第2話 ケン・ロドリゲス・シルバ バンドー、旧友と再会
4月3日・15:00
ニュージーランド育ちの日系農業青年・バンドーは、将来に備えた人生修行と、消息不明の旧友の行方を捜索する目的の為に、オーストラリアのシドニー空港発・ポルトガルのリスボン空港行きの便に搭乗していた。
彼は、生まれてこの方ほぼ25年間オセアニアから出た事は無く、長距離のフライト経験も無い。
シートに着席しているだけで尻が痛くなる初体験の不快感を紛らわす為に、わざとシートから距離のある方のトイレへと歩いて往復して用を足しに行く程の、ぶっちゃけ田舎者である。
通路をゆっくり歩きながら周囲を見渡すと、他の乗客の目的も何となく推測出来た。
まずはフォーマルなスタイルの乗客達。
顔立ちもオセアニア人の雰囲気ではない彼等は、ビジネス上の出張から故郷、或いは勤め先に戻るポルトガル人である。
続いてカジュアルなスタイルの乗客達。
彼等は休暇や新婚旅行等でオセアニアの観光を楽しんだヨーロッパ人、或いは同じ目的に加えて、ポルトガルに暮らす親族や友人を訪ねるオセアニア人だろう。
意外と数が多いのは、サッカークラブのレプリカユニフォームを着たオーストラリア人の一行だ。
ポルトガルの名門サッカークラブ・リスボンFCに、今年の1月、オーストラリア代表MFジョン・マクナリーが移籍し、いきなりクラブにフィットして大活躍したという。
元々優勝候補だったリスボンFCはリーグ首位を独走し、欧州のサッカーシーズン終了にはまだ早い4月初めにリーグ優勝が決まろうとしていた。
しかも、次節の対戦相手は宿命のライバル・ポルトクラブ。
その大一番を観戦する為に、一行が着ているリスボンFCの真っ赤なレプリカユニフォームの背番号は、全員マクナリーの14番。
リスボンというよりマクナリーのファンにしか見えないが、見知らぬ国に馴染むには、その国の有名スポーツクラブのユニフォームが最も適した衣装なのかも知れない。
バンドーの祖父、ヒロシは日本生まれだが、彼が生まれる前の時代から、日本人やオーストラリア人のサッカー選手が本場のヨーロッパクラブで活躍していた。
しかし、2045年の世界同時多発的自然災害で、アメリカ・カナダ・日本・韓国・北朝鮮の5ヶ国は消滅してしまい、カリブの小国トリニダード・トバゴも大半が海に沈んで再開発は難しくなり、最早調査員が駐在するだけの地域になってしまう。
今や日本代表・アメリカ代表という概念は国ごと失われてしまった。
だが、バンドーにとってのサッカー代表チームであるニュージーランド代表は、オセアニア人選手のパワーを中心に朝鮮系選手のスタミナと闘争心、そして日系選手のスピードとテクニックをピンポイント融合させて現在も地道な強化を進めている。
そして翌朝……。
バンドーの体力・精神力は、旅立ち1日目で早くも限界に近付いていた。
機内食で提供された、実はポルトガルが発祥らしいエッグタルトの美味しさに加えて、魚介類の豊富さ、ヨーロッパで最大の米の消費国という、日系人にとって馴染みのある食文化。
兄シュンの見立て通りポルトガルからヨーロッパ生活を始めて良かったと安堵したのも束の間、覚悟はしていたがほぼ1日がかりのフライトで足腰が立たず、リスボン空港に到着しても12時間もの時差があった為、現地時間は4月4日の0:00を過ぎたばかり。
高額ではないが現金を所有しているバンドーは、この深夜に見知らぬ土地をぶらぶらとさ迷う訳にも行かず、空港で一夜を明かすにせよ、迂闊に眠ると窃盗の被害に遭う恐れは否めない。
異国の民にとってバンドーは、体格こそラグビー選手の様に屈強だが、世間知らずの日系ボンボンにしか見えないのだ。
4月4日・0:30
「兄貴め、どうせならホテルとタクシーも予約してくれよな!」
今更全てが遅すぎる逆恨みを吐き出しつつ、バンドーは恐る恐る、夜通しテンションの落ちなかったサッカーユニフォームを着たオーストラリア人一行に声を掛けた。
「あのー、すみません。わたくしポルトガル初めてなんですけど、今の時間から泊まれる宿ってありますか……?」
一行は同時に振り向いてバンドーを眺めて、そして一斉に大爆笑。
その瞬間、バンドー自身には何となく馬鹿にされている様な悔しさもあったものの、そこは人種や地域による価値観の違いとも取れる。
ここは穏便に済まさなければ。
「空港のすぐ近くにカプセルホテルがあるんだ! 俺達も行くから、付いてこいよ!」
一行のシンプルな言葉と態度に、身体の力が抜けたバンドーは心底救われた様な気分になった。
ああ、良かった。
無知を認める勇気は一瞬、無知からの失敗は下手すりゃ一生モノである。
4月4日・9:00リスボン駅前。
旅立ち初日からのピンチを脱出したバンドーは、昨夜宿泊したカプセルホテルにもう一晩宿を取る事にした。
資金が潤沢にある訳ではないが、カプセルホテルの料金が一泊2800CPと、ニュージーランドとあまり変わらない水準だった事に一安心した事と、それは即ち現在のポルトガルが豊かな地域とは言い難く、自身のセキュリティは最低限意識しなければいけないと理解したからである。
旅の出発前にニュージーランドで出会った、泥棒のサビッチの様な、剣と魔法の世界に生きるならず者に出会わないとも限らない……という不安もあった。
伝統的に、社会保障が他地域より手厚いヨーロッパは、その分の各種税金で物価が高いのが相場である。
そんな環境と、大災害後の基本指針である「アース・ワン・ネイション・プロジェクト(EONP)」の中心地でもあるという現実から、オセアニア人のバンドーはヨーロッパ地域に対し、無意識のコンプレックスを抱いていた。
しかし、ヨーロッパとて横一線ではない。
同じオセアニアでもカンタベリーとシドニーの物価が違う様に、である。
EONPの施行を受けて統一された公用語(英語)と貨幣単位(CP)のお陰で、今は何処の地域でも預貯金の出し入れが可能となった。
とは言え、銀行の口座にある、バンドー自身の貯金と一族からの援助金だけで働かずに過ごしていれば、物価の安いポルトガルでも1年と持たずに資金は底を尽くだろう。
バンドーの考える理想のプランはこうだ。
数日間、安宿を確保しながらポルトガルを知り、その後何かしらの仕事をこなしながら幼馴染みのケン・ロドリゲス・シルバを捜し出す。
シルバが前職のEONアーミーからの除隊を正式に認められるまで安アパートに2人で共同生活をしながら働き、シルバが軍隊から解放された時点で彼を説得。
最終的には、彼とニュージーランドでの農業就労が可能な若者を数名連れてニュージーランドに帰郷し、役所の移住審査結果を待つというものである。
これならば3年どころか、早ければ3ヶ月でバンドーの旅は終わるかも知れない。
今のバンドーは、シルバを連れ戻せさえすれば、オセアニア以外の地域での多少の就労経験と、農場の世代交代要員を手土産に帰る事こそが最良の親孝行であると考えていた。
元来地元に戻る気満々の彼自身が、わざわざヨーロッパで苦労して道を切り開く事に意味を見出だせないとしても、それは決して責められる事ではない。
バンドーは自らのプランを実行する為に、昨夜お世話になったサッカーファンのオーストラリア人一行の後に付いて、まずは空港前からリスボン駅までバスで移動し、午後からはサッカーの試合が行われるポルトクラブのホームタウン・ポルトにも足を運ぶ事にした。
リスボンに次ぐ都市であるポルトを観る事はポルトガルを知る上で重要であり、今は亡きブラジル系の父親を持つ、サッカー好きのシルバがポルトガルに潜伏しているのであれば、スタジアムとまでは行かなくとも、近くのバー等で今シーズンの大一番とも言えるこの試合を観戦する可能性は高いからである。
「……おい!バンドーって言ったな。試合は16:00からだが、俺達は安いバスで行くから時間がかかる。迷子になりたくなかったら昼前にはここに戻れよ!」
一行の代表で、バンドーが唯一名前を聞き出せた男、ファーナムが念を押す。
短い銀髪に太い眉毛、スコットランド辺りのルーツを持っていそうな、精悍な顔立ちのタフガイだ。
「分かりました! ありがとうございます!」
バンドーは彼お得意の、太字マジックペンで描いた様な混じり気無しの笑顔を返してファーナムに手を振ると、特に目的も無しに近所を散策し始める。
リスボンはポルトガルの首都であり、世界の各国が国という単位から地方へと置き換えられたEONP施行後も、その役割と賑わいは変わっていない。
しかしながら、地中海側ならではの穏やかな気候と、伝統の街並みを残した目に優しい景色、ポルトガル人そのものが中肉中背の黒髪スタイルが基本とあって、オセアニア育ちの日系人・バンドーはすぐに親近感を得る事が出来た。
旅の荷物は最小限にして来たものの、それでも見た目で現地の人間ではないと分かる荷物をがっちりと身体に密着させ、突然のトラブルに備える。
現代世界の正式名称である「アース」の公用語は英語だが、街並みではポルトガル語も頻繁に飛び交っていた。
その発信源は母国語の伝統を重んじる者、他の地域の人間の悪口を言う者、観光客を狙う打ち合わせを行う犯罪者……。
バンドーは、幼い頃にシルバから教わったポルトガル語を少し覚えているが、用心から耳を側立てると、幸せそうに見える人々からも、必ずしもポジティブな言葉ばかり聞かれる訳では無い事が確認出来る。
とりあえず今の所、剣と魔法の住人タイプは見掛けていないが……。
あれからどの位歩いたのだろうか?
農場育ちで、元来長い距離を歩く事を苦にしないバンドーではあったが、いつの間にかリスボンの風景は都会の街並みから閑静な郊外、川の流れる音が聞こえる自然豊かな観光地へと姿を変えていた。
橋の下から眺める河口は雄大な美しさがあるが、同時に緻密なジオラマの様な趣も味わえる。
その魅力の要員は、多彩な野鳥達だ。
あれは鴨の一種だろうか、あれはフラミンゴ……?
勿論、単純な自然のスケールならば、バンドーの生まれ育ったニュージーランドの方が大きいだろう。
だが、南半球から出た事の無かったバンドーにとって、この新鮮な景色は初体験で、旅の初日の疲れも吹き飛ぶ様な感動に、自然と満面の笑みがこぼれていた。
周囲を見渡すと、アース中の地域から訪れたと思わしき観光客も、皆同じ表情を見せている。
ここはリスボンの有名な観光地のひとつ、テージョ川だったのだ。
突然、それまで水辺や大空を穏やか、かつ優雅に堪能していた野鳥達が、観光客で溢れる橋に集まって来た。
彼等はバンドーを中心に取り囲む様に集まり、周囲の観光客を驚愕させながら、その野鳥達の一団から一羽の鳥がバンドーの頭上に降りて来る。
ニュージーランド時代から、野生動物の突然の接触には馴れていたバンドーではあったが、流石に初対面であるポルトガルの野鳥からのアタックには驚いた。
万が一にもないだろうが、フラミンゴが頭上に降りてきたら命も危ない。
しかし、そんなバンドーの心配をよそに、頭上に降りてきたのは意外にも鳩ほどの大きさの野鳥であった。
身体の毛並みは黒いが、背中の中央付近の毛はやや緑がかっていて、額からくちばしの付け根辺りまでは鶴の様に赤く、くちばしと足は黄色という、非常にカラフルな野鳥である。
人間であるバンドーをまるで怖れず、むしろ親友の様にじゃれ合う光景に、周囲の観光客は面白がって写真を撮りまくっていたが、現地のポルトガル人はバンドー周辺を取り囲む野鳥の数に騒然としていた。
「おい、何だあいつは? 調教師か?」
「確か今日は、アニマルポリスが来ているはずだ! 呼んでくるぜ!」
英語とポルトガル語を聞き分ける中で、バンドーは自分が知らない「アニマルポリス」という言葉が気に懸かる。
猫さんの1日警察署長かな?いや、この状況でそんなの呼んできたらこの野鳥達がどうなるか分かったもんじゃない……等、無駄な想像力を駆使しながらも、とりあえずこの鳥を可愛がっていたその時、このテージョ川の風景に相応しいとは言いがたい、どピンクの軽自動車が橋の入口に急停車した。
「皆さん、橋の周辺から離れて下さい! 野鳥を刺激する様な光や音もご遠慮下さい!」
車の中からアナウンスが発せられると、どピンクの軽自動車のドアが開き、中から更にどピンクの衣装に身を包んだ2人の若い女性が降りて来る。
「そこの貴方、何をしているんですか? 野鳥を餌付けする事はこの地域の法律で禁止されていますよ!」
毅然とした態度に凛とした声、背筋が伸びた長身の女性がバンドーに近寄って来た。
どピンクのキャップに、どピンクのジャケット、どピンクのホットパンツと、正直キャラクターに似つかわしいとは思えない衣装を着せられているのが残念ではある。
しかし、ロングの黒髪に眼鏡スタイルの知性的な風貌に加えて、その東洋的な顔立ちはバンドーにとって親近感があり、多分これから色々訊かれる立場になると覚悟しながらも、あまり威圧感は感じない。
年齢は20代後半だろうか……おっと失礼。
「お姉さんがアニマルポリスなんですか?」
バンドーのあまりに素朴な質問に、後ろから出てきたもうひとりの女性と、まるでコンビ芸の様にずっこけそうになった様子だったが、眼鏡の女性は何とか持ち直して問いただした。
「貴方、アニマルポリスを知らないの?」
すっかりバンドーの頭上が気に入ってしまった野鳥を乗せたまま、彼は極めて実直に、眼鏡の女性からの質問に答える。
「俺、ニュージーランドから来たバンドーという者です。ポルトガルは勿論、ヨーロッパに来たのも初めてなんです」
「オセアニアだぁ!」
眼鏡の女性の背後に隠れる様に立っていた、もうひとりの女性が感嘆の声をあげた。
金髪を両側で結んだ、所謂ツインテールな髪型で、かなり若そうな彼女は、どピンクな衣装も下がミニスカートになっており、普通にアイドル歌手の様な着こなしを見せている。
「……なるほどね。オセアニアなら、アニマルポリスを知らなくても無理はないわ。とにかく、野鳥に手を出すのは止めて、餌や薬の類いは今ここに提出しなさい」
眼鏡の女性は、淀みのない動作で職務に必要な書類や物品を手早く揃え、バンドーから事情を聴取する体勢を完成させていた。
どうやらアニマルポリスというものは、ヨーロッパ限定の、半官半民で運営されている野生動物保護警察官の様な職業らしい。
派手な見た目と若い女性を採用している理由は、観光客やお子様達にアピールする事で一般庶民に野生動物保護の意識を浸透させ、更にチャンスがあればマスコミへの露出を高めて取材費をせしめる狙いもあるのだろう。
とは言え、バンドーとしては何も悪い事はしていないので、全く悪びれる事なくアニマルポリスを逆に質問責めにするのであった。
「お姉さん、この可愛い野鳥、何て言うの?」
眼鏡の女性は半ば呆れて脱力しながらも、話のやり取りとボディーチェックでこの青年には何の秘密も悪気も無い事を確認し、少々砕けた態度で説明を始める。
「この野鳥はバンと言う名前なの。アース全般に生息してはいるけど、オセアニアにはいないわね。貴方東洋系の人でしょ?東洋では有名な鶴の仲間と言える鳥よ」
「そうなんだ……お前バンちゃんかぁ……俺もバンちゃんだよ」
「ぷっ……何かいい人だね」
無邪気に太字スマイルで野鳥を可愛がるバンドーを眺めながら、明らかに彼よりも歳下のツインテールの女性も微笑んでいた。
若い女性コンビと言う事で、マナーの悪い観光客辺りには散々嫌な思いもさせられたであろう。
こんな時、オヤジギャグの様な存在感の素朴な青年バンドーは、好き嫌いは別として場を和ませるのである。
「……よし、みんな川に帰れ! そらっ!」
バンドーが勢い良く頭上のバンを空中に上げると、橋に群がっていた多数の野鳥達が一斉に飛び上がり、群を成して川へと帰って行った。
「おお! 凄い写真撮れちゃったぜ!」
周囲の観光客も、バンドーのお陰で信じられない光景をその眼と写真に刻み込む事が出来た為、別れ際のバンドーは彼等からの握手攻めに遭っている。
見事なヨーロッパデビューである。
それから数分後、人の流れが一段落した橋の上で、どピンクの軽自動車に寄りかかる形で、アニマルポリスの2人とバンドーは暫し言葉を交わしていた。
「私はメグミ、メグミ・オリベイラ。父はポルトガル人、母は日系人。アニマルポリスはもう7年目だけど、貴方みたいに呑気な動物使いは初めて見たわ。長くやってると歳がバレるから、正直この車と衣装はキツいけどね」
そう言って、やや自虐的に微笑む眼鏡の女性には、やはり東洋の血が流れていた。
毅然とした態度の仕事中とはうって変わって、優しさ溢れる大人の女性という印象である。
「あたしはシンディ、シンディ・ファケッティ。あまり評判の良くない、旧アメリカ系のイタリア人ですね……。アニマルポリスはまだ2年目ですっ、よろしくね」
やや舌足らずで、甘えん坊な雰囲気のあるツインテールの女性だが、どこか翳りのある表情も見せており、自らのルーツ等で、一筋縄では行かない苦労もしている様に窺えた。
彼女にとっては、厳しくも優しい印象のメグミは良い先輩であるはず。
「ところでバンドーさんは、観光でポルトガルに来たんですかぁ?」
無意識だとは思うが、シンディはいきなり深い質問をぶつけてきた。
微妙な年齢の男が、観光にしては厳重な荷物で、彼女も連れずにひとりで野鳥と戯れる……やはり怪しいのか。そうなんか。
暫くポルトガルに滞在する事が決まっており、自分の動物好き具合から考えれば、アニマルポリスとは今後何度も顔を会わせるはず……と予測したバンドーは、人脈の手掛かりになればと、2人に正直な目的を明かした。
「俺の幼馴染みが最近、EONアーミーを除隊したんですけど、まだ上司に承認されていないらしくて、宙ぶらりんの立場で消息を絶ってしまったんです。彼はポルトガル語を話せるから、ほとぼりが冷めるまでこの辺りにいるんじゃないかと思って。もし彼に今後の仕事や目的への意欲が無かったら、故郷のニュージーランドに連れ戻そうかと思って来たんですよ」
バンドーは話をしながら、それが全て終わる前からシンディの顔色が変わっていく事に気が付く。
「その幼馴染みって、シルバ中尉の事ですかっ?」
「えっ? シンディ知ってるの?」
流石のバンドーもこれには驚いた。
EONアーミーの若手有望株として知名度はあったシルバだが、ヨーロッパでもここまで知られていたとは。
「知ってるも何も、警察機関では先月のトップニュースでした! 軍を背負う逸材という評価でしたし、私の命の恩人なんですよぉ!」
バンドーは再び驚き、詳しく話を聞かせてもらうと、彼女がアニマルポリスに就職する以前、アイドル候補生だった頃、とある地域で荒くれ者に拉致されそうになったらしく、その危機を救ったのが別の目的で小隊ごと現地調査に来ていた、シルバ中尉だったそうだ。
「この娘はそれ以来、シルバ中尉の大ファンなのよね……でも結構彼氏頻繁に変えるのよ、この娘」
メグミはやや呆れた様な眼差しで、かなりテキトーな私生活のシンディを見つめ、その後、自分の私生活には納得していない様な表情を見せている。
「えー! だって先輩、シルバ中尉は長身イケメンで、強くて優しくて、更に真面目なんですっ! それに、シルバ中尉とあたしの私生活は関係ないですよね?」
モテる、モテない、遊び人、堅物……こういった話題は男でも深層心理で対立を呼ぶものだ。
何となくひとりだけ女子会に参加してしまった様な居心地の悪さを感じつつも、バンドーにとっての大親友「ケンちゃん」ことシルバが、軍人になっても変わらない魅力の持ち主である事に安心した所で、両者はとりあえず別れる事となる。
「私達は基本的に、西ヨーロッパ担当のアニマルポリスなの。でも、アニマルポリスはヨーロッパ全土にネットワークがあるから、他のアニマルポリスでも伝言は聞いてくれるわ。動物の虐待や密輸、その他動物がトラブルに巻き込まれそうな時は、連絡を下さいね」
メグミの物腰は、如何にも真面目な仕事人という感じだ。
本人も気にする年齢で、あんなどピンクの衣装と車を持たされるのが不憫でならないと、心から同情する。
「バンドーさん、シルバ中尉が見つかったら連絡下さいね〜!」
……いやシンディ、ケンちゃんは動物じゃありませんからあぁっ!
アニマルポリスと別れた後、バンドーがリスボン駅に戻ると、既にファーナム達サッカーファンは集合していた。
メグミ達と話し込んでしまったせいで昼食を取る時間が無かったのは残念だが、ポルトガル到着早々多くのものを得る事が出来た事は、今後における収穫である。
「おっ、来たなバンドー。早速だがバスに乗るぞ。ポルトまでは意外と遠いからな」
ファーナムはそう言うと、自分達の真正面に停車している真っ赤なバスを指差した。
リスボン駅からのみ発車される、リスボンFC専用のアウェイバスである。
このバスは、リスボンFCのサポーターの中でも長距離移動の電車を使えない低所得層の足を支えるバスで、普段なら試合のチケットが無ければ当然乗車は不可能であった。
しかしながら、今回はリスボンのリーグ優勝がかかった大一番である為、スタジアムに入れないサポーターも乗車出来る配慮が取られていたのである。
「……何だ、見ない顔だと思っていたが、ファーナムのダチか」
ファーナムらオーストラリア人一行は、既に何度か現地観戦を行っているらしく、ポルトガル人サポーターとも顔見知りの間柄らしい。
今のバンドーにとって、まさに持つべきものは友であり、人脈であるとつくづく感じる。
4月4日・11:45
リスボンからポルトまでの旅は、高速バスでも3時間はかかる。
その間、熱狂的なサッカークラブのサポーター達はクラブや選手のチャントを大声で唄い、一段落したら愛するクラブのゴールシーンやベストゲームを編集した映像を眺めて再び盛り上がるのだ。
ラグビーの本場・ニュージーランドで生まれ育ったバンドーは、サッカーにさほど関心は無かったものの、これだけクラブの良いシーンと熱い応援を繰り返し覚えてしまうと、洗脳の様にリスボンFCのサポーターになってしまいそうな感覚に陥る。
時折眺める外の景色は、当然初めてだから新鮮ではあるが、窓も開かない高速移動故に美しい自然にも手を伸ばせない状況が、オセアニア育ちのバンドーにはややもどかしく感じられていた。
そんな昼下がり……
キキーッ! ドオォン……
「痛っ! 何なんだよ!」
突然の急ブレーキでバスが停止を試みると、前方など全く不注意のサポーター達は一斉に前のめりとなり、背もたれや床に顔面をヒットさせる者が続出する。
バンドーは睡魔に襲われて背もたれ深くまで身体が沈没しており、顔面強打は免れたが、突然の出来事に目を白黒させていた。
「お客様、申し訳ございません。お怪我はありませんか? 只今、バスの進路を不審な若者達が塞いでおります。少々お待ち下さい」
バスの運転手が慌ててアナウンスを行うと、バスの前方にたむろする3人の男達にクラクションを鳴らし、バスの進路を空ける様に促す。
「ポルトのスタジアムに行くんだろ? 俺達も乗せてくれよ。どうしてもリスボンの優勝が観たいんだ。ルール違反なのは謝罪する。金なら沢山あるんだ。サービスするぜ」
男達は、透明な袋に入れた札束をわざと見せびらかす様に掲げてみせた。200万CPはあるだろうか。
少々柄の悪そうな男達だったが、サービスという言葉に運転手は色めき立っていた。
恐らく、何度か客から賄賂を受け取った経験があるのだろう。
それに加えて、サッカー好きは皆友達な価値観を持ち、既に缶ビールで出来上がっている者もいるサポーター集団は、3人分程度の空席がバスにあった為、彼等の乗車に強く反対はしなかった。
だが、バンドーは彼等に不審な眼差しを向けている。
3人は季節に似合わない厚手の冬物コートを羽織っており、そのせいか身体も不自然に大きく見える。何か隠しているのだろうか。
バンドー自身が試合のチケットがないのに乗せてもらっている身分である為、他人の乗車を拒否する権限は無かったが、仮に彼等が本物のリスボンサポーターだとしても、スタジアムで何か揉め事を起こしそうな雰囲気に満ちていた。
「……いいぜ、乗れよ。サービスしろよな」
ポルトガルのサポーターリーダーらしき髭面の大男が3人の乗車を許可し、最初のひとりが30000CP程を運転手にそっと手渡す。
これは勿論、3人分の運賃以上の額だ。
謝礼を受け取った運転手は、万一に備えて運転席専用のガードウインドウを閉めた。
試合の結果によっては、サポーターが暴れる事はヨーロッパではよくある事であり、時には相手クラブのサポーターがバスに乱入する事もある。
ガードウインドウは、一般的な刃物レベルには耐性があり、軍と警察以外に銃器が規制されているアース内ではそれなりに効果があるのだ。
この瞬間、周囲には「奴等、マジで金がある」という空気が流れ、酒の一杯でも奢ってもらいたがるサポーター連中が大半の車内は、3人の怪しさなど何食わぬ雰囲気になってしまっている。
3人を乗せたバスの乗降口が閉じた瞬間、男達は重いコートを脱ぎ捨てた。
「動くな! 逆らうんじゃねぇぞ。死にたくなかったらこのままリスボンに戻れ! 空港までだ! 通報したら殺す!」
バンドーの予感は的中した。
重いコートの下には、旅の出発前に出会ったクロアチアの泥棒・サビッチと同じ中世風の防具と、剣が装備されていたのである。
「お前ら、賞金稼ぎか? ……いや、賞金稼ぎに挫折した、ただの強盗か」
「うるせえっ!」
3人の中央に立つ金髪の男は、自らを侮辱した髭面の大男を剣の柄で殴打し、床の上に沈めた。
「!! ミゲルが一撃でやられるなんて……!」
一斉にどよめく車内。
どうやら、サポーター仲間からは強さを認められていた男らしい。
だが、残された面々も血気盛んなサポーター達ばかりで、幸いと言うべきか、このバスに幼い子どもや女性は乗っていなかった。
「これがヨーロッパの裏側って奴か……」
オーストラリア人サポーターのリーダー、ファーナムは、目前の光景に恐怖を感じているというよりはむしろ、武者震いしている様にも見える。
初めて会った時から、ヤワな男には見えなかったが……。
バンドーとしては、出来れば戦いたくはなかったものの、ここまで来て引き返すとなればシルバの捜索が遅れるのは勿論、力になってもらったアニマルポリスの2人にも申し訳が立たないと感じ、何としてもポルトへ行かなければならない他のサポーターとも戦う意思を確認した。
武器への恐怖はあるが、人数的にはこちらが遥かに優勢……サッカーへの情熱は命懸けなのである。
3人組は、中央には金髪のリーダー格剣士、バンドー達から見て右側に、バットの様な棒を持ったスキンヘッドの大男、左側にナイフを数本持った小柄で細身の黒髪男という構成。
髭面のサポーターを斬りつけずに気絶させた所を見る限り、賞金稼ぎか警察に追われていて、まずは安全に空港へ逃げ込む事が目的の様に感じられた。
「運転手、早くポルトへ行け! 空港まで引き返した所で、今のお前は収賄現行犯だ! 俺達が証人だからな!」
ファーナムからの檄に観念したか、運転手はこれまでより速めにバスをポルトへ走らせる。
バスを占拠するならず者達は、予想以上に小心者だった運転手に苦虫を噛み潰して舌打ちしたが、運転席に近い小柄で細身のナイフ使いは不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「想定内だ。俺ならガードウインドウをよじ登って上から運転手を襲える」
「……させるかっ!」
バス最前列にいたポルトガル人サポーターがナイフ使いに飛び掛かったが、隣にいた金髪剣士に行く手を遮られ、剣の尖端で肩口を僅かに刺されてしまう。
「くっ……やられた!」
その場に倒れ込むサポーター。
傷は浅く、暫くは大した治療も必要ないが、真っ赤なユニフォームの上からでも分かる出血は見られていた。
「面倒な事をさせるな! 俺達はお前らに怨みはねぇから、言うことを聞けば傷付けはしない。おい、俺達は強盗なんかじゃねぇぜ! 俺達が盗みに入るのは、悪どい企業役員の家や汚職政治家の事務所だけだ! 俺達は義賊なんだよ!」
金髪の男が何やら演説をぶっている間に、細身のナイフ使いは足場もないガードウインドウを何とかよじ登り、バスの天井とウインドウの隙間、数十センチの部分を目指そうとしている。
バンドーはファーナムに近づき、シートの陰に隠れながら機会を伺う彼に耳打ちした。
「ファーナム、右側のデカいスキンヘッド野郎を何とか出来るか? 俺はナイフ野郎を引きずり降ろす」
ファーナムは、出会ってからつい先程まで低姿勢だったバンドーの変貌に驚きを隠せない。
「バンドー……お前やれんのか? 俺が止めるのは大男だけでいいのか? 金髪野郎は?」
「大丈夫だよ。むしろ金髪野郎がいた方が上手く行く」
バンドーの自信満々な態度と、自らへのシンプルな指示に奮い立ったファーナムは、斜め隣にいたサポーター仲間・グラハムにも声をかけた。
グラハムは若い頃、ゴールキーパーを目指していた長身の男で、バスに乗ってテンションが上がった勢いからか、両手にキーパーグローブを嵌めていた。
「グラハム、俺とバンドーが奴等に飛び掛かる。だがその前にお前が壁になって、奴等の武器が届かないギリギリの位置までゆっくり歩いてくれ。そして俺達がお前の後ろから飛び出したら、スキンヘッド野郎のバットを掴んで足止めしてくれ。出来るか?」
「絶対壁の役割だと思ったぜ、ファーナムキャプテン。ああ、やるぜ!」
グラハムはやれやれと言った表情で、しかしどこか嬉しそうに快諾する。
恐らく今までも、ファーナムとともに幾多のトラブルを解決してきた仲なのだろう。
「……おい、何だお前は? 言いたい事があれば座ったままで言え。怪我したいのか?」
緊張感から無言だったバスの空気が変化する。
突如グラハムが立ち上がり、ゆっくりと前進し始めたのだ。
当然、背後にはバンドーとファーナムが隠れてはいるが、シートの間の通路は広くなく、ユニフォームを着た似通った風貌の男達が左右に多く座っている為、動揺する金髪の男からは気づかない様子である。
「……!? 気を付けろ! 3人だ!」
スキンヘッドの大男が気づくと同時に、グラハムは大男のテンプルにキーパーグローブごとパンチを喰らわせ、大男がややよろめいた瞬間に彼のバットを掴んで互いに引き合った。
バンドーは左側から飛び出し、金髪の男の隙を盗んでウインドウをよじ登るナイフ使いの左足首を掴んで引っ張る。
右足は膝を曲げてウインドウの金具に全力で引っ掛けてある為、力を入れて引っ張っても相手は我慢出来る。
現時点で軸足となって伸びきっている左足首を引っ張れば、相手は簡単にバランスを崩すのだ。
「うわあっ!」
意表を突かれたナイフ使いは、悲鳴を上げてウインドウから床へと転落する。
そしてその瞬間、バンドーはわざと自分からナイフ使いの下敷きになる様に倒れ込み、金髪男による上からの剣攻撃を無力化した。
ファーナムは右側から飛び出し、バットを奪い合って大男とほぼ互角のもつれ合いをしているグラハムに助太刀し、一気にバットを奪って見せる。
バットを手にしたファーナムだったが、相手へのリスペクトか、奪ったバットで攻撃はせず、後ろのシートのサポーター仲間に一旦預けた。
バンドーは、自らの上に乗せたナイフ使いを羽交い締めにしながらも、今一度運転席周辺のバスの構造を冷静に確かめる。
ナイフ使いは背が低い為、羽交い締めにする事で頭の位置を自分と同じ位まで上げ、金髪男からのキック攻撃から身を守る理由もあったが、いつまでもこの体勢ではいられない。
重要なのは、彼からナイフを奪えるか、彼を何処に放り出すかであった。
「畜生! どけっ!」
痺れを切らした金髪男は、2対1の状況に立たされた大男への助太刀を決め、グラハムに剣を向ける。
長身のグラハムには、屈んで避けられる上半身への攻撃よりも、運転席周辺の荷物置き場で天井が低くなっており、大ジャンプで避けられない下半身への攻撃の方が有効と踏んだ金髪男は、剣を真っ直ぐに突く形でグラハムの大腿部に狙いを定めた。
「仕方ないな! 痛い目に遭ってもらうぜ!」
カキイィン……
その瞬間、耳をつんざく金属音が聞こえ、金髪男の剣の尖端は巨大な鉄パイプの様な物に遮られる。
いや、これは鉄パイプではない。
サポーターグループの必需品・ビッグフラッグを巻き付ける柄の部分だ。
「何とか間に合ったな!」
戦況を見守っていた他のサポーターも、何か武器になるものを探していたのだ。
ビッグフラッグを振り回すスペースのないバス内でも、柄の部分を前に突き出す事は出来る。
「くっ……!」
予想外の防具登場に、振動への準備をせずに剣に全力を込めてしまった金髪男の手から剣が離れた。
その剣は金髪男と、未だナイフ使いともつれ合うバンドーの間に落ちていく。
「うらあぁっ!」
両足に反動をつけて、ナイフ使いを羽交い締めにしたまま起き上がったバンドーは、とりもなおさずナイフ使いをうつ伏せの状態で剣の上に叩き付けた。
「くそっ……邪魔だ! どけっ!」
剣がナイフ使いの下敷きになってしまっただけではなく、バンドーとの間合いに仲間が転がってしまった事で、地に足が着かず攻撃のモーションが取れなくなった金髪男を、バンドーの右ハイキックが襲う。
ビシイィッ……
急所のテンプルは外したが、バンドーのハイキックは金髪男の頬骨を直撃し、金髪男は気を失って床に撃沈した。
「やった! 凄ぇぞバンドー!」
決定的瞬間を目撃したグラハムが思わず歓声を上げる中、隙を突いて彼へパンチを喰らわせんとしたスキンヘッドの大男の行動を、ファーナムは見逃さない。
「お前は2対1なんだよっ!」
大男がグラハムへ右ストレートを打ち込む瞬間であった為、必然的に左脇腹はガラ空き、そこにファーナムの右膝蹴りが直撃する。
「ぐふっ……!」
苦痛に顔を歪める大男だったが、見た目通りのタフガイだ。まだ耐えている。
「……全く、大した野郎だぜ。グラハム! ありがとう、もういいぜ。バンドーの援護にまわってくれ」
ファーナムはそう言って、スキンヘッドの大男との決着をつける覚悟を決めた。
バンドーが金髪男を倒している間にナイフ使いは立ち上がり、バンドーは彼と組み合って力試しの様な状態が続いている。
体格差から、力勝負はバンドーに分があるものの、ナイフ使いの右手に握られたナイフと、まだ上着のポケットに隠されたナイフの存在が確認された為、彼にナイフを投げさせる環境を与えてはいけないのだ。
「グラハム! こいつの上着から、ナイフを出してくれっ!」
バンドーに頼まれ、グラハムは背後からナイフ使いを抑え込み、上着のポケットからナイフ2本を探し出して床に滑らせ、後ろのシートのサポーター仲間に預ける。
キーパーグローブのお陰で、裸のナイフを刃から掴んでも痛みは無かった。
「よし、バンドー、後ろは任せろ」
グラハムは、さっきまでバンドーがやっていた様にナイフ使いを羽交い締めにし、右側を強く締め上げる事で右手のナイフも床へと落とす。
「……お前なりにとどめを刺せ、バンドー」
完全なるお膳立てをされた事に対して、バンドーは両手を胸の前で合わせながらグラハムに感謝の意を示した。
「ありがとうグラハム……うりゃっ!」
バンドーはマジックペンで描いた様な、無邪気な太字スマイルを浮かべ、ニュージーランド時代から定評のあるその石頭でナイフ使いに頭突きを打ち込み、ナイフ使いは巨大なたんこぶと少々の鼻血を出してぐったりする。
金髪男とナイフ使いを縛り上げ、もうリスボンには戻れない程にポルトへ近づきつつあるバスの中は、スキンヘッドの大男だけが残った状況で、少し余裕の出てきたバンドーとグラハムは、暫しファーナムの戦いぶりを拝見していた。
ファーナムが一発殴れば、それを避けようともしない大男がまともに受け、大男が一発殴れば、それを避けようともしないファーナムがまともに受け、そしてお互いにニヤッと笑う……。
まさに「漢」としか言い様のない戦いぶりである。
「ファーナム、戦いを楽しむのは別に良いけど、サッカー観れる体力を残さないとヤバいよ」
心配したバンドーが声をかける。
それならお前も手伝えと言いたくなるが、旅の疲れや久々の本気の格闘で、休んでいる間に段々身体が重くなってきたのも事実だった。
「むぐっ!」
ここでスキンヘッドの大男のキックがファーナムの腹部を捉え、堪らずファーナムはみぞおちを押さえて膝をつき、ダウンしてしまう。
(……何か、地味にヤバい……。あの大男、スタミナありそうだし、バンドー達も疲れているし、一気に形勢逆転かも……?)
後ろのシートで見守るサポーター達が不安を覚え始めた頃、金髪男にあっさり気絶させられていたサポーター側の髭面大男・ミゲルが目を覚ました。
「くっそう、さっきは油断したぜ……。ん?もう2人もやったのか? なかなかやるじゃねぇかお前ら」
ミゲルはそう言って、身体を軽くほぐしてスキンヘッドの大男に近付くと、右手のビンタ一発で大男を他の2人が縛られているバスの左端まで吹き飛ばして気絶させる。
一瞬の沈黙の後、バスの中は大歓声に包まれた。
ミゲルは元プロレスラーで、リスボンFC愛が強すぎた為に怪我でプロレスラーを引退後、リスボンサポーター代表兼ボディーガード、兼トラブルメーカーとして地域から疎ま愛される、名物男だったのである。
「今更遅えよ、馬鹿野郎」
あっけに取られるバンドーをよそに、苦痛に悶えていたはずのファーナムも笑顔でミゲルに悪態をついていた。
顔面ハイキック、脳天頭突き、ビンタと、中世風の防具が何の役にも立たない結末は、強盗の当人達もさぞ悔しかろう。
その後運転手から本社、警察、賞金稼ぎ組合へと連絡が回され、「不審者3名にバスジャックされましたが自分達だけで解決しました」という、漢なら一度は言ってみたい台詞をファーナム、グラハム、ミゲルがそれぞれ1回ずつ言う事が出来た。
また、唯一の負傷者と言えるサポーターも、病院受診を断ってポルトに試合観戦に行ける程度の負傷で済み、何とか試合開始時刻にも間に合った。
まさにサポーターの大勝利である。
しかし、ここで問題が発生した。
3人の身柄をポルトの賞金稼ぎ組合に運べば賞金がもらえるが、運転手だけでは人手も証明手続きも厳しい。
誰かが組合に付いて行けば、リスボンの大一番を見逃してしまう。
皆が悩む中、あっさりとバンドーが組合行きを立候補した。
そもそも、彼の真の目的はサッカーではなくシルバの捜索。
また、今日の戦いの成果で賞金稼ぎにも少し興味を持った彼は、今後の為に賞金稼ぎという仕事についても詳しく知りたいと思ったのである。
サポーターからは笑顔と拍手で迎えられ、「俺達の英雄・バンドー」と書かれた寄せ書きにサポーター仲間の連絡先が記され、それをありがたく受け取ったバンドーは、運転手と3人の縛り上げ済のならず者とともに、ポルトの賞金稼ぎ組合へと出発した。
4月4日・16:00、賞金稼ぎ組合・ポルトガル支部前。
ポルトクラブのホームスタジアム、ドラガンで今シーズンの大一番が始まる頃、バンドー達は閑静な郊外の賞金稼ぎ組合・ポルトガル支部に到着する。
首都のリスボンではなく、ポルトに支部を置いた理由は、やはり賞金稼ぎと賞金首のイメージという問題と、多くの庶民からの要請に応えられる利便性の最大公約数を求めた結果なのかも知れない。
改めて3人組を調べ上げると、見せびらかしていた袋に入っていた200万CPはあくまで見せ金で、各々のリュックやバッグに1000万CPずつが隠されていた。
実際、金髪男の演説通り大企業の役員や与党議員が被害に遭っていたらしく、この盗まれた金が本人の所に戻るとなれば、悪党を倒して良い事をしたとは必ずしも言い辛い。
善良な(?)サポーターを襲わせるきっかけを作ってしまった強盗の被害者は、リスボンFCに多額の寄付をするべきである。
「ジェームズ・テイラー、ギルフィ・インゲション、ウナル・バーラル。賞金首としては高額ではありませんが、義賊を名乗り賞金稼ぎを悪の道へ引き込む事も多く、ヨーロッパでも比較的貧しい東欧で暴れていた3名ですね。彼らがポルトガルで活動出来る事が、今のポルトガルの経済状況を物語っていると思います」
冷静な分析を伝えてくれたのは、賞金稼ぎ組合のオペレーター、マリア・ネーベス。
訪れる前は何やら物騒なイメージのあった賞金稼ぎ組合だったが、職員も若く、建物も清潔で、思いの外洗練されている印象だ。
「貴方が組合登録をしていれば、この3人の身柄を引き渡した時点で150000CPの賞金が入りますが、組合登録をしていない状況では賞金が75000CPに減額されます。宜しいですか?」
なんと、一般人が頑張って悪党を捕まえて、戦いに慣れているプロの半額?
バンドーはマリアに思わず詰め寄る。
「えっ? 半分になっちゃうの? 納得行かないなぁ……組合登録って、賞金稼ぎになるって事なんでしょ? どうすればなれるの?」
「まずは身分証確認。そして、他地域から来た方はパスポート提出と、予定の滞在期間を記入した資料に役所からの印を押してもらって下さい。登録料は初年度8000CP、2年目からは5000CPになります」
マリアの説明内容はごく真っ当なものであったが、バンドーはポルトガルに来たばかりでまだ役所には行っておらず、持ち出す必要のない荷物は、未だリスボン空港側のカプセルホテルのコインロッカーに預けたままであった。
これはまた出直しが必要な案件になるものの、まずはシルバの捜索が第一なバンドーは取りあえず75000CPを受け取り、組合登録のパンフレットを1冊貰ってベンチで休憩する事になる。
ベンチ横の自販機でカップコーヒーを飲みながら、組合周辺の素朴な景色を眺めるバンドー。
組合に引き渡された賞金首は、後に警察に引き渡される事になる。
言わば簡易留置場としての機能も必要な施設だ。
そんな施設を民間が地方にいくつも作れるとは思えない。
建設費や人件費、賞金は、本当に登録料や庶民の依頼料で賄えているのだろうか?
そんな中バンドーは、慌ただしさで今日は昼食すら取っていなかった事を思い出した。
(解決しない疑問に頭を捻っても仕方がないし、賞金ももらえた訳だから、バスでスタジアムに戻って、夕食も兼ねて何か食べるか……)
バンドーがそんな事を考えた時、何やら心をざわつかせる人影が目に入る。
バンドーに近い浅黒い肌、長身で均整が取れているが、徹底的に鍛え上げられた肉体、清潔感のあるブラウンの短髪、端正な顔立ちでありながら、優しさと強さを併せ持った雰囲気……。
バンドーの記憶が確かであれば、11年前に別れた幼馴染み、ケン・ロドリゲス・シルバが順調に成長した姿に近い、そんな人影だ。
その人影は、先程までバンドーに対応していたオペレーター、マリアの所に出向き、何やら組合登録について話している様子である。
盗み聞きは失礼と理解しながらも、この人影が気になって仕方がないバンドーは、さりげなくその人影の背後に背中を向け、今一度目前の記入資料を手に取る振りをしながら耳を側立てた。
「……当方としても、貴方程の実績がある方を登録出来れば心強いのですが、貴方がまだ軍から正式に除隊を承認されていない以上、国家公務員として得ていたの情報の扱いや……軍の行動と重なる地域での依頼等……色々不具合が出る恐れがあるんです。除隊が承認される前に登録を済ませて活動に備えたい場合、貴方以外の代表者を立てて、2人以上で申し込みする様、お願い致します」
……うむ、失礼とは知りながら、マリアとの会話を全部盗聴してしまった……。
だが間違いない、この男はシルバだ。
いや、バンドーの幼馴染み「ケンちゃん」だっ!
「……あの〜、すみません……」
背後から恐る恐るシルバに声をかけて近付いたバンドーは、イケメンだが何やら怪訝な表情を崩さない彼の瞳の中を覗き込む様に質問した。
「貴方は11年前まで、ニュージーランドのワイン農家で暮らしていた……ケンちゃんですかっ?」
その言葉を聞いて突然、シルバの顔色が変わり、それはやがて、懐かしい記憶とともに微笑みを招いていく。
「え……? もしかして……レイジ兄ちゃん?」
バンドーにとっては現役だが、シルバにとっては懐かしい「太字スマイル」で頷くバンドーを見て、遂に満面の笑みが弾けた。
「ケンちゃあぁん! 良かった! やっと見つけた〜!」
「レイジ兄ちゃあぁん!」
何があったのか理解出来ていないマリアは勿論、周囲もドン引きしかねない感動の再会である。
男同士、しかも片方がイケメンだけに闇を深く感じる特定の性癖を持った女性もいるであろう。
だが、そんな事はどうでもいい。
今はとにかく、兄弟の様な幼馴染み同士の熱い抱擁を見守りたい。
(続く)