第15話 武闘大会参戦!⑥ 女達の戦い
準々決勝第2試合、チーム・バンドー VS チーム・ギネシュの一戦は、チーム・バンドーがバンドー、シルバ、ハインツで3連勝を決めたものの、4戦目にハインツの戦略を鋭く見抜いた「トルコの生ける伝説」、アーメト・ギネシュが意地の1勝を挙げた。
続いてギネシュに勝負を挑むのは、チーム・バンドーの金庫番にてヨーロッパ屈指の女剣士であるクレア。
性別の壁に阻まれる事の無い団体戦ならではのカードに、アレーナの空気も静かに燃えている。
「あたしがギネシュさんに勝って、メロナをフィールドに引きずり出してあげるわ!リン、準備しときなさいよ!」
クレアは自らの出番が近づいて緊張感を増すリンを敢えて指差し、会場の空気を笑いに変える。
頭を抱えるリンの肩を、バンドーが無邪気な笑顔で叩いていた。
クレアの腰にはギネシュのお株を奪わんばかりの短剣が据え付けられており、既に心理戦は始まっている。
だが、彼女はベルリンで麻薬の売人・リャンをこの二刀流で実際に倒しており、ギネシュがそのデータを持っていなければ、この二刀流への慣れがアドバンテージとなる事は明らかであった。
「……私も歳こそ取ったが、お嬢さんに敗れる程衰えてはおらんよ」
経験と実績を積み上げたベテランらしい、不敵な中にもどこか人徳を感じさせる穏やかな笑みを浮かべるギネシュ。
この雰囲気に、対面するクレアも思わず笑みがこぼれる。
「両者ともに純粋な剣士と聞いている。剣士ルールを採用すれば、短剣を投げる遠隔攻撃は禁止されるが、それで良いか?」
「はい、大丈夫です」
クレアがレフェリーのルール確認に承諾の意を示し、ギネシュも無言で頷く。
両者は適切な間合いを開けて試合開始に備えていたが、既にハインツを倒して自信を新たにしていたギネシュと比較すると、流石に今大会初陣のクレアの表情には緊張の色が隠せていなかった。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
試合開始のゴングが鳴り、膝への負担を減らす為に受け身の姿勢を維持するギネシュに対し軽く呼吸を整えたクレアは、間合いを維持したまま攻め手を窺う。
クレアはギネシュの弱点である右膝の様子を時折確認していたが、ハインツから直接のダメージは受けておらず、力比べでのスタミナ消費がある程度。
彼がその気になりさえすれば、ダッシュで試合を決めにかかる余力はあると判断していた。
「ハアアッ!」
クレアは挨拶代わりに間合いを詰め、剣のモーションを見せない正面からの突きでギネシュの右膝の防具を狙う。
「おおっと」
ギネシュもクレアの動きは読んでおり、剣を左から右に軽く払う様にクレアの攻撃を退けた。
だが、右膝に負担をかけない様に左足に軸足を移す行為を見せており、右膝攻撃を徹底すれば寧ろ左膝が狙える事もクレアの脳裏に記録される事となる。
「……えぇいっ!」
クレアは攻め手を緩めず、上段から剣を振りかざす。
キイイン……
スピードこそあるものの、パワーはハインツに及ばないクレアの剣は余裕を持ってギネシュに防がれる。
しかしながら、ギネシュにはこの一連の攻撃が自らのデータ収集を目的とした物である事が予想出来ており、飽くまで防御にとどめて次の一手を打たず、彼は様子見に徹していた。
(……暫く様子を見て、一撃で判定勝ちするつもりなの?それなら……)
クレアは自らの左肩をガードしながら右足に重心を移し、警戒の薄れがちなギネシュの左膝を敢えて凝視し、彼の気を引かんと試みる。
ギネシュがクレアの様子に気付くや否や、クレアは勢い良く間合いを詰め、右手一本で剣を前に突き出して彼の左半身を襲撃。
……狙いは、左肩!
「フンッ!」
ギネシュはクレアの右手一本突きを、男性に比べて劣るリーチの差を埋める戦術と読み、クレアの剣の刃ごと突き放すべく両手で攻撃を払いのける。
……だが、攻撃に抵抗している手応えが無い!
クレアはギネシュの攻撃を受け流しながら素直に上体を回転させ、隠していた左手の小指側からは短剣の刃を覗かせていた。
ピキイィッ!
回転の勢いを付けたクレアの短剣は、バックハンドでギネシュの左膝の防具を破壊する。
自らの失態に顔を歪ませるギネシュを尻目に、華麗な回転技で再び間合いを広げたクレアはスケート選手の様な決めポーズで身体の動きを止めて見せた。
「やった!クレアすげぇ!」
思わず声を上げたバンドーに更に覆い被さる様な歓声が、アレーナ中から沸き上がっていた。
男性剣士同士の戦いとは異質の華麗さに、観客が魅了されている様子が窺える。
「……シュタイン、お前の相手は恐らく彼女だ。よく見ておけ」
客席から両チームをスカウティングしていたルステンベルガーは、体格やファイトスタイルの近いシュタインを名指ししてクレアを警戒させていた。
「嫌だなぁ。負けたら恥だし、勝っても文句言われそうですよ」
そんな口調とは裏腹の、興味津々な眼差しをクレアに向けるシュタイン。
戦いは、既に始まっているのだ。
「これで明確にクレアがポイントでリードしたな……。ギネシュは何処かで前に出ないといけなくなったが……」
ようやく敗北のショックから立ち直り、冷静な分析が出来る様になったハインツ。
そんな彼の肩をシルバは軽く叩き、ともにフィールドのクレアに視線を集中させる。
「パパ……」
父の身を案じるメロナの隣でユミトは首を横に振り、ギネシュを指差しながら彼女を諭し始めた。
「大丈夫だ、メロナ。ギネシュさんは歴戦の剣士だ。あの人は、対戦相手とだけ戦って来た訳じゃない。世界の危機と戦って来たんだ」
ギネシュは2045年の4月にイスタンブールで生を受け、その僅か数ヶ月後には全世界的な大災害を経験する。
幸い、東アジアや北米に比べてヨーロッパの被害は少なかったものの、経済的に衰退していたトルコと、同じく衰退の道から関係性も悪化していた隣国ギリシャとの国境が崩壊した事で、極限の状況下による暴動や略奪が相次いで発生する事となった。
ギネシュの父、ゼノールは運送会社の職員で、将来を嘱望されているエリートだったが、会社側のドイツ留学の誘いを断り、会社とトルコの治安維持に尽力する。
息子と妻・エレーンを守り、ギリシャ、トルコ、キプロスからの暴徒達から会社の資財を守り抜き、EONPの施行で治安が一段落した2050年、32歳の若さでこの世を去るのであった。
ゼノールの生き様は会社と地域の人々を感化し、ギネシュは母親と隣人の愛情に支えられて激動の時代を生き抜く。
成人後のギネシュは、英雄の息子として会社での将来は約束されていたが、やがて新たな職業として剣士の概念が生まれるとそのまま剣士の道へと進む。
職業剣士の第1世代として、ヨーロッパ全土で庶民を助け、自らが受けた愛情を家族と弟子に注ぐ人生を見届けた母親のエレーンは2年前、76歳で天に召された。
私生活では妻のチャーリスとの間に、長男のエムレ、次男のムラート、末娘のメロナをもうけ、長男と次男は古巣の運送会社に就職している。
積み重ねた功績に比例する肉体の酷使で、彼の右膝には限界が近づいており、歩けなくなる前の引退を覚悟して挑んだ今大会の目標は、父がかつて留学を諦めたドイツの代表ルステンベルガーと、因縁深いギリシャの代表バシリス・カムイとの対戦だった。
だが、飛び入り参加のチーム・バンドー相手にまさかの敗退危機。
家族や隣人の為、何より自らのプライドの為、彼に無様な引退は許されなかったが、クレアを倒し、更にバンドーとシルバを倒さねばならないミッションは余りにも過酷である。
「うおおりゃあぁっ!」
これまで聞いた事も無い程の気合いを込め、ギネシュは畳の上を連続ジャンプする。
当然、古傷の右膝には着地の衝撃が走るはずだが、彼は敢えて衝撃を与えるかの様に膝をダメージに慣れさせていた。
「お嬢さんだと色眼鏡で見て申し訳無い。貴女は洗練された戦略家だよ!」
ギネシュはクレアを讃えると同時に右膝への負担を恐れない踏み込みを見せ、左手一本で抜いた短剣で彼女の左膝に攻撃を仕掛ける。
「……くっ!」
クレアはすかさず自らの左膝を剣でガードし、ギネシュの右手に握られた剣の攻撃にも備えて後方へのジャンプを試みた。
「そう!そこだよ!」
とっさの判断でジャンプのタイミングが揃わず出遅れたクレアの右足の裏を、ギネシュは狙い済まして短剣で斬りつけながら大きく上に持ち上げ、男性に比べて体重の軽いクレアのバランスを崩壊させる。
「あうっ……」
「ダウン!クレア選手、10カウント以内に立ち上がって下さい、ワーン、トゥー……」
状況が飲み込めないまま畳に転倒したクレアは我に返り、たまらずレフェリーを睨み付けた。
「ちょっと、ダウンじゃないわよ!剣士ルールで足を取るのは反則じゃないの?」
彼女の抗議に首を横に振ったレフェリーは、両手を広げて説明を早口に説明を始める。
「いや、あれは手ではない、短剣による攻撃だ。クレア選手は足裏へのダメージを避ける事が出来ずにダウンしたと言う認識だ。異論は判定の前に受け付ける」
「……何なのよそれ!」
一連の流れを受けてアレーナが軽く沸き上がったが、これはクレアの抗議に対するブーイングではない。
ルールを熟知した、ギネシュの頭脳プレーへの賞賛なのである。
(短剣の使い道は投げ、懐攻め、防御、それ以外にも、手を使えない状況での手の役割がある。私の身体が万全ならば、こんな手は使いたくなかったのだが……)
ダウンを奪った事でクレアをポイントで逆転したギネシュだったが、自らの戦い方に納得が行かず、苦悶の表情を浮かべている。
「落ち着けクレア!お前は落ち着いてさえいれば恐ろしい女だ!」
アレーナが静寂を取り戻した瞬間、よりによってハインツからの微妙な激励が響き渡りバツの悪いチーム・バンドーの面々。
「あんたそれ、褒めてないじゃん!」
クレアは戦況に集中しつつも、ハインツへの憎まれ口は欠かしていない。そんな二人のやり取りを横目に、ギネシュは穏やかな笑みとともにクレアの懐に忍び込んだ。
「いいね、私にもそんな時代があったよ!」
膝の問題を感じさせない軽やかなステップを見せるギネシュは、右手の剣でクレアの胸の防具を突き刺しにかかる。
クレアはギネシュの太刀筋が余りにも正直な事を疑っており、胸をガードしつつも彼の左手、短剣の位置を再確認した。
だが、短剣に手は触れられていない。
目の前に迫る、ギネシュの左肘!
「ああっ……!」
ギネシュは左肘の防具を、強引にクレアの胸の防具に押し当てた。
胸部を瞬間的に圧迫されたクレアは体勢を前屈させ、ダウンを防ぐ為に両膝に力を込める。
「すまないねお嬢さん、膝をやられるってのはこう言う事なんだ!」
ビキイィッ……
ギネシュの剣は、力を込めて曲げていたクレアの左膝の防具を美しく破壊する。
無駄な力の抜けたギネシュの美しい太刀筋により、クレアのダメージは深刻なものでは無かったものの、それでも男性の剣を膝に受けた衝撃に顔を歪めた彼女は両手から畳に崩れ落ち、この試合2度目のダウンを喰らうのであった。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
「クレア、休んでろ!もうすぐ第1ラウンドが終わる。それまで逃げ切るんだ!」
ハインツはクレアの身を案じて、第1ラウンドの残りは時間稼ぎに充てる様にアドバイスする。
老練なギネシュの戦いぶりにアレーナは沸き立ち、メロナやユミトの表情にも生気が戻りかけていたその陰で、クレアは最後の賭けを決意していた。
「……何が休んでろよ。この僅かな時間こそ大チャンスじゃない!」
クレアはカウント6で飛び起き、額の汗も拭わぬ不敵な笑みでギネシュを睨み付けると左手で短剣を抜き、2本の剣を同時に構える。
しかし、その構えは二刀流とは異なっていた。
2本の剣を両手で握り、不揃いの刃を無理矢理1本にまとめていたのである。
ハインツやギネシュは勿論だが、観客までがその理解不能な構えに沈黙を呼び起こす。
「たああぁっ!」
何かに取り憑かれた様にギネシュへと襲いかかるクレア。
一方のギネシュは、膝の痛みとポイントのリードにより応戦を自粛し、第1ラウンド終了まで防御を固める作戦に出ていた。
(あの構えに何の意味があるのか……?いや、私はポイントで圧倒している。今はこのままで良い。あのお嬢さんも、暫く膝の自由は利かないはずだ)
「おりゃああぁっ!」
クレアは膝の痛みに耐えて、ガードを固めるギネシュに対し全力で2本の剣を振りかざす。
2本分のパワーこそあるものの、刃先のリーチが揃わずスピードも遅い。
ギネシュも膝への負担に顔を歪めてはいたものの、クレアの剣のパワーとスピードは既に見切り、残り僅かな時間をガードで耐えれば圧倒的優位に立つはずであった。
だが……!
「はああぁっ!」
クレアは汗を飛び散らせながら剣を横から大きく振りかぶり、指の関節を緩めて剣を1本畳に放り投げた。
彼女の手に残された短剣は、2本分の剣のスピードを見慣れてしまったギネシュを、2倍以上のスピードで襲う!
パアアァァン……
ギネシュの動体視力は短剣のスピードについて行けず、彼のガードを掻い潜ったクレアの短剣がギネシュの右膝の防具を破壊した。
「バカな……ぐああぁっ!」
激痛に顔を歪めたギネシュは畳に崩れ落ち、膝を押さえて悶え苦しむ。
「……パパ!」
メロナが堪らずフィールドに駆け込もうとした時、ユミトは彼女を制止してギネシュに合図を送り、それを見たギネシュもどうにか笑顔を作って愛弟子の気遣いに応えた。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
「やった!やりました!クレアさん!」
クレアの戦いぶりを目の当たりにしたリンは、シルバに肩を抱かれながら珍しく感情を爆発させる。
アレーナからは、この準々決勝で最大級の歓声が巻き起こっていた。
実力は知られていたとは言え、女剣士のクレアが「トルコの生ける伝説」ギネシュから決定的なダウンを奪ったのだ。
「……ぐっ……くおおおぉっ!」
ギネシュは最後の力を振り絞り、どうにか立ち上がろうと悪戦苦闘する。
立ち上がりさえすれば、ポイントの優位を保ちながら2分の休息が取れるのだ。
……だが、膝の自由が利かない!
「テーン!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド4分49秒、勝者、マーガレット・クレア!!」
「うおおおおっ!」
ハインツも、まるで自分の勝利の様な歓喜の雄叫びを上げる。
チーム・ギネシュにはまだ、魔導士のメロナが残っているが、チーム・バンドーはギネシュに敗れたハインツ以外は、まだフィールドに立つ権利を有していた。大勢は決したと言って良い。
「……パパ、膝が良くなるまでゆっくり休んで。私が、パパや皆に恩返しをして見せる」
メロナは父親を労い、トルガイとハカンがギネシュを担ぎ上げてフィールドから立ち去らんとする後ろ姿に、クレアが声をかける。
「……ギネシュさん、ありがとう!」
ギネシュはクレアの言葉に親指を立てて応え、両者を讃える大歓声と拍手に見送られながらベンチへと帰還した。
(……いよいよ、私が武闘大会に……)
高まる緊張に表情が強ばるリンを気遣うシルバは、ペットボトルの水を飲もうとした手を一旦置いてリンの肩を抱き、耳元で何やら作戦らしきアドバイスを囁いている。
「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。副将、マーガレット・クレア選手に代わりまして、大将、ジェシー・リン選手が入ります!尚、勝者の権利を持ったまま交代したクレア、バンドー、シルバ選手のいずれも、リン選手の敗退後にはフィールドに上がる権利を有しています!」
会場の熱気は、ややクールダウンを呈していた。
女性魔導士同士の対決と言う事もあるが、メロナ、リンともに、まだまだこの世界では無名である事が原因であろう。
「チーム・ギネシュ大将、メロナ・ギネシュ!」
お互いに拍手や歓声が疎らな事が、却って両者の緊張感を和らげており、眼鏡を外した舞台慣れしていないリンの表情も、シルバのアドバイスが効いたか幾分柔和になっていた。
「メロナ選手は剣士としての経験も有しているが、リン選手は武器を持っていない。この試合は魔導士ルールで行う。但し、魔法は各々の身体から放出されるものである。従って、接近戦における身体を使った攻撃は許可する。OK?」
「分かりました」
リンは覚悟を決めたかの様に毅然とした表情を取り戻し、メロナとともにルールを承諾する。
「……女魔導士か……。俺達と戦う事があるのかどうかは分からないが、あのリンとやら、マガンバと同じ空気球が使えるらしいな」
観客席から、スカウティング対象をほぼチーム・バンドー側に集中させたルステンベルガーは、未だ脳裏にこびりついたマガンバとリンを比較して警戒心を強めている。
「それはこのフィールドで、まともに戦えたらの話ですよ、ニクラスさん。2週間前まで図書館司書だった人間でしょう?」
チーム・ルステンベルガーで唯一の魔法、レセプター・リフレクターの使い手であるバイスは少々おどけた態度を見せ、精神面の不安がある魔導士は1対1の武闘大会では力を発揮する事は出来ないと考えていた。
「メロナ、チームの事は考えるな!お前は目の前の相手を倒す事だけに集中しろ」
ギネシュは愛娘の武闘大会初陣に、最低限のアドバイスを送る。
自分の娘には才能がある。だが、その才能を引き出す為に親が出来る事は余り無い。
親に出来る事は、どんな時でも支える事だけ……ギネシュはそう考えていた。
メロナは、家族と弟子を愛し悪党を退治する父親の生き様を尊敬し、幼い頃から彼の後を継ごうと決心している。
だが、自分が女性であるという現実に阻まれ、家族の支えは得られても、周囲は彼女が剣士を目指す事を許さなかった。
そんな時、彼女は大雨の中でも自らの左腕が濡れていない事に気付き、左腕の利用を基準に魔法の能力を見出だす事に成功する。その結果、父親をバックアップする魔導士として幼い頃の夢を半分は実現させている。
しかしながら、父親の引退が近付く中、彼女自身には自ら剣士として更なる鍛練を積むべきか、父親の後を継ぐユミトらをバックアップする魔導士として生きるかの選択期限が迫っていたのである。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
シルバからのアドバイスもあり、試合開始のゴングが鳴る直前からリンは直立不動の姿勢で魔力を高めて専守防衛に徹し、メロナの出方を窺う作戦に出ていた。
瞳から広がる蒼白い光が彼女の全身を包み込む、魔導士ならではの光景は、チーム・マガンバの面々を観ていない途中参加の観客には新鮮に映り、アレーナのあちこちに軽い驚嘆を呼ぶ。
「たあっ!」
剣士の心得も兼ね備えるメロナは、リンが不動である事が幸いしたかの様に素早く間合いを詰め、挨拶代わりの軽いパンチをグローブをはめた右手から繰り出した。
バシイッ!
軽い打撃音とともに、リンの防御魔法はメロナのパンチを弾き返す。
メロナにとってはここまでが想定範囲内であったが、着地して自らのグローブを確認した瞬間、彼女の表情は一変した。
(……凄い。厚いグローブを選んだのに、もう指が見えそうになってる……。リンさんの表情は全力には見えないし、かなりの凄腕だわ……)
メロナはリンの能力を把握し、予定していたキック攻撃はひとまず諦めた。
(メロナさんは左手で仲間を治療していたし、グローブをはめているのも右手だけ……。やっぱり、彼女の魔法は左手から……)
自分の防御魔法に一定の手応えを感じたリンは、メロナの分析に入った。
彼女と素手でやり合えば、恐らく経験の差に圧倒される。しかし、リンが攻勢に転じるには、どこかのタイミングで防御魔法を解除しなければならない。
「それじゃ、こっちも行くわよ!」
メロナは肩まで伸びた髪をゴムで短く結い、首からかけていた黒いゴーグルを装着する。
そして、おもむろに傷付いた右手のグローブを外して空中高く放り投げた。
「はああぁっ!」
メロナの左手の甲が蒼白く光を放ち、アレーナに突如出現した風が彼女の身体を宙に浮かび上げる。
やがて降下してきたグローブがリンの頭上に接触し、瞬間的に跳ね返った後に再び舞い戻り、激しく火花を上げながら防御魔法の壁を侵食し始めた。
「さあ!これはどう?」
風魔法で宙に舞うメロナはリンの頭上から急降下し、グローブを破壊する事で魔力の配分が不安定になっている防御魔法の壁を、グローブごと激しく蹴り飛ばす。
バチバチバチィッ……
音を立てて崩れ始めるリンの防御魔法は眩い光を放ち、観客がその眩しさに目を瞑る中、メロナはゴーグル越しにしっかりと両目を見開き、グローブを右足で踏みにじりながら、遂にリンの防御魔法に風穴を開けた。
「あっ……!」
魔法の裂け目からメロナの風魔法を受けたリンは、たまらず畳に倒れ込む。
「スリップ!ノーダウン」
「ジェシーさん!」
ダウンを取られる事は無かったものの、リンの身を案じたシルバは思わずベンチから立ち上がり、彼女に逃げる体勢を整えて貰うべく、大きく両手を振り上げた。
「逃がさない!」
メロナはゆっくりと立ち上がるリンの背後に回り込み、右の掌でリンの左頬に平手打ちを喰らわせる。
「……あううっ!」
決して強大な力ではないものの、剣術で鍛えた筋力を持つメロナの平手打ちは、肉弾戦の経験を持たないリンを再び畳に這わせるに十分なものであった。
「……リン!」
女性同士の肉弾戦に、会場は少々控え目に沸かざるを得ない空気に包まれていたが、いつかはリンも経験する肉弾戦のダメージが予想以上に早く訪れた事に、クレアやハインツも不安の色を隠せない。
「ダウン!リン選手、10カウント以内に立ち上がって下さい。ワーン、トゥー……」
「…………」
リンは受け身を取り損ねた影響による口内裂傷を負った様子で、口の中に入れた指に血がついている事に鈍い衝撃を受けていた。
だが、やがてこのダメージが彼女を覚醒させる事となる。
「メロナ、やっちまえ!相手は戦意を喪失してるぜ!」
血の気の多いハカンは、ここぞとばかりにメロナをけしかけ、隣のギネシュに口を塞がれてしまった。
(……戦わなければ。これはスポーツ、メロナさんだって、私を憎んでいる訳じゃない。負けたら悔しいから、勝つ。私も、負けたくない!)
リンは畳を見つめながら、この戦いが命懸けのものではなく、賞金稼ぎの仕事よりもむしろ安全なものである事を自らに言い聞かせる。
そして、自分が勝ちさえすればチーム・バンドーの準決勝進出が決まるという現実を、今一度噛みしめて顔を上げた。
「……セブーン」
「立ちます!」
カウントセブンに達した瞬間、リンはレフェリーを遮る様な仕草とともに勢い良く立ち上がった。
その表情には、恐怖心を克服した様な凛々しさが漂っている。
「……リンが……大丈夫だよ!これなら!」
フィールドを食い入る様に見つめていたバンドーにも、リンの心境の変化は伝わってきていた。
バンドーの一声を聞いたシルバ、クレア、ハインツの表情にも、僅かながら安堵感の様なものが窺える。
(……私は、一人じゃない。いつもの仕事の様に、私はチームの皆をサポートする為に目の前の相手を退けるだけ!)
「強がったって、今の貴女は丸腰よ!えぇいっ!」
メロナは左手の甲に魔力を溜め、手首のスナップを効かせて風魔法をリンに送り込んだ。
「……あの魔法、カーブがかかっているわ!リン!」
クレアの警告をも掻き消さんばかりの風魔法が、魔法に沸くフィールドを駆け抜ける。
だが、その魔法は一直線にリンを狙っている訳では無い。
大きく弧を描きながら細く強大な束となった風魔法は、リンを頭から一網打尽にするべく襲いかかった。
「ジェシーさん、今です!」
「はいっ!」
リンはシルバからの合図とともに目を光らせ、彼女の魔法発動と同時にシルバが手にしていたペットボトルの水がフィールドに飛び出す。
やがてその水はメロナの風魔法を受け止める防御壁を瞬時に形成し、激しい水飛沫を上げて強大な風の束を消滅させた。
「……あれは、水魔法?それも、あの距離からあのスピードで……!」
客席から試合を眺めていたチーム・マガンバの水使い、サミュエル・ソン・ベルナルドも、自らが長年かけて鍛え上げたハイレベルな水魔法を、ぶっつけ本番で披露して見せたリンのセンスに舌を巻く。
「……くっ、流石魔法学校の首席卒業者ね!でも、貴女の強さは魔法だけよ!」
メロナは努めて平静を取り戻し、再び肉弾戦でリンを威嚇する戦法に打って出た。
「そぉれっ!」
メロナは大きくジャンプをして、一歩踏み出すと同時に魔法を後ろ向きに発動し、全速力でリンに肉弾戦を挑みかかる。
仮にリンの防御魔法が発動しても、右肩と右肘の防具を防御壁に叩きつければ、防具を犠牲にして自らの身体へのダメージを受ける前に相手を畳に叩きつける事が可能だと判断したのだ。
「リン!逃げるんだ!」
メロナの全力攻撃を不安視したハインツが、リンに回避を呼び掛ける。
だが、落ち着き払ったリンは微動だにせず、右手を目にかざして魔力を溜め続けていた。
「ジェシーさん、まさか……?」
リンの右手首がみるみる内に蒼白く染まっていく様子を目の当たりにしたシルバは、とある光景を脳裏に蘇らせる。
ミュンヘンのホテルでのトレーニングで見せていた、石をも砕くリンの魔法パンチだ。
「防御は無しなの?怪我しても知らないから!」
勝利を確信したメロナは、ためらう事無くリンに体当たりを喰らわせんと突進する。
このスピードを以てすれば、リンをフィールド外に吹き飛ばしてのリングアウト勝利は揺るがないからである。
「メロナ!行け!」
一気呵成にメロナを後押しするハカンを横目に、冷静に戦局を分析していたギネシュは、リンの魔力の光が右手首だけに集中している事に気付く。
今のメロナは、リンの右手に対して右肩と右肘を差し出しているも同然だったのだ!
「メロナ!いかん、止まるんだ!」
「御免なさいね、メロナさん……」
ドゴオオォッ……
凄まじい打撃音と風魔法による光の拡散に観客は一時的な視界不良に陥り、やがてフィールドに浮かび上がった光景は、リンのパンチを右肩に受けて畳の上で悶え苦しむメロナと、彼女の肩の防具が粉々に粉砕された姿だった。
「……あがっ……くっ……」
右肩を押さえ、冷や汗にまみれて畳の上を転げ回るメロナを、目を細めながら仁王立ちで見下ろすリンの姿は、アレーナの空気を一瞬にして凍りつかせた。
「ダ、ダウン!ワーン、トゥー……」
「カウントなどどうでもいい!我々の負けだ!メロナを医務室へ運ぶんだ!」
レフェリーのカウントは愛娘の骨折を疑うギネシュの怒号に遮られ、チーム・ギネシュ一同は一斉に担架を担ぎ出す。
カンカンカンカン……
「1ラウンド3分14秒、勝者、ジェシー・リン!!」
試合終了のゴングが鳴っても、鬼神の様に佇むリンの姿に観客は声を上げる事が出来なかった。
しかし、程無く我に返ったリンは目の前の光景に驚愕し、膝から畳に崩れ落ちる。
「ジェシーさん!」
シルバはリンのもとに駆けつけ、程無くバンドー、クレア、ハインツも駆けつけた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
勝利の為とは言え、自らの魔法を制御出来なかったリンは激しい懺悔に襲われている。
シルバはそんなリンの肩を抱き、クレアとハインツもリンを労った。
「ギネシュさん達も分かってくれるよ。皆で医務室へ行こう」
バンドーの一言に賛同した面々は、勝ち名乗りを受ける前にレフェリーと観客に頭を下げ、盛大な拍手に見送られながら医務室へと向かう。
「準々決勝第2試合勝利チーム、チーム・バンドー!!」
アレーナの医務室には、医療スタッフとメロナ、チーム・ギネシュ一同、そして彼等の家族達が詰め掛けており、元来広い空間ではないこの部屋に、チーム・バンドーの居場所までは存在しなかった。
「リンです。申し訳ありません。メロナさんは大丈夫でしょうか?」
居ても立ってもいられなくなったリンは、ノックも忘れて医務室に顔を出す。
彼女の顔を見たメンバーの家族達の表情は決して晴れやかでは無かったが、この舞台に上がるからには、家族の怪我のひとつやふたつは皆覚悟している。
ギネシュはそんなリンを笑顔で迎え入れ、ベッドに横たわるメロナと対面させた。
「……我ながら頑丈な娘を育てたものだよ。右肩の骨折はあるが、粉砕する様な重症じゃない。3ヶ月もすれば、また戦えるだろう」
「……この娘が選んだ道ですから……。リンさん、そんなに気に病まないで下さいね」
ギネシュの妻チャーリスは、快活なメロナとは似つかない落ち着いた物腰の女性で、ギネシュの遺伝子を集中的に受け継いだメロナがこの道に進む事は、もはや運命に近かったのかも知れない。
ドアの外から見守っていたバンドー達も、ギネシュ夫妻の包容力に胸を撫で下ろしていた。
「……リンさん、貴女とは絶対、もう一度戦いたい。私、もっと魔法を磨いて、必ず貴女に勝ってみせる。パパ、私魔導士になって、ユミト達をサポートするわ」
病床からの元気な愛娘の声に目を細めたギネシュは、悟りを開いた様な穏やかな表情でユミトを見つめ、自らの剣を手渡す。
「ユミト、今日からお前はチーム・ユミトの大将だ。ハカンとトルガイ、そしてメロナを宜しく頼む」
「ギネシュさん……喜んで!」
ギネシュから愛用の剣を受け継いだユミトは、神妙な面持ちで頭を下げ、今一度恩師と熱い抱擁を交わすのであった。
「ありがとうございます!」
リンはギネシュ夫妻とメロナに深々と頭を下げ、メロナと左手で握手を交わして医務室を出る。
バンドー達は彼女を迎えた後、チーム・ギネシュ一同にリンと同様に頭を下げ、いつの日か訪れる再会の日を胸に秘め、医務室を後にした。
「リン、色々辛い思いをさせちまってすまなかったな」
ハインツは、未だ図書館に司書として籍の残るリンになるべく負担をかけない配慮をしたつもりではあったが、結果として歳下の女性を負傷させる事になった現実を悔やんでいた。
「いいんです……私が緊張の余り、魔力をセーブ出来なかった事が問題ですから。でも、図書館で働いているだけじゃ、皆さんともメロナさんとも知り合えませんでした。これからも、この縁は大切にしたいです……」
この言葉に嘘は無くとも、やや表情に陰りを隠せないリンを心配したシルバは、メンバーにある提案を持ち掛ける。
「自分、疲れも痛みもありませんから、後の試合は自分一人でスカウティングしておきますよ!皆さんは明日の試合に備えて、ホテルに戻ってリフレッシュして下さい」
「え?ケンちゃんいいの?」
遠慮する気ゼロのバンドーは早速混じり気無しの太字スマイルを浮かべたが、彼の野望はクレアの横槍に摘み取られてしまう。
「ありがとうシルバ君。でも、あたし達も次の試合は観るわ。チーム・カムイが優勝候補って事もあるけど、対戦相手のカレリンが、あたし達の知り合いなのよ」
クレアの話を、腕を組みながら頷いて聞くハインツ。
チーム・カレリンの大将、ミハエル・カレリンはラトビアの名剣士で、年齢の近いクレアやハインツとは同じ東欧出身のよしみで交流があった。
カレリンの不祥事で暫く交流が途絶えていたものの、出所して生まれ変わった彼の姿を見ておきたいのは、かつての友人としては当然の心情であろう。
チーム・バンドーがアレーナに戻った瞬間、彼等の帰りを待ちわびていた観客から大声援が上がり、彼等にもようやく勝利の実感が沸き上がるのであった。
(続く)