、まさにクレアにとっておいしい試合となっている。
(パワー不足を読みと技術でカバーしている。流石にバンドーとは違うな……。だが、このまま相手のスタミナ切れに付き合っていたら、俺のスタミナも危ない……)
やや攻撃がパターン化していたルステンベルガーは剣の起点を変え、バックハンドスウィングでクレアを仰け反らせようと試みた。
「……えっ!?」
意表を突くスウィングにガードが間に合わないクレアは、咄嗟にバックステップを踏んで後退りし、畳に踵を取られてバランスを崩した隙を突いて、ルステンベルガーの突きが左肩の防具を掠める。
「……くっ……!」
この攻撃がルステンベルガーのポイントになっているかどうかは微妙な所だが、地元の英雄の攻勢にアレーナは沸き立ち、自身への応援が時折聞こえてくるハインツの激励だけでは、流石のクレアも心細さは否めなかった。
(あの突き、バンドーに見せて分かってはいるつもりなのに……。組み合わせが多彩だわ……)
技巧派女剣士のクレアの目からも、ルステンベルガーの引き出しの多さは際立って見える。
彼と他の剣士との違いは、「突き技」の多彩さと正確性であり、これは彼の母親であるネーナが、フェンシングの有望選手だった事と無関係では無いだろう。
「クレアさん!頑張って!」
歓声の合間を縫って突然飛び込んで来る、クレアへの声援。
フクちゃんの下でリフレッシュを終えたシルバとリンが、アレーナに戻って来たのだ。
「待ってたぜ!」
ハインツは大きく両手を振り回してシルバ達に合図を送り、その姿を見る暇は無くとも、チームメイトの結集はクレアのモチベーションを高め、無意識の閃きが彼女の身体を前へと送り出して行く。
「たああぁっ……!」
これまでよりワンランク上のパワーが乗ったクレアのスウィングは、ガードのパターンに慣れていたルステンベルガーの姿勢に若干のブレを生じさせ、その傾いた懐にクレアの飛び込む余地が生まれていた。
(……今しかない!)
クレアは剣を左手に持ち換え、ルステンベルガーとの身長差を利用して相手の懐にスライディングで滑り込む。
「……くっ!」
自らの左半身に滑り込まれるという、想定外の事態に動揺を隠せないルステンベルガーは、ゴルフスウィングの様な素早い振りでクレアの左腰を狙うも、スピードに乗ったスライディングから右手で短剣を抜いたクレアを捉える事が出来ない。
ピシイィッ……
スライディングの通過間際に、ルステンベルガーの左膝の防具を切り裂いたクレアは、背後からの反撃を防ぐ為、自らの通過点に剣を突き刺して簡易バリケードを仮設した。
「……くそっ!」
自身の不覚に苛立つルステンベルガーは、苦し紛れにクレアの背中の防具を斬り付けようと試みるも、その攻撃は乾いた衝突音とともに、相手が去り際に突き刺した剣のバリケードに阻止される。
右手に短剣を持って立ち上がったクレアは、してやったりと言った表情で軽いガッツポーズを見せ、この瞬間ばかりは大観衆もクレアに惜しみ無い喝采を浴びせていた。
カンカンカンカン……
「第1ラウンド終了です。2分間のインターバルを挟んだ後、第2ラウンドを始めます」
互いの見せ場があり、緊張感も途絶えない好勝負にアレーナは大いに沸き立つ。
残り時間を計算した賭けに勝利したクレアは、劣勢の時間帯が続いた疲労はあるものの、満足気な表情で畳から自らの剣を抜き、チームメイトの待つベンチへと帰還した。
「ニクラス、落ち着け。相手は必ずバテて来る」
試合の主導権を握りながら、終盤にポイントを奪われたルステンベルガーを励ますヤンカーは、チームリーダーの右手にペットボトルの水を手渡す。
ルステンベルガーはその水を右手で受け取ろうとするも、右脇腹の激痛を感じて表情を歪め、左手で水を受け取って一気に飲み干した。
「ニクラスさん、ダメージが……?」
「ただの筋肉痛だ。すぐに収まる」
シュタインの懸念を即座に払拭したルステンベルガーだったが、バンドーから受けたダメージが疲労によって徐々に顕在化している不安に襲われ、作戦の見直しを迫られる事となる。
その頃、バンドーはレディーと別れ、トレーニングルームでひとり剣の素振りを行いながら、シュワーブ、ヤンカー、ルステンベルガーから受けた技と自らのファイトスタイルを組み合わせる模索を行っていた。
アレーナから時折聞こえてくる大歓声に、バンドーは何度かチームの応援に戻りたい気持ちに駆られたものの、何かを掴むまでは剣を振り続けるべきだと決心していたのである。
仮に決勝に進出すれば、対戦相手はチーム・カムイかチーム・エスピノーザ。
チーム・カムイであれば、バンドーとファイトスタイルの近い次鋒のゲリエ、チーム・エスピノーザであれば、序盤戦に暴れ回る先鋒のガジャルドが対戦相手の最有力候補だ。
しかしながら、ゲリエにはフィジカルコンタクトで、ガジャルドには狡猾さで劣るバンドーだけに、いずれにせよ次なる勝負の分かれ目はバンドーの剣術にかかっていると言えるだろう。
とは言うものの、試合を含めて長時間剣を振り過ぎたバンドーの右手は疲労困憊であり、剣を置いて両手を休ませながら、パンチの練習でもしようと考えたその時、バンドーの頭にとあるアイディアが閃いた。
パンチの要領で剣を使えないものか?
理想はルステンベルガーの突き攻撃の様な、パワーと正確性を兼ね備えたイメージだが、長い剣を持ちながらでは、肉体の構造的に真っ直ぐなパンチは打てなかった。
クレアが使う様な短剣や、シルバが使う様なナイフの刃を拳の親指側に出し、真っ直ぐなパンチで相手の肩や腰の防具を破壊する……。
これなら自分に合っているかも知れない。
だが、バンドーは短剣もナイフも持っていなかった為、イメージを掴む為にはクレアやシルバから短剣かナイフを借りる必要がある。
自らの道に迷いが無くなったバンドーは、アレーナに戻る決意を固めて歩き始めていた。
「ルステンベルガーの肩攻撃のポイントをどう取るかは微妙だが、この試合展開にお前のポイントを加えれば、恐らく互角だ。俺の仕事が無くなるからな、無理はするなよ」
ハインツはベンチに帰還したクレアの仕事ぶりを称賛しながらも、自身もフィールドに立ちたくてうずうずしている様子である。
「……ハイハイ、あたしも頑張ります」
クレアは水を飲んで一息つきながら、ハインツの興奮ぶりを右から左へと受け流していた。
「バンドーさんはどうしたんですか?」
リンからの質問に、少々バツの悪い表情を浮かべたハインツは、頭を掻きながら無難な言葉を探る様に話し始める。
「……完敗で自信を無くしていたからな……。取りあえず破損した防具を買いに行かせたよ。あいつの事だから、素振りでもして一汗かいたらリセットされるだろうよ……っておい!?」
リンとの会話中、ハインツは思わず大声を上げていた。
いつに無く真剣な表情のバンドーが、脇目も降らずに全速力でアレーナに戻って来たのである。
「ケンちゃん、ナイフ1本貸して!クレア、予備の短剣見せて貰ってもいい?」
「……いいけど……どうしたの?」
クレアは取りあえず許可を出し、シルバも自らのナイフを手渡したものの、額に汗を浮かべて事を急ぐバンドーの真意を誰ひとり理解出来ず、摩訶不思議な沈黙がベンチを包み込んでいた。
バンドーは刃渡り20㎝のシルバのナイフ、刃渡り30㎝のクレアの短剣を交互にチェックし、重さ、グリップ、携帯性を確認して眉間にしわを寄せる。
「……この中間だ。この中間が欲しい……」
バンドーはチームメイトに事情の説明すらせずに、再び売店へと走り去って行った。
「……何だ、またあんたかよ!?もう防具は無えぜ、帰った帰った!」
レディーに凄まれたツィオリスは、アレーナからのトンズラに備えて売り物を畳む寸前であり、縁起の悪いバンドーを露骨に厄介払いしている。
「ナイフか短剣が欲しいんだ!刃渡りが20㎝から30㎝の間のやつだよ。少し高くても買うからさ!」
バンドーの意思が本気であろう事は、その真剣な表情からツィオリスにも見て取れていたが、武器事情を良く知るツィオリスは少しばかり申し訳無さそうにポケットから手を出し、バンドーに身振り手振りを交えて事情を説明し始めた。
「……悪いな。今、そのサイズのナイフと短剣は作られてねえんだ。俺もあんたと体格が近いから、そのサイズが欲しいんだけどよ」
「……そうなんだ……」
思わぬ事態に肩を落とすバンドー。
生産されていないとあれば、外で購入するにも中古を見付ける幸運にすがらなければならない。
自己のスタイルを確立するチャンスを目前にしながら、妥協を迫られたバンドーは、やむ無くシルバから刃渡り20㎝のナイフを借りようと、売店を後にしようとした。その時……。
「俺のナイフを売ってやるよ。24㎝だ。予備として1本多く腰に着けているのさ。5000CPが定価だが、10000CPだ。絶対値下げはしねえ」
澄ました顔でバンドーを呼び止めたツィオリスは、相変わらず暴利を貪ろうと反省の色を見せてはいない。
だが、今のバンドーにとっては、彼が自分の熱意を受け入れてくれた事への感謝の気持ちの方が大きかった。
「分かった、買うよ!」
「ラウンド・トゥー、ファイト!」
第2ラウンドの立ち上がりは、アレーナの熱狂に反して、両者ともに相手の出方を伺う静かなものとなる。
互いに一撃必殺の技術がある事に加えて、優勢だったルステンベルガーのコンディションにやや懸念が生じていた為だ。
(……まずいな。脇腹の痛みからか、右腕の力が入りにくい。腕を上げない下半身への攻撃も必要か……)
多彩な剣術を使いこなせるものの、名門一族の剣士としてのプライドで格闘技からは距離を置いてきたルステンベルガーは、連戦が利き腕への負担として重くのしかかる。
それに加えて、バンドーとの試合で顔面のガードを優先した時間帯に、相手のパンチを上半身にかなり喰らってしまった。
剣を上下に振りかぶろうとすると、脇腹に激痛が走るのである。
「でええぇいっ……!」
曇り気味のイケメンフェイスから、ルステンベルガーの焦りの兆しを読み取ったクレアは、彼の剣先から最も遠い、左肩の防具を外回りからのスウィングで狙う為に大きく身体を捻らせた。
「……!!」
クレアが身体を捻らせた事で彼女の剣先が見えず、左肩への攻撃を読んだルステンベルガーはガードを固める為に剣を高く持ち上げる。
だが、脇腹の痛みが右腕の伸縮を阻害し、クレアのスウィングを止めきれず、左肩の防具に剣が激しく擦れてしまった。
キキキキィッ……
刃の無いノコギリが木の上を滑る様な不快な摩擦音が、レフェリーのヘッドマイクからアレーナに拡散され、一部の観客が耳を塞いで顔をしかめる。
「……やった!ルステンベルガーに疲れが出て来たみたいだな!」
ハインツとシルバ、そしてナイフを買って戻って来たバンドーの3人は、無意識の内に同じガッツポーズを見せ、リンはルステンベルガーの若干歪んだ姿勢から、バンドーのパンチが効果を発揮してきた事を確信してクレアの攻勢を祈り続けた。
「……ふふっ、バンドーのパンチも無駄じゃなかったって事ね!」
クレアの表情に余裕が戻り、この試合始めてペースを握った彼女は、リスクを厭わない連続攻撃を決断する。
「はああぁっ!」
セオリー通りで、パワーも無い攻撃ではあったものの、彼女に残されたスタミナを振り絞ったスピーディーな連続攻撃は、ルステンベルガーをガードに釘付けにし、地元の大観衆から熱狂のトーンを奪い去っていた。
「……とどめっ……!」
クレアは上から大きく剣を背後に振りかぶり、パワーの弱っているルステンベルガーの右腕を押し切って、胸の防具を破壊するフィニッシュに賭ける。
「舐めるなっ!」
自らのプライドを懸けた瞬間、クレアが女性である事を頭から消し去ったルステンベルガーは、剣を振りかぶって身体の正面に一瞬の隙が出来たクレアに向かって、捨て身の体当たりを喰らわせた。
「いたたたっ……!?」
男性の体当たりにバランスを崩して反り返るクレアを、ルステンベルガーは素早く追跡し、ガード出来ずに自身の目の前に晒されたクレアの左膝の防具を、剣で容赦なく打ち砕く。
「……くっ……!あああぁっ!」
クレアは左膝の激痛に顔を歪め、受け身を取る力も無く畳に崩れ落ちた。
取り立ててガードこそしていないものの、クレアの左膝は準々決勝でギネシュに傷め付けられた古傷なのである。
「……クレア!大丈夫か!?」
「ダウン!ワーン、トゥー……」
ハインツの激励とレフェリーのダウンカウントが重なり合う光景を、肩で息をしながら見下ろすルステンベルガー。
「……うおおおぉっ……!」
次代のドイツを担うエリート剣士は、自らのプライドを守る為とは言え、女性剣士相手に力任せの戦いと、弱点への攻撃を見せてしまった事に、苦虫を噛み潰して己の心へと吠えかからざるを得なかった。
「……ファーイブ、シーックス……」
無情にも刻まれるダウンカウント。
「あっ……あぐぐっ……!」
古傷に受けたダメージは一種のショック状態を引き起こし、実際のダメージ以上の衝撃がクレアを襲う。
冷や汗にまみれ、顔面蒼白で畳を転げ回る彼女が、再び立ち上がる事は無かった。
「……テーン!」
カンカンカンカン……
「2ラウンド2分06秒、勝者、ニクラス・ルステンベルガー!!」
「クレア!」
ハインツを先頭に、フィールドへとなだれ込むチーム・バンドーの面々。
地元の英雄、ルステンベルガーの連勝により、一気に逆転勝利への期待も高まる大観衆であったが、後味の悪い結末となったこの一戦は、クレアに期待する女性客を中心に、アレーナに微妙な空気を生む結果となってしまった。
「……痛たたた……。みんな、ごめん……」
ショック状態を抜け出し、左膝は普通の打撲レベルの痛みに戻ったのか、クレアの表情は血色を取り戻し、敗戦の弁をチームメイトから労われた。
「今は動くな。万が一膝の皿が割れていたら危険だ。担架で医務室に行って来い。リン!クレアを頼む。医者が来るまで、良ければ回復魔法をかけてやってくれ」
「はい!」
ハインツの言葉に、あらかじめ自分の役割を理解していたリンは即答する。
「そんな大袈裟なもんじゃないわよ……あいたたた!今医務室に運ばれたら、大一番を応援出来ないじゃない!」
コンディションが不十分な、今のルステンベルガーが相手ならば、ハインツにも十分勝機はあるだろう。
だが、今のチーム・バンドーに、バンドーが再登板した頃のアドバンテージは残されていない。
ルステンベルガーは疲労からなりふり構わぬ戦いぶりを見せ始めており、対するハインツは準決勝の初戦である。
ハインツがコンディションを過信して、自らの型に拘る戦いぶりを見せようものなら、ルステンベルガーの現実的な戦術に飲み込まれてしまう。
クレアはそこを恐れていたのだ。
「……大丈夫だ、クレア。俺達の最優先事項は決勝進出だからな。俺は別に、お前の仇を討とうとしている訳じゃない。奴に勝てればいいだけだ。その為に昨日特訓もした」
「特訓……まさか!?」
ハインツの自信満々な勝利宣言に驚きを隠せないシルバ。
「試合が終わったら、皆で迎えに行くから。それまで、クレアを頼むよ、リン!」
「……はい!バンドーさんも頑張って……頑張って新しいナイフで練習して下さい!」
既にルステンベルガーに敗れているバンドーではあったが、リンから頼まれたのはハインツの応援ではなく、決勝に向けての練習だった。
チームの戦力として、彼の微妙な評価がまたひとつ明らかになってしまったのである!
「チーム・バンドー大将、ティム・ハインツ!」
「うおおおぉりゃああぁ!」
この試合屈指の好カードに、一時は微妙な空気が流れていたアレーナは熱狂を取り戻す。
ハインツはこれまでベンチから動けなかった鬱憤を晴らす様な雄叫びを上げ、剣を大きく素振りした後、いつに無く入念なフットワークを披露してフィールドへと歩みを進めた。
「両者とも、ドイツでは名の知れた剣士だ。観客も注目しているし、お互い剣士ルールで対戦しても良いと思うが、どうだ?」
レフェリーは両者の実績やプライドの高さを考慮し、剣士ルールでの一騎討ちを提案する。
ルステンベルガーはレフェリーの提案に頷いていたものの、ハインツの見解は違っていた。
「この試合はチームの性格上、総合ルール採用のはずだ。勝つための選択肢は多い方がいい。こいつだけには負けたくねえ」
闘志をみなぎらせてルステンベルガーを睨み付けるハインツ。
対するルステンベルガーも、女性のクレアとは違い、互いに遠慮の要らない相手との戦いは望む所である。
「彼女には後で謝罪させて貰うよ。お前を倒してしまったお詫びと一緒にな」
(……ハインツさん、落ち着いていますね。クレアさんの仇を取りたくてがっついている様に見えるのは、演技ですね……)
観客席から試合を見守るフクちゃんは、普段は何かとイライラしやすいハインツが落ち着いている事に感心していた。
バンドーとリンがチームの戦力として、ある程度の計算が立つ様になり、精神的にも成長が見られている事も無関係では無いだろう。
しかし、ハインツの落ち着きはそれだけが原因では無かった。
女神であるフクちゃんには分かる。
ハインツはルステンベルガーより先に、剣士としてのプライドを捨てて勝利を目指す覚悟を決めていたのである。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「行くぜええぇ……!」
試合開始のゴングさえ耳に入らない程の大歓声に、アレーナはこの日一番の盛り上がりを見せている。
バンドーとシルバ、とりわけシルバは、ハインツが昨日の特訓の話を持ち出して来た事に、ある種の胸騒ぎを感じていた。
「でやああぁっ!」
ハインツは、スタミナを温存して「待ち」のカウンター戦術で序盤を乗り切ろうとするルステンベルガーに、全く力を出し惜しみしない猛攻を仕掛ける。
キイイィィン……
両者の技術の高さを感じさせる、澄んだ剣の打撃音がアレーナに響き渡り、ハインツはルステンベルガーの右腕と脇腹に負荷をかけるが如く、相手の左半身へと集中攻撃を連続させた。
(……くっ!厄介な所を突いて来やがる……。その態度や話しぶりとは違う、繊細な男だな。無名のチームには惜しい男だよ)
右腕と脇腹の回復が遅れているルステンベルガーは、左半身のガードにも限界が生じてくる。
右利きの彼が、やむを得ず左腕1本で剣を持った所で、自らの左半身を完璧にガードする事はまず不可能だからである。
加えて、ハインツはサウスポーであり、右利きの相手の正面から軸をずらしたポジショニングを取る事で、自らの攻撃は当たりやすく、相手の攻撃は当たりづらくなる。
ハインツのこの特性は、対戦相手の正面から意表を突くコースに攻撃が可能な、ルステンベルガー得意のフェンシング流「突き攻撃」の威力を半減させ、相手にポイントを与えない盤石の試合運びが出来ていた。
「くそっ……!」
正統派の技術を抑えられたルステンベルガーは、やむ無くクレア戦と同様、体当たりに局面打開を委ねる事になる。
「……どわああぁっ……!?」
身長185㎝・体重78㎏のルステンベルガーと、身長178㎝・体重69㎏のハインツでは、フィジカルコンタクトに差がある感は否めない。
ショルダーチャージで強引にハインツを引き剥がしたルステンベルガーは、ようやく開いた間合いからバックハンドスウィングで剣を振りかざし、その剣先がハインツの左肩の防具を切り裂いた。
「……くっ……!」
左肩に攻撃を受けたハインツだが、大歓声に我を失う事も無く、若干後退りしたものの、サウスポースタイルを一時的に放棄し、ルステンベルガーの下半身への攻撃に意識を切り換えていく。
「貰ったああぁ!」
ビキイイィッ……
間合いの開いた両者は大振りの回転技を出しやすくなり、コンパクトなゴルフスウィングでルステンベルガーの右膝の防具をシャープに破壊したハインツは、左右の違いこそあれどクレアの仇討ちを達成したかの様な、充実した表情でガッツポーズを決めてみせた。
「……ぐおおぉっ……!」
右膝を痛打して思わず前傾姿勢になってしまうルステンベルガーを尻目に、ハインツは再びサウスポースタイルに復帰、間髪入れずに相手の左膝の防具も全力で討ち抜く。
「……くっ、くそっ……!」
両膝に打撲を抱え、歩くスピードまでが目に見えて落ちたルステンベルガー。
ハインツは自らのペースで試合が進んでいる事を確信し、相手と真正面から向き合った。
「お前はもう、まともに戦えねえ。ギブアップしちまいな!」
ルステンベルガーはハインツからの挑発を無言で、しかし強い目力で跳ね返し、残されたプライドを振り絞る様に剣を振り続ける。
彼はハインツの様な、気ままな旅や孤高の目標の設定が許される立場の人間ではない。
一族を、チームを、そして国を背負う運命を受け入れた人間には、自分の意思で物事を投げ出す権利はないのだ。
「お前とは違うんだよ!」
大きく肩で息をし始めたルステンベルガーは、狙いの定まらない突きを連発しながら、何か大きな意思の様なものに動かされていた。
(しぶといな……そろそろ行くか!)
ハインツはルステンベルガーの勢いが失せた事を利用して、睨み合いを続けながらも間合いを広げ、大きく深呼吸する。
「はあああぁっ……!」
気合い一発、雄叫びを上げたハインツはためらいも無く剣を捨て、相手のガードが届きにくくなっている左の下半身を丸ごと刈り取るかの様な、豪快なタックルを喰らわせた。
「……何いっ……!?」
予想外の事態に動揺を隠せず、咄嗟に下半身に力を込めて持ち堪えようとするルステンベルガー。
だが、彼の両膝はハインツのタックルに耐えられる強度を既に失っている。
「テイクダウン!」
ハインツの奇策に、成す術無く畳に倒れるルステンベルガー。
昨日の特訓とは、シルバから教わった寝技の基本の事を指していた。
「ニクラス!逃げろ!相手はまだ格闘素人だ!」
ベンチからチームリーダーを激励するヤンカーは、激しいジェスチャーを交えながらルステンベルガーに呼び掛ける。
だが、満身創痍のルステンベルガーの身体でまともに動くのは、最早左手だけ。
そして当然、ハインツの狙いもそこにあった。
「お前とはまた、万全な時に戦わせて貰うぜ!」
右腕や両足での攻撃が思う様に出せない、今のルステンベルガーの左腕を決めるのは、寝技一夜漬けのハインツにも容易である。
ハインツは昨日のシルバからのアドバイスを冷静に反芻し、その集中力はやがて、どよめきに揺れるアレーナさえも、静寂の宇宙へと変えて行く。
「……ぐわあああぁっ……!」
ハインツの腕固めにほぼ無抵抗のルステンベルガーは悲痛な雄叫びを上げながらも、未だ死ぬ事の無い力強い目を見開き、この絶望的なシチュエーションを歯を喰い縛りながら耐え続けていた。
(……くそ!バケモノかよ……!?)
このままハインツが腕固めを続ければ、相手の左腕を折ってしまうかも知れない。
しかし、痛みの限界をとうに通過したルステンベルガーは、既に恍惚の表情を浮かべており、この表情がハインツに、戦いというものの真の恐怖をまざまざと伝えていた。
「お前のせいだぜ!」
ハインツは情けを振り払い、とどめの一撃とばかりに背中を反らせ、全身全霊の腕固めを決めに入った。
その瞬間、どこからともなく投げ込まれた1本のタオルが、フィールド上の両者の視界へと吸い込まれて行く。
医務室から復帰したチーム・ルステンベルガーの副将バイスが、医務室から持参したタオルを投げ入れたのである。
「ストーップ!ルステンベルガー選手、ギブアップです!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分11秒、勝者、ティム・ハインツ!!決勝進出は、チーム・バンドー!!」
激戦の幕切れに、アレーナは壮大などよめきに包まれる。
しかし、それはやがて巨大なうねりのスタンディングオベーションへと変わり、その賞賛の殆どが、地元の英雄として最後の最後まで、「熱きゲルマン魂」を貫き通したルステンベルガーに贈られている事は、チーム・バンドーの面々にも理解出来ていた。
だが、それでいいのだ。
両チームともに賞賛に値する戦いを見せ、チーム・バンドーには大会最高の栄誉である、「ファイナリスト」の称号が贈られたのだから……。
「俺達の負けですよ、ニクラスさん。貴方には、余計な怪我でのんびりと休息を取る事は許されません。だから、俺達はこれからも貴方を支え続けます」
バイスと固い握手を交わしたルステンベルガーは、チームメイトの暖かい笑顔に包まれて、久しぶりの、随分久しぶりの涙をとめどなく流し続けていた。
バンドーとシルバを医務室へと向かわせ、チーム・バンドーを代表して相手チームへ挨拶に訪れたハインツは、ようやく上半身を起こせる様になったルステンベルガーと固く握手を交わして声を掛ける。
「お前とは、また戦いたい。今日の試合じゃどっちが強いか分からないからな」
ハインツのリクエストをふたつ返事で了承したルステンベルガーは、自分達の代わりに決勝へと進むチーム・バンドーにメッセージを残すべく、ハインツの目を真っ直ぐに見つめながらゆっくりと口を開いた。
「……お前達がここまで強いとは思わなかったよ……。だが、今のままでは、まだカムイ達には勝てないな。お前達が優勝するには……バンドーが殻を破る事が最低条件だよ」
そう言い残して、意味ありげな微笑みを浮かべるルステンベルガー。
「……お前と初めて意見が合ったよ。またな!」
ハインツは必要以上の言葉を掛ける事無く、自らもクレアの見舞いの為、医務室へと急行した。
(続く)