第23話 武闘大会参戦!⑭ 回復魔法の闇
準決勝第1試合、チーム・バンドー VS チーム・ルステンベルガーの戦いは、チーム・バンドー先鋒のバンドーがチーム・ルステンベルガー先鋒シュワーブ、次鋒ヤンカーの2人抜きを達成し、決勝進出へ有利な立場となっていた。
これまで新米剣士として、対戦相手からは勝利を計算されていた印象のあるバンドーの潜在能力に、ルステンベルガー陣営は勿論、カムイやエスピノーザと言った他陣営からの警戒も強まっている。
「良くやったな、バンドー。魔法を使っちまったが、絶対暗い顔はするなよ!魔法はいつでも使える、そんな顔しとけよ!」
ベンチに戻ってきたバンドーを笑顔で迎え入れたハインツは、決勝戦も見据えたチーム戦術の一環として、バンドーの魔法が1日1回の使用に限定されている可能性を否定する様に促していた。
今以上のボロを出さなければ、バンドーは剣術・格闘・魔法を兼備した万能型ファイターの印象を対戦相手に与え、心理戦で優位に立てる。それがハインツの狙いである。
「次の対戦相手はシュタインだけど……あたしはいつでも行けるわ。シルバ君、中堅になる?」
チーム・バンドーは、2戦を終えて体力的に厳しいバンドーを一時温存し、男性との戦いに慣れていないリンに非常事態が発生した場合、バンドーをピンチヒッターとして起用するプランを提案している。
その場合、次の試合は対戦相手であるシュタインとファイトスタイルが似ており、同じ剣術学校の先輩として収集したデータを活かしやすいクレアの起用が妥当であると言えた。
「…………」
元来次鋒にエントリーされていたシルバはベンチに座り込んだまま右手を顎にあて、少しの間何やら考えていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、クレアに微笑みを返す。
「……いや、やっぱり自分が行きます!バンドーさんの戦いぶりを観ていたら、自分も早くフィールドに上がりたくなっちゃいましたよ」
対戦相手のシュタインは、チーム・マガンバとの初戦でバンドーと協力してゾグボを落下のピンチから救うなど、フェアプレーが身に付いている頭脳派剣士だ。
格闘家のシルバとはスタイルこそ異なるものの、精神的には大いに共鳴出来る人間だけに、お互い相手にとって不足は無い。
「……そう、分かったわ。シュタインはパワーは無いけど、相手の戦術を読んで先回りするタイプの剣士ね。考える余裕を与えてはダメ」
自らがスカウティングしていたシュタインとの対戦が叶わず、やや拍子抜けした表情を見せたクレアではあったが、慎重な印象のあるシルバに向けて、まずは先手を打つ重要性を説いている。
「ありがとうございます……。クレアさんとハインツさんは、2人でルステンベルガーを倒すくらいの気持ちでいて下さい!」
「……シルバ君、それって……?」
バンドーの顔の腫れを回復魔法で治療していたリンは、シルバと顔を見合わせ真意を確認する。
シルバは無言で頷き、右手の指2本を伸ばしたピースサインでリンの問い掛けに応えた。
シュタイン、そして続くバイスを自らが倒し、未だ図書館司書としての籍が残るリンをフィールドに上げさせない決意である。
「いよっ!ケンちゃんカッコいい!」
顔の腫れが目立ってちょいブサになっているバンドーは、幼馴染みの男気を讃えながら、両肘をきつく締め上げていた防具を外してリラックスしていた。
「バンドーさん、その肘の防具、ひとつ貸して下さい。壊したら弁償しますから」
何やら閃いた様子のシルバはバンドーの防具に目を付け、自らの防具を普段よりもひと回り大きなものに交換する。
「ん?別にいいけど……ケンちゃんもう防具つけてるじゃん」
シルバは、自らの意図をバンドーが理解出来ていない事にしてやったりといった表情を浮かべ、その行動を相手側に見られない様に、自らの大型防具の下へとバンドーの防具を隠している。
「シルバ君、余り無理はしないで下さい。今の私は、戦う準備が出来ています」
リンはフィールドに向かうシルバの手を取って声を掛け、トンファーを抱えて去っていく彼の後ろ姿を見送るのであった。
「……参ったな、クレアさんじゃないのか!」
チーム・ルステンベルガー中堅のシュタインは、まさかシュワーブとヤンカーがバンドーに敗れるとは考えもしなかった。
自らと同じ中堅のクレア対策を万全に行い、最悪の事態が発生したとしても、次鋒のヤンカーがギリギリまで痛め付けてくれた状態のシルバと戦えると予測していた為、万全な状態でのシルバ登場に落胆を隠さない。
「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。先鋒、レイジ・バンドー選手に代わりまして、次鋒、ケン・ロドリゲス・シルバ選手が入ります!尚、勝者の権利を持ったまま交代するバンドー選手は、選手交代時に再びフィールドに入る権利を有しています」
男性アナウンスが場内に響き渡ると、シルバへの歓声とともに、バンドーの健闘を讃える声も聞こえてくる。
バンドーはこの声援を胸に、ようやくチームの名ばかりリーダーを卒業出来た安堵感に身を委ねる事が出来たのであった。
「……まさか、バンドーに魔法が使えたとはな……。今のバンドーの状態ならドミニクが圧勝出来るはずだが、休みを与えて控えさせるのは厄介だよ」
チームの戦況に焦りを浮かべる、ドイツ人らしい生真面目で実直なルステンベルガーの肩を、オランダ系の血が混じっている副将バイスは軽く叩き、おどけた様子で持論を展開する。
「ニクラスさん、バンドーが魔法を自在に使えるなら、あんな落下崩れの頭突きがフィニッシュになる訳が無いですよ。多分あいつはまだ魔法を覚えたばかりなのか、制御の仕方が分からないんだと思います。そこまで恐れる男じゃない」
「チーム・ルステンベルガー中堅、ドミニク・シュタイン!」
沸き上がる地元の歓声に応える事もそこそこに、シュタインは自らの頭脳をフル回転させてシルバ対策を構築していた。
シルバが軍の若手エリートだった事は知っている。
準々決勝のトルガイ戦で見せた様に、格闘家としての実力やピンチでの判断力も申し分無い。
何より、190㎝・90㎏の体格に似合わないスピードを持っている。
自らの優位点は剣のリーチと破壊力のみであり、剣を失った格闘技や寝技では勝ち目はほぼ無いと言えるだろう。
シルバの武器はトンファーで、攻撃と同時に上半身の防具としても機能するも、元来下半身の防御には向いていない。
加えて、15㎝以上の両者の身長差を考えれば、シュタインがシルバを攻撃しやすいのは間違いなく下半身。
リーチの長い剣での攻撃を前提とすれば、シルバがわざわざ相手に足を差し出す膝蹴りやローキックの頻度は低いはず。
(……行くか、これしかない!)
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「うおおおぉっ!」
試合展開の予測の付かない組み合わせに沸くアレーナを切り裂かんばかりの、試合開始のゴングとともに飛び出したのは、まさに両者だった。
お互いの相手に考える余裕を与える事が、それ即ち自らの敗北へと繋がり、お互いが試合開始のゴングが鳴るまでに、自らの試合のフィニッシュまでを頭に描いているが故の結果である。
「でええぇいっ……!」
視線を自らの上半身から一時も逸らさないシルバの突進を受けて、シュタインは迷う事無く剣を右からスウィングし、シルバの左膝と腰の防具の間を射抜きにかかった。
「ハアッ……!」
シルバは助走の勢いそのままにシュタインの剣をジャンプでかわし、そのまま相手を飛び越えんばかりの跳躍を見せる。
自らの剣をシルバがジャンプでかわす事態は既に想定済みのシュタインではあったが、相手の跳躍力が高過ぎる事は想定外。
シルバの狙いはジャンプからのハイキックによる秒殺では無かった。
「……くっ……!?」
剣をスウィングした両手を自らの顔まで持ち上げ、剣の刃で顔面へのハイキックを防ぐシュタイン。
攻撃を断念したシルバの着地点を狙い撃つ作戦は、相手にも読まれていたか、シルバはシュタインの剣のリーチを超えた距離の背後へと着地する。
「……くそ……舐めるなっ!」
両手にトンファーを抱えるシルバが、大ジャンプから着地のバランスを整えるには多少の時間はかかる……そう予測したシュタインは小柄な体格と敏捷性を活かして素早く振り向き、着地直後で相手に後ろを晒しているシルバの背中の防具を叩き斬らんと、強引な猛追を見せた。
「もらったあぁ!」
正確な技術でシルバの背中の防具に狙いを定めたシュタインは、再び右側から剣をスウィングする。
背後からの攻撃が横からのスウィングだった場合、シルバが振り向いてのガードは難しい。
剣の軌道が分からずに振り向けば、背中の防具の延長線上にある自らの腕に甚大なダメージを負う事になるからだ。
だが、シルバは剣を恐れず、剣の軌道に向き合う様な方向へと身体を捻らせる。
ドスッ……
鈍い激突音とともに、シュタインの剣はシルバの背中の防具を取り逃がし、行き場を無くしたその刃はシルバの左腕のトンファーを掠りながら左肘の防具へとめり込んでいた。
その一種異様な光景に、ベンチのバンドー達を始めとするアレーナ全体が声を失い、自らの剣に不穏な手応えを感じたシュタインの挙動も固まっている。
「……お前……腕が……?」
シルバの左肘深くめり込んだ剣はシュタインの腕力では微動だにせず、流石のシュタインも冷や汗を浮かべながら、動揺を隠さずにシルバに腕の状態を問い掛けた。
だが、様子がおかしい。
振り向いて左腕を剣に差し出したシルバは、表情を隠すかの様にうつ向いていたものの、やがて晴れやかな笑顔を見せて顔を上げ、挙動の固まったシュタインの左テンプルに右腕のトンファーによる一撃をお見舞いする。
「……な……?ぐふっ……!」
ノーガードでシルバのトンファーを受けたシュタインはそのまま畳に卒倒し、シルバは感情を露にする事も無く、シュタインの剣がめり込んだままの左肘の防具を外して畳へと投げ捨て、彼の左肘からは2重に仕込まれたバンドーの防具が顔を出していた。
「テイクダウン!」
状況を理解した客席から大歓声が沸き上がり、その歓声を受けて一時的なダウンから慌てて立ち上がらんと手足をバタつかせ始めたシュタイン。
シルバは必死の形相でシュタインを追跡し、早くもトンファーを放り投げ、滑り込む様なダイビングで相手に覆い被さりながら、素早く右腕を固めた。
「……くっ……あああぁっ!」
シュタインの右の掌には、剣をシルバの肘の防具に止められた衝撃の痺れがまだ残っており、シルバは敢えて冷酷に相手の掌をその並外れた握力で握り潰す。
「……これで終わりだ!」
掌の激痛で右腕の力が抜けたシュタインはいとも簡単にシルバの腕固めを許し、チャンスを確実にものにせんと相手の首にも足をかけたシルバは、歯を喰いしばりながらブリッジの様な体勢に反り返り、全力でシュタインの右腕を伸ばした。
「……あがががっ……!!」
体格差に加えて、技術的にも完璧に決められた腕固めから逃れる事の出来ないシュタインは、屈辱にまみれながらも左手で畳をタップせざるを得ない状況に追い込まれる。
「ストーップ!シュタイン選手、ギブアップ!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド56秒、勝者、ケン・ロドリゲス・シルバ!!」
大観衆も呆気に取られる程の、シルバの圧勝。
だが、両者の差は試合前に周到に準備した戦術が機能したかどうか、そこにしか存在しなかった。
「よっしゃ!ケンちゃん秒殺!」
バンドーはベンチから幼馴染みにガッツポーズを見せて声援を送りながらも、シルバが自らの防具を借りていった理由とその的確な判断力に、内心畏怖の念すら覚えている。
パワー、スタミナ、グラウンド攻撃で相手を上回り、スピード、知性では互角。攻撃のリーチ、スタンディング攻撃では相手に劣る。
この条件を自身に有利に変えるには、接近戦で相手の武器を封じる事が先決だ。
しかし自らが攻めに出て、相手に距離を取りたいと思わせてしまった場合、この戦術は成立しない。
シルバが試合開始直後に見せたダッシュは攻撃の為のダッシュではなく、背中を向けて相手を飛び越える事で相手の攻撃を引き出し、その攻撃を自らの最大強度を仕込んだ左肘に誘い込む事を逆算したダッシュなのである。
「……すみませんでした、ニクラスさん……」
ダメージから回復し、上半身を起こしてうなだれるシュタインの謝罪を横目に、ルステンベルガーは彼の肩を叩いて首を振り、達観した表情でシュタインの健闘を讃えた。
「……もういい、ドミニク。お前がシルバと戦うのに、あのやり方以外があるかと言われたら、恐らく無いだろう。防具の厚さを確信して、自ら剣に左肘を差し出したシルバが、余りにも冷静過ぎるんだ。これがエリート軍人って奴なのか……」
「シュタインさん、ありがとうございました!」
シルバはシュタインの元を訪れて一礼し、ダメージの残るシュタインの右手を避けて左手を差し出し、互いに固い握手を交わす。
「……こちらこそ。貴方とはもう……戦いたくないですよ」
一時はシルバの左腕を斬り落とさんばかりの衝撃を体感したシュタインは、苦笑いを浮かべながらも嘘偽り無くシルバとの再戦を拒否した。
「……お前…面白い奴だな!もっと安全な戦い方があるだろうに……。少しでも体力を温存して、俺達全員飲み込むつもりだろ?俺に武器は要るのか?」
シルバを目の当たりにしてライバル意識を抑えされない、チーム・ルステンベルガー副将のバイスは身を乗り出し、ともに格闘家である両者の対戦に素手での勝負をけしかける。
「……自分は必要無いですよ。中途半端な武器での攻撃は、バイスさんに跳ね返されますからね」
バイスとは軽く目を合わせる程度にとどめ、彼の魔法である、「レセプター・リフレクター」を警戒するシルバは、シュタインとの勝負を早目に切り上げる事で、今この瞬間もバイスの魔法対策に知恵を巡らせていた。
「シルバ君、左肘大丈夫?」
ベンチに帰還したシルバを真っ先に迎えたのはリンだった。
彼女の回復魔法は傷を完治させる様なものでは無いが、空気中の酸素濃度を高めて傷の回復を早めたり、湿度を高めて空気中から水を生み出して患者に与える、或いは傷口を洗浄する等、言わば医療機関までの応急処置能力に値している。
「……少し切り傷があるだけみたいですね……」
リンからの治療を、やや照れ臭そうな表情で受けるシルバの側では、未だ中途半端な顔面の腫れでちょいブサなバンドーが幼馴染みに激励の言葉をかけていた。
「バイスはあの魔法が厄介だな……。シルバ、何かいい対策はあるのか?」
ハインツからの問い掛けに、シルバは首を左右に振る事しか出来ない。
今大会の参加者全てが、バイスの魔法にだけはお手上げの様子である。
「レセプター・リフレクター」は相手から受けたダメージを、空気振動を利用してその相手に返す反射技であると言えるが、バイス本人がダメージを返すタイミングを選択出来るという点が最大の問題点であった。
対戦相手の立場から見れば、中途半端なダメージは自らに返されてしまい、一撃K.O.のダメージを与えて仮にバイスに勝利しても、バイスが意識を取り戻した時点でダメージが残されていれば、時間と場所を問わずダメージを返されるのである。
シルバとしての理想的な勝利は、腕や足の固め技による、瞬間的な激痛でのバイス自身のタップによるギブアップであるが、バイスの本職は格闘家である。簡単に寝技に屈するとは考え難い。
勝っても負けても、無傷で逃げ切る事の難しい対戦相手……シルバがリンをフィールドに上げたくない理由はこれだったのだ。
「お互い、武器は使わない事になりそうです。出来る限り寝技の可能性を探りたいとは思いますが、試合展開によっては一撃K.O.を目指さなければいけなくなるでしょうね」
「……ん?何かここ息苦しくない?」
シルバの決意の傍ら、リンの回復魔法を間近で眺めていたバンドーは、何やら環境の変化を訴えている。
「……あたし達は何ともないわよ?バンドー、あんた鼻の穴も腫れたんじゃないの?」
クレア達には分からない変化なのか、バンドーは極めて不愉快な返しを受けてしまっていた。
そんな中、ふとバンドーの顔の位置に気付いたリンが状況の説明を始める。
「バンドーさん、今回復魔法で水を出してシルバ君の肘の傷を洗ったんです。空気から水が生まれるという事は、そこの周囲の湿度が限界まで高まって息苦しくなるんですよ。つまり、バンドーさんの顔が魔法に近過ぎるんですよね」
リンはあくまで分かりやすい説明を心掛けただけなのだが、結果としてバンドーが更なる笑い者に追いやられてしまい、ベンチへ退く彼の背中にはそこはかとない哀愁が漂っていた。
「チーム・ルステンベルガー副将、マティアス・バイス!」
地元の大歓声に迎えられたバイスは、シルバにけしかけた態度そのままに一切の武器を持っていない。
左右の拳に巻かれたバンテージの中に、良く見ると一般的なテープや包帯の様なものではないものが隠されており、何やらそこに彼の秘密兵器たるものが隠されている様にも伺える。
「ケンちゃん、あれ……変な色のやつがあるよね?バンテージじゃないよ、きっと……」
これまで格闘技のトレーニングで何度となくバンテージを拳に巻いてきたバンドーは、バイスが1本だけ色と材質の違うバンテージを仕込み、しかもその先を中指のリングとして通している事に気付き、すかさずシルバに報告していた。
「……恐らく、寝技対策なんでしょうね。中指のつけ根に付いているリングは鉄みたいですし、拳へのダメージを考えてストレート系のパンチは減るでしょう。そこはプラスに考えます」
シルバはバンドーからの報告に感謝しつつも、遠くのフィールドを眺めるその視線から、既に先を見て歩みを始めている。
「バイスさん、宜しくお願いします」
シルバは対戦相手に頭を下げ、握手の右手を差し出したが、バイスからの握手は無い。
もっともそれは敵意からではなく、自身のバンテージの秘密を明かしたくない戦略によるもの。
少々困惑したバイスの笑顔が、その事実を物語っていた。
「……すみません、ひとつだけ訊いていいですか?バイスさんが受けたダメージは、必ず返さないといけないんですか?」
やや申し訳無さげなシルバからの質問に、バイスは至って明るい表情で即答する。
「すぐに忘れる痛みなら返さないぜ。子どもの悪戯とか仲間とのスパーリングとか、そんな程度ならな。惚れた女からのビンタは身体としては痛くなかったが、心をやられちまったから、嫌いな上司に返したな」
バイスのキャラクターが凝縮されたこの一言にシルバは安堵感を覚え、やがて両者は間合いを空けに各々の立ち位置へと戻った。
「バイスがここで負ける様なら、ルステンベルガー達も終わりだな……」
観客席でスカウティングに励むカムイは、前回大会でともに決勝を戦ったルステンベルガー達を取り巻く現在の苦境が、チーム・バンドーの実力によるものであるとは、まだ認識していない。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「どぅおおおっ!」
試合開始のゴングと同時に、両者ともダッシュでフィールド中央に詰め寄ったものの、すぐにどちらからともなく足を止め、重心を下ろした睨み合いへと局面が転じていた。
両者ともに武器を持たないが故に接近戦を覚悟しなければならないのだが、大会初戦でバイスの魔法を目の当たりにした対戦相手は、警戒心から迂闊な攻撃は躊躇せざるを得ない。
バイスはバイスで、前フリ無しの一撃K.O.狙いの大技や、寝技に繋げるタックルの危機を意識せざるを得ない為に、相手の出方が決まるまでは全身に神経を注がねばならなかった。
「セイッ……!」
シルバはバイスの魔力ポイントでもある、うなじ周辺の異変がまだ見られていない事を確認すると、挨拶代わりに軽い右のローキックをバイスの左足へとお見舞いする。
様子見のローキックは立ち技格闘技の常套手段。
バイスも素早い読みから難なく左足をガードし、シルバと目を合わせて不敵な笑みを浮かべた。
「……このパワー……まだまだ全然、本気じゃねえな。シュタイン相手とは戦術が違うって事か」
明らかに秒殺狙いで短期集中攻撃を解き放った、シュタイン戦とは真逆とも言えるシルバの慎重さを指摘したバイスは、バックステップで瞬間的な間合いを空け、肩幅を狭めたファイティングポーズを見せた瞬間、素早く時計回りに身体を回転させる。
「……!?」
「そおりゃっ……!」
肩幅の狭いファイティングポーズを上半身のガードと読んだシルバは、スピンキックを警戒して右足をガード状態に浮かせるも、バイスは高速回転の中で右肘を振りかざして裏拳をシルバの胸へと叩き込んだ。
「……ぐっ……げほっ……!」
意表を突かれた裏拳に表情を歪め、後退りするシルバ。
剣術とは異なり、胸へのダメージは致命傷にはならないものの、呼吸の乱れは例え瞬間的なものであろうと、格闘に於いては不利益この上ない。
「……流石のシルバも、これまでの様には行かねえ様だな、ダビド」
観客席から試合を見届けるチーム・エスピノーザの格闘家ガジャルドは、悪友のエスピノーザが目の敵にするシルバの苦戦を楽しんでいた。
「……俺は奴に興味はねえ。兄貴を捕まえて、いつまでも付きまとうから気に入らねえだけさ。邪魔な奴を誰かが始末してくれるんなら喜ばしい事だし、そもそも交通事故や病気で死んでくれても有り難えぜ」
エスピノーザは気のない素振りを見せたものの、クリーンな格闘技では自分がシルバに勝てない事を理解している。
彼の目的はあくまで組織の拡大であり、武闘大会への参加はその宣伝に過ぎない。
だが、彼も知略と苦戦の末に初戦を突破し、その生き様に共感した若者を新たにチームに加えた事で、格闘家としてのプライドが生まれている事も否定は出来なかった。
「……どうした?魔法を怖がって緩い攻撃をしていちゃあ、俺は倒せないぜ」
その表情に余裕を見せつつも、バイスの視線はシルバのガードの隙を窺い激しく動き続けている。
ベンチからその様子を真剣に見入っていたバンドーは、目先の試合に精一杯だった準々決勝とは打って変わり、時折メモを取りながら自らのシュワーブ戦とヤンカー戦、そしてシルバ、シュタイン、バイスそれぞれの戦いぶりを頭の中で実践のイメージとしてまとめ上げていた。
「……ハインツ、バンドーが集中してるわ」
クレアはハインツの肩を叩きながらバンドーを指差し、彼の進化を確信して親指を立ててみせる。
「……ああ、そうだな。魔法を使うには意識の集中が重要みたいだから、その経験を通して今まで全然使ってなかった頭を使える様になったんだろ」
シルバの試合に集中するハインツは、敢えてクレアと目を合わせる事はしなかったものの、バンドーの覚醒によりチームとしての手応えをこれまで以上に高めた充実の表情を浮かべていた。
「そろそろ攻めさせて貰うぜ!」
呼吸を整える為に一時的に攻めを封印したシルバとの間合いを詰め、バイスはローキックとミドルキックをリズミカルに打ち出していく。
シルバは呼吸が落ち着くのを待ちながらバイスのキックを的確なガードで耐え忍んでいたが、準々決勝で対戦したプロ格闘家のトルガイと比べると、バイスのキックは自らの足への負担を厭わない、より相手へのダメージを優先して打ち込まれたものだった。
(……くっ……このファイトスタイルは完全に我流だ……。魔法の後ろ楯があるせいで、ペース配分を考慮しなくていいと言う事なのか……?)
シルバの両足に赤い腫れが目立つ様になり、その額にも汗が滲む頃、幸いにして呼吸の乱れは治まりをみせる。
今一度落ち着きを取り戻したシルバは、右足キック連打の間に時折挟まれる左足のキックにタイミングを合わせ、バイスのキックを少しずつかわし始めていた。
「ケンちゃんは今、タックルを狙っているんだよ……」
バンドーは両手を合わせてシルバの無事を祈るリンの隣に顔を出し、心配無用とばかりに穏やかな笑顔を作っている。
(……キックが読まれてきた。流石だな。もう1回裏拳を入れておくか……)
相手にペースを渡さない為に再びクリーンヒットが必要と考えたバイスは、先程とは逆回転での裏拳のモーションに入ろうとするも、徐々に回避のタイミングを合わせて来ていたシルバは、その隙を見逃す事は無かった。
「……今だ!」
シルバはバイスが回転モーションから視界を外したその瞬間、その巨体を素早く屈めてバイスの下半身に強烈なタックルを喰らわせる。
「……来たああぁ!」
アレーナの大歓声とともに手を繋いでエキサイトするバンドーとリン。
「……くっ……畜生!」
自ら回転中で相手に背を向けた瞬間、下半身へのタックルを受けたバイスは成す術無く畳にうつ伏せに倒れた。
バイスに覆い被さる様に自らの体重を預けたシルバは、余計な復讐心を捨てて打撃には走らず、相手の右手を取り、逆関節側への腕固めを試みる。
「……これで、決める……!」
「くおおぉっ……!」
これまで温存していた体力を注ぎ込む様な全力の腕固めに、流石のバイスも悲鳴を堪えてフィールドを転げ回る。
(……いける……!)
バイスのうなじにはまだ発光が見られず、この腕固めのダメージはリフレクトされる可能性は低い。
千載一遇のチャンスとばかりに力を込めるシルバであったが、バイスは固められた右手の親指で中指に通したリングを弾き、中央の溝から開いたリングから赤いゴムバンドが飛び出して来る。
「……何いっ……!?」
右手中指のリングから放たれたゴムバンドは勢い良くバイスの左手に渡り、身体を起こして転がるバイスとともにゴムバンドがシルバの首に絡み付いた。
「……ぐわっ……!」
瞬間的に自らの首を絞められたシルバは堪らずバイスの腕固めを解き、先程とは正反対にシルバにうつ伏せで覆い被さるバイス。
「……あばよ!」
捨て台詞を吐きながら、シルバの背中を叩く反動で立ち上がろうとするバイスだったが、シルバは行き場を失って伸びきっていた、バイスの右手のゴムバンドを咄嗟に握り締め、相手を再び畳に叩き付けた。
「ぎゃっ……!この野郎」
互いに怒りを抱えながらほぼ同時に立ち上がる両者。
だが、ゼロからの接近戦であればシルバの方がリーチで有利である。
「だあああぁっ……!」
やむ無く寝技を諦め、K.O.に狙いを定めたシルバが強烈なローキックをバイスにお見舞いし、全力キックの激痛によろめくバイスの逃げ場を塞いだシルバが叩き込む、ボディーと顔面への連続パンチ。
「ぐふっ……げほっ……!」
パワーとスピードを兼ね備えたシルバの猛攻に魔法の発動が遅れ、ダウン寸前に追い込まれるバイス。
しかし、薄れ行く意識の中で、遂にバイスの首の後ろから発せられた蒼白い光が、アレーナを包み込む様に照らし始めた。
「……とどめだああぁっ!」
シルバの目にもバイスの魔法の兆しは見えていたものの、ここでフィニッシュをためらう訳には行かない。
大きく振りかぶった右足で、よろめくバイスの左テンプルを射抜くハイキックが、完璧なタイミングで炸裂する。
「…………!」
悲鳴にも似た大歓声をバックに、魔法の光に包まれたまま声も無くフィールドに崩れ落ちるバイス。
だが、ハイキック以前のダメージに魔法は効いていない。
ダメージと疲労の蓄積により、彼が10カウント以内に立ち上がらない事だけを、シルバとチーム・バンドーは祈っていた。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
レフェリーのダウンカウントが進む中、対戦相手のシルバと、ベンチでバイスを見守るルステンベルガーの両者はえも知れぬ不安と緊張に包まれる。
大観衆もチーム・バンドーの面々も、最後まで分からない勝負の行方に、ダウンカウントに聞き入りながら声のひとつも出せずに時が流れた。
「……ファーイブ……」
レフェリーのダウンカウントがファイブを刻むその時、畳に伏していたバイスの両腕が動き始め、やがて畳を押し返すかの様に、ゆっくりと上半身が起こされて行く。
「……バイス!やったぞ!」
ルステンベルガーの歓喜の叫びは、やがて地元観衆の熱狂を呼び、失望に表情を曇らせるシルバとチーム・バンドーの面々を横目に、虚ろな表情と足取りで立ち上がったバイスの両目が大きく見開かれた。
「……効いたぜ……この野郎……喰らえっ!」
ビシイイィッ……
バイスの雄叫びは魔法の光をアレーナに広め、同時に強烈な打撃音の下、シルバは自らの左テンプルに空気振動によるダメージを返される。
「……ケンちゃん!?」
バンドーからの呼び掛けも虚しく、自らのハイキックに相当するダメージを返されたシルバはその場に崩れ落ち、放心状態のまま微動だにしない。
肉体的にも精神的にもガードを取る事の出来ないリフレクト攻撃は、常に100%のダメージが対戦相手を襲うのだ。
「……魔法が間に合ったな……。お前は運の悪い男だよ……」
未だ朦朧とする意識の中で、何かに突き動かされる様にバイスは辛うじて歩を進め、仰向けにダウンするシルバの上半身にマウントを取り、更なる用心としてパンチの構えを見せている。
「……やめて……やめて下さい!」
リンの絶叫は一転してアレーナに静寂を呼び、我に帰ったバイスはパンチの構えを見せたままレフェリーと視線を合わせ、勝負についての判断を待ち続ける。
レフェリーはシルバの意識がある事を確認してはいたものの、今の彼は放心状態にあり、10カウント以内に立ち上がる事は出来ないと判断した。
「ストーップ!シルバ選手、戦闘不能と見なす!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分08秒、勝者、マティアス・バイス!!」
衝撃の幕切れに、一時は声を失っていた大観衆も熱狂を取り戻し、大歓声の中を全速力で駆け抜けたチーム・バンドーの面々は、フィールドに倒れ込んだシルバの元へと集結する。
「シルバ君!」
「ケンちゃん!」
リンとバンドーの呼び掛けに目を覚ましたかの様に、シルバは視点が定まり、やがて自らの敗北を知った。
「……すみません、自分とした事が……。でも、相手を倒すのにあと一歩の所まで来ています……。バンドーさんなら、リフレクトにも耐えられると思います……」
ようやく呂律が回る様になってきたシルバは、クレアとハインツをルステンベルガーとの最終決戦に挑ませ、リンには甚大なダメージを与えたくないという配慮から、バイスとの戦いをバンドーに託そうとしている。
だが、シルバの意思を受け継ぐ決意をいち早く固めたのは、彼の身を案じ続けてきたリンだった。
「……私が……私が戦います……!シルバ君の仇は……私が討ちます!」
「リン?危ないよ!俺に任せてよ!」
幼馴染みであり、親友でもあるシルバから直々の指名を受けていたバンドーは、リンの身を案じて彼女の参戦を引き留めた。
自らの実力やダメージの回復が万全とは言えないものの、少なくともリンよりは肉体的ダメージに耐えられる。
「私なら……やれます!バイスさんを倒し、私はダメージを受けない作戦があります!」
非常事態におけるリンの強靭さは、これまでもパーティーの危機を救っている。
その迷いの無い眼差しが、無言の説得力を以てバンドー達を圧倒していた。
(……いいと思います。リンさんにやらせてあげて下さい……)
突然、チーム・バンドーの面々の耳に飛び込んで来る謎の声。
この摩訶不思議な現象に、チーム・バンドーの面々が互いに顔を見合わせる中、その聞き覚えのある声の正体に気付いたクレアは1階の観客席を指差す。
「フクちゃんだわ!あそこよ!」
クレアから居場所を突き止められたフクちゃんは、シルバから見様見真似で盗んだと思われるピースサインでパーティーに微笑みかけ、その見た目に見合った少女的な行動に、騒然としていた周囲の観客達にも和んだ空気が伝わっていた。
「……女神様のお墨付きだな……分かった。バンドー、リンにやらせてやれ。だが、少しでもピンチだと感じたら俺達はタオルを投げるぞ。いいな?」
リンの熱意に折れたハインツは彼女の参戦を許可し、その言葉を感謝とともに受け取ったリンは、真っ直ぐにチームメイトを見つめて決意を新たにする。
「ありがとうございます!大丈夫です、私は1度もピンチにはなりませんから」
「……ジェシーさん……」
恐ろしい程の自信と覚悟を胸に、バイスの待つフィールドへと歩みを進めるリンの背中を、シルバはやり切れない想いで見送る事しか出来なかった。
「チーム・バンドー、中堅選手の変更をお知らせします。次鋒のシルバ選手が敗退した為、本来はクレア選手の出番となる予定でしたが、副将のリン選手が中堅に繰り上げ登録となります。チーム・バンドー中堅、ジェシー・リン!」
「……このタイミングで女魔導士かよ、度胸あるじゃねえか。彼氏がやられて逆上したのか?」
ベンチで僅かな休憩を取りながら、大将のルステンベルガーと打ち合わせを行っていたバイスはリンの参戦に驚きを隠さない。
「軽口を叩いている場合じゃないぞ、マティアス。相手が女とは言え、今のお前は疲労とダメージが蓄積しているんだ。この試合は俺が代わってもいい、勝機はあるのか?」
堅実かつ慎重なチームの大将・ルステンベルガーは、疲労とダメージが回復するまで自分がフィールドに立つ提案をバイスに投げ掛けた。
「ニクラスさん、バンドー達があの女魔導士をフィールドに上げた理由は、ダメージを受けずに俺に勝てる作戦があるからでしょうよ。それはつまり、彼女の風魔法で俺をフィールドから追い出し、カウント20までフィールドに入れさせない、フィールドアウト勝利一択です」
バイスは疲労とダメージが残る中でも冷静に状況を把握し、リンの作戦を先読みしてみせる。
「……だが、ここは野外じゃない。アレーナの中です。風魔法の元になる空気量にも限度があるんです。大の男を吹き飛ばす程の風魔法を、20カウント持続させる事は並の魔導士には出来ませんよ」
バイスは自信に満ちた微笑みを浮かべ、ルステンベルガーからの提案を断りフィールドへと歩き始めた。
ルステンベルガーが不意にアレーナを見渡すと、今朝の気温が低めだった事が影響したか、アレーナの窓は閉められている。
バンドーの魔法があっと言う間に消えてしまった背景には、この自然風不足もあったのかも知れない。
「頑張れ〜!お姉ちゃ〜ん!」
大会参加者の中では群を抜いて美人であるリンには、中年男性主体と思われる固定ファン集団が増え始めていた。
図書館司書の人生では経験する事の出来ない高揚感にリンは身を委ね、珍しくファン集団に笑顔で手を振ってアピールしてみせる。
「うおおおおお!!」
リンからの思わぬリアクションに興奮を隠せない集団がオヤジ咆哮を上げ、アレーナの体感温度と湿度が上昇する。
そんなアレーナの様子を珍しそうに眺めていたフクちゃんの側にも、それとなく彼女の後を付いて回るちょいキモな男性が存在していたが、人間の色恋沙汰に疎いフクちゃんはその男性の存在を特に気にする様子も無く、ごく自然に彼女と目が合って微笑みかけられたちょいキモ男性を、「この娘女神……マジ女神!!」と悶絶させていた。
「リンが観客を煽るなんて、珍しいわね。多分、これも作戦だわ」
クレアは女の勘をフル回転させ、リンの作戦に思いを巡らせている。
「お互いに魔法が使えるという事だが、武器は持っていない。男性と女性との戦いが近距離の肉弾戦になった場合、レフェリーの判断で試合を止める事がある。その際はその時点までのポイントによる判定となるが、異論はないか?」
「ありません」
会場の熱気がピークに達する中、レフェリーの説明を承認する両者。
(まずはこの女の魔法攻撃をかわし続ける事……。隙を見て懐に飛び込み、張り手のひとつ、腕の1本でも固めれば、相手チームからタオルが投げられるはずだ……。しかし女と戦うなんて、ツイてねえ……)
バイスは余裕を保ちながらも試合展開に合わせたプランを確認し、一方のリンは脇見も振らずにアレーナ内のある一点だけを見つめていた。
そこはリンの立ち位置から見た、アレーナの左端の門。
窓もなく、非常口もなく、階段も客席もない。
フィールドの畳を降りた直後に、消火器や救命道具が置かれているだけの簡素な空間であり、盗難事故防止の柵に囲まれたこのスペースは、フィールドの端を覆う密室とも言えるスポットであった。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「……行きますよ!」
既に試合開始前から集中力を高めていたリンは、ゴングが鳴るや否やすぐさま目を光らせ、そこから広がる蒼白い光を掌に集めていきなり大型の空気球を作り出す。
「……何だと!?」
意表を突かれたバイスは、その場から離れるべきか、ガードを固めるべきかの判断に迷い、結局動けずにいた。
「でええええぇいっ……!」
普段の彼女からは想像のつかない、ダイナミックな投球フォームから放たれた大型の空気球は瞬く間にバイスを直撃し、強大なパワーとスピードに加えてカーブのかかったその空気球がバイスの身体を、リンが事前に確認していたアレーナの左端まで、まさに力ずくで押し込んでいく。
「ぐおおおぉっ……!何てパワーだ!?」
シルバ渾身のハイキックにも耐えてみせたバイスが、まるで成す術も無くアレーナの端に追いやられる光景はアレーナを震撼させ、リンは更なる風魔法を自らの両足に宿し、吹き飛ばされるバイスを猛スピードで追跡していた。
「どわああぁっ!」
フィールドアウトを防ぐ為、畳の端に喰らい付こうとするバイスの姿を確認したリンは、突然風魔法を消去し、その反動でバイスを畳の上に這いつくばらせた。
「……さあ、とどめを刺させていただきます。貴方も魔法を発動して構いませんよ」
畳に這いつくばったバイスが再び起き上がるのを待ちながら、リンは冷酷なまでの態度で対戦相手に最終通告を伝える。
「……くそっ……、舐めやがって……!」
プライドを振り絞って何とか起き上がったバイスが見たものは、両手を差し出す様にして回復魔法を唱える、柔和な微笑みを浮かべたリンの姿だった。
だが、それは回復魔法の名を借りた殺人魔法である。
「……はあああぁっ……!」
リンはシルバの傷口を洗浄する時に用いた、空気中の湿度を限界まで高めて水を生み出す魔法をバイス目掛けて唱えていた。
窓が閉められ、体感温度と湿度が増したこのアレーナで、加えてアレーナ内でも密室に近い環境で……。
リンの目的は最初から、バイスの窒息ダウンなのである!
「……くっ……!何だ?この息苦しさは……うぅっ……!」
思わず身体を屈めるバイスは、自らを襲うこの息苦しさがリンの魔法によるものだとはまだ気付かず、魔法を発動しようと試みるも、呼吸が安定せず失敗に終わった。
「……はあ……はあ……」
アレーナが事態の異常さにざわつき始める中、大量の魔力を消費するリンにも限界が近付いている。
だが、自らやチームメイトがダメージを返される事無くバイスに勝利するには、空気振動がダメージを伝達する事のない、このフィニッシュ以外にはあり得ないのだ。
「……く、くそ……。この程度で俺を……」
異常な湿度と低酸素で全身が汗にまみれたバイスはやがて意識を失い、膝から崩れ落ちる様にフィールドにその身体を横たえる。
「ダ、ダウン!バイス選手、ダウンです!ワーン、トゥー……」
レフェリーさえも状況が上手く飲み込めない中、ダウンカウントに安堵したリンは魔法をシャットアウトし、その場に尻餅を着いて座り込んでしまった。
「……これは、回復魔法なんかじゃないわ……。」
戦慄の結末に静まり返るアレーナの中、クレアはバンドーがシルバの治療中に息苦しさを訴えていた、あの瞬間を思い出す。
この短時間で、バイスの魔法の盲点を見抜き、魔法環境を確認し、観客やレフェリーを巻き込まない場所を選択し、魔法の効率を少しでも上げる為の観客へのパフォーマンスも厭わない……。
リンという魔導士が、世界屈指の能力を持ちながら、魔法の恐ろしさを知って図書館司書に収まっていた理由が今、チーム・バンドーのメンバーの中で完全に理解出来たのである。
「レフェリー!もういい!試合を止めて医務室に運んでくれ!」
ダウンカウントが刻まれる最中、明らかに酸欠状態で気を失っているバイスの身を案じたルステンベルガーとシュタインは、自らの手に握られたタオルを振り回した。
「ストーップ!バイス選手、ギブアップです!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド3分02秒、勝者、ジェシー・リン!!」
試合終了を知って対戦相手の元に駆け付けたリンを拒否するかの様に、医療スタッフとシュタインによって担架に乗せられたバイスは、早急に医務室へと運ばれていく。
歓声もブーイングも起こらない、まさに沈黙という言葉が相応しいアレーナを孤独にさ迷い歩くリンを、チームメイト全員が全速力で迎えていた。
「……ジェシーさん、ありがとう……!」
「……リン、今は何も言わなくていいわ……」
シルバとクレアから声を掛けられ、やむを得ない選択とは言え自分のした事にショックを隠せないリンは、静かに頷いてベンチへと帰還する。
「リンさん、シルバさん、外の空気を吸いに行きましょう!私は立場上、皆さんの身体の回復はさせられませんが、心の回復のお役には立てると思います!」
ベンチの間近まで顔を出しに来たフクちゃんは、複雑な想いを抱えたリンとシルバの手を取り、バンドー、クレア、ハインツにアイコンタクトを試みた。
「……うん、ありがとうフクちゃん、2人を宜しく!」
「フクちゃん、お願いするわ。あたし達は大丈夫よ。相手はもうルステンベルガーだけだし、あたしとハインツ、最悪バンドーでカタを着ければいいんだから」
「バカ野郎!ぜってー俺で終わらせてやるよ!」
3者3様のコメントを3段落ちに引き出したフクちゃんは、ある意味満足気な笑顔を浮かべ、リンとシルバを連れて一時的にアレーナを後にする。
シュワーブとヤンカーが大事を取って医務室に運ばれ、バイスも酸欠状態で医務室行き。シュタインはバイスの付き添いに駆り出された。
ただひとり残された大将のルステンベルガーは、大会前は全くのノーマークであったチーム・バンドーの実力に驚きを隠せずにいる。
だがしかし、彼は次代のドイツを担う剣士。
能力、実績はともに、バンドー・クレア・ハインツ個人を完全に凌駕していた。
何人相手でも、負ける訳には行かない。
「俺はいつでも準備が出来ている!誰からでもかかって来い!」
地元の英雄の決意の咆哮にアレーナは再び熱気を取り戻し、チーム・バンドーの面々の表情にも新たな気合いがみなぎっていた。
(続く)