第14話 武闘大会参戦!⑤ 決戦!ユミト VS ハインツ
準々決勝第2試合、チーム・バンドーVSチーム・ギネシュの対戦は先鋒のバンドー、次鋒のシルバが幸先良く2連勝を飾り、チーム・バンドーは無傷のままエースのハインツにバトンを引き継ぐ事に成功する。
だが、ハインツの対戦相手は地元トルコで10年間負け無し、ヨーロッパの剣士ランキングでも彼のやや上を行くユミト・ゼンキン。
ユミトがハインツに勝利すれば、純粋な剣士がクレアしか残されていないチーム・バンドーの形勢は逆転する。
クレアやシルバでも、老練な剣士・ギネシュを倒す事は容易ではなく、優秀な魔導士のリンも武闘の経験値に勝るメロナに勝利する確証は無い。
両チームの命運を決める中堅戦に、会場のボルテージは最高潮に達していた。
「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。次鋒、ケン・ロドリゲス・シルバ選手に代わりまして、中堅、ティム・ハインツ選手が入ります。尚、勝者の権利を持ったまま交代したシルバ選手は、ハインツ選手の勝利、又は敗退後に、再びフィールドに上がる権利が与えられます!」
ユミトとハインツの対戦がほぼ確定する流れとなり、会場は拍手に包まれる。
勝ち残りの立場となったバンドーとシルバは、幼い頃と同じ様に仲良くベンチの隣同士に腰を掛け、互いの顔面に出来た傷にツッコミを入れ合っていた。
「……シルバ君、顔は痛い?」
バンドーの左腕に回復魔法で治療を施していたリンはシルバの状態を心配しているものの、軍隊で鍛えていたシルバにとって、顔面が畳に激突する程度のダメージは憂慮するに値しない。
「全然大丈夫です!ジェシーさん。ジェシーさんもメロナさんと戦う可能性がありますから、魔力は出来るだけセーブしておいて下さい」
「……はい!そうします」
息詰まる熱戦を制した直後とは思えないシルバの爽やかな笑顔に、リンも爽やかな笑顔で答える。
両者の様子を微笑ましく眺めていたバンドーの右頬はまだ腫れが残っており、背後に陣取るクレアからはモテない彼がふて腐れている様に見えていた。
「……ユミト、私からお前にアドバイスする事は特にない。だが、あのハインツという男、精神面で乗せてしまうと厄介だ。着実にポイントを積み上げて焦らせた方がいい」
ギネシュはフィールドへ向かわんとする愛弟子に一声掛けると、ユミトはゆっくりと振り返って不敵な笑みを浮かべた。
「流石は師匠。私も同じ事を考えていましたよ」
「チーム・ギネシュ中堅、ユミト・ゼンキン!」
男声アナウンスに煽られて盛り上がるアレーナを余所に、ユミトは至ってマイペースに自らの防具の最終チェックを行い、肘周辺の防具をワンランク軽い装備に交換する。
ハインツは、その瞬間を見逃さなかった。
昨夜のミーティングでもチーム・ギネシュのスカウティングは念入りに行ったが、ユミト最大の特徴はそのスピードにある。
174㎝・62㎏の体格は剣士としては小柄で細身だが、弁髪をなびかせた圧倒的なスピードと確かな技術で大柄な実力派剣士も苦にしない。
しかし、過去の試合データを分析すると、彼は決して秒殺狙いの早業師ではなく、対戦相手の精神面を崩す為に長期戦を選択する事もあり、自らの完全勝利の為にはあらゆる手段を用いる戦略家とも言えるであろう。
「チーム全体では総合ルールを採用しているが、両者ともに優れた剣士と聞いている。正々堂々とした勝負の為に、剣士ルールを採用した方が観客も納得するだろう。それで良いか?」
「ああ、いいぜ!」
ハインツの気合いみなぎる一声にユミトも頷き、苦し紛れの格闘技は使えない剣士ルールがアレーナに提示され、一際大きな歓声が上がる。
ギネシュはそんなフィールド中央の両者を見つめたまま微動だにせず、スカウティングしたハインツのデータの一部を気にかけていた。
飛び入り参加のチーム・バンドーを僅か1日でスカウティングするには、ケルンの賞金稼ぎ組合の情報に頼る以外の選択肢は無い。
だが、幸運な事にケルンはハインツの地元であり、剣士として駆け出しの頃の仕事から現在に到るまでのデータを取り寄せる事が出来たのである。
チーム・バンドーに加わる以前のハインツはその性格から常に一人で行動していたが、たった一人で信じられない難度の仕事を解決する一方で、簡単な仕事を失敗して無償の再挑戦を引き受ける等、その時の精神状態によって仕事にバラつきがあった事が判明した。
この事実の背景には、母親との確執や移民差別等の苛立ちを抱えていた彼の人生がある事は否定出来ない。
しかし、同時期に参加していた武闘大会では溢れる闘志で決勝進出を成し遂げており、戦いに専念した時のハインツの強さはランキングを超えていると判断したギネシュは、精神面から彼を崩す戦術が効果を発揮すると踏んでいたのである。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
試合開始のゴングが聴こえない程の大歓声は、このチーム同士の対戦では初めてだった。
それだけ観衆の注目を浴びていたカードであり、両者のキャラクターを考慮しても、ただでは終わらないという期待がアレーナの空気から伝わってくる。
(俺達は圧倒的に有利なはずだ……。だが、奴から焦りの色は感じない)
立ち上がりは両者ともに、互いの出方を窺う距離感を保ちながらフィールドを移動している。
チーム戦績的に優位に立っているハインツは、ユミトの涼しげな表情はあくまで序盤のみで、ギアを入れて猛攻を仕掛けて来るタイミングからカウンターを入れる腹積もりで第1ラウンドを見越していた。
クレアが控えているとは言え、出来る事ならギネシュとも戦ってみたい。
キイイィン……
ハインツの不意を突くかの様に、目にも止まらぬスピードのユミトが右肩の防具を狙い撃つ。
「……!?くっ!」
反応が遅れ、ハインツの防御に出した剣がユミトの剣に勢いを与えてしまい、右肩の防具の一部が破損する。
失態に表情を歪めるハインツの視界から、ユミトはあっという間に消え去った。
アレーナは一瞬沈黙に包まれ、やがてユミトの早業に称賛の拍手が沸き起こる。
「……足をクロスさせてフィールドを移動している最中の不意討ちだわ。あたしには、あいつの軸足がどっちなのか分からなかった」
クレアは唖然として戦況を見守るしか無かったが、ハインツも似た様な立場でこの歓喜に取り残されていた。
(……何だ?あいつ、後ろ足を軸足に出来る程の瞬発力があるのか?……いや、余計な事を考えていた俺の油断だ!今度はそうは行かない)
「ハインツさん!落ち着いて、まだ攻めるのは早いです!」
シルバの助言はあと一歩遅かった。
ハインツは自らの失態を取り戻そうと、ユミトが小細工を使えない間合いまで前に出る。
致命傷を受けない距離まで間合いを空けていた事が自らの集中力を削いでいたと判断し、自分本来のアグレッシブなスタイルへの回帰を図るハインツ。
「だああっ!」
ハインツはサウスポースタイルの利点を活かした相手の死角、利き腕の真下にある右膝の防具を狙って剣を振る。
ユミトもその攻撃を予測しており、不格好ではあるが海老の様なバックステップからのジャンプで距離を取り、やや前傾となった姿勢の修正を兼ねて両手で剣を握り直し、ハインツの胸の防具に向けて試し突きを繰り出す。
カーン……
如何にも腰の入らない音とともにハインツが無難な防御を見せ、両者は再び間合いを空けた。
「心配しましたけど、ハインツさん、少し落ち着いたみたいですかね」
一連の攻防を見届けたシルバの言葉に、クレアも大きく頷く。
「……まあ、あいつの性分からして1回でも自分から攻撃出来れば落ち着くわよ」
「ポイント的にはユミトがリードしているけど、このままで行かせるの?パパ」
チーム・ギネシュのベンチでは、トルガイの顔面の応急処置を終えたメロナが父親の腹の底を探っていた。
ユミトの実力と経験からして、ハインツの様な自信家の対戦相手には真っ向勝負よりもメンタル面の自滅を誘発した方が、体力の消耗を抑えられる。
「あのハインツとやらが、自分がスピードではユミトに勝てないと認めないうちは、このまま行くべきだな」
ギネシュは如何にも老練なベテランらしく、娘の相手をしながらも、ハインツのサウスポー攻撃が自らの右膝の古傷にとって厄介な存在だと認識し、ユミトに万一の事態が発生した場合に備えて膝の防具を交換した。
「おらおらっ!」
ポイント云々ではなく、自らのメンタル面の安定の為にユミトを攻め立てるハインツ。
だが、ユミトのスピードと正確な動体視力の前に攻撃は寸前で無力化され、相手を動揺させる事が出来ない。
アレーナを埋め尽くす観客はハイレベルな攻防、とりわけユミトのスピードに驚嘆の声を上げていた。
(くそっ……確かに奴は速い。だが、どうもしっくり来ない……この剣に、まだ慣れていないせいか?)
ハインツの剣はつい昨日、ここゾーリンゲンで入手したばかりの新品だ。
実戦での慣らし期間が無かったとは言え、以前の剣と比べても形と重さはほぼ同じ。品質面では明らかに優れた逸品である。
だが、剣士にとって身体に馴染んだ剣というものは、その錆ひとつ、傷ひとつがグリップの確認や剣を振り出す角度の調整に於いて重要な基準となる。
その為、殺生を目的とせず正確な武器のコントロールが必要な武闘大会の場では、本来自らに力の劣る相手でテストする事が望ましかった。
(……ちっ、ウォームアップでバンドーと組み合ってみるべきだったか……くっ!)
ハインツが集中を切らしかけたその瞬間、ユミトは鋭い前方突きを繰り出す。
ハインツは慌てて剣の刃で防御を試みたが、即興の片手防御の間をすり抜けたユミトの刃がハインツの右肘の防具に接触した。
「……何やってんのよ!あいつ!」
クレアは苛立ちの余り思わず声を上げ、ベンチから立ち上がっていた。
ダメージは殆ど無いものの、右肩と右肘の防具を傷付けられたハインツは、サウスポースタイルの短所ばかりが目立つポイントをユミトに奪われている。
クレアだけではなく、ハインツ本人の表情にも焦りの色は隠せなくなっていた。
(……フン、もっと焦って自滅に向かえ。とどめはいつでも刺せる。もう、判定でも勝てるがな……)
ユミトの表情には余裕すら窺える様になっていたが、間合いは維持し、スピードを活かしたヒット&アウェイ作戦を継続している。
ハインツはどうにかダメージを与えてポイントを奪いたいが為に、自分のペースと型を無視した力業が目立つ様になっていたが、ユミトのスピードに加えて弁髪の不規則な動きが視界に入ってしまい、集中が度々削がれてしまう。
「くそおおぉっ!」
ハインツの無謀な大振りはユミトに難なくかわされ、しゃがんだ体勢から繰り出される逆襲のアッパーカット斬りに、危うく致命傷になりかねないひびが胸の防具に刻まれる。
「ぐっ……」
バランスを失い、畳の上に仰向けに倒れるハインツ。
「ダウン!ハインツ選手、カウント10以内に立ち上がらないとKO負けとなります!ワーン、トゥー……」
慌てて立ち上がるハインツであったが、ユミトは寝起きを襲う意図すら見せず、ベンチでギネシュからのアドバイスを受けていた。
アレーナの観客からは、期待の好カードが一方的な展開となったが故のブーイングが飛び交い、その声がハインツのプライドを更に蹂躙する。
カンカンカンカン……
「第1ラウンド終了です。2分間のインターバルの後、第2ラウンドを開始します」
焦燥感に満ちた表情でベンチに帰ってきたハインツに、シルバとリンは声を掛けるべきが戸惑っていた。
だが、クレアは容赦しない。
「あんた、バカなの?速い相手にガムシャラな特攻と大振りなんて。相手はポイントでリードしてんのよ!カウンターの餌食だわ!」
「うるせえよ、このヒステリーが!攻めなきゃ逃げ切られちまうだろ!まだ、新しい剣と身体のフィーリングが合ってねえだけだよ!」
クレアの小言を掻き消さんばかりの勢いで反論するハインツ。
しかし、明確な対策を用意出来る精神状態では無さそうに見える。
シルバもリンも途方に暮れていたその時、意外にもバンドーが口を開いた。
「ユミトさんの身体を見ちゃうとスピードに付いて行けなくなるけど、あの弁髪を留めている白いブローチ、あれ結構見やすいと思うんだよ!黒髪に白だし、髪の揺れが大きくても余り中心はブレてないし」
バンドーのその言葉に、初めてユミトのブローチの存在に気付いたハインツ。
ギネシュと話し込んでいる彼の姿勢は止まっており、上着が黒いことも幸いして常にブローチは視界に入っていた。
サウスポーの防御に徹している間は、ユミトの攻撃を恐れずにブローチを確認出来る。
「……なるほど……バンドー、やったぜ!サンキューな!」
一連の確認作業で早くも対策が見えてきたのか、ハインツの表情にいつもの過剰なまでの自信が蘇っていた。
「パパ!向こうのベンチが明るくなっているわ!何かヒントを掴んだのかも?」
チーム・バンドーの雰囲気を察知したメロナは、ギネシュとユミトに警告を送る。
ユミトは表情を引き締め、自信も新たに決意を見せた。
「この短時間で……。まあ、このまま終わる奴じゃないとは思っていましたよ。判定狙いは止めます。ギネシュさん、いいですよね」
「……いいも何も、お前程の力を持つ男が判断を下したのならば、引退間際の私にそれを止める権利はない」
ギネシュから全幅の信頼を得たユミトは再びフィールドへと歩き出す。
その姿を遠くからじっくりと見つめた後、ハインツは確信を持って同じくフィールドに歩み寄った。
「ラウンド・トゥー、ファイト!」
試合再開のゴングと同時に、猛然とユミトへ突進するハインツ。
ポイントで大幅にリードしているユミトは、ガードを固めた上で、ハインツの攻撃へのカウンターに備えていた。
「でやああぁっ!」
不自然な程の気合いで剣を振りかぶるハインツだったが、ユミトへ剣を降り下ろす瞬間に剣を止め、即座にガードへと切り替える。
「!?」
突然の行動を予測出来なかったユミトは、咄嗟に身体が反応してしまい、ハインツのガードの上から効果の無い攻撃を加えてしまった。
(……よし、分かる!この動き……)
ハインツはユミトの攻撃を横目で楽々と防ぎ、弁髪を留めている白いブローチの位置を確認する事が出来た。
「……バンドーさん、そう言う事だったんですね!ユミトさんが殆ど止まっているみたい!」
リンも魔法ストッパーの眼鏡を外して現場を凝視する。
ユミトのスピードは類い稀な瞬発力に加えて、弁髪の不規則な揺れが相手の攻撃の基準点となる、顔から肩にかけた部分の認識を妨げる事によって最大限の効果を上げていた。
ユミト自身が弁髪の揺れを見越して戦術に取り入れている事に疑いは無いが、自らの剣の邪魔になる様な動きはさせられない。
そこで彼は、首筋の中央からやや右寄りに伸ばした弁髪をブローチで固定し、自身の攻撃と同時に相手の視界に弁髪が入る様に計算しているのだが、サウスポーかつ攻撃重視のスタイルを貫くハインツの姿勢からは、弁髪を固定する為に取り付けられた白いブローチが常に体幹の中心に見えていたのである。
「そらっ!」
ハインツはユミトのブローチに狙いを定める視線の動きを見せながら、その延長線上にある右肩の防具を斬りつけにかかる。
ピシイッ……
予想外の回避失敗に大きく両目を見開いたユミト。この試合、初めてハインツの攻撃がヒットした瞬間だ。
「やった!当たったわ!」
俄然拮抗した試合展開となり、ベンチのクレアだけにとどまらず客席は多いに盛り上がる。
「まずいな……奴なりの解決策を見付けたか」
ギネシュは眉間にしわを寄せ、額に人差し指を突き立てながら考え込んでいた。
「!?……ならば、これなら……」
ユミトはハインツの視界から逃れる様に回り込み、剣を槍の様に突いて相手の左臀部の防具を狙いにかかる。
「チョロいぜ!」
サウスポーのハインツはゴルフの様なスイングで軽々とユミトの突きを弾き返すと、右斜め前にステップし、背後からユミトのブローチを確認して左肩の防具も貫いた。
「……バカな?」
立て続けのダメージに動揺を隠せないユミトは大きくバランスを崩し、畳に両手を付いて倒れてしまった。
「スリップ!ノーダウン!ノーダウン!」
レフェリーのジャッジはダウンでは無かったものの、ユミトの表情には明らかな焦燥が見られる。
両肩へのダメージを与えてポイントでも巻き返しを図るハインツにとって、歓声も追い風へと変わっていた。
「……人間の身体で、最も動かないのは体幹に当たる部分です。とりわけ首と腹部は、上体を捻っても表面積が殆ど変わりません。そこに狙いを定めるのは、遠距離戦の鉄則ですよ。軍隊の銃撃戦では、まず腹部を狙い撃てと言われましたね」
軍隊で腹部を撃つ理由は、激痛と不安の苦しみを長く相手に与える為であり、戦争に於いて最も効果的なのはひとりの死ではなく、大勢の持続する苦しみと死への恐怖、戦意の喪失であると叩き込まれたのである。
ルールに則った武闘大会に、そんな考えは必要無いのだが、シルバは分析を行う中で無意識に脳裏をよぎる、過去の苦い記憶の捨て所に戸惑う様子を見せており、その表情を目の当たりにして心配したリンは、知らず知らずの内に彼の手を握り、側に寄り添っていた。
「……どうやら、俺はあんたを舐めちまっていた様だな……」
畳に跪いていたユミトはゆっくりと顔を上げ、これまでの冷静な表情から一転した闘志みなぎる鬼の形相となっていた。
「ユミトが……!」
初めて見る彼の表情に驚きを隠せないメロナを横目に、ギネシュは穏やかな笑みを浮かべている。
「久しぶりだな、あの顔……」
幼い頃のユミトは何ひとつ不自由の無い、裕福な家庭で育っていたが、その裕福さは彼の父親が自分の素性を家族に隠して築いた幻だった。
父親がマフィアの一員である事をユミトが知ったのは、彼が15歳の時、父親が拳銃の密売で逮捕された事がきっかけであり、しかもその罪は父親本人の罪ではなく、大金と引き換えに幹部の罪を被ったものだったのだ。
全ての幸せを失い、友人も失い、離婚して逃亡した母親も失い、大金だけが残ったユミトは、マフィアと拳銃の悪夢から逃れる為に、近所の寂れた剣術道場に泊まり込む。
そしてあらゆる雑念を捨て、大金を渡して最高の設備と最高のトレーナーを集める事で自らを鍛え上げる。
自分には何もない。だが、金だけはある。
ただひたすらに、いつ追われるとも知れないマフィアと拳銃の悪夢から逃れる為に勝利し続け、ユミトがトルコで敵無しの名剣士となった頃、出所した父親とは和解した。
その時、父親の供述を元にマフィアの幹部を逮捕する警察の作戦に招かれていたのが、近距離戦のエキスパートである伝説の剣士ギネシュと、後方支援の回復魔法を使える様になっていたメロナである。
ユミトはギネシュと出会って初めて、やむなく逃げ込んだ剣の世界が自分の生きるべき世界であると確信する。
自らの保身の為に投資した剣術道場は、今ではユミトを慕う若者で溢れるトルコいちの道場となった。
そして、父親が出所し、マフィアの幹部が逮捕された事により、ようやくトルコから飛び出す権利を手にしたのである。
10年間無敗の、若き大物剣士として……。
「うおおぉっ!」
これまでに見せた事の無いラッシュでハインツに斬りかかるユミト。
そのスピード故、まずは専守防衛を覚悟していたハインツではあったが、細身な身体からは想像もつかない一撃一撃のパワーに、反撃の糸口を掴む余裕を見出だせない。
「ユミトがあんな攻めを見せるなんて……ギネシュさん、ちょっと急ぎ過ぎじゃないですかね?」
シルバのハイキックを受けた、頬の腫れを押さえながら試合の行方を見守っていたトルガイは、チームに最後に加わった男だ。
闘志が理性を上回ったユミトを見た事は無い。
「……いいんだよトルガイ、ユミトの好きにやらせるんだ。私にもまだひとつだけ、あいつに教える事がある様だな」
心なしか穏やかに、遠くを見つめるギネシュの視線の先で、ハインツは逆襲の機会を窺っていた。
「おおりゃあ!」
体格的にややユミトを上回るハインツは背筋を伸ばし、相手の剣を自身の剣で受け止めたまま上から圧力をかける。
ユミトの攻撃が、ハインツの未だ無傷な両膝の防具を狙ったポイント稼ぎのものから、スピードとパワーで押し切った後の胸や頭部へのフィニッシュに転換していると察した為に、サウスポースタイルの間合いに戻して仕切り直す選択を迫られたのである。
「……くっ!」
ユミトは上背に勝るハインツの圧力に屈し、一時的に力比べのフィールドから離脱する。
両者ともに、ラウンド開始時の間合いに戻る事となったが、互いの顔に浮かぶ汗、時折見られる呼吸の乱れが激戦を物語っていた。
ハインツはサウスポースタイルの間合いから、再びユミトのブローチの位置を確認しようとしたその瞬間、ユミトは素早く身体を右寄りに回し、ハインツと正面から向き合う。
「……!気付かれた?」
クレアはユミトの体勢の変化に思わず声を上げていた。
「余計な目印を与えていたらしいな……」
ユミトは自らの動きが読まれていた原因に気付き、首筋のブローチを取り外してベンチのメロナに投げ渡す。
弁髪を固定していたブローチが外される事により、腰まで伸びていた弁髪が宙に舞う様に流れる。
「バレたか。だが、もう目印は要らねえ。お互いにセコいポイント稼ぎをする暇がねえからな!」
啖呵を切り終わる前に足を踏み出していたハインツはユミトの足元を確認し、敢えて右手を利き腕の上にして剣を握り返していた。
「ハアアッ!」
ユミトの懐に飛び込んだハインツは相手の右臀部の防具に狙いを定めるが、ユミトもギリギリまでハインツの手元を見定めており、太刀筋の変化に対応しようとしている。
「……今だっ!」
ビュワッ……
ハインツは剣から左手を離し、利き腕ではない右手で剣を払いのける様に横に振りかざす。
ユミトは胸へのダメージを恐れて両足のステップを揃え、後方へジャンプするも、身体のバランスを整える為に左手を剣から離してしまった。
ビキイイィッ!
ハインツは右手でユミトの左側の腰の防具を切り裂く。
ユミトの右手の剣は防御に間に合わず、剣から離れた左手はハインツの剣から無意識に逃げざるを得なかったのだ。
「……やった……行けぇっ!」
沸き上がる歓声の中を突き抜ける程の、バンドーの叫び声が聴こえる。
ユミトの瞬発力が災いし、彼は無防備なまま宙に舞っていた。
「逃がすかあっ!」
ハインツは右手ごと剣を伸ばし、前のめりに転倒する勢いのままユミトの胸の防具を貫いた。
「ストーップ!ユミト選手、胸部破損の致命傷と見なす!」
カンカンカンカン……
「2ラウンド4分37秒、勝者、ティム・ハインツ!!」
試合終了のゴングと自らの勝ち名乗りを聞きながら、畳に顔面を強打して転倒するハインツ。
チーム・バンドーの選手は、これで3人連続して顔面を負傷しており、この光景にはクレアとリンも自らの美貌を不安視したとかしないとか……。
「よっしゃー!ザマあ見ろー!」
畳に突っ伏したまま渾身のガッツ・ポーズを決めるハインツの傍らで、職業剣士となって10年、初めての敗北に放心状態のユミト。
やがて自らの性急な試合運びを悔やんだ彼は苦虫を噛み潰し、立ち上がったハインツと目も合わさずにフィールドを降りてしまった。
「……ちっ、何だよ。握手のひとつ位しねえのかよ」
バンドーの発見が無ければ、大差の判定負けもあり得たハインツは、ユミトの実力を認めざるを得なかった。
だからこそ、彼の態度には失望を隠せない。
「まあまあ、初めての負け試合だ。無礼を許してやってくれ」
ギネシュはユミトを迎える為にフィールドに入り、見るからに機嫌を損ねているハインツに軽く謝罪する。
そして、がっくりと肩を落とすユミトの背中を叩き、メロナ、ハカン、トルガイとともに彼を囲んで健闘を讃えた。
「ユミト、お前に最後に教えなければな。お前はいつでも完勝を求めていたが、武闘大会は剣術スポーツだ。試合に勝つために、勝負に負ける事を選択する時もあるんだ」
「…………」
押し黙るユミトに対して、ギネシュは更に続ける。
「お前はもう、剣士として地位は確立した。ひとつやふたつ試合を落としても、評価が急落する事は無い。いいかユミト、戦うのは目前の相手だけでいいんだ。もう、誰も手を出せない程に自分を強く見せる必要は無い。お前を追い詰めるマフィアや拳銃の影に、もう怯える必要は無いんだ」
「……ギネシュさん……」
無言で感謝の念を訴えるユミトの肩をチーム全員が叩き合い、その光景にアレーナ中からささやかな拍手と歓声が送られていた。
「……さて、どうしたものか……」
弟子に託して引退も考えていたギネシュの前に突き付けられた、3連敗の現実。
右膝に古傷を抱え、対戦相手のハインツはサウスポー。
相手はダメージと疲労を負ってはいるものの、自分よりランキングの高い剣士から意地とプライドの1勝をもぎ取らなければならない。
「ハインツ、疲れてたら代わるわよ。あたしも伝説の剣士とは戦ってみたいから」
クレアはハインツの性格は熟知しており、ダメ元でギネシュの対戦相手に立候補するも、瞳を輝かせて剣を素振りしまくる彼の姿を目の当たりにして、ひっそりと身を引くのであった。
「チーム・ギネシュ副将、アーメト・ギネシュ!」
ピークは過ぎているものの、往年の名剣士・ギネシュの登場にアレーナは沸き上がる。
ギネシュはフィールドに入る前にいくつか武器を物色していたが、ふとメロナの腰に貼り付いている短剣が目に入った。
「メロナ、そいつを貸してくれ」
「パパ?いいけど……こんな短剣を?」
普段は短剣を使う事の無いギネシュからのリクエストに、メロナは少々戸惑いを見せていたが、取りあえず短剣を父親へと手渡し、ギネシュは自らの剣の鞘の上に短剣をくくりつける。
そして、短剣を右手でも左手でも、即座に取り出せる様な角度に調整し、ゆっくりとフィールドへと歩き出す。
「……ギネシュさんが短剣を……。右手で使うのか、左手で使うのかで対策が変わりますね」
シルバは顔面の擦り傷も目立たなくなり、いつものイケメンに戻ってギネシュを注視する。
短剣やナイフは軍隊時代の彼の専売特許だけに、普段長剣しか使わないギネシュがある種の賭けに出ている事を察知していた。
「ギネシュ選手、短剣を持っている様だが、剣士ルールで前の試合を戦ったハインツ選手が認めない限り、短剣を投げる遠隔攻撃は出来ないぞ。OK?」
「分かっている。短剣はあくまでもう1本の剣だ。投げたりはせんよ」
ギネシュは何やら確信めいた涼し気な表情で、剣士ルールを承諾した。
(右膝の古傷持ちで、サウスポーの剣士と長く戦う訳にはいかん……こいつは賭けだ。ハインツの剣士としての性分を、見抜いて見せる……)
ギネシュは左手で度々短剣を触り、抜きのフィーリングを確認する。
(奴の右膝の防具は厚い……どんな形でも攻撃が当たればポイントは入るのに、あの厚さ……。恐らくは2、3回の衝撃に耐えられるうちに勝負を着けるつもりなんだろう……。短剣は左手で、俺が膝を狙う隙に上から攻撃するか、俺が左半身に攻撃を切り替えた時の防御に使うかのどちらかだ……)
ハインツはギネシュの行動パターンを推測し、自らの頬を張り手して気合いを高めた。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「ギネシュさんとやら、胸を借りるぜ!」
試合開始のゴングとともに駆け出すハインツはまず、ギネシュの右膝への警戒心を薄める為、剣による力比べを挑む。
ユミトとの試合程ではないが、如何にも通好みなカードにアレーナは静かな緊張感に満ちていた。
キイイィン……
両者の剣がぶつかり合うその音には、互いの集中力の高さが窺える透明感が宿っている。
高い技術に裏打ちされた無駄の無い太刀筋は、両者の年齢の差を感じさせない。
「ふふっ、やるな!小賢しい作戦など忘れて、若い頃の様にいつまでもこうして戦いたいよ!」
ギネシュは自らの見立てに違わず、ハインツが実直な剣士である事を喜んでいた。
「……そっちこそ!もう少し老いぼれかと思っていたが、パワーもあるじゃねえか!」
ハインツにとって、この力比べはギネシュの右膝を狙う前フリでしかない。その楽しさに我を忘れる訳には行かなかった。
「くっ……」
数十秒に渡り力比べが続くと、流石にスタミナの差が表れてきたか、ギネシュの姿勢に変化が見られる。
膝に負担のかかる軸足の役割を、摺り足を交えながら右から左へと移行したのだ。
「今だああぁっ!」
ハインツはここぞとばかりに体勢を変え、ギネシュの右膝に狙いを定めるふりをして上体を捻り、右膝を掠めてギネシュの左半身の上、胸と左肩の防具の破壊を試みる。
胸の防具に攻撃が決まれば、致命傷として秒殺が可能だ!
「ありがとうよ!若いの!」
ギネシュはハインツの攻撃を読み切っており、身体を屈めてハインツの懐に飛び込み、左手で素早く短剣を抜く。
「喰らえぇっ!」
ギネシュの短剣の刃は握り締められた小指の下から出ており、ハインツの剣がギネシュの左上の空を切ったその瞬間、完全に懐へと飛び込んだ体勢からの左肘を利用したバックハンドカットが炸裂する。
ビキイイィッ!
ギネシュの狙いが効奏し、短剣のバックハンドカットがハインツの胸の防具を完璧に引き裂いた。
「ストーップ!ハインツ選手、致命傷と見なす!」
カンカンカンカン……
状況を把握出来ず、呆然と試合終了のゴングを聞き流してしまったハインツ。
両チームの選手、観客全てが声も出せない壮絶な結末が待っていた。
「1ラウンド1分58秒、勝者、アーメト・ギネシュ!!」
「……そんなバカな……!」
ハインツは畳に膝をつき、自らの胸の防具が割れている事を確認してようやく我に返る。
暫しの沈黙の後、アレーナは割れんばかりの歓声に包まれ、「生ける伝説」ギネシュの新たなる伝説誕生が祝福されていた。
ハインツの様子をベンチから見守っていたチーム・バンドーの面々は、お互いに顔を見合わせて頷き、バンドーとシルバがフィールドに上がって脱力するハインツに肩を貸し、ベンチへと帰還する。
「……あたしが行くわ。ギネシュさんの右膝を考えれば、バンドーやシルバ君の方が確実かも知れないけど、剣士として戦いたいし。リンにもメロナと戦う心の準備はして欲しいしね」
クレアはギネシュのお株を奪う短剣を腰に貼り付け、突然の出番にも顔色ひとつ変えずに準備を終えた。
普段、余りにも身近な存在である為に忘れがちだが、彼女はヨーロッパで5本の指に入る女剣士なのである。
「ハインツ、あんたが負けたのは弱いからじゃ無いわ。裏の裏まで読める経験値がギネシュさんにあったからよ」
ハインツを励ましたかったのか、それとも叱責したかったのか、クレアの真意は定かでは無い。
ただひとつ確かな事は、彼女は既に戦う覚悟が出来ているという事。
「チーム・バンドー副将、マーガレット・クレア!」
男声アナウンスに呼び出された、今大会初登場の女剣士に大歓声が浴びせられる。
クレアを待ち受けるギネシュも元来の紳士的な振る舞いに加え、ケルンの賞金稼ぎ組合からの情報を分析しているだけに、彼女を見下す素振りは一切見せなかった。
「さあ!あたしは女よ。男と男の戦いじゃ無いわ。貴方の弱点はしっかり突いていくからね!」
(続く)