エピローグ
「はぁ」
これで何度目の溜息だろうか。人として生きていた時の回数を超えているんじゃないかと思う。
寮に帰り着いた黒銀は、ベットに寝転んで溜息を吐いていた。隣の部屋に行けば白銀がいると言うのに、気恥ずかしくて行くことが出来ない。明日には出て行かなければならないのに、いま部屋に行ってしまったら引き留めてしまいそうだ。
「はぁ」
「うりぁ、くろがねぇ。なに部屋にとじこもってんだぁ。飯の手伝いくらいしやがれ」
ドアを蹴破って卯佐が入ってくる。どうやら酔っているみたいだ。夕飯なら沙希が作っているはずだから、手伝うのなら卯佐がやるべきだと黒銀は思った。
「はぁ」
「てめっ、あたしがいるのに溜息吐くんじゃねぇよ。いいか、溜息の分だけ幸せが逃げて行くんだぞ。吐くなら覚悟して吐きやがれ」
ウザイ。とにかくウザイ。一人になりたい時に、卯佐のテンションは辛い。
「あん? なんだこりゃ。指示書? けったいなもの持ってるなぁ。なになに。乙は甲をツヴァイとする事を命じる?」
「勝手に出して読まないで!」
思わず怒鳴ってしまった。卯佐が働かずに飲んだくれていても怒鳴ったことなどないのに。小さな罪悪感が芽生えた。
黒銀には指示書を提出する気は無かった。どうして白銀以外の生徒とツヴァイになれると言うのか。そんなの考えも及ばないし、考えたくもない。望まないツヴァイになるくらいなら、いっそのこと死神を諦めた方が楽になれると黒銀は思っていた。
「なんだ? 乙に黒銀って書けばいいのか。よしよし、あたしが書いてやろう」
黒銀は我慢できずに飛び起きる。卯佐から書類を引ったくると、そのままゴミ箱に放り込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
黒銀は肩で息を切る。自分がどうして興奮しているのか、よく分からなかった。
「乱暴だなぁ。かあちゃん、そんなふうに育てた憶えはないよ」
酔っている莫迦を相手に、何を言っても無駄だった。相手にしなければ出て行くだろうと思い、黒銀は再びベットに転がる。
「なんだ。この書類いらないのか。じゃあ、あたしが貰っちゃおうかね。これに名前を書けば白銀とツヴァイになれるんだろ」
何を莫迦なことを言っているのだろう。メイドがツヴァイになれるはずがないだろうに。しかも白銀とツヴァイになる?
――冗談じゃないわ。白銀のツヴァイはわたしよ。
やはり黒銀には我慢が出来ない。どうしても白銀をツヴァイにしたい。たとえ学園が敵になろうと、わたしは白銀と一緒に居たいのだ。
黒銀は飛び起きる。これから学園長室に赴いて、掴んででも千歳の頭を頷かせるのだ。
「うおっ、どうした。トイレか」
「学園長を締め上げに行ってくる。――えっ? 白銀とツヴァイになれる? どうして白銀なの?」
黒銀は卯佐の言葉に引っ掛かりを憶える。書類を読んだだけで白銀の名前が出て来る理由が分からない。甲の名前を見たのなら、他の知らないような名前が出て来るのが自然だ。
「あん? だって、書いてあるもの」
――書いてある? 何が?
黒銀は卯佐がゴミ箱から拾い上げていた書類を引ったくる。その書類の甲の署名場所には白銀と書かれていた。
状況が理解できず、書類をじっと見詰める。
――だって、学園長は新入生だって……。
白銀は新入生だ。
――勝ったら白銀を賞品としてくれるって……。
別に白銀を賞品にしたっておかしくはない。端から黒銀のツヴァイにするつもりだったのなら、千歳にとって都合のいい話だ。
「だから一週間も封が開かないセキュリティが掛かっていたのね……あれ? でも、紹介できるのは十日後だって……」
紹介できないということは、まだ学園に来てはいないということだ。あの学園長が黒銀を騙す為に嘘を言うとは思えない。だとしたら、もう一人、白銀という名前の生徒が入学するのだろうか。
「何が十日後だって?」
「卯佐には関係ないわ」
「なんだよ。つれないなぁ。そういや十日で思い出したけど、もうすぐ白銀の入学が許可されるな」
「えっ、それってどういう意味?」
「どうもこうも。白銀は仮入学なんだよ。申請が遅れてて、まだ正式な学園生じゃないっちゅうわけだ」
「なにそれ。早く言いなさいよ。使えないわね」
「なっ!」
隣で騒ぐ卯佐を無視して、黒銀は考えを巡らせる。
あの時、学園長は「正式に紹介できるのは十日後」と言ったと思う。あの時、白銀は正式な学生ではないから、紹介されなかったのだろうか。だとしたら、十日後に紹介される正式な新入生とは白銀のことだ。他には考えられない。
黒銀は真剣に考える。この書類は効力を失っていない。しかも自分達の都合でツヴァイになるのではなく、学園からの命令だ。つまり、この書類にサインして提出すれば、正式に白銀とツヴァイになれる。
だけれど、これで良いのだろうか。勝負に負けたくせに、どの面下げてツヴァイだと言えるのだろう。それに初めから白銀とツヴァイにするつもりでアルティメットをさせられたのだ。千歳に弄ばれているようで、黒銀は悔しかった。
じっと書類を見る。
「黒銀。意地は張っていい時と、悪い時があるんだ。張って後悔する意地は、悪い時だからな」
卯佐が酔っているとは思えない口調で話す。その声音は真剣そのものだった。
もしかすると、この書類のことも知っていて、わざと酔っている振りで教えてくれたのかもしれない。
「卯佐……」
黒銀は思わずお礼を言いそうになった。しかし、次の言葉で引っ込める。
「なぁ~んてねぇ~。あたしも偉そうだよね~」
所詮は酔っぱらいだと黒銀は思った。
黒銀は書類に自分の名前を書き殴ると、白銀の部屋に向けて駆ける。
そこには見ていたい笑顔がある。そこには一緒に居たい人がいる。
そこには……。
「シロ!」
「クロちゃん!」
ここは死神を育てる学園だ。
少女達は死神となり、学園という卵の殻を突き破る為に、少しずつ成長していく。
少女達は一人では出来ないことも、二人でなら出来るかもしれないことを知った。