第18話 武闘大会参戦!⑨ フクちゃんの正体
第25回ゾーリンゲン武闘大会初日は、総合の部でチーム・ルステンベルガー、チーム・バンドー、チーム・カムイの3チームが準決勝進出を決め、いよいよ最終戦であるチーム・エスピノーザ VS チーム・HPの一戦を残すのみとなっていた。
チーム・カムイの圧倒的実力が健在である事を確認した参加チームと観客の中には、準決勝でのチーム・カムイの対戦相手を決める第4試合の結果に関心を失ってしまった者もおり、超満員だったアレーナには疎らながら空席も見え始めている。
チーム・バンドーは、当初チーム全員で最後までスカウティングを行う予定であったが、宿泊していたホテルに預けていたフクロウの「フクちゃん」が突然姿を消したという連絡を受け、シルバをスカウティング要員に残してホテルに戻る事になったのであった。
「……それじゃシルバ君、後はお願いしますね」
「ケンちゃん、余り深入りしないでよ!」
リンとバンドーの別れの言葉に手を振って応えたシルバは後ろを振り返り、試合前の選手がウォームアップを行うトレーニング・ルームへと急ぐ。
バンドーが懸念する「深入り」とは、シルバとチーム・エスピノーザのリーダー、ダビド・エスピノーザとの関係にあった。
シルバは幼い頃、スペイン語を操るテロリストが決行したバスの爆破テロで両親を失い、以来軍隊に入隊してからも独自にスペイン語圏のテロリストを追跡調査していた。
ダビド・エスピノーザは、シルバが軍隊時代に捉えたテロリスト、ルベン・エスピノーザの弟であり、大金を用意して兄を保釈させた過去から両者の間に因縁が生まれたのである。
チーム・エスピノーザは、勝利の為なら手段を選ばない狡猾さが各地域から煙たがれていたものの、謎の資金力を持っている為に主催者側に取り入って大会に参加し、優勝出来るまでの実力がまだ無いという現実もあって「大会を盛り上げる為の必要悪」として、主催者側と観客から存在を承認されていたのだ。
「久しぶりだな、ダビド」
シルバは鏡に向かってフォームの確認に余念の無いエスピノーザに、背後から声を掛けた。
その表情は、普段の穏やかな彼のものではなく、疑惑の眼差しに満ちている。
「……シルバか、試合は観たぜ。軍を辞めたんだってな。まさか格闘家になってまで追ってくるとは思わなかったよ」
小柄だが不敵なオーラを醸し出すエスピノーザは来客に敬意を払いながらも、視線を合わせる事無く黙々とシャドーボクシングに集中していた。
チーム・エスピノーザの謎の資金力は、警察と軍隊の調べでおおよその見当は付いている。
彼等はギャンブル目的の地下格闘技で資金を稼ぎ、その一部を麻薬組織やテロリストに巻き上げられているのである。
だが、ギャンブルに興じる者の大半は薬物やアルコールの依存症である為、その賭け金が途絶える事は無く、負債者が声を上げる事も無い。
シルバはエスピノーザ兄弟をマークする事で、両親の仇を討つ為の手掛かりを入手しようとしていたのだ。
「大人しく地下で稼いでいれば良いものを……。お前達がメジャーな大会にまで進出する理由は何だ?」
シルバは積年の因縁からか少々声を荒げたが、エスピノーザは飄々とした態度で彼をかわし続ける。
「……なあシルバ、お前はもう軍人じゃねえ。俺や兄貴に深入りすれば、こっちは簡単にお前を殺れるんだ。そっちこそ大人しくしときな!」
エスピノーザの周囲でウォームアップに励むチームメイト達も、彼等の因縁を楽しむかの様な余裕の笑みを浮かべていた。
「……おい、あんた!あんた元軍人だろ?」
突然の背後からの呼び掛けに振り向いたシルバは、見るからに屈強な肉体の朝鮮系の男性と対面する。
「……ああ、初対面だな。俺はチーム・HPのソンジュン・パク。ドンゴン・キムを知っているだろ?」
その名前を聞いた瞬間、安堵したシルバはエスピノーザへの執着心を一旦緩め、普段の穏やかな青年に戻って初対面のパクを快く受け入れた。
「知っているも何も、同じ部隊の部下です!親友ですよ」
「……ああ、良かった。キムの部屋であんたの写真を見たんだ。俺もあいつとは親友でね。格闘技の世界に誘おうと思っていたんだが、安定して稼ぎたいからって理由で振られたよ」
シルバは自らの過去を苦笑いするパクを穏やかな気持ちで眺めていたが、周囲に散らばるチーム・HPの面々を見て、ある特徴に気付く。
彼等の胸の防具の上には、現在は世界地図から姿を消した韓国、北朝鮮、アメリカ、カナダ、そして地図上には存在するものの、水没により観測隊しか滞在出来なくなったトリニダード・トバゴの国旗が貼られていたのだ。
チーム・HPは、日本を除く「先祖の故郷を失った者達の団結」を体現する集合体なのである。
「……気付いたか?そう言う事だ。あんたのチームのバンドーも日系だから、俺達のチームに入る資格はあるぜ!」
「おいパク!資格はあっても、奴は実力が足りねえだろ!ガハハハ」
チーム・HPの双頭、ソンジュン・パクとジェイムズ・ハドソンの豪快なやり取りを耳にしたシルバは、今ここにバンドーがいない事を幸いに感じて客席へと戻って行った。
5月15日・13:50
「あれ?満月が綺麗だけど、まだ昼だよね?」
ホテルの前に到着したバンドーが偶然見上げた空には、昼間としては不自然な明るさの満月が昇っていた。
昼の明るさを損う事こそ無いものの、満月の周辺にだけ夜空が現れたかの様な、不思議な現象である。
「1年に1日くらいは、こんな日もあるわよ。ドイツじゃ珍しいかも知れないけど、高い建物の少ないブルガリアではよく見たわ」
クレアは故郷の空を懐かしく思い出し、空の神秘には何の関心も無いハインツはそそくさとホテルのフロントロビーに駆け込んだ。
「フクロウを預けたバンドー一行だ。フクロウがいなくなったってのは、本当なのか?」
ハインツはホテルのフロントスタッフに詰め寄り、困り果てた表情のスタッフは空になった鳥籠を彼等に差し出す。
「……この鳥籠はアニマルポリスに貰ったハイテク機器だよ?ほら、鍵も開いて無い。フクちゃんがここからいなくなるなんて不可能だと思う!」
鳥籠の仕組みを熟知していたバンドーは今一度鳥籠を隈無く見渡し、フクちゃんの失踪はホテルのスタッフのせいでは無い事を強調した。
「……現在、スタッフ増員で捜索に当たっております。フクロウが通れる窓は無い部屋でお預りさせていただいておりましたので、空に逃げてはいないはずです、申し訳ありません!」
「……う〜ん、もともと自然に帰し損ねただけだし、無理して探さなくてもいいんじゃねえのか?」
平謝りのスタッフを気遣う様に、動物が苦手なハインツがフクちゃんに執着が無い事は明らかである。
「私はフクちゃんを探します!自然に帰るならまだしも、誰かに悪用されたら危険ですよ!」
バンドーとともにフクちゃんを可愛がっていたリンは、片手に小さな空気球を作ってホテルの裏庭に駆け出し、焼却前の瓦礫を掻き分けてフクちゃんの捜索を開始した。
「取りあえず、あたし達は室内を探すわね!バンドー!アニマルポリスがタグで探知出来るか連絡して!」
クレア、そしてハインツも渋々捜索に加わり、バンドーはアニマルポリス事務所に電話をかけて探知を依頼する。
「は〜い!こちらアニマルポリスで〜す!」
この気が抜けた様な喋り方はシンディだ。
「あ、シンディ?俺、バンドーです!実はさ、あのフクロウがいなくなっちゃんだけど、アニマルポリスのレーダーで、足に付けたタグ、探知出来る?場所はデュッセルドルフのローウェンホテル!」
バンドーの話を10秒程考えてから理解したシンディはレーダー探知を始め、フクちゃんの反応を確認してバンドーに返答する。
「バンドーさん、あのフクロウ、まだローウェンホテルにいますよぉ。3階、部屋番号だと311辺りかな〜?」
驚いた事に、クレアとリンの宿泊部屋周辺にフクちゃんの反応があった。
それが事実ならば、ホテルのスタッフが気付かない訳は無いはずだが……?
その頃、ホテル3階の捜索を始めていたクレアは、自らの宿泊部屋の近くに佇む小柄な女の子の姿を目撃していた。
身長は150㎝そこそこ、神官見習いの様な黒い衣装に黒い帽子、それでいて肌の色は白く、黒髪のおかっぱ頭が大人しくも賢そうな雰囲気を醸し出している。中高生くらいの年頃だろうか?
「……ねえお嬢ちゃん、この辺で黒いフクロウを見なかった?」
クレアは女の子に近付いて情報収集を開始した。
だが、何か様子がおかしい。
女の子の足首には何やら白いタグの様な目印がついている。
決して太くはない足だが、タグには一度切れた様な跡があり、その文字の並びにも見覚えがあった。
「あの……フクロウって、私の事ですか……?」
女の子は少しためらいがちにクレアを上目使いで見上げ、自らの衣装の首と背中の間を捲って見せる。
彼女の首と背中の間には、謎の白い物体が埋め込まれていた。
「……!ま、まさか……貴女がフクちゃんなの?」
クレアは自分の目の前の光景が信じられず、何度も頬をつねり、とどめに自らにアッパーカットを喰らわせたが、女の子の見た目に変化は無い。クレアの顔面は変化したが。
「ひゃあー、クレアさんですね」
女の子は自らフクちゃんであると分かる鳴き声を発し、クレアはショックと自らのアッパーカットで気を失い、駆け付けたバンドー達の胸に背中から崩れ落ちた。
5月15日・14:00
「それではこれより準々決勝第4試合、チーム・エスピノーザ VS チーム・HPの一戦を行います!チーム・エスピノーザ先鋒、ハビエル・ガジャルド!」
各種大会で「ヒール役」を自ら楽しんでいるチーム・エスピノーザの面々は、会場からのブーイングにも慣れたもの。
先鋒のガジャルドは小柄だが強靭な肉体の持ち主で、頬骨の辺りに残された傷跡には既に貫禄の様なものが漂っていた。
「来たぜジャーマニー!」
ガジャルドは気合いの雄叫びを上げながら、自らの身長程もある長い棒を振り回して観客にアピールする。
「……騒がしい奴だな。だが、黙ってる奴よりはマシか。感情が読めるしな」
チーム・HPの先鋒、ドワイト・コールはマンチェスター訛りの英語を呟きながら、自らの剣の最終チェックに余念が無い。
水没したトリニダード・トバゴからイングランドへと移住した両親のもとに生まれたコールは40歳のベテラン剣士で、元来日系人を探すはずだったメンバーの空席に収まった過去がある。
自らのルーツを失った人間が過去を脱ぎ捨てひとつに戦うというコンセプトは、ある意味アースが掲げるワン・ネイション・プロジェクトに相応しいものであったはずだが、チーム・HPの様な存在が圧倒的少数派である現実が、人々が生きていく中で不可欠な「誇り」というものと差別や偏見がいかに近いものであるかを証明してしまっていた。
「チーム・HP先鋒、ドワイト・コール!」
男性アナウンスに導かれ、両者はフィールド中央に呼び出される。
「お客様にお知らせ致します。準々決勝第4試合は、チーム・エスピノーザが全員格闘家であり、チーム・HPが剣士と格闘家の混合チームである事から、全ての試合を総合ルールで行います!」
試合展開の予想がつかない総合ルールの採用がアナウンスされ、やや熱気を失っていたアレーナが再び沸き上がった。
「ガジャルド、初戦は好きにやれ!正々堂々と戦ってもいいぜ」
自らも拳にバンテージを巻き始めたエスピノーザはチーム一番の旧友、ガジャルドに彼なりのエールを送り、ガジャルドも親指を立ててそれに応える。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
その頃バンドー達は、「アニマルポリスの探知からフクロウがフランクフルトの森へ帰った」などとホテルにテキトーな報告を行い、突然女の子の姿になっていたフクちゃんから事情を聴取していた。
フクちゃん自身の告白によると、彼女は昇級試験を終えた「女神様」らしい。
「……え?フクちゃんって女神様なの?本当に?神官コスプレ女子高生とかじゃないの?」
バンドーは自分でもどうして良いか分からないトンデモ発言をせざるを得なかった。当然、元来神の存在など信じてはいないハインツも納得する様子は無い。
「……今はまだ、私も信じて貰えないと認識していますね。我々神界の者は2級神から1級神に昇格する為、また地球をより深く知る為に、人間以外の動物に姿を変えて、昼間に満月が浮かび上がる特別な日まで無事に過ごすという試験を受けなくてはいけないのです」
見た目は可愛らしい女の子でも、言われてみれば女神っぽい、超然とした物腰を感じさせるフクちゃん。
今思い出してみれば、フクロウ時代のフクちゃんも理屈では説明出来ない謎ばかりだった。
「フクちゃんが女神様だとして、神様ってのは皆人間の姿をしているの?何故あたし達と行動していたの?色々訊いてもいい?」
「はい、何なりと」
クレアからのがっつき気味な質問にも穏やかな笑顔で応えるフクちゃんを見て、パーティーの面々は彼女の存在に不思議な安堵感を覚える様になっている。
「私はまだ2級神ですから、名前はありません。地球の神は15名存在していて、私は14番目の若さですので、神界では"14番"と呼ばれています。今の私の外見も、人間に例えた年齢が反映されているのだと思いますね。ちなみに神の外見は、見るものによって異なると言われています。例えば猿が私を見れば、ボス猿の奥さんの様な威厳のある雌猿に見えるのではないでしょうか?」
フクちゃんのその例えにクスッと微笑むリン。
フクロウ時代に、このパーティーのキャラクターを色々と分析していたであろう事が窺えていた。
「もう少しで試験もクリア出来そうだったある日、パリのクソガキ……いや、元気の良いお子様達に弄られてしまいまして、色々と身の危険を感じたものですから、たまたま近くを通りかかった動物好きな方に寄生させていただきました。ありがとうございます。試験中に死んでしまっても試験のやり直しになるだけで、神は1000年は生きられますけどね」
淡々と過去を語るフクちゃんではあったが、可愛らしい見た目に似合わず、人間に換算すれば既に200年程生きている事になるのであろう。
「流石のフクちゃんでも、織田信長とかは生で見た事無いんだね!」
「ええ、私もそこまで歳ではありませんから」
バンドーとフクちゃんのやり取りは頭おかしい程に自然で、単純に女の子が1人パーティーに増えた様な華やかさがこの空間を包み込んでいた。
「……だが、俺達はあんたにフライドポテトとか普通に喰わせていたな。神の食べ物って、普段どうなってんだ?」
あまり神の背景に関心の無いハインツは、極めて現実的な話題を振ってみる。
「神は地球の空気が極端に汚れてさえいなければ、食糧や水は必要ありません。フライドポテトは味を楽しんでいただけで、物質は気化させて排出するのです。肉体には一切残りませんよ。フクロウ時代はカムフラージュで臭いの無い便を物質から生成しましたけどね」
これまでの話から、過去の謎が一気に解明されてきた。
フクロウ時代のフクちゃんに排泄物や身体の臭いが無かった事、満月の夜に一時的な体調不良になった事、初対面のバンドーにすぐに懐いた事……。
「……え?じゃあフクちゃんは、いくら暴飲暴食しても太ったりしないの?」
「うらやまし〜い!」
何故かハモって悔しがるクレアとリン。
2人とも意外と女子力が高かった。
「私の光線は、フクロウ時代に皆さんも見たと思います。白い物体とともに、神族それぞれに与えられた特殊能力です。今はフクロウの5倍の身体がありますから、落雷と共鳴して人の命を奪うレベルの力はありますよ。使いませんけどね。自分自身のピンチの時や、仲間の目を覚まさせる時、奪ってはいけない命を守る時だけに使う事になると思います」
最後に残されていた背中の白い物体の謎が解け、ハインツも完全に納得した訳では無いものの、フクちゃんが人間では無い事は認めざるを得なくなっている。
「……でも、フクちゃんは試験に合格した訳だから、もう俺達と旅をする必要は無くなったんだよね?女神様が特定の人間に肩入れする訳にも行かないだろうし……」
バンドーは少し寂しそうな笑顔を浮かべ、クレアやリンも神妙な面持ちになってしまった。
「……皆さんが宜しければ、私も暫くお供させて下さい。神界の掟にも、世話になった者への恩返しは別枠扱いになっているんです。ただ、女神としては、皆さんの自堕落な欲望を叶えたりはしませんし、皆さんが間違った事をしようとした時には、敵として立ちはだからせていただきます!宜しいですか?」
「うん、いいよ!」
太字の笑顔で即決するバンドー。
「おいバカ!安請け合いするな!」
自らの目的の為に特に正義にはこだわっていなかったハインツが、慌てて女神の監視を振り払おうとバンドーを問い詰めるものの、クレアとリンが賛成に回った事でフクちゃんのパーティー帯同が正式に決定してしまった。
「やった〜!これは色々頼もしいわよ!フクちゃんは何より、お金に執着しないもんね!」
クレアは無料で特殊能力者をスカウト出来たかの様な喜びようである。
「……ねえフクちゃん、試験を無難にパスしたかったら、ライオンとか象とか、もっと強い動物に姿を変えれば楽だったんじゃないですか?」
リンはフクちゃんに身体を寄せ、最後にどうしても訊いてみたかったこの質問に対して、フクちゃんは毅然とした表情でこう答えた。
「そんな動物、可愛くないじゃないですか。フクロウはボーッとしてて可愛いし、空を飛んで神界にも近付けるし、フクロウ以外の動物なんて、眼中にありませんでしたよ」
この言葉を聞いたリンは、フクちゃんの女神らしからぬ可愛らしさに、思わず彼女を抱き締める。
「フクちゃん、貴女はもう、バンドーさんに拾われる運命だったんですよ!私達のパーティーに加わる運命だったんですよ!」
フクちゃんはリンの胸に抱かれながら、これまで神界では経験した事の無い、不思議な感情が沸き上がってくる現実に少しばかり戸惑っていた。
「……あ!おい、ドイツのローカルケーブルテレビで武闘大会生中継中だってよ!追加料金で観ようぜ!」
偶然目を通した番組表から情報を得たハインツは、慌ててテレビのチャンネルを合わせる。
映し出された映像は、出場者ベンチ裏からの固定カメラのみの味気無いものではあったが、今まさに先鋒戦が始まる瞬間であった。
『ラウンド・ワン、ファイト!』
「うおりゃああ!」
試合開始のゴングとともにラッシュをかける、チーム・HP先鋒のコール。
リーチの長さではガジャルドの棒に分があるものの、強度に勝る剣をまともに棒でガードするとは考えにくい。
剣士のコールにとっては、前に出る事こそが必勝戦術だったのだ。
「でやあっ!」
コールは横から大きく剣を振りかぶり、ガジャルドの防御方法をスカウティングする。
「おおっと」
ガジャルドは持ち前の跳躍力を活かしてコールの剣を難なく飛び越え、畳に着けた棒に支えられてバランスを保ったまま着地した。
「そんな避け方じゃすぐバテるぞ。折れない程度に棒でガードしたらどうだ?」
冷静沈着なベテラン黒人剣士、コールのアドバイスは当然、自らに有利になる為の罠である。
ガジャルドはそれを見越して左からの不意打ちを彼に喰らわせ、逆にコールの剣によるガードを引き出してみせた。
「この棒はお前をブチのめす為にあるんだ。俺を守る為にあるんじゃねえよ!」
言葉巧みなパフォーマンスで観客を煽るガジャルドに煽動され、会場には徐々に「強ければ何でもアリ」の空気が醸造されていく。
ガジャルドはアルゼンチンのべレスに生まれ育ち、15歳でサッカーの才能を見込まれてスペインのクラブにスカウトされたスター候補生だった。
だが、素行の悪さが災いして幾度となくクラブからお灸を据えられ、その腹いせにチームメイトを殴った事でクラブを追放されてしまう。
家族の期待を裏切る事が出来なかったガジャルドはストリート・ギャングで小銭を稼ぎ、両親には「3部リーグでプロになった」と嘘をつきなから細々と仕送りを続けていた。
しかしある時、デカい稼ぎを求めて手を出した麻薬の売人活動中に検挙されてしまい、アルゼンチンに強制送還の危機を迎えてしまう。
当時のガジャルドはまだ17歳。
この時故郷に戻っていれば、ある意味幸せに更生出来ていたのかも知れない。
だが、身元保証人を名乗り出て彼を刑務所から出したのは、エスピノーザの兄だった。
「そらっ!」
ガジャルドはコールの年齢を考慮しながら、長期戦かつ膝から下の攻撃を重視してスピードとスタミナを奪う作戦を実行している。
コールはチーム・HPの理念である、「先祖の故郷を失った者達の団結」に適合した剣士ではあったが、ひと回り高齢な彼はあくまで「チームを完成させる為の助っ人」であり、ガジャルドやエスピノーザの憎悪の対象にはなっていなかった。
エスピノーザがガジャルドに、「初戦は好きにやれ」と言った理由もそこにある。
(……妙だな……。奴の棒はどちらの先でも自由に使えるはずだが、俺の身体に向かってくるのは片側だけだ。片側に鉄でも隠してあるのか……?)
コールはガジャルドの棒術を剣でガードしながら隙を窺い、より深く体勢を屈めて相手の攻撃を上半身に誘導した。
「よっしゃあ!少し眠って貰おうかな?」
自らの武器に刃が無い事をいい訳に、ガジャルドは思い切りコールの頭を狙って棒を振り降ろす。
「くっ……舐めるな!」
コールはその隙を見計らって身体を反らし、ガジャルドの棒の4割地点を全力で斬り掛かった。
シャキイィン……
爽快な音を立ててガジャルドの棒は2本に割れ、先の4割が遠くの畳に突き刺さる。
「……ちいっ!」
「随分ひ弱な武器だな!」
攻守のリーチが6割に縮められて一瞬怯んだガジャルドを、コールはここぞとばかりに追い詰め、剣で猛ラッシュをかけ続けた。
キイイィン……
ガジャルドの腰の防具が破壊され、明確なポイントが入った事でチーム・HPのベンチは喜びに沸きつつも、対面するチーム・エスピノーザのベンチは誰一人として焦燥の表情を見せてはいない。
「ひ〜っ!冗談じゃねえ!」
ガジャルドはこれ以上の棒の破損を避ける為、身体をくねらせてコールの猛ラッシュを退けていたが、既に肩の防具も破壊され、敗北も時間の問題かと思われていた。
「そろそろとどめだ!」
コールが一撃で試合を止められる胸の防具を狙って大きく剣を振りかぶった瞬間、不敵な笑みを浮かべたガジャルドは棒を逆さに持ちかえて素早く振り、筒状になった棒の穴から更なる棒を引き出す。
「……ぐわっ!」
勢いよく伸びた棒の先がコールの目の周辺を直撃し、堪らず顔面を押さえてフラついたコールに、ガジャルドは猛然と飛び掛かった。
「テイクダウン!」
コールの上からマウント体勢になったガジャルドは容赦なく顔面にパンチを繰り出し、片目のダメージからパンチの落下地点の予測が覚束無いコールのガードは殆ど意味を為さない。
「ハドソン!駄目だ。タオルを投げよう!」
パクは相棒のハドソンに声を掛け、ベテランであるコールの身体を思いやってベンチのタオルを掴む。
「おっと〜?そう簡単に終わらせて欲しくねえな〜!」
パンチを喰らって前後不覚状態のコールの手を取ったガジャルドは、勢い良く腕を決めつつも関節付近に棒を挿入する事で更なる激痛をコールに与えた。
「……あがああぁっ!」
コールは激痛の余りに無意識に畳をタップし、同時にチーム・HPからのタオルも投げ込まれた。
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分02秒、勝者、ハビエル・ガジャルド!!」
懸念されていた、汚いプレーを余り見せる事無く大逆転勝利を演出したガジャルドに観客は大歓声を浴びせ、客席から冷静にスカウティングを遂行していたシルバは、チーム・エスピノーザの存在が日々の鬱憤を抱える若者達の支持を受ける可能性に不安を隠せずにいた。
「種明かししちまったぜ!こんな棒はもう要らねえや、フォーッ!」
興奮収まらないガジャルドは折れた棒をテレビカメラに向けて投げ、その棒がカメラを直撃する。
「……うわぁ!びっくりした。何なのよ?」
テレビで武闘大会を観戦していたクレアは、突然目の前に飛んできた棒に肝を冷やしていた。
「……これが人間の武闘大会というものですか……。随分と非効率的な戦いをするのですね……」
女神様であるフクちゃんには、何故こんなイベントが人間を熱狂させているのか理解出来ない様子で、ちょこんと正座しながら、きょとんとテレビ画面を眺めている。
「女神のあんたには、人間の意地やプライドってもんは理解出来ねえだろうからな。俺も理解しろとは言わねえよ」
ハインツはフクちゃんの反応を見て、ようやく彼女が女神である可能性を信じる事が出来る様になっていた。
「お前は強かったよ。普通の試合ならお前の勝ちだ。だが、俺達は勝つ為には普通の試合にはしねえ。悪く思わないでくれ」
ガジャルドは治療で回復したコールに一声かけてチーム・エスピノーザのベンチに戻り、次なる対戦相手には敵意を隠さない。
「チーム・HP次鋒、グァンリョン・イム!」
アレーナを沈黙させる210㎝の大巨人、北朝鮮をルーツに持つ格闘家のグァンリョンは、スピードこそ無いものの、その並外れたパワーと長い足を活かした前蹴りで、決して自分の間合いに相手を侵入させない「難攻不落の壁」という異名を持っていた。
ガジャルドがグァンリョンに敵意を向ける理由、それは現在の世界再編成の直接の原因となった出来事が、2045年の世界同時多発的大災害と、それに伴うアメリカと北朝鮮の核爆発だったからである。
災害の規模による幸・不幸の差は致し方の無い部分があったにせよ、核兵器の杜撰な管理を放置していたアメリカと北朝鮮の責任を問う声は多く、両国をルーツに持つ人間は長年差別の対象となっていたのだ。
「グァンリョン、落ち着いて戦って下さい。落ち着いて戦えば、今の貴方に勝てる格闘家はいませんよ。周りが何と言おうと、俺達は貴方の仲間ですから」
チーム・HPの中堅である、カナダをルーツに持つ知性派剣士、アレックス・コネリーはグァンリョンの肩を叩き、彼もその信頼に笑顔で応える。
「……おいダビド、これ以上長いヌンチャクはねえのか?」
ガジャルドはグァンリョンの前蹴り対策にリーチの長い武器を探していたが、手持ちのヌンチャクではリーチが足りない事に気付いた。
「……ちっ、仕方ねえな!」
舌打ちしたガジャルドはテレビカメラまで走り出し、一度は捨てた棒を再び拾い上げる。
「……よし、いけるな」
ガジャルドは畳に棒を押し付けながら曲げ伸ばしのテストを行い、自らの体重を数回乗せられるかを確認した上で、フィールド中央へと歩き始めた。
「……あれがグァンリョン・イムか。デカいな。エスピノーザ達が無策で敗れるとは思えないが……楽しみだよ」
客席には、準決勝の対戦相手を真剣にスカウティングするチーム・カムイの姿も、当然の様にある。
身長差40㎝の対戦に加えて、ガジャルドが普段行う陽気なパフォーマンスが見られない事から、会場には形容の仕様がない緊張感が漂っていた。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「へへっ、追い付けねえだろ!」
ガジャルドは試合開始のゴングとともに大きく横に開く動きを見せ、グァンリョンの前蹴りの間合いに入らない様にポジショニングする。
だが、グァンリョンにダメージを与える為にはリスクを犯さなければならない。
ガジャルドは自分の手が読まれている事を承知の上で、横から大きく回り込んで棒による一撃を喰らわせる算段であった。
相手を自分の間合いに入れずに勝利する事に慣れているグァンリョンは、自らの顔面へのダメージには慣れていないと踏んでいたのである。
「そおりゃっ!」
ガジャルドはリスクを最小限に抑えた位置から大きくジャンプし、長く伸びた棒の先をグァンリョンの顔面にヒットさせる事に成功した。
「……?ぐふっ……!」
だが、グァンリョンは初めからガジャルドの攻撃を避けるつもりは無かった。
相手の着地点だけを冷静に先読みし、体勢が不十分なガジャルドの脇腹に冷徹な前蹴りを打ち込んだのである。
「う……うげっ……何で……この程度の蹴りが……?」
ガジャルドはダウンこそしなかったものの、身体を屈めたまま何とか間合いを空けるだけで精一杯だった。
顔面へのヒットに顔色ひとつ変えないグァンリョンと、軽い前蹴りでダウン寸前のガジャルド。
技の印象度は同程度でも、レフェリーから見たポイントには大きな違いがある。
グァンリョンがリスクを恐れずに前蹴りを連発すれば、恐らく秒殺出来た試合は沢山あったはず。
だが、彼はそれをせず、相手の希望をひとつずつ奪っていく戦い方で勝利を積み上げて来たのだ。
彼の試合の大半は、相手を再起不能にした上での「判定勝ち」。
(ふん、弱すぎる……格闘家はどいつもこいつも、心の強さが身体の強さを超えた力を引き出せると信じていやがる。身体を正しく痛め付ければ、心を奮い立たせる為に必要な呼吸の安定が失われていくんだ……。顔面や足への攻撃なんて、無意味なんだよ……)
グァンリョンの家系は、北朝鮮の将軍の側近を多数輩出してきた名家だった。
彼等の教育方針は例え祖国が崩壊しても変わる事はなく、各々の心の中にある「祖国と将軍」の為に己の全てを捧げ、グァンリョンは格闘家を超えた「将軍」を目指す訓練を日々積んできたのである。
それだけが、理不尽な差別や偏見から逃れられる道。
同じく祖国を失った仲間達を得て、グァンリョンは孤独な「将軍」を今日も追い続けていた。
「くっ……なら背後に……!」
ガジャルドは着地点を狙われる飛び技を一旦封印し、スピードを活かした回り込みでグァンリョンの背中にパンチをお見舞いする。
(……この巨体にパンチだけではダメージを与えられない……。だが、体勢が崩れるキックではダメだ!)
「……ぐっ!舐めたマネを!」
小さなダメージの蓄積を懸念したグァンリョンはおおよその見当から背後に肘打ちを繰り出した。
これだけの身長差があれば、肘打ちもアッパーカット並の威力を持つ可能性がある。
「待ってたぜ!」
ガジャルドは無防備に釣り出されたグァンリョンの右腕を取って彼の背中に飛び付き、全体重を掛けてテイクダウンを試みる。
このまま腕を固めてテイクダウンすれば、自分のペースで勝利はほぼ確実だ。
「くおおおぉっ……!」
グァンリョンは全身全霊の力を込めて右腕一本でガジャルドを持ち上げ、落下後の前蹴りを恐れて手を離す事が出来ないガジャルドは捨て身の覚悟でグァンリョンの右腕を逆関節へと曲げた。
「ぐあああぁっ!畜生!」
グァンリョンは激痛を堪えながら自らの目の前にガジャルドを引っ張り上げ、皮肉にも彼をサッカーボールに見立てて渾身のキックを打ち込む。
「……だああぁっ……」
ガードの出来ない体勢からキックの直撃を受けたガジャルドはフィールドの宙を舞い、畳に仰向けに倒れたまま動かなかった。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
レフェリーのカウントだけがアレーナに響き渡る。
その異様な静けさの前に、直立不動でガジャルドを見守っていたエスピノーザだが、彼の目が開き、指も動き、遂には笑顔まで浮かべた事を確認し、ガジャルドがこのままダウンを決め込んで試合を放棄する覚悟である事に憤慨してフィールドに詰め寄った。
「……おいコラ!お前が負ける方になんて誰も賭けてねえぞ!立て!ファイトマネーが無くなるぞ!」
「うるせーよ、タコ!俺だって命が惜しい!もっと命知らずなアイツにやらせろよ!」
「……エーイト!」
「どおりゃああぁ!」
仲間割れかと思わせるコントで場を沸かせた後、カウント8でしっかり立ち上がるエンターテイナー・ガジャルドは会場の爆笑を呼び、歓声をヒートアップさせる。
だが、あらゆる試合で非公式なギャンブルに携わっているエスピノーザの怒りは本物であり、カラ元気を見せているガジャルドのダメージも甚大であった。
彼の一縷の望みは、グァンリョンの右腕が折れている可能性のある、不吉な音の手応えを感じた事。
対するグァンリョンは必死に平静を装ってはいるものの、左腕を添えても右腕を上げる事が出来ず、額の冷や汗も増えている。
彼の攻撃は、もう前蹴り「しか」残っていない。
「イチかバチかだっ!」
ガジャルドはグァンリョンの前蹴りを恐れずに間合いを詰め、相手の負傷している右腕側から両足を揃えて踏み切り、畳に刺した棒で威力を増したハイジャンプを見せた。
「……くそっ!舐めるな!」
負傷した右腕に足を触れられないグァンリョンは左足の前蹴りを出さざるを得なくなったが、僅かにリーチが足りずガジャルドに蹴りを打ち込めない!
「……そんなバカな!」
ドゴオオォッ……
高い打点からの踵落としがグァンリョンの頭頂部を直撃し、流石のタフガイも白目を剥いて畳に卒倒した。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
「ヒーハー!!」
さっきまでの罵詈雑言は何処へやら、喜びに躍り回るエスピノーザ。
チーム・エスピノーザを好ましく思わない観客も、目の前の試合には拍手喝采せずにはいられない。
「レフェリー!カウントはもういい!グァンリョンの右腕が折れてる!試合を止めろ!」
カンカンカンカン……
グァンリョンにのもとに駆けつけた同じ朝鮮系のソンジュン・パクが試合を止め、グァンリョンの敗退が決定した。
「1ラウンド3分14秒、勝者、ハビエル・ガジャルド!!」
大歓声に煽られながら、今度こそ殊勲賞の「棒」を粉々に破壊したガジャルドは、満身創痍の身体を引きずってチーム・エスピノーザのベンチに迎えられる。
「ああ〜もう限界!俺はもう戦わねえぞ!誰か次行け、次!」
一方、チーム・HPのベンチでは、重苦しい雰囲気の中、グァンリョンが治療を受けていた。
「……みんな、すまない。背中の攻撃の対処が甘かった……」
「気にするな、グァンリョン。お前も負ける事はある。お前がいつも言っていた通り、身体をやられたら心も踏ん張れないって事だ。だが、汚いプレーで勝っていると思っていたエスピノーザ達、強くなっているな。コネリー、余り慎重に行くのも良くないぞ」
チーム・HPのリーダーの1人、ジェイムズ・ハドソンはグァンリョンを慰め、中堅のアレックス・コネリーに期待をかける。
「話は半分くらいに聞いておきますよ。奴等、俺みたいなのが我を忘れて狼狽したりする所が見たいでしょうからね。ちょっとだけ見せてやります」
少々斜に構えた態度の知性派剣士、アレックス・コネリーは、大学で経済学とバスケットボールを両立した文武両道のエリートであった。
彼はカナダにルーツを持ち、歴史を学ぶ中でかつての祖国を振り回した挙げ句壊滅させたアメリカを憎んでいたが、バスケットボールチームの親友、ジェイムズ・ハドソンがアメリカの大企業家の血を引く事を知り、苦悩の末、移住先のロンドンで肩身の狭かった親友を支える事を決意する。
彼は一般企業へ就職する事を決めており、この大会が親友と剣士として挑む最後の戦いとなるが、彼の望みはひとつだけだった。
それは故郷を失っても、親友が差別を受けていても、人は幸せを追い求める権利がある……それを世界に伝える事である。
(続く)