第13話 武闘大会参戦!④ チーム・バンドー登場
5月15日・11:00
「それではこれより準々決勝第2試合、チーム・バンドー VS チーム・ギネシュの試合を行います!チーム・バンドー先鋒、レイジ・バンドー!」
男声アナウンスに煽られ、ドイツでは全く無名の剣士・バンドーにも社交辞令的な拍手と歓声が送られる。
普段は天然キャラのバンドーも、流石に初戦のプレッシャーからか、若干肩に力が入っている様子だ。
初戦を勝ち上がったチーム・ルステンベルガーの面々は、準決勝の対戦相手のスカウティングの為に全員が客席に着く。
そして、負傷のマガンバの入院に付き添ったフランシスを除くチーム・マガンバの面々も、近い将来のヨーロッパでの活動に備えて客席からの観戦態勢を整えた。
「チーム・ギネシュ先鋒、ハカン・デミレル!」
「うおおぉっ!」
気の短い荒くれ者という、地元トルコでの評判を裏切らない気合い十分の雄叫びを上げ、ハカンは駆け足でフィールドへと向かう。
ともに格闘家としてのルーツを持つパワー型、そして先鋒での起用と、ここまでは両チームともにスカウティング通りの筋書きである。
「お前は後先考えず、ハカンを倒すことに集中しろ。お前が勝った時、次の相手と戦うかどうかはその時決める」
ウォームアップの時、ハインツから受けた言葉を再確認しながら、バンドーは深呼吸をして集中力を高める。
「ハカン、相手のバンドーはまだ新米だ。恐らく始めはお前の出方を探るだろう。攻め込むのはいいが、1ラウンド目は剣術主体で行け。迂闊にガードを緩めるな」
ギネシュからのアドバイスもそこそこに、必要以上の剣の大振りで観客の注目を浴びるハカンを横目に、チームのエース、ユミト・ゼンキンはお手上げポーズで諦感を示した。
「両者とも、格闘家としてのルーツを持つ剣士と聞いている。よって総合ルールを採用している。OK?」
レフェリーからの説明に頷いた両者は、試合開始のゴングに備えて、定められた間合いの位置に後退する。
試合開始を前に、食い入る様にフィールドを見つめるチーム・バンドーの面々。
とりわけ武闘大会初参戦のシルバとリンには先程までとは違う、ある種独特の緊張感がのしかかっていた。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
試合開始のゴングと同時に、予想通りではあるがバンドーに猛ラッシュを仕掛けるハカン。
その動きを見ながら、ガードに最適なポジショニングを取り直すバンドー。
「どりゃああぁっ!」
ゴイイィィン……
愚直なまでの剣の全力振り降ろしで先制攻撃を仕掛けるハカン。だが、力任せで正確な剣捌きが出来ていないであろう事は、剣の激突音からも容易に推測出来ていた。
(くっ……やっばり重いな。これが本気の剣同士の戦いか……。でも、耐えられないレベルじゃない)
ハカンの攻撃をガードしながら、彼の攻撃にはムラがあり、腕の上がり具合から背後に回れる隙があると気付いたバンドーは、彼の剣が右寄りに傾く瞬間を待っていた。
「……今だっ!」
ハカンの剣の軌道がずれる事を確信したバンドーは、すかさず右足を斜め前方へ一歩出して左肩越しに剣をかわすと、その体勢からダメ元でハカンの胸の防具を狙って剣を突く。
「……しゃらくせえ!」
ハカンは自らの戦いぶりに隙がある事を承知の上で、剣を振りきる前に左手を離し、そのまま左の拳を裏拳としてバンドーに打ち込んだ。
「うわわっ!」
ハカンの強引な攻めは狙いを定められず、拳はバンドーの左鎖骨辺りをかすめる。
しかしながら、剣で拳をガードする訳にも行かないバンドーとの間合いを空ける事には成功した。
「……下手くそと言ってしまえばそれまでだが、予測のつかない戦いではあるな。格闘に持ち込んで、バンドーの好きにやらせる方が良いのかも知れない……」
ハインツの独り言を隣で聞いていたクレアも、立ち上がりの混乱ぶりを目の当たりにして大いに頷いていた。
「おりゃあ!」
バンドーは気を取り直し、左手が離れて剣での攻撃範囲が狭まったハカンの左肩の防具を斬りつける。
ピシッ……
剣の当たりは浅かったが、バンドーの攻撃は確かにハカンの肩の防具に刻まれ、この試合最初の歓声が小さく響く。
「……よし!」
レフェリーのチェックを確認したシルバは、バンドーに最低限のポイントが入った事に頷き、リンと向き合って微笑み合った。
バンドーは落ち着いて間合いを空け、再びハカンの突進を受け止めてカウンターを狙う作戦を継続する。
壮絶な第1試合と比較すると、何ともアマチュア的な試合展開にビール片手の客席はリラックスムード一色であった。
ドイツでもギネシュの名は知れ渡ってはいたものの、剣術マニアの間では「全盛期を過ぎた過去の名剣士」という認識であり、最後に飛び入り参加した無名のチーム・バンドーとの試合ともなると、ヨーロッパでそこそこ注目されているユミトとハインツの両エース、或いは格闘家としての潜在能力を評価されているトルガイとシルバ以外の注目度は低いと言わざるを得ない。
ギネシュ自身は、後進の育成の為にはこの無名の対戦相手、そして五分五分の可能性があるカードが最適であると考えていた。
だが、貧困家庭からのストリート・ファイトで功名心を高めてきたハカンにとっては、自らの荒々しいファイトスタイルが抑えられ、観衆の注目を浴びない現実は許しがたいものだったのである。
(……クソッ。何だよ、この静けさは……)
「……パパ、ハカンが焦ってる。ガードが下がってるわ」
チーム最年少のメロナは、ギネシュの末娘だ。
未だ魔導士と剣士の間で育成方針が定まっていないが、回復魔法が使える為、チームの仲間の状態には人一倍眼を光らせている。
ギネシュは娘の集中力の高さに満更でもない笑みを浮かべつつも、ハカンの悪癖が早くも表面化した事に懸念も感じざるを得なかった。
(……何だかガードが下がってるな。イラついているのかな?それとも罠か?)
ハカンの異変に気付いたバンドーは、自らのガードは固めつつも少しずつ間合いを詰め、彼のフォームに変化が無いと見るや、一歩踏み込んで剣で胸を突く体勢を整えた。
「くああっ!なめんじゃねえ!」
突如鬼の様な形相へと変貌したハカンはバンドーの剣に自ら踏み込み、右足の全力キックで剣の刃を横から思い切り蹴り上げる。
不意を突かれたバンドーの両手はその振動に耐えきれず、剣が自らの右側に捩れると同時に無防備な左半身をハカンに晒してしまった。
「……きた!」
チーム・ギネシュの次鋒であり、ハカンのスパーリング・パートナーでもあるトルガイ・ケリモルが歓声を上げる。
千載一遇のタックルチャンス!
「どりゃああぁ!」
ハカンは右手の剣を畳に放り投げ、バンドーの左脇腹に強烈なタックルをかます。
足すら取りに行かない乱暴な体当たりだが、剣に両手を持って行かれていたバンドーは力なく右半身を畳に打ち付けて倒れた。
体勢はまだ不十分だが、ハカンがマウントポジションに就いている状況にあり、ようやくアレーナ全体が、ハカンのタックルで沸き上がる。
「よっしゃ!行け、ハカン!」
敢えてハカンに剣を持たせて鍛えているギネシュとしてはやや歯痒い試合展開ではあるものの、これがハカンの持ち味である事に間違いは無い。
「バンドーさん、ガード!ガード!」
シルバがベンチから立ち上がってバンドーに指示を出す。
格闘家のバンドーにも当然分かってはいるが、右半身が畳に着いてしまっている為、左手一本でガードをしなければいけない状態であった。
(……くそっ!ガードは脇腹か、顔面か……?スタンディングしなくちゃ……脇腹か!)
バンドーはハカンの剣術のパワーから推測して脇腹のガードを優先したが、その左手の動向から彼のパンチが顔面に及ぶ事も覚悟していた。
幸い、ハカンはバンドーの腰にマウントしているだけで、首の自由は利いている。
「でやっ!」
ハカンのパンチはバンドーの脇腹を打ち付け、対するバンドーも左腕を伸ばして力を込めるガードで跳ね返す。
だが、ハカンの腕力を以て連打される攻撃にバンドーの左腕は徐々に痛めつけられていた。
「まずいわね。あの男、パワーだけはありそうよ」
クレアは親指を唇に当てながら、不安そうにバンドーを見守っていた。
しかし同時にハインツを横目に、お互いの顔を見合わせて余裕の笑みとも取れる表情も浮かべている。
この程度のピンチを乗り切れない男であれば、賞金稼ぎは務まらない。
バンドーは剣士としてはまだまだ未熟だが、格闘家としては元オセアニア格闘女王から指導を受けている、サラブレッドの様な環境で育ったのだから。
(……ボディブローが段々雑になっている……顔面に意識が移ってる、パンチが来る!)
バンドーはハカンのパンチが顔面に来るタイミングを予測し、下半身の反動を付けて大きく上半身を反り返らせた。
「そおりゃっ!」
声の限りに叫ぶ力で右半身の下敷きになっていた右腕を引き抜くと、反り返った上半身と顔面の鼻先を掠めてハカンのパンチが畳を直撃し、観衆はバンドーの機転に拍手喝采する。
「ハカン、気落ちするな!顔面よりも左腕を徹底的に痛めつけろ!」
バンドーの左腕に注目したトルガイはハカンにアドバイスを送る。
バンドーの左腕は、ハカンのボディブローを立て続けにガードしてかなりのダメージを負っていた。
これ以上左腕にダメージを喰らう訳には行かない。
「ぬうおおお……!」
バンドーは慌てて目前にあるハカンの右の手首を右手で思い切り握り締める。ダメージの無い利き腕の握力は、ハカンの丸太の様な太い腕の筋肉にこそ最大限の威力を発揮する。
「……痛っ、痛ててててっ!」
激痛の余りうずくまるハカンはバンドーの左半身から転げ落ち、寝技のチャンスで一気にバンドーが形勢逆転に成功した。
「バンドー!寝技だ!決めれられるうちに決めろ!」
ハインツはこの試合展開を予測していたかの様にベンチから身を乗り出し、ハカンの右手を握り締めているバンドーに寝技決着を促す。
この試合、バンドーにとって最大のチャンス到来にアレーナも沸き上がる。
だが、チーム・バンドーの面々は揃って遥かにエキサイトしていた。
「言われなくたって!」
バンドーは左手を右手に添え、ガードによる痛みを堪えながらも左肘でハカンの左手による抵抗を抑え込み、一気に腕を固めに入る。
「くっ……あああっ!」
戦いで寝技を使う機会の少ないバンドーの技であっても、流石に渾身の力を込めた腕固めには屈強なハカンも悲鳴を上げていた。
「早くギブアップしろよ!」
バンドーも額の汗を増やしながら必死に腕を固め続け、時には左肘でハカンの身体をえぐりながら相手の心を折りにかかる。
……だが、この展開になるのが少々遅すぎた。
カンカンカンカン……
「第1ラウンド終了です。2分間のインターバルを挟んだ後、第2ラウンドを始めます」
ゴングに救われたハカンとチーム・ギネシュの面々は安堵の表情を、KO勝利のチャンスを逃したバンドーと仲間達には少々の落胆の表情をもたらして第1ラウンドは終了した。
「バンドーさん、大丈夫ですか?」
リンがシルバを追い越し、先頭を切ってバンドーの下に駆けつける。
シルバは冷静なポイント計算からバンドーの優位を確信していたものの、仲間が戦いで傷付く所を見る機会がそもそも少ないリンの動揺は理解出来ていた。
「……何とか大丈夫だね。確かに左手は痛いけど、利き腕の右手を痛めたあいつよりは」
バンドーは上目遣いでハカンを指し、試合開始時点よりも幾分リラックスした表情を見せる。
「バンドー、初戦としちゃあまあまあだな。今の所、ポイントではお前が勝っている。格闘家ルールじゃないから第2ラウンドはスタンディングに戻されるが、間合いを空けてタックルを喰らわない様にする戦いでも判定で勝てるからな」
ハインツは努めて冷静にバンドーに声をかけていたが、彼が望むのは守りに入る戦い方ではないと、誰よりもバンドーが理解していた。
「……やっぱり、武闘大会面白いよ。ワクワクしてきたな!格闘技も使いたいけど、最後は剣で決めたい」
バンドーからその言葉を聞いたクレアはハインツと一瞬向き合った後、バンドーに親指を立てて見せた。
「……バンドーさん、ハカンは利き腕をやられています。予測出来ていると思いますけど、恐らく第2ラウンドも開始からタックル狙いでしょう。両手で基本の構えになった時だけ、剣に注意して下さい」
「分かった、ケンちゃん。あいつの事だから、左手もそこそこ強いだろうしね」
バンドーは冷静にシルバのアドバイスを受け入れ、残りの時間をリンがアイシングしてくれている左手の回復に費やす事を決め、チーム・ギネシュのミーティングに耳を澄ませていた。
「……ハカン、アンタはツイている。試合の入り方を間違えたのに、ゴングに救われたんだから。今のアンタの右手で剣を振り続けるのは厳しいだろうけど、アンタの体力ならガードは出来る。いいか、剣士として剣を持ったからには、落ち着いてガードしながら勝機を窺う事も大事なんだ。アンタがアピールしたい強さってのは、相手を力で秒殺する事だけじゃないだろ?」
ユミトからの厳しい叱咤激励を受け、如何ともし難い表情を浮かべているハカン。
そんな彼の心情を察したギネシュは、同じ目線に降りながらゆっくりとハカンを諭す。
「……ハカン、私はお前を剣士にしたくて剣を持たせた訳ではない。お前は例え勘当されても、誰より家族を愛していた。育った環境が悪いだけで、ろくでなしではないと私は分かっている。剣を学ぶ事で、格闘技にも節度と戦術が必要だと気付いて欲しいだけなのだ」
ハカンは一見華やかなイスタンブールの外れにある、小さな貧困地域で生まれ育ち、ストリートファイトで勝利した対戦相手からの略奪を繰り返して罪を重ねてきた。
貧しくとも清廉に生きようと努力していた両親からは勘当されてしまった彼だったが、両親の収入では食べられないご馳走を届けてくれるハカンこそが、幼い弟や妹達のヒーローだったのである。
彼の望みは堅気の剣士・格闘家として両親に自分の勝利を見せる事。
しかしその為には、心身に染み着いたストリート・ファイトの呪縛から解放されなければいけない。
「ラウンド・トゥー、ファイト!」
ラウンド開始のゴングが鳴り響く中、観客の期待とは裏腹にハカンはガードを固めてバンドーの出方を窺う体勢を整えていた。
(……これは……ケンちゃんが言っていた剣術重視の作戦か……)
相手に合わせて睨み合う戦術を選択する事も出来たが、ハカンの右手のダメージを確認する意味もあり、バンドーは攻めに出る。
「ハアッ!」
キイイィィン……
バンドーは基本に忠実な、相手の真っ正面からの振り降ろしでハカンのガードを引き出した。
ハカンは右手のダメージをフォローする様に上から左手を添えており、剣を横に振り回す攻撃のパワーとスピードを恐れる必要は無さそうに見える。
(……よし!暫く相手のスタミナを削るか)
バンドーは第1ラウンド序盤とは互いの立場が入れ替わった事を認識し、時折肩や胸の防具も狙いながら休まずに剣を繰り出しつつ自らの優位性をレフェリーにアピールしていた。
(ハカン、バンドーを倒すには奴の左腕のダメージを広げて隙を作る事が重要だ。安易に左腕を狙わず、攻撃は奴の右肩に絞れ。奴の左腕の筋肉を伸ばし続けるんだ)
「やられっ放しにはならねえぜ!」
ハカンもユミトのアドバイスを受け入れ、自らの右腕の痛みと引き換えにバンドーの右肩を狙う。
「おっと」
自らがペースを握る中で時折放たれる右肩攻撃は、集中さえしていれば余裕を持って受け止められる。
だが、ガードの為に左腕の筋肉を伸ばす時の痛みは、バンドーにとっても無視出来なくなっていた。
お互いにキャリアの浅い剣士同士の戦いだけに、目の肥えた観客には両陣営の胸の内が読み取れている様子だ。
両者の駆け引きを理解した一部の観客から拍手が沸き起こり、その戦術眼の高さにはギネシュや客席のルステンベルガーら、大会参加者も感服の笑みを浮かべている。
「剣術はスポーツなんだ。命がけでもスポーツなんだよ……」
バンドーの攻撃をハカンが防ぎ、時折ハカンが逆襲するという試合の流れが続き、時間の経過とともに両者の腕のダメージが増していた。
「そろそろ勝負をかけないとな……」
そんなハインツの独り言が両者に届くはずも無いが、先に動いたのは右腕の痛みが限界に達したハカンだった。
「うらあっ!」
ハカンは右腕を諦め左手一本で剣を大振りし、バンドーが腰を引いてバックステップを行う瞬間にタックルの体勢を整える。
「……させるかっ!」
バンドーはハカンのタックルに対しては常に警戒していた為、相手の突進の勢いと自らの右ハイキックの威力を合わせて勝負を決める算段をまとめていた。
だが、バックステップにもたつき、ハイキックを繰り出すはずの右足が軸足になってしまった!
「……!まずい!」
バンドーは苦し紛れに左足でキックを繰り出すものの、ハカンはダメージのある右腕でのガードは眼中に無く、自らの脇腹にキックを受け止めた上でバンドーの左足を抱え込んだ。
「腰が入ってねえな、全然効かないぜ!」
キックを喰らった右脇腹と寝技のダメージが残る右腕、ハカンの右半身はかなり消耗しているはずだが、歯を喰いしばってバンドーの左足を挟み込み、自らが覆い被さる形で2度目のテイクダウンを奪う。
バンドーはやむ無く剣を捨て、互いにダメージの少ない腕同士がマッチアップする体勢からのパンチとガードの応酬に備えた。
(ここが最後のチャンスだ。思いっきり暴れてやる……みんな、美しい戦いじゃ無いかも知れないが、許してくれ!)
興奮と緊張の入り混じる形相のハカンは、脳裏に浮かぶ家族の姿を振り切るかの如く、バンドーの右手のガードをすり抜けるタイミングの左フックを相手の右頬に叩き込んだ。
「あぐぐっ……」
遂にバンドーの顔面に、この試合初めてのクリーンヒットが突き刺さる。
目尻や鼻を避けていたが故に出血は無いものの、左手とは思えないハカンのパワーに頬が瞬く間に腫れ上がる。
「……やったか!?」
ギネシュはベンチから身を乗り出し、アレーナの観客もこの試合最大の盛り上がりを見せていた。
(痛てて……利き腕じゃないのに何て力だ。こんなのをあと一発喰らったらおしまいだ、どうする?どうする……)
激痛と焦りで判断力がブレるバンドー。だが、幸いな事に利き腕の右は使える。
そして、勝負に没頭し過ぎたハカンはバンドーの顔しか見ていない。
「とどめだ!」
ハカンは身体を右側に最大限に捻り込み、全身全霊の反動で最後の左フックをバンドーに繰り出した。
バンドーはハカンの左腕の軌道を冷静に見定め、顔の前に構えた右の掌で左フックを受け止め、ここぞとばかりに強く握り潰す。
「うががっ……放せ!」
堪らず左腕をバンドーの掌から引き抜かんとばかりに上体を反らすハカンの反動パワーに、自ら身体を起こすパワーを加えたバンドーは、完全に無防備となっていたハカンの額に強烈な頭突きをお見舞いする。
これが今までも多くの猛者どもを気絶させてきた、石頭パワーだ。
「やった!バンドーさんの十八番!」
劣勢続きに眉間のシワが増えていたシルバも起死回生、歓喜の声を上げる。
「くっ……畜生……」
頭突きの衝撃に一度ダウンを喫し、未だ足下が覚束無いハカンは、それでもプライドだけで立ち上がろうとする。
しかし、ギネシュは彼を制止した。
「ハカン!駄目だ!カウント5までダウンしてるんだ!」
声の限りに警告した彼の視線の先には、既に剣を拾って立ち上がるバンドーの姿。
「どおりゃあぁっ!」
何一つプレッシャーの無い姿勢から思い切り振り抜かれた剣は、ガードどころではないハカンの胸の防具を気持ち良い程に真っぷたつに切り裂いた。
「ストーップ!ハカン選手、胸の防具破損により致命傷とみなす!」
カンカンカンカン……
「やった〜!バンドー最高!」
約束通りに剣でフィニッシュを決めたバンドーに、クレアはハインツと抱き合って喜び、そして我に返りすぐに離れた。
「2ラウンド3分56秒、勝者、レイジ・バンドー!!」
右の頬が大きく腫れ上がり、余り勝者らしくはないものの、無名の剣士・バンドーの勝利に会場は大いに沸き立っている。
アマチュア丸出しの序盤戦から、お互いの意地がぶつかり合う終盤戦まで、荒々しくも清々しい戦いぶりの両者には、観客から惜しみ無い拍手と歓声が送られていた。
「良かった……」
バンドーの勝利に心底安堵して脱力するリンに、準決勝での対戦を心待ちにするチーム・ルステンベルガーの先鋒、シュワーブの姿。
敗北の悔しさにうつむくハカンの肩を叩いたバンドーは、彼の右手に触れかけた後、ダメージの少ない左腕を掲げて健闘を讃える。
初めのうちは素直に現実を受け入れる事が出来なかったハカンも、腫れた顔で一切邪念の無い太字スマイルを全開にするバンドーを見て、やがて照れ臭そうに微笑んだ。
そんな彼等を祝福する様に、客席の一部にスタンディング・オベーションを行う家族連れが見えている。
その姿を見て、思わず涙が溢れるハカン。
ギネシュは、彼の家族を招待していたのだ。
「……お前とは、もう一度戦いたい。今度は剣無しでな」
ハカンは涙を手で拭い、バンドーと向き合って互いに肩を叩き合った。
「……俺の相手はバンドーかシルバ。どちらにせよ格闘メインになるか……」
次鋒戦に備えてバンテージを手に巻き付けるトルガイは、ハカンとともに本職は格闘家である。
だが、彼がハカンと違うのは、格闘ジムで基礎から鍛練を積んできたプロフェッショナルだと言う点であり、自らの甘さを改善して武術の幅を広げる為の剣術修行の場をギネシュに求めたという、向上心の高さであった。
「バンドーさん、休んで下さい。自分が行きます」
ベンチからバンドーの戦いぶりを観察していたシルバの目には、顔と左腕にダメージのある今のバンドーがトルガイに勝つのは難しいと映っている。
「そうだな、バンドー、お前は良くやったよ。フィールドに上がる権利だけは残して、いざと言う時のクレアやリンのフォローに回ってくれ」
ハインツからも休憩を促され、もう少し戦いたい気持ちを抑えたバンドーは小さく頷き、リンからのアイシングと回復魔法を受ける事となった。
「……シルバ君、気を付けてね」
フィールドに上がる準備を前々から整えていたシルバに、リンは声をかける。
その声援は彼にとって、誰よりも心強い味方となるはずだ。
「ありがとう、行ってきます!ジェシーさん」
「チーム・バンドー、選手の交代をお知らせします。先鋒、レイジ・バンドー選手に代わりまして、次鋒、ケン・ロドリゲス・シルバ選手が入ります。尚、勝者の権利を持ったまま交代したバンドー選手には、シルバ選手の勝利、或いは敗退後等に、再びフィールドに上がる権利が与えられます!」
男声アナウンスの説明がアレーナに響き渡り、会場はシルバへの期待で盛り上がりを見せていた。
武闘大会への参加こそ初めてだが、若きエリート軍人として知る人ぞ知る存在である彼のファイトへの注目度は高く、同じくブレイク候補の格闘家であるトルガイとの一戦は、両者がどんな武器を選択するかも含めてこのチームの見所のひとつなのである。
「チーム・ギネシュ次鋒、トルガイ・ケリモル!」
シルバ程長身ではないものの、185㎝近くはあるトルガイは均整の取れた体格で、長い黒髪を後ろで縛った風貌は、東洋と西洋が混じり合うトルコらしいエキゾチックな魅力に満ちていた。
「両者とも、ルーツは格闘家だと聞いている。チーム間では総合ルールが適用されているが、格闘ルールに切り替えるか?」
「……いや、総合ルールで問題ないな。折角剣術を指導してくれたギネシュさんの為にも、剣は使ってみなくてはいけないし」
レフェリーからの質問に対し、なんの躊躇も見せずに総合ルールを承諾するトルガイ。
「……それよりシルバとやら。お前の武器はトンファーとナイフの様だが、剣とはリーチの差がある。大丈夫か?」
「……お気遣い感謝します。自分は大丈夫です。戦っているうちに、きっと武器は必要なくなるはずです」
シルバはトルガイに敬意を表した上で、お互いから滲み出る格闘家としてのプライドを確信していた。
トルガイは柔和な笑みを浮かべ、一礼してフィールド中央へと歩き始める。
「……二人ともイケメンね。これは世の女子が放っておかないわ」
クレアは何を基準に試合を観ているのか理解不能であった。
「ラウンド・ワン、ファイト!」
「ハアアアァッ!」
試合開始のゴングとともに全力で飛び出したのは、意外にもシルバ。
前日のスカウティングでトルガイの美学と義理堅さは把握していた為、彼がまず剣を重視する序盤戦が勝負と踏んでいたのである。
ガキイイィン……
シルバのトンファーが迫る猛攻に意表を突かれたトルガイは防戦一方となり、剣がただの防具と化す現実を目の当たりにした観客は度肝を抜かれていた。
「あのシルバという男、あらゆる紛争最前線で生き残ってきたのだ。当然経験値と分析力に秀でている……だから、自ら危険に飛び込む様な事はしないと誰もが思っていた。その裏を突いてきたな」
ギネシュは顎を擦りながら試合を眺め、隣に割り込んできた末娘のメロナは腕の治療を終えたハカンを呼び止めて話しかける。
「トンファーって、片手で攻撃をガード出来るけど、早い攻撃には向いていないと思っていたな……」
「メロナ、あいつがやっているのは攻撃じゃない。トルガイの剣を無力化する防御なんだ。トンファーで剣の防御を続けるには、余程の集中力がないと無理だからな」
ハカンの話に珍しく腕を組んで頷くユミトは、フィールド上のシルバとトルガイを凝視して独り言の様に呟いた。
「……シルバは、早くトルガイと武器の無い格闘をしたがっているのさ。もっと厳密に言えば、楽しみたいんだろうな」
試合開始からペースを落とさずにトルガイを追い詰めるシルバ。
普段の彼とのギャップに驚くクレアやリンは勿論、彼の実力を理解しているつもりのバンドーやハインツも、そのスピードとスタミナに驚きを隠せずにいた。
「おいおい、あんなペースじゃバテちまうぜ。バンドー、シルバは昔からあんなスタイルなのか?」
「……いや、こんな積極的なケンちゃんは初めて見るよ。ケンちゃんはユミトさんやギネシュさんとはスタイルが違うから、トルガイを倒す事だけに集中しているんだと思う」
バンドーはハインツの問い掛けに上手く答える事が出来ない自分がもどかしかったが、シルバにとって軍隊時代の様な「生死をかけた戦い」から解放された喜びがこのパフォーマンスを生んでいるのだろう……と、自らを納得させようとしていた。
キイイィィン……
シルバの絶え間無い猛攻は、アレーナ全体を揺るがす歓声とともに、遂にトルガイの剣を弾き飛ばす事に成功する。
試合開始から防戦一方に追い込まれたトルガイの両手は痺れ、やむ無くバックステップでシルバとの間合いを確保せざるを得なくなってしまった。
「トルガイ、気にするな!剣は捨ててお前の好きな様にやれ!」
ギネシュは自分の指導への敬意の為に剣に拘ったトルガイの意を汲み、格闘家としての実力全開へGOサインを示した。
「武器は必要なくなりましたね!」
ギネシュとのやり取りを横目に確認したシルバは、自らもナイフとトンファーを捨てて素手での格闘に切り替える。
「でやああぁっ!」
防戦のストレスから解放されたトルガイの強烈な右ストレートがシルバを襲う。
素手でのリーチはややシルバに分があるが、トルガイは細身な分瞬発力に長け、独特の間合いから伸びてくるパンチはシルバのガードを直撃した。
「くっ……効きますね!軍隊の訓練以上ですよ!これを……これを待っていたんです!」
シルバはガードを固めた両腕にダメージを受けたはずではあるが、苦悶の表情どころか清々しい笑顔を浮かべている。
そんな彼の様子から格闘を楽しむ心を刺激されたトルガイは、間髪入れずに右のローキックをシルバの左足へ繰り出し、すかさずシルバも左足のくるぶしを充てがう形でガードした。
アレーナが心地好い緊張感に支配される中、間合いを確保して次の攻撃に備えるトルガイからは、邪念や殺気の様なものは一切感じられない。
彼はトラブゾンで生まれ育ち、家庭は至って中流、格闘技との出会いもたまたま地元の大会を観戦しただけだった。
学問もスポーツもそれなりにこなす優等生だった反面、不自由の無い環境の核家族に安住する穏やかな性格と、理想主義的な拘りが災いするのである。
趣味で始めたジム通いでプロテストこそ突破したものの、プロ格闘家として結果を出せない日々が続き、美しいKO勝利を狙う余りの寝技負けやマウント勝負の追い込みの甘さ等があっても、端正なルックスからそのクリーンさが批判される事は無かった。
引退勧告の危機に晒されていたある日、ジムの近くで勃発したストリート・ファイトを警官とともに仲裁し、そこで見たハカンの荒々しさと、彼の出所後にスカウト活動をしていたギネシュに出会い、トルガイの人生は変わる。
「そぉりゃっ!」
両者ともに隙を見せない睨み合いを打開する為の次の一手は、ややありふれた真っ正面からの力較べだった。
互いの手を組み合わせ、全力で前へと押し込む。体格と経験による集中力から見れば、この勝負はシルバに軍配が上がるはずである。
だが、力を抜いて相手のバランスを崩す事も戦術のひとつであるこの体勢を制するのは、タックルや膝蹴りを恐れない精神力であると言って間違いない。
「……正直、キャリア的にシルバが圧倒するかと思ったが……。トルガイはノーマークだったが、なかなかやるな」
客席から試合を眺めるチーム・ルステンベルガー副将のバイスと、剣士が本職ながらマティプをマウントで追い詰めた次鋒ヤンカーは、言わばチームの格闘担当だ。
チームの先鋒・シュワーブがバンドーとの対戦を熱望してはいるものの、そもそも彼等二人がバンドーとシルバに負ける事は許されない。
バンドーがハカンに勝利した現実と、ギネシュの膝の古傷と体力、メロナの経験値から考えれば、チーム・バンドーの優位は揺るぎない。
しかしながら、トルガイとユミトにも波乱を起こす期待をかける価値があった。
「うぐぐっ……」
膠着状態が続く力較べは、徐々にシルバの優位性が露呈する。
額に汗を滲ませたトルガイの足が、緩やかに後退を始めたのだ。
(自ら後退するとなると、タックルや膝蹴りは一旦諦めたか……!?)
シルバが状況の分析を始めようとしたその瞬間、トルガイはシルバの目を見ながら不敵な笑みを浮かべ、次の瞬間、この日初めて見せる厳しい表情とともに組み合った両手首を180゜回転させて、自ら畳に倒れ込む。
これは柔道の巴投げだ!
「うわっ……!」
突然の柔道技の登場に会場はどよめきに包まれ、想定外の投げ技に成す術もないシルバは宙を舞い、腹部にトルガイの蹴りを喰らう。
「ぐふっ……」
腹部のダメージに顔を歪めながらも、安全な着地を模索するシルバであったが、受け身を取っている時間でトルガイに着地点に回り込まれる可能性もある。
顔面からの着地を恐れないシルバは宙を舞いながら後ろを振り返り、トルガイの体勢を確認した。
「……左手だけが畳に着いている……!右回りで立ち上がるなら右膝蹴り、右ハイキック……?ぐはっ!」
受け身が間に合わずに畳に顔面を強打するシルバ。
クレアとリンは思わず手で顔を覆い、バンドーとハインツはシルバの秘策を信じて目を見開いていた。
「逃がさないぜ!昔の俺とは違うんだ!」
トルガイはかつてのスマートなファイトスタイルをかなぐり捨て、左手を軸に右回りで立ち上がり、顔面着陸から辛うじて起き上がろうとするシルバの元へ急行する。
「暫く眠りな!」
トルガイに背を向けたままゆっくりと中腰になったシルバ目掛けて、トルガイ渾身の右ハイキックが放たれる。
ビシイイィッ……!
シルバの回転右ハイキックがトルガイの左頬を直撃し、トルガイの右ハイキックは空を切っていた。
トルガイが自分より身長が低い事を利用したシルバはわざと中腰状態でもたつき、右膝蹴りよりもガードされる可能性の低い、右ハイキックをトルガイに選択させたのだ。
「……がはっ……!」
右半身に全力を込めていたトルガイは左頬直撃のダメージに耐えられず、力無く畳に崩れ落ちる。
「ダウン!ワーン、トゥー……」
まさに一瞬の大逆転劇に、アレーナは興奮の坩堝と化している。
レフェリーのカウントが入ったものの、ギネシュやユミトもトルガイのテンカウント以内の再起は諦めていた。
「やった〜!ケンちゃん、秒殺だ〜!」
バンドーの無邪気な歓喜は大歓声にかき消されてしまったが、互いに手を取って喜び合うクレアとリン、ひとり渾身のガッツポーズを決めるハインツと、チーム・バンドーのキャラクターのバラバラさ加減は一部の観客の笑いも誘っている。
「……秒殺?そんな……簡単な試合じゃ、無かったですよ……」
顔面の傷をマッサージしながらも、シルバはレフェリーのカウントが終わるまで、一瞬たりとも畳に倒れたトルガイから視線を逸らす事は無かった。
「……テーン!」
カンカンカンカン……
「1ラウンド3分29秒、勝者、ケン・ロドリゲス・シルバ!!」
アレーナがシルバへの拍手と歓声に満たされる中、左頬を擦りながらトルガイはゆっくりと上半身を起こし、シルバが彼の元へと駆け付ける。
「ありがとう!また、戦いましょう!」
シルバから差し出された右手を軽く握り返したトルガイは、自らにも送られる拍手と歓声にリラックスした表情を見せながらも、やや未練がましく、こう呟いた。
「最後、右膝蹴りにしとけば、俺の勝ちだったかもな……」
「シルバ君!おめでとう!」
バンドーの試合程は心配していなかったとは言え、安堵の表情を浮かべたリンがシルバの元へと駆け寄る。
バンドーやクレアもシルバの元に駆け付けたい気持ちはあったが、一応二人に遠慮して少し距離を置く事にした。
「……次はいよいよユミトの出番か……?」
ハインツは自らの出番に備えてギネシュ達を遠目に眺め、ウォームアップに力を入れ始める。
「ギネシュさん、俺が行きます。少しでも挽回しないといけませんしね。メロナは最後に、自分の意思でフィールドに上がるかどうか決めて貰いましょう」
ユミトの言葉に、ギネシュも深く頷いた。
父親として、チーム最年少の愛娘を男性と戦わせたくはないものだ。
「シルバ、ナイスファイト!悪いが、ユミトは俺にやらせてくれ。ランキングを上げるチャンスでもあるんだ」
現在のチーム・ギネシュのエースと言えるユミト・ゼンキンは、ヨーロッパ剣士ランキングではハインツの僅か上を行く男。
地下でのウォームアップの時点から、ハインツの気合いは相当なものである。
両チームの動きに気付いた観客から、ユミトとハインツに向けて声援が飛び始めた。
両チームの試合の中で最も期待されていたカードが間もなく実現するとあって、バンドーやシルバの試合中に用を足していた観客も駆け足気味に席に戻っている。
「……あんたが負けるとは思わないけど、あたし達はまだ無傷よ。ひとりで無理はしないでね」
クレアはやや無愛想な口調で、強敵に挑むハインツを送り出そうとしている。
だが、ハインツからの返事は余りにも彼らしく、チーム一同は苦笑いするしか無かった。
「おい、バカにするなよ!俺が負けたらお前ら絶対4連敗だろ?」
(続く)