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「それにしても、みんな真っ黒なファッションだよね。千歳先生も真っ黒な格好をしてたけど、それって制服なの?」
「あなた、何も説明されていないのね。いいわ、教えてあげる。その代わり、食事をしながらなのを許してね」
「あなたじゃなくてシロちゃんだよ」
「あぁ、シロちゃん……ね」
黒銀は時計棟の脇に無造作に積み上げられたパイプ椅子を二脚引き摺り出し、学園の裏、天使候補生の領域が見える位置に置いた。
パイプ椅子は、黒銀が無断で倉庫から持ち出して置いたものだ。食事は椅子に座らないと落ち着かないからと持ってきた。椅子は最初の座る為の一脚から、ベット代わりにする為の六脚までに増えていた。
黒銀はハンカチで埃を掃うと、白銀に勧めてから自らも座る。
「よければ一緒に食べない。友人が作ってくれるのだけれど、いつも量が多くて食べきれないの」
バスケットを開けると、一人分とは思えない量のサンドイッチが詰まっていた。丁寧に一つずつラッピングされている。
端に小さな水筒とナプキンが詰め込まれていたので取り出し、取り敢えずナプキンを開いてみると二組の小さなスプーンが包まれていた。明らかに二人分だ。
「嫌がらせかしら。沙希のやつ。――はい、どうぞ」
水筒のカップに内蔵されていたコップにお茶らしきものを注いで白銀に手渡すと、自分の分をカップに注いで口に含んだ。何とも言えない変な味だった。
「いいの。わぁ~い、ありがとぉ。お腹へってたんだぁ」
白銀がバスケットからサンドイッチを取り出すと、兎が跳ねている形をしていた。瞳の代わりにブルーベリーが埋め込まれている。
「うわっ、ウサギだよ。かわいいよ」
「今日も無駄に凝ってるわね。どうやって作ったのかしら」
サンドイッチの凝った形と、今どき「わぁ~い」と素直に喜ぶ奇特な存在に黒銀は感心していた。
リスかネズミのような形をしたサンドイッチを検証しながら、黒銀は話を始める。
「この学園には死神科と天使科が有るのは知ってるわよね。黒の制服は死神科。白の制服は天使科の関係者だと思って良いわ。基本的には決まった制服があるのだけれど、アレンジは自由だから改造を……って、ねぇ、聞いてる?」
「ふぇ、きふぃてまふ。むぐむぐ、ごっくん。これ、すっごく美味しいね」
「そうかしら。食べ慣れてる味だから、よく分からないのだけれど」
「ええっ! こんなに美味しいのを毎日なの。いいなぁ。わたしも食べたいなぁ」
「さすがにお弁当は無理だけれど、学食は美味しいって噂よ」
ただし、死神科の学食の話だ。多分、天使科の学食も美味しいに違いない。
「そうなの! すっごい楽しみだよ」
白銀は目を輝かせながら、両手で掴んでいるサンドイッチに齧り付く。小動物が懸命に食べているみたいで、どことなく微笑ましく思ってしまった。
「ちゃんと聞いてね。簡単に言っちゃうと、基本の色調さえ合っていれば、後は好みで良いの。シロ……は天使科だから、白の制服を着ていれば赤や青のアクセサリーを着けても構わないわ」
黒銀はコップにお茶のお代わりを注ぐと、サンドイッチを咽に詰まらせて苦しそうに藻掻いている白銀に渡す。
「ぷぁぁぁ、死んじゃうかと思ったぁ。それにしてもこのお茶って変な味ぃ」
「慣れると美味しいわよ。――なぜ色が決まっているかと言うと、死神は闇から、天使は光から神力を貰っているからよ。だから白銀は白色の服やアクセサリーを身に着けると、神力を貰い易くなるの。ちなみに、神力は魔法を使う為の燃料の様なものね。神様から貰った力を魔法陣に乗せないと、どんなに凄い魔方陣を組み上げても効果はないから、みんな少しでも自分に近い属性の色を選んで着ているの」
「でも、なにも貰ってる感じしないよ。空も飛べないし」
白銀の疑問に答えようと、黒銀は適当に空を指差す。
「あそこに見える結界陣について、何か説明はされた?」
「うん、聞いたような気がする。確か、卵みたいな物だって言ってたかな」
「あぁ、なるほど。その様な感じかも知れないわ。内と外を隔てる、殻のようなものだもの」
黒銀は学園世界の外を知らない。気付いたときにはこの世界に閉じ込められ、死神に成るように定められていた。ここから出られるのは、特別実習か死神になった時だ。
「それで、どうして飛べないの」
「あの結界で制御しているのよ。容易に魔法を使えないように。それと授業以外で魔法を使おうとする行為自体が禁止されているから、練習でも飛ぼうとしない方が良いわよ」
「どうして? せっかくの力なんだから、使わないともったいないよ」
白銀は不思議そうに首を傾げるけれど、黒銀が答える前に「あっ、ペンギンさんだ。かわいい~」と、ペンギンの形をしたサンドイッチに齧り付いていた。お腹が空いていたのか、単に意地穢いだけなのか、黒銀には判断できない。
黒銀は気を取り直し、聞いていなくても良いやと思いながら話を続ける。
「詳しくは知らないのだけれど、魔法が暴走して幾つかの世界が消えてしまった事が有ったそうなの。その過ちを繰り返さないように、正しい力の使い方を教える為に学園が作られたそうよ。つまり、力を制御できるか怪しい若輩者に、勝手に魔法を使わせるのは危険だから、管理されたカゴの中に閉じ込めて使い方を教えましょう、ってことね。分かった?」
「うん、少し分かったかも。それで、何で黒い服なの」
どうやら分かってなかったようだ。黒銀は少しだけ脱力感に襲われる。
「それは神力を得られ易くする……」
「あっ、ごめん。質問がおかしいや。そうじゃなくてね。魔法が使えない場所なのに、何で黒い服しか着ないのかなって。魔法が使えないなら、神力を貰い易くする必要なんてないよね」
白銀の指摘どおりだった。結界陣によって魔法が封じられているのならば、わざわざ取り込む必要のない神力の為に制服の色を限定する必要はない。それに制服とは言っても強制されているわけではなく、中には改造し過ぎて原形を留めていない者もいる。しかし、そんな者でも基調とする色は黒だった。
白銀は話を聞いていないようで、きちんと把握していた。黒銀は少しだけ嬉しくなったけれど、そう感じる自分に戸惑いもしていた。
「わたしの説明が悪かったみたい。ごめんなさい」
気が付くと黒銀は素直に謝っていた。初めての行為に、思わず赤面してしまう。
「え、えっと、ちゃんと説明するわね。わたし達はこの世界に存在するだけで神力を消費するの。そして余った神力を自分の中にため込んでおくのよ。あの結界は神力を自らが消費しているから、中に入ってくる神力は弱くなってしまう。だから少しでも神力を得られるように、みんな工夫しているのよ」
「あれっ、この入れ物ってなんだろ。開けても良い?」
白銀はバスケットの奥から、円筒形の入れ物を取り出した。それは中を真空状態にして完全密封が出来る、食品を保存する為の容器だった。
「良いけど、――開け方は分かる?」
どうやら白銀の集中力は短時間しか持たないらしい。白銀と話をしていると、腰を折られ過ぎて、どこまで説明したのか分からなくなってしまう。だから黒銀は説明を諦めて、白銀の挑戦を見守ることにした。
「えっとぉ、ここを……違うなぁ……ここかな……。あれれ? ……う~ん。ダメだぁ。これ開かないよぉ」
「そこの取っ手を押し込みながら、左にひねると開くの」
「んっしょ。あっ、開いた。うわぁ、凄い入れ物だね、これ」
「小物好きの知り合いが買ってくるの。それが変わった物ばかりなのよ。食材のくっつかない穴あき俎板とか、砥石の要らないデザートナイフとか」
「本当に微妙だね」
白銀はフタを取って中を覗き込むと、食悦の声を上げた。
「わあ~~、プリンだぁ。デザートだぁ。おいしそぉ」
容器の中には一人分とは思えない量のプリンが詰まっていた。ツヴァイのいない黒銀には、沙希の嫌がらせとしか思えなかった。
「まだ食べられるなら食べて。わたしはもう、お腹いっぱい」
白銀にスプーンを渡すと、目を輝かせながら食べ始めた。プリンを口に含んだ時の笑顔に視線が離せなくなる。白銀を見ていると沙希への蟠りが消えて、つい頬が緩んでしまう。
説明を諦めると、急に口が寂しくなった。未だ半分も減っていないサンドイッチを口の中に押し込むと、どういうわけか不思議そうな表情で白銀が見ていた。
「お腹いっぱいだったんじゃ。――あれ? プリンの中に何か入ってる」
プリンの底には、サイコロ状に切られた果物が入っていた。
入れないでと言ってあったのに、やっぱり入っていたかと黒銀は思った。
確かに美味しいのだけれど、黒銀にはどうしても果物が余計な物としか思えない。プリンのとろける食感を果物の異物感が邪魔をするのが、どうしても許せないのだ。
とろける食べ物は噛まずに舌で崩しながら食べたい。たとえ噛まなくても良いように細かく刻んでも、とろけない固形物は生理的に受け付けなかった。
「むぐムグ、…あれ、これ果物じゃない。赤いのは人参? メロンみたいなのはキュウリだよ」
あまかった。今日はサンドイッチの形だけが凝っているのかと思っていたら、こんな所に創作料理が仕組まれていた。
「美味しくなかったら、残して良いからね」
「ううん。美味しいよ。食べてみる? はい、あ~ん」
笑顔でスプーンに乗ったプリンを差し出す白銀。たとえ美味しいのだとしても、プリンに固形物が入っているのが許せない黒銀ではあったが、白銀の笑顔が少しでも曇るのが嫌で、一口だけでも我慢して食べてみる。
……美味しい。確かに美味しいのだけれど、やはり野菜は入って無くても良いと思った。
「美味しくなかった?」
黒銀は微妙な表情をしてしまった事に気が付いた。美味しかったと言っておけば良いのだろうとは思う。好みでなくても美味しかったのは本当なのだ、美味しかったと言っても良いはずだ。でも、その言葉は嘘のような気がする。適切な言葉が浮かんでこない。そもそも何を迷っているのかが、自分でも分からなかった。
黒銀が迷っていると、時計棟から重厚な鐘の音が鳴り響いた。昼休みの終わりを告げる合図だ。
時計塔は正しい時間を指さないくせに、始終時の鐘の音だけは正確だった。
しかも、どこにいようと音量に差が無いのだ。時計棟の横にいても、防音された部屋で聞いても音量は一緒なのに、時計棟の方から聞こえてくるのだけは分かった。
「時間だから行くわね。あなたはどうするの」
「あなたじゃないよ、シロちゃんだよ」
「あうっ……。シッ、シロ……は、どうするの」
「わたしは職員室に戻りなさいって言われてるの」
「そう。場所は分かる? 案内しましょうか?」
天使科の職員室には近づきたくないのだけれど、なぜだか放っては置けない気がした。
「大丈夫だよ。ホウキを片付けてから行くから、気にしないでいいよ」
「そう……、それじゃね」
「うん、またね」
またなど無い。
それを黒銀は知っていた。
何か大事な物を失くしたような気持ちが胸を刺す。理解できない感情の発露に戸惑いながら表情を隠すように踵を返すと、黒銀は教室へと向けて歩き出した。
午後の授業までは、後少しの時間しかない。走れば間に合うだろうと目算を付けて、黒銀は駆け出した。
後ろが気になりはしたけれど、再会する可能性が低いだけでなく、天使の白銀と会ったところで気分の良い接触にはならない。ならば白銀のことを考えるのは徒労であるし、憶えておく事さえ無駄な行為だろう。
忘れてしまえばいいのだ。
こんな事で心が騒つくならば、忘れて楽になってしまえばいいのだ。
そう、この世界に来た時のように。