定期船、港に到着する
◇ ルニーナ
もう恐怖に耐えられません。これ以上、先に進むのは危険です。緊張感をただよわせる彼の表情が、それを物語っています。
彼が前方の光に気を取られている今がチャンスです。
足音を立てないよう、慎重に後ずさります。そして、彼が死角に入ったと同時に、全力で走りだしました。
成功です。後ろからは何も聞こえません。私の弱々しい足音だけがダンジョンにひびいています。
「おい! ちょっと待て!」
そう安心したのもつかの間、あっさり気づかれました。でも、彼の声が上がったのははるか後方です。わざわざ追いかけてくることなんてないと思います。
「待てって言ってるだろ!」
彼も走りだしました。怒ってます。どうして必死に追ってくるんですか。そのまま調査を続けてください。やっぱり、別の目的があったんですか!?
でも、距離はかせげています。少なくとも、入口までは逃げきれるはず――と思ったんですが、軽快で力強い足音が、すさまじい勢いでせまってきます。
なんて速さですか。甘く見ていました。そういえば、冒険者は常人の数倍の速さで走ると聞いたことがあります。
その時、スライムをふみつけてしまい、足もとで炎が上がりましたが、走っていたのがさいわいしました。
入口はもう間近です。ぬくもりのある光が出迎えてくれて――いるんですが、彼の足音と息づかいが、すぐ後ろから聞こえます。もう息がかかるぐらいの至近距離です。
明らかに、私の走るスピードに合わせていますし。観念してスピードをゆるめました。
◇
入口に到着すると、背後から手首をつかまれました。彼を振り向いてみると、目が完全に怒ってます。眉間にシワが寄っています。
「なんで逃げるんだよ」
こんな声も出せるんですか、って驚くぐらいの低音です。
「怖くて怖くてしょうがなかったんです。も、もちろん、モンスターがですよ!」
「……」
「……何か発見はありましたか?」
私はおそるおそる尋ねました。
「もういいよ。あーあ。せっかく、スライム大発生の原因をつきとめたんだけどなあ。まさか、あんなことになっていたとは」
急にいじけた態度をとり始めた彼は、わざとらしくため息をついてから、浜辺のほうへ歩きだしました。
「何がわかったんですか?」
彼と肩をならべて歩きながら、ご機嫌をうかがうように尋ねると、横目でにらみつけられました。
「頼りにしている『連邦の方』とやらに聞いてみたらどうだ? まあ、教えてくれないだろうけどな」
「その理由は……?」
「聞いた時の反応を見れば、嫌でもわかるだろ」
つまり、連邦の方のしたことが原因ということでしょうか。
心当たりはあります。ダンジョンで何かの作業をしているところを、よく見かけましたから。でも、連邦の方がいる時は、こんなことありませんでした。
それに、町のほうで生活費を負担しているとはいえ、スライムの駆除は無償でやっていただいてます。わざわざ自分たちの仕事を増やす理由はなんでしょう。
◇
その時、林の向こうを歩く三人組を発見しました。そのうちの二人は見慣れた制服を着ていて、町のほうへ向かっています。
あわてて浜辺に出ると、すでに連邦の定期船が停泊しています。水夫の方たちが積み荷をおろす作業を始めていて、沖につき出た桟橋を行きかっています。
大失態です。出迎えをまかされていたのに、彼の相手をしていたばかりに……。これで先方を怒らせてしまったら、私の責任問題になります。
「デカい船だなあ」
追いついてきた彼がのん気に言いました。
これ以上、彼にかまっていられません。早く連邦の方たちを追いかけて、ご機嫌を取らないと。
「なあ。あれに乗れば、連邦とやらに行けるんだよな?」
なんですか、その自由な発想は。それに勘違いしています。連邦とは複数の国家が連合したもので、特定の国をさしているわけではありません。
「タダで乗れるものじゃないですよ」
「知ってるよ、そのぐらい」
私の言葉に耳を貸さず、彼は桟橋のほうへ向かいました。お金を持ってる感じじゃないですし、まさか密航する気じゃないですよね。
でも、今は連邦の方たちが最優先です。ただでさえ関係がこじれていたのに、このままではさらに悪化しかねません。
実は先日、私たちの町と連邦の間で、一触即発の事態になりました。それは連邦から新たに出された要求がキッカケです。
その内容はというと、町に常駐する役人を一人増やし、旧領主の別荘をオフィスとして使わせろというものです。
それだけならまだ良かったんです。我が町の名産であり、主要な交易品でもあるリンゴの買取価格を、十パーセントも下げたいという要求が、火に油を注ぎました。
町のみなさんは大激怒。連邦の方を取り囲んで、罵声をあびせる事態に発展しました。それから一ヶ月間、交渉はこじれにこじれました。
連邦の方は『本国に持ち帰って再検討する』と、予定をくり上げて帰還することになりました。
町のみなさんは手荒なお見送りをしました。もう最後のほうは石とか投げつけてましたから。もちろん、私はとめましたよ!
報復として、連邦が軍を引き連れて攻めこんでくるんじゃないか。そんな不安から、この数カ月間は生きた心地がしませんでした。