第20話 武闘大会参戦!⑪
準々決勝最後の試合、チーム・エスピノーザ VS チーム・HPの対戦は、チーム・HPの中堅アレックス・コネリー、副将ソンジュン・パクの奮闘により、両チームの戦績が互角となった。
チーム・エスピノーザの副将、エキセル・トーレスの登場により、いよいよ副将同士の一戦が始まろうとしている。
「……トーレス、奴はヤバいぜ。俺達が言えた柄じゃねえが、加減を知らねえからな。だが、幸い奴は素手だ。武器は使っていかなきゃな」
自らが格闘センスに一目置いていたカルロスの壮絶な力負けを目の当たりにし、流石に海千山千のストリートファイター、ダビド・エスピノーザもパクの凶暴性を警戒していた。
「ダビド、武器を持つって事は、拳と指の自由が奪われる事でもあるんだ。俺はトンファーを使わせて貰うが、大事なのは使い方じゃなくて、いつ武器を捨てるかのタイミングだよ」
試合直前の緊張感を微塵も感じさせないトーレスは、その実績以上の風格を感じさせる佇まいが印象的な格闘家であるが、それもそのはず。
かつて不運に巻き込まれていなければ、今頃ヨーロッパのボクシング界を席巻していたかも知れない、スペイン期待の星だったのである。
幼馴染みのエスピノーザと同じく貧しい少年時代を過ごしたトーレスだったが、彼の家族は既に悪の道に入っていたエスピノーザの兄を警戒し、息子を小さなボクシングジムに通わせる事となった。
その家族の判断が功を奏し、トーレスは悪事に手を染める事も無く徐々に頭角を現していった結果、Uー19世代のミドル級スペイン王者の栄冠を手にするまでに成長する。
しかし、経営難のボクシングジムを救う為に有力者の親族である挑戦者との八百長試合を要請され、やむ無く負け試合を受け入れたトーレスとボクシングジムに、約束の報酬が支払われる事は無かった。
八百長試合を訴えたトーレスとボクシングジムは逆にボクシング界を追放され、失意のボクシングジム会長は自ら命を絶ち、トーレスはボクシング界の暗部を暴く為に自らエスピノーザ兄弟と合流する。
「チーム・エスピノーザ副将、エキセル・トーレス!」
男声アナウンスに導かれ、パクの待つフィールドに歩み寄るトーレスに沸き上がる大歓声。
トーレスが追放された後のスペインボクシング界で度々起こる不祥事や、実力に疑問の残るチャンピオン等、ヨーロッパの格闘技ファンはトーレスが訴えた八百長が事実であると確信していた。
それ故に、ヒール扱いのチーム・エスピノーザの中にあって、トーレスは「本物のヒール」として高い支持を得ていたのである。
「……お前に恨みは何も無いが、俺は戦わなくてはならなくなった相手の事は出来るだけ憎む様にしているんだ。悪く思うな」
相手の目を真っ直ぐに見つめながらのトーレスの宣戦布告に、受けて立つパクの表情にも不敵な笑みがこぼれた。
「ありがたいね。相手の事を気遣うのは試合が終わってからでいいのさ。時々忘れちまうがな」
「ラウンド・ワン、ファイト!」
試合開始のゴングとともに先手を打たんと駆け出したのは、両手にトンファーを持ったトーレス。
かつてボクシングの年代別スペイン王者だったトーレスの最大の武器は、勿論パンチである。
だが、寝技も可能なテコンドー仕込みの格闘家・パクを倒すには、まずは彼のキックやガードを無力化させなくてはならない。
あくまでもミドル級ボクサーとしてのプライドを持つ彼は、72.5㎏以下の体重をキープしたまま最後にパンチで相手をK.O.する事で、腐敗した権威に挑戦状を叩き付けるのだ。
「パク、奴は基本ボクサーだ!ローキックで下半身にダメージを与えろ!」
チーム・HPの大将、ジェイムズ・ハドソンはベンチからパクに指示を送りながら、仲間が敗れる有事に備えた自らの武器選びに余念が無い。
ハドソンは自らの本職として賞金稼ぎの剣士を選んだものの、元来バスケットボールの選手として大学時代に期待されており、恵まれたフィジカル能力を活かせる万能型のファイターである。
パクと出会ったテコンドー道場では、見識を広める事が目的だったにも関わらず、たちまち彼に次ぐ実力を身に付けた、まさに武術の天才と言って良いだろう。
「だああっ!」
トーレスはパクのガードを引き出す為に、意図的に顔面付近にトンファーを振り回し、相手が自らの顔面をガードするや否や、トーレスはパクの肩や二の腕をトンファーで殴り付けていく。
対するパクも、トーレスの狙いはガードが甘くなった瞬間のパンチだと分かりきっており、彼が一気呵成に前に出た瞬間のローキック攻撃の機会を窺っていた。
(……くっ、こいつ……速い!)
ローキックのチャンスを窺いながら専守防衛を決め込んでいたパクであったが、トーレスにはミドル級のパワーに加えたスピードがあり、下半身の隙を捉える事が出来ない。
視線を下げようものなら、自らの左テンプルを狙う強烈なフックが飛んでくるだろう。
(……上手くいっているみたいだな。下手にダウンを狙って奴にブチ切れられたらまずい。そろそろガードも弱ってくる頃だろう)
トンファーの直撃を受け続けて赤く腫れ上がってきているパクの二の腕を眺めながら、トーレスは自らのプランに満足気な笑みを浮かべていた。
「くおおぉっ!」
両腕の防御力が限界に近付いたパクは苦し紛れの前蹴りを繰り出し、トーレスが間合いを空けた瞬間に両腕を降ろし、試合は再びフィールド中央での睨み合いに回帰する。
「……パクという男、能力に疑いは無いが、メンタルコントロールに難があるみたいだな。技を喰らってから火が着く様な戦い方じゃあ、一撃K.O.技のある相手とは戦えない」
準決勝の対戦相手を見定めているチーム・カムイの格闘魔導士、アリ・ハッサンはもどかしそうな仕草で自らの顎を擦りながら、メンタルタフネスに頼り過ぎな、古いタイプの格闘家の不完全燃焼を嘆いていた。
(……落ち着け。ルール上、武器で顔の正面は殴れない。エスピノーザやガジャルドならともかく、トーレスが堂々と反則を犯すとは思えない。奴がK.O.を狙うチャンスはトンファーを捨てた時だ、今じゃない)
「うおおおぉっ!」
意を決したパクは自らトーレスの懐に飛び込む形で、ノーガードのまま勢い良く飛び出し、自らの肩口に飛んでくるトーレスのトンファーを敢えて無視して相手の左足に神経を集中させる。
パクが自らの攻撃をガードをする意思を見せない事に気付いたトーレスは、慌てて左足をローキックに備えたガード体勢に浮かせ、バランスを崩した攻撃はパクの左肩を力無く叩くだけに終わった。
「せいっ……!」
パクは右ローキックからトーレスの左足を払う素振りを見せつつも、相手の左足が宙に浮いた事を確認してキックをステップに切り替え、自らの左足でトーレスの右足を内側から払いにかかる。
「……何っ……?」
予期せぬ軸足への内側からの払い技に対応出来なかったトーレスは、右足の激痛による転倒を防ぐ為に全身を大きく左廻りに回転させ、パクに背中を向けてしまった。
「もらった!」
背中を向けたトーレスに対し、ダメージの残る右足に更なるローキックを打ち込むパク。
軸足故にガードが出来ないトーレスは激痛に身体を前屈させながら、テイクダウンを防ぐ為に意図的に距離を取ろうとした瞬間、無防備な顔面にパクの右ストレートが直撃する。
「……ぐっ……」
右足の痛みで踏ん張りの利かないトーレスはゆっくりとフィールドに倒れ込み、パクのマウンティングに備えた迎撃体勢を取っていた。
「テイクダウン!」
場内の大歓声に煽られたパクが、すかさずトーレスに対してマウント体勢を狙いに行くものの、素早くトンファーを捨てて中腰になろうとしていたトーレスは、いつでもパンチを出せる体勢にあり、両者の動きは一瞬静止してしまう。
「……くっ!」
思い通りに行かない試合展開に焦れるパクは、流れる汗を拭う事も無く、トーレスが立ち上がる前に少しでもダメージを与える為にローキックを連発し、小気味良い音を立てて中腰のトーレスの上半身を痛めつける事に意識を集中していた。
(……トーレスが、トンファーを拾わねえ……。今勝負するのか?)
エスピノーザの懸念を知ってか知らずか、試合開始時点とは立場が逆転し、パクの攻撃をガードで専守防衛するトーレス。
だが、その目は真っ直ぐにパクの隙を窺っていたのである。
(……大丈夫だ。こいつなら足を取られてマウントされても、直立姿勢のパンチでなければ耐えられる……。このまま上半身を痛めつければ、じきに全力のパンチも打てなくなるだろう……)
パクに油断があった訳では無いが、ボクサーであるトーレスにパンチを打たせなければ、リーチとパワーに勝るテコンドー仕込みの格闘家である彼に、死角は見つからないはずだった。
しかし……。
ガシイッ……!
千載一遇のチャンスを待っていたトーレスがパクの右足首を両手で掴み、充血する両腕の痛みも何のその、勝ち誇った様な笑みを浮かべる。
「……どうした?俺を倒してマウントするか?やってみろよ!」
片足を掴まれただけで、自分より10㎏以上体重の軽いトーレスに倒される姿を想像出来ないパクは相手に軽い挑発を仕掛け、トーレスがこの後の戦い方に意識を取られている間、ガードと寝技のシミュレーション試算を終えた。
「それじゃ、お言葉に甘えるかな?」
トーレスは両手で掴んだパクの右足を思い切り引き寄せたが、それはテイクダウンが目的では無かった。
「……お前、一体何を……!」
結果として、パクの右足に掴まりながら立ち上がろうとしているトーレスに警戒心を露にしたパクは背後に反り返り、慌てて左手でトーレスの右頬に張り手をお見舞いするも、自らの長い足を伸ばされる事で間合いを空けられてしまう。
「……へっ、どうだ。テイクダウンされなきゃ何も出来ないだろ!」
トーレスはパクの右足を限界まで高く持ち上げ、彼が卒倒する寸前で正反対の方向に押し戻した。
「うおっ……!畜生、舐めやがって……」
上下の揺さぶりを受けてバランスを崩したパクはフィールドに倒れかけたが、立ち技格闘家の性故か、極端な前屈姿勢を取ってでもバランスを整えてしまう。
その間、トーレスの姿は見えていない……!
バシュッ……
閃光一瞬、トーレスの右フックがパクの左頬にヒットした。
声も出せない大歓声がアレーナの空気となって伝わり、全ての視線がトーレスの拳に注がれる。
パクが上体を起こす動作の最中だった為、右フックはテンプル直撃とは行かなかったが、激しい衝撃に彼の身体は所在無さげに宙をさ迷い、更なるトーレスの追い打ちがパクを捉えた。
ドオッ……
冷静にパクの動きを見極め、今度は右テンプルを左フックが直撃する。
「パク、ダウンしろ!立ってパンチは喰らうな!」
ハドソンからのアドバイスを実行に移せるだけのバランス感覚を失っているパクは、まるでK.O.されるのを待っているかの様にフィールドに立ち続け、素早く懐に飛び込んだトーレスからノーガード状態のボディーに、とどめの強烈なストレートを叩き込まれた。
「……ぐっ……ぐおお……」
激痛に腹部を押さえてのたうち廻るパクはやがて顔色が青ざめ、両膝を着いてうつ伏せに倒れ込む。
「ダウン!ダウン!」
レフェリーの合図に、アレーナを揺るがさんばかりの大歓声が巻き起こり、トーレスはその大歓声の合間を縫う様にレフェリーに大声で訴えた。
「レフェリー!ダウンカウントだ!俺はマウントはしない!」
「ワーン、トゥー……」
トーレスに促され、慌ててダウンカウントを取るレフェリー。
ボクサーらしい彼の美学に観客からは拍手が送られていたが、トーレスの真意はそこには無い。
ダメージを受ける事で凶暴化のスイッチが入る不屈のファイター、パクが再び立ち上がるであろう事を見越したトーレスは、間合いを広く空けたパンチでの迎撃による、冷静なフィニッシュを狙っていたのだ。
「……ファーイブ!」
ダウンカウントがファイブまで刻まれた瞬間、最小限の休息を切り上げたパクが怒りの形相で上半身を揺り起こし、アレーナは大喝采に包まれる。
「……パク!立つと信じてたぜ!」
ベンチでチームメイトを見守っていたハドソンは、最悪の事態に備えてその手に握っていたタオルを振り回し、パクの本領発揮を信じて疑わなかった。
「うがあああぁっ!」
8カウントを刻んだレフェリーのチェックを振り払い、鼻息も荒い鬼神の如きオーラを放つパクが直立不動のトーレスの姿を目にした瞬間、一心不乱に駆け寄って行く。全力疾走である。
「……やべえ!パクが切れやがった!トーレス!」
尋常ならぬ事態に身震いしたエスピノーザは、トーレスの身を案じて無意識の内に大声で彼に呼び掛けていた。
(……奴は怒りの気持ちだけで立っている。俺がギリギリまで動かなければ、スピードを緩められない奴が出来る攻撃は、テイクダウン狙いのタックルだけ……。俺が走って奴に攻撃すれば、奴は足を止めてキックの準備をしてしまう……。信じろ、俺のパンチを。動くな、まだ動くな!)
着実に近付いてくるパクの圧力を堪えながら、トーレスはひたすらに不動を貫いている。
大歓声も、エスピノーザの呼び掛けも聞こえない空間の中、彼の選択はただひとつ。
タックルを仕掛けに飛び込んで来るパクの顔面へ、全力の右ストレート。
「くおおおぉっ……!」
トーレスの下半身への全力タックルを試みるパクは、相手のパンチの間合いに入る前に懐へと飛び込む為、早めのタイミングのジャンプを選択せんと両足を揃えた。
その隙を見逃さないトーレスは、初めて自ら猛ダッシュで前方へと踏み切り、両者正面衝突寸前の距離にパクの顔面と対面する。
ドゴオオォッ……
トーレス渾身の右ストレートは、パクの鼻から下を直撃し、不愉快な感触とともに2本目の歯が折れて飛び出した。
全力で前掛かりになっていたパクは、トーレスのパンチの威力に激しく脳を揺さぶられ、その姿勢のままフィールドに崩れ落ちる。
「……ダ、ダーウン!ワーン、トゥー……」
一瞬の静寂を切り裂く大歓声に、レフェリーのカウントも掻き消され、はしゃぎまわるエスピノーザがトーレスの元へと駆け寄った時、ようやく安堵の表情を浮かべた彼は畳に膝を着いて勝利を確信するのであった。
「……セブーン、エーイト……」
これ以上のカウントは無駄とばかりに、ハドソンは首を左右に振りながらタオルをフィールドへと投げ入れ、医療スタッフを手招きして自らもパクの元へと駆け付ける。
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分39秒、勝者、エキセル・トーレス!!」
「イェーッ!」
幼馴染みの正々堂々たる勝利に喜びを隠せないエスピノーザは、トーレスの右手を高々と挙げて歓声に応え、チームの準決勝進出に王手をかけた興奮を新たにしていた。
彼にとって武闘大会は優勝する為のイベントではなく、彼とその仲間の「ヒールの美学」を抑圧された若い世代にアピールし、裏組織の拡大に貢献する事が目的なのである。
パクの底知れぬ気迫を打ち負かしたトーレスは、金銭的な事情からボクシング界の汚名を着せられる人生を送って来たものの、唯一かつ最大の武器であるその拳が、かつてのミドル級王者に相応しいものである事を証明した。
「ハドソン……すまないな。エンジンの掛かりが悪かったみたいだ……」
意識を取り戻したパクは、ただひとり残された親友のハドソンを気遣いながら、自身の思わぬ不覚を嘆いている。
ハドソンは首を横に振ってパクの会話を制止し、自らのシャツに描かれたメンバーのルーツであるアメリカ、カナダ、トリニダード・トバゴ、韓国、北朝鮮の地図を黙って指差した。
「もう喋るな、パク。ただでさえ今のお前は歯が2本欠けて不細工だからな。トーレスはボクサーなんだ。パンチしかない事が、逆にお前の気迫を恐れなかった理由だろうよ。明日はまたフィールドに立って貰うからな。少し休んでろ」
ハドソンから勝利を約束されたパクは、医務室から復帰したコネリーと入れ替わる形で担架で運ばれ、親友を見届けたハドソンはトーレスを相手に敢えて剣を持たない選択を決断する。
「チーム・HP大将、ジェイムズ・ハドソン!」
男声アナウンスに呼び出された剣士のハドソンが手ぶらである事に、アレーナからはどよめきが巻き起こっていた。
剣士と素手のボクサーとの戦いのルールでは、ハドソンの剣でトーレスの肉体を斬り付ける事は反則となる。
だが、防具を破壊する地味な戦いで勝利するだけでは、パクの仇討ちにはならないと、チームリーダーとしての判断を下したしたのである。
狙うはK.O.勝利のみ。
「……ダビド、俺の腕は限界が近い。取りあえず奴にダメージは与えておく。その後は頼んだぞ」
両腕を真っ赤に腫らしながらも、普段通りの落ち着き払った様子でエスピノーザにメッセージを残したトーレスは、腕の痛みからトンファーの再利用を諦め、ワンチャンスをものにするべく軽いシャドーボクシングで両腕の感覚を確かめていた。
(……まだエスピノーザもいる。トーレスに時間を掛けている余裕はないな……)
ハドソンは今一度自らのシャツに描かれたチームメイトのルーツの地図を握りしめ、これまでとはまるで別人の様な殺気に満ちた表情へと変貌する。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
試合開始のゴングに反応して、軽快に動き出したのはハドソンだけ。
トーレスにスタミナが残されていない現実があるのは確かだが、パクを相手にした時と同様、自ら仕掛ける事が相手のカウンターを呼ぶ局面を回避する為の戦術と見て良いだろう。
(……来い、もっと近付いて来い。こっちはお前の攻撃をガードするつもりも無いんだ……)
少しでも有利な条件で後に控えるエスピノーザにバトンを渡す為、トーレスは直立不動の姿勢でパンチのチャンスを伺っている。
彼自身は180㎝の体格を誇るミドル級ボクサーではあったものの、対面するハドソンは190㎝を超えようかという巨漢であり、筋肉質の黒人である事がより一層威圧感を増していた。
今のトーレスがハドソンに全力で打ち込めるパンチは、恐らくボディーだけ。
身長差と体力面を理解しているハドソンもガードを下げ気味に、ボディーへのダメージを警戒している。
「悪いな。お前と長く戦うつもりは無いんだ」
低いトーンでトーレスに語りかける最中、既に強烈な右ローキックがハドソンから放たれていた。
ビシイッ……
「……くっ……!」
パク以上のパワーを持つハドソンのローキックは、僅か一撃でトーレスをぐらつかせ、無意識の内に右に逃げていたトーレスは、自身も隙を突いて右ローキックをハドソンにお見舞いする。
「……ボクサーのキックとしちゃあ、なかなかイケてるな」
ハドソンは表情ひとつ変える事は無かったが、足の長さ故にタックルを喰らう可能性を警戒し、重心を更に落とした。
「……それじゃあ、腕から出るキックを受けてみな!」
重心を落としたハドソンの右膝を狙い打ちする形で、トーレスの右ストレートが炸裂。
如何に屈強な肉体を持つハドソンであろうと、膝の皿までは鍛えられない。
「うぐおおぉっ……!」
想定外の奇策に雄叫びを上げるハドソンは右膝を抱えて前屈し、その勢いを利用してトーレスに頭突きをお見舞いしようと試みた。
「……ハアッ!」
ハドソンの頭突きを辛うじて肩へのダメージにとどめたトーレスは、背後にジャンプして間合いを空け、膝を庇う余りにガードが外れているハドソンの左テンプルに右フックを打ち込む。
「……あががっ……!」
体勢こそ十分では無かったものの、トーレスの右フックを喰らったハドソンは大きくよろめき、連続パンチを避ける為に小走りでトーレスから距離を取り始めた。
(罠か……?だが、行くしかない!)
沸き立つ観衆にも煽られ、最後の力を振り絞ってハドソンを追跡するトーレス。
相手はまだ右膝に力が入らず、真っ直ぐには立てない状態である。
「……喰らえ……!」
ダメージの無い左足で何とか身体を支えるハドソンをダウンに追い込む為、トーレス渾身のボディーブローが打ち込まれるその瞬間、右腕を思い切り振り降ろしたハドソンの拳とトーレスの拳が音を立てて激突した。
(ぐっ……!何てパワーだ!)
自らの全力パンチを叩き折られたトーレスは余力で前のめりに走り、ハドソンに背を向けた失態に慌てて上体を起こして振り返る。
……だが、時既に遅し。
ドゴオオォン……
痛みで伸びきらない右膝を利用した、ハドソンの飛び膝蹴りがトーレスの眉間を直撃する。
「がああぁ……」
ガードも出来ずに規格外のパワーで宙を舞うトーレスは、受け身を取る事も無く畳に後頭部を叩き付けて痙攣し、やがて動かなくなった。
「レフェリー!もういい、試合を止めろ!」
この試合でのトーレスの復帰は無理である、そう判断したエスピノーザはレフェリーのダウンカウントを制止し、自ら握り締めたタオルを大きく振りかざす。
右膝を押さえ、頭を抱えながらもトーレスの様子を警戒していたハドソンはレフェリーと顔を合わせ、その後大きく頷いた。
カンカンカンカン……
「1ラウンド1分12秒、勝者、ジェイムズ・ハドソン!!」
秒殺K.O.に近いフィニッシュに、大いに沸き立つ満員の観衆。
だが、ハドソンに勝利の笑顔は無く、エスピノーザは逆に勝利を確信したかの様な不敵な笑みを浮かべていた。
頭と右膝にダメージを負ってしまったハドソンは、勝利の為なら手段を選ばない海千山千のストリートファイター、エスピノーザとの最終戦にチームの命運を委ねなければならないのである。
「……取りあえずダメージは与えといた。後は頼むぜ、ダビド……」
意識を取り戻したトーレスのダウンは連戦の消耗によるもので、重大な負傷によるものではない。
自らの勝利への道筋が立ったエスピノーザは、悪ガキ仲間のガジャルドとはまた違う形で彼をリスペクトして休ませたのだ。
「ああ、任せな。お前が奴の弱点をわざわざ作ってくれたんだからな」
エスピノーザに肩を叩かれたトーレスは早くも自力で立ち上がり、彼を拍手で迎えるガジャルドの隣に座ってドリンクを一気飲みして見せる。
「ガジャルド!三節棍を取ってくれ。2本だ!」
「おいおい、2本なんて扱えんのかよ?テメエがぐるぐる巻きになるぜ!」
エスピノーザのリクエストに肩を揺らして爆笑するガジャルド。
彼は自らの武器庫となる巨大なバッグから2本の三節棍を取り出し、2本をひとまとめにもせず乱暴にエスピノーザへと投げつけた。
三節棍とはヌンチャクの延長版とも言える武器であり、正しく使えば1回の攻撃で2ヶ所にダメージを与えられる効率性と、相手の自由を奪う絡み付き技が魅力だが、腕が伴わなければ棍の行方を制御出来ずに自滅する恐れのある、上級者向きの武器である。
あらゆる武器に精通するガジャルドも、三節棍の二刀流に挑戦した経験は無く、敢えて高難度の武器に挑むエスピノーザの真意を掴みかねていた。
「チーム・エスピノーザ大将、ダビド・エスピノーザ!」
「ヒューッ!」
男声アナウンスに導かれ、歓声とブーイングの入り混じる反応に先駆けて派手なパフォーマンスで場を盛り上げるエスピノーザ。
彼もまた、幼い頃の苦難に翻弄された歴史の上に自己を確立している。
彼の父親ダニーは重度のアルコール依存症であり、酒に溺れては家族を支える母親ミシェルと兄ルベンに暴力を振るう毎日。
家族の危機を懸念したルベンはダニーを悪友と協力して暴行し、ルベンが少年刑務所に置かれる間にダニーは死去した。
兄と違って小心者だったエスピノーザは母親ミシェルとともに生活保護を受けながら、なるべく目立たずに息を潜めて暮らしていたが、やがて生活環境の差別やいじめが彼等を蝕み、耐えられなくなったエスピノーザは兄の仲間を頼っていじめっ子達を撃退。
そこから兄と同じストリート・ギャングへの道を歩む事となる。
(……おふくろはいつも泣いていた。俺も兄貴も、結局は親父みたいなろくでなしになったからな……。だが、どうしろと言うんだ?俺が辛かったら死ねばいいのか?生きている人間は、死んだ人間に後ろ足で砂をかけるだけなんだ。そんな人間になれと言うのか?)
三節棍を両手で振り回しながら、エスピノーザはいつの日か恩返しを夢見る母親を頭の片隅に描き出す。
(俺はヤクは売るが、自分ではやらねえ。邪魔者には容赦しねえが、ガキや女は殴らねえ。俺や兄貴が善人になれなかったのは、辛い事から逃げたくても逃げられなかったからだ。俺達みたいな奴は、いくらでもいるんだ。俺達を見ろ、俺達の仲間になれ!)
「……準備は出来たか?どちらにせよこれが最後だ。思い切りやろうぜ」
長剣を持ってエスピノーザの到着を待ちわびていたハドソンは、彼の胸中を知ってか知らずか、穏やかな表情で左手を差し出し、握手を求めた。
「…………」
瞳を曇らせてハドソンを睨み付けるエスピノーザ。
彼にとって、試合前に情けを受けるのは屈辱以外の何物でも無い。
ビシイッ……
怒りも露に、ハドソンの左手を三節棍で叩き返すエスピノーザ。
アレーナは一瞬にしてどよめきに包まれた。
「ゴングは鳴らしてやったぜ!」
左手を押さえてうずくまるハドソンを横目に軽快なフットワークで間合いを空けたエスピノーザは、確信犯的にレフェリーと視線を合わせる。
「試合開始です!尚、非紳士的行為により、エスピノーザ選手に減点1が与えられます!」
観衆のどよめきはやがて大きなブーイングを呼び込み、罵声の類いには慣れているエスピノーザにとって、このアレーナを「ホームグラウンド」に変える儀式は無事に終了した。
「……へっ、減点1なんてどうってこたあねえよ!判定勝ちを狙ってる訳じゃねえしな!」
「……舐めやがって……。クソガキが!」
エスピノーザの態度に自らの善意を踏みにじられたハドソンは、激昂して自身から距離を取る相手を全力で追いかける。
170㎝程の小柄なエスピノーザと、長剣を持っているとは言え190㎝級で身体能力にも恵まれたハドソンのスピードは、一歩一歩の幅からして比較するまでもない。
だが、ここまでが既にエスピノーザの術中にあったのだ。
「おらあっ!」
自らの攻撃が届く範囲に相手を呼び寄せ、左手の三節棍をハドソンの長剣に向けて振り回すエスピノーザ。
自分に追い付いてひと泡吹かせる事を最優先事項としていたハドソンの現状に於いて、長剣は鞘に収められていなかったのである。
「……くっ!しまった!」
三節棍が剣に絡み付き、行動範囲が狭められたハドソンに対し、エスピノーザは右手の三節棍でダメージの残るハドソンの左テンプルを容赦無く叩き付けた。
「ぐわっ……!」
「ヘッ……いつまでも長剣なんぞ持ってたら、ガードは出来ねえぞ?」
エスピノーザの狙いは、トーレスがダメージを与えてくれたハドソンの左テンプルと右膝を徹底的に痛め付ける事である。
彼は決して格闘家として非力ではないが、そもそも格闘技を始めるのが遅かった。
彼は格闘家になりたかった訳では無い。
ストリート・ギャングになるしか選択肢が無く、弱味を見せる者はストリート・ギャングでは生きられない。
彼は否応無しにストリート・ファイトに巻き込まれ、血と汗と涙にまみれ、全てを失い、その度に強くなって全てを取り戻して来た。
目先の勝利の為には手段を選べない人生が、ただ今日まで連続しているに過ぎないのだ。
「今度はそっちだ!」
どうにかして剣から三節棍を払いのけようと悪戦苦闘するハドソンを尻目に、エスピノーザはハドソンの右膝にも攻撃を加える。
「……だああっ……!」
激痛に顔を歪めるハドソン。
正確な右膝へのヒットでは無かったが、むしろそれが災いして三節棍の先端が彼の右肘をも殴打していた。
ハドソンの反撃を防ぐ為のリーチを重視して三節棍の二刀流を選択したエスピノーザに、この武器を使いこなすだけの技術は無い。
だが、ハドソンが剣士のプライドを優先させて長剣を持った時点でエスピノーザはトーレスに比べて過小評価されており、エスピノーザは長剣を選択した事をハドソンに後悔させる勝ち方への意欲を燃やしていたのである。
「さっさと剣なんて捨てちまえよ!お前、殴り合っても強いじゃねえか!」
エスピノーザはここぞとばかりにハドソンの左テンプルと右膝を集中攻撃し、ハドソンが力尽きた瞬間に三節棍との合わせ技で腕を固める算段であった。
「……ぐおおおっ……!」
顔面と膝からの痛みと充血に耐え、ハドソンは雄叫びとともに全力で剣を振り回し、エスピノーザの左手から三節棍を弾き飛ばす。
「……ちいっ!」
エスピノーザは自らの身体から離れた三節棍への未練は早々に断ち切り、右手の三節棍を両手で伸ばしながらハドソンの反撃に備えた。
「おりゃああぁ!」
ハドソン渾身の長剣振り降ろしを中央の棍で受け止めたエスピノーザであったが、木製の棍は鎖ともども切断され、その剣の圧力に押されたエスピノーザは畳の上に尻餅を着く。
「おいおい、だから言わんこっちゃねえ!」
ベンチからチームリーダーを見つめるガジャルドは、エスピノーザを心配しながらも普段の飄々とした態度は崩していない。
だが、つい先程ハドソンの圧力に屈したトーレスは、この戦況を歯軋りしながら見守る事しか出来なかった。
「せいっ!」
形勢逆転により圧倒的優位に立っていたハドソンは、頭と右膝の痛みから素早い動きこそとれないものの、冷製沈着にエスピノーザのガードでは守りきれない肩の防具をひとつずつ確実に破壊する。
「……分かるか?エスピノーザ。少なくとも武闘大会では、ポイントの対象となる防具を一撃粉砕出来る剣が有利なんだ!何でもありのストリート・ファイトならお前は強いだろう。だが、今のお前はルール無用のポリシーが災いして減点3なんだぜ!」
自信を取り戻したハドソンは、雰囲気作りのパフォーマンスから減点したエスピノーザを見下ろしながら彼の軽率さを説教し、一気に試合を決める為にエスピノーザがガードを固める胸の防具をこじ開けにかかった。
「とどめだ!」
「……やらせるかっ!」
ハドソンの剣の垂直降下を間一髪で退けたエスピノーザは、畳に剣が刺さって前のめりになったハドソンの両足に、自ら転がした身体をぶつけてタックルを成功させる。
「テイクダウン!」
レフェリーのアナウンスに沸き立つ観衆。
だが、両足首へのタックルでハドソンの姿勢は畳にうつ伏せ。
対するエスピノーザはハドソンのパンチ攻撃を避ける為に敢えてマウントはせず、そのまま足を取りに行く、極めて地味な攻撃を選択した。
「おいコラ!くすぐりでもするのか?」
「セコい戦い方してんじゃねえ!」
実に現実的で変わり身の早いエスピノーザの戦いぶりに、元来このチームに好感を抱いていない観衆の不満はピークに達している。
そんな観衆のブーイングなど全く意に介さず、エスピノーザはハドソンの右足を締め上げる。
「ぐわあっ……!」
流石の屈強な剣士ハドソンも右足を決められたまま、力を込めて技から抜け出そうとしても、そもそも膝の負傷から右足に力が入らない。
「さっさとギブアップしな!」
額に大量の汗を浮かべるエスピノーザは体力が続かないと見るや、やむ無くハドソンと向き合う形で両手から脇を使ったホールドに切り替え、時折左手でハドソンの右膝を更に痛め付けた。
「くそったれがぁ!」
怒りが頂点に達したハドソンは強靭な腕力だけで上体を起こし、抱え込まれた自らの右足ともども振り飛ばさん勢いでエスピノーザを畳に叩き付ける。
「ゲホッ……何てパワーだ!」
慌てて起き上がって間合いを確保しようとしたエスピノーザの目の前に、辛うじて左足1本で立ち上がったハドソンのハンマーパンチが振り降ろされた。
「ぎゃああっ……!」
片足立ち故に渾身のパワーとは行かなかったものの、ハドソンの拳はエスピノーザの頭頂部を直撃し、激痛にのたうち回るエスピノーザは畳に膝を着いて中腰状態となってしまう。
「トーレスと仲良く敗北しな!」
中腰でのたうち回るエスピノーザの顔面をめがけて、トーレスを倒したハドソンの右膝蹴りが迫り来る。
彼の右膝はもう限界であり、右足を軸足には出来ない。
これが正真正銘、最後の一撃だ!
「立つ力ぐらい残ってんだよ!」
エスピノーザは重い頭を無理矢理立たせようと、両手で畳を叩く蛙跳びの要領で大きくジャンプし、ハドソンの膝蹴りを飛び越え、右足ローキックのターゲットをハドソンの左テンプルに捉えた。
ビシイイィッ……
勝負とは残酷なもの、エスピノーザのローキックは面白い程にハドソンの左テンプルを直撃し、苦痛の表情すら浮かべないままにフィールドに倒れ込んだハドソンは、そのまま動く事は無かった。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
「レフェリー!カウントはいいです!担架を!」
誰もが決着を確信した静寂の中、満身創痍でフィールドに座り込むエスピノーザを突き飛ばさん勢いでチーム・HPの中堅、アレックス・コネリーがベンチを飛び出し、タオルを投げ入れる。
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分27秒、勝者、ダビド・エスピノーザ!!」
ヒール役と認知されていたチーム・エスピノーザの勝利に会場は大ブーイングに包まれていたが、エスピノーザやガジャルドにとって、これはいつもの光景。
ハドソンの回復を願ってフィールドに集合するチーム・HPの面々を目の当たりにし、一声掛けに行こうとしたトーレスを、ガジャルドが引き止めた。
「俺達が情けをかける事なんか、誰も望んじゃいねえよ。止めときな」
「……ハドソン!大丈夫か?」
ハドソンのK.O.負けを知って堪らず医務室を飛び出したパクは、意識を取り戻したばかりのハドソンに話しかける。
チーム・HPのパク、コール、グァンリョン、コネリーは、チームリーダーの回復にひとまず胸を撫で下ろしていた。
「……チッ……後一歩だったのにな。俺達の誇りを示せなくて悪かったな……」
一般企業に内定している親友のコネリーを見送る、最後の大会を勝利で飾る事が出来ず、流石のハドソンにも心苦しさが窺える。
「今は喋らなくていい、ハドソン。コネリーがチームを去るのは寂しいが、俺達の団結と友情が終わった訳じゃない。俺は今大会限りの助っ人のつもりだったが、決めたよ。これからもお前達と一緒に活動させてくれ!」
トリニダード・トバゴをルーツに持ち、助っ人の立場とは言えガジャルドをギリギリまで追い詰めたベテラン剣士のコールは、このチームの熱さに胸を打たれた。
ここに改めてチーム・HPの団結と友情が深まったのである。
「準決勝進出チーム、4チームが出揃いました!チーム・ルステンベルガー、チーム・バンドー、チーム・カムイ、チーム・エスピノーザです!準決勝は明日の10:00からのスタートです!皆様の熱いご声援をお待ちしております。ありがとうございました!」
男声アナウンスがアレーナに響き渡り、大会初日は幕を閉じた。
参加チーム、観客とも帰路につき始める中、チーム・エスピノーザは麻薬を受け取ってアレーナを去った次鋒、ゲレーロと連絡が取れなくなっている。
携帯電話を片手に早口で組織の本部にまくし立てるエスピノーザを横目に、ガジャルドはゲレーロに対する彼の態度を責めていた。
「さっさと消えなとか言ったからだろ……どうするよ?カルロスの今の身体じゃ明日には間に合わねえ。俺達3人でカムイ達とやるってのか?」
本部との交渉が決裂したエスピノーザは携帯電話を床に叩き付けて激昂し、開き直って追加メンバーの募集を企てる。
「な〜に、ここはヨーロッパだ。ヤクが欲しい荒くれ者なんていくらでもいるだろ。ケルンの賞金稼ぎ組合にでも行くさ!」
エスピノーザの余りの無計画さに、普段は冷静なトーレスまでも呆れ返っていたその時、彼等は突然強面の若い観客に囲まれた。
「エスピノーザさんですね!試合、感動しました!俺達をチームに入れて下さい!カルロスさんも重症みたいだし、俺達一応賞金稼ぎやってたんです!こいつはキックボクシングの経験もありますから!」
試合を観てチーム・エスピノーザの生き様に惚れ込んだ若者達からの、まさかの売り込みである。
ストリート・ギャングに入りたくてエスピノーザを訪ねる若者は後を絶たないが、格闘チームの駒になってくれる若者はそうそういない。
エスピノーザとガジャルドは歓喜の余りはしゃぎたい気持ちを敢えて抑えて眉間にしわを寄せ、若者に覚悟を問い正した。
「……俺達みたいなろくでなしに協力するって事が、どういう事か分かっているか?金の為に心を捨てる覚悟があるのか……?」
若者達はエスピノーザの目を真っ直ぐに見つめ、迷いの無い口振りで自らの覚悟を語り始める。
「……俺達、家族は皆死にました。大企業が親父の工場を潰したんです。俺達はあらゆる綺麗事にウンザリしています!思い切り暴れたいんです!お願いします!」
抑圧され、怒りに満ちた若者の間に、エスピノーザ達の哲学は確実に浸透していた。
自分達がしてきた事は正しくはない。
だが、間違っているとは言わせない。
エスピノーザは若者達を強く抱き締め、静まり返ったアレーナの片隅で誰よりも強い情念の炎を燃やし続けていた。
(続く)