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弱い死神に価値はありますか  作者: 神楽あまみ
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1-1-4

 誰もいないはずの場所に、誰かがいた。

 そこには小柄な少女が箒に跨り、一生懸命に飛び跳ねている後姿があった。

 いつもの黒銀であれば、どこかのネジが外れてしまったとしか思えない行動にも理解を示して見ていない振りをするのだけれど、この時は自分でも不思議に思うくらいに、この奇異な行動に興味を引かれてしまっていた。

 後姿から分かるのは、とにかく白いということ。服は白いワンピースだし、元気に床のパネルを蹴り付ける足元も白で統一されていた。

 そして、とにかく目立つのは髪の毛だった。パールの光沢を持った、白く長い髪。

 少女が跳ねる度に大きく広がり、光を煌びやかに反射する様は、まるで宝石を散りばめた翼を羽ばたかせているかのようだった。

 黒銀は幻想的な光景など見飽きている筈なのに、時間を忘れて見とれてしまった。

 箒に跨った真白な少女が、空を飛ぼうと翼を羽ばたかせている。

 黒銀にはそう見えたし、思いもしたのだけれど、冷静になって観察すれば、箒に跨って飛び跳ねているだけの奇妙な光景に過ぎなかった。しかも段々と跳ね方がオーバーアクションになってきている。

 学園内において白を基調とした服を身に着け、髪まで白くするのは天使候補生しかいない。だから少女は天使候補生なのだろう。もっとも、黒銀が見た事のある天使候補生は皆ブロンドだったが。

 どちらにしろ天使とは関わり合いになりたくない。気付かれる前に立ち去ろうと思った黒銀を引き止めるようなタイミングで風が舞った。それは折しも少女の位置エネルギーが運動エネルギーに変化する瞬間だった。

「わあっ!」

 風は舞い上がっていたスカートを更に持ち上げようと頑張り、その努力は着地するまで続いた。結果として少女が驚きの声を上げる。

「うわわ! スカートが、スカートが!」

 少女は慌ててスカートを押さえるけれど、観測者は後ろにいるのだから、前面を押さえても無意味だ。それに余程薄くて軽い素材を使っているのか、裾が盛大に翻っていた。

「ふわぁ~、びっくりしたぁ」

 無事に着地した少女は、突然の出来事に対する感想を洩らしていた。

 黒銀はやっぱり白なんだ、とだけ思った。

「うわー、恥ずかしいなぁ。誰もいなくて良かっ……」

 少女は周りを見回し始めた。右を向き、返す刀で左を向いた時、少女の深紅の瞳が黒銀の姿を映しだした。瞼が限界と思える程に開かれ、それに合わせて瞳孔が縮小する。

 大きな瞳の中に囚われてしまった黒銀は動く事が出来なくなり、深紅の瞳から視線を離せなくなっていた。

「……あ、あの~」

 少女の小さな唇が微かに上下すると、黒銀には澄んだ鈴の音が聞こえたような気がした。なんて心に染み入る音だろうか。

「見ました? 見てました?」

 黒銀は条件反射的に頷いていた。

 少女の頬に赤みがさす。微かに色付いた肌はまるで桃のように見えた。

――うぁ、触ってみたい。

「ふわわぁー、恥ずかしいです」

 両手で顔を覆い隠す。耳まで真赤になって、まるで瑞々しい林檎の様だった。

 黒銀は俯いて頭を振っている少女の髪の毛に、白とは違う別の色が混ざっていることに気が付いた。周りが白なので分かりづらいけれど、左目の前の一房だけ銀色に輝いていた。

 黒金の左目前にも一房だけ銀色の髪がある。

 黒銀は呆然とした表情で少女を見つめた。自分と同じ場所に、自分と同じ色が有る。白の中にある銀と、黒の中にある銀。これはただの偶然なのだろうか。

「……あの~、どうかしましたか」

 少女は指の隙間からこちらを伺いながら、怪訝そうに声を掛けてきた。

「え……。あっ、あぁ。ごめんなさい、つい見とれてしまって」

 黒銀は偶然なのだと、自分に言い聞かせる。自分の特徴だったものが、少女にもあっただけの話だ。実害は無いのだから気に留める必要も無い。

「見とれてたって……、わたしのぱんつに?」

「ちっ、違うから。パンツは見たけど、見とれてたのは別の場所だからね。そ、そんな事よりも、何をしてたのかしら。こんな所で」

 多少どもりながらも、話題を変えたくて質問をしてみた。

 改めて冷静を装って少女を観察すると、背丈は黒銀よりも頭一つ小さく、クラスで最小を誇る沙希と同じか、更に低いかも知れない。

「えっとですね。あのですね。それはぁ~」

 落ちていた箒を拾い上げながら、恥ずかしそうに少女が話す。

「空を飛べるかなって。ちょっと試してみようかなって」

「あぁ、飛ぶのね。……飛ぶ? 空を? ここから?」

「……あの、何かおかしいですか?」

 おかしいに決まっていた。学園世界を包んでいる結界魔方陣には反魔法の呪文式が組み込まれており、学園の中では魔法が一切使えない。だから、幾ら頑張っても飛べるわけがないのだ。

「でも、飛ぶのって難しいんですね。みんな簡単そうに飛んでたのになぁ」

「それは慣れているからよ。コツさえ掴めば、自転車に乗るくらい簡単に飛べるわ」

 そう、簡単なのだ。結界の中にさえいなければ。

「あ~~、そんなに難しいのですか」

「難しい? ひょっとして、自転車に乗れないの」

「えへへ、お恥ずかしながら。でもですね、一輪車なら乗れるんですよ」

 少女は哀しいくらい強調されない胸を反らして自慢する。確かに一輪車に乗れるのは凄いけれど、何故、より簡単な二輪に乗れないのかが疑問だ。

 勝ち誇ったような、ちょっとだけ生意気な表情がかわいい。わたしがやっても、気持ち悪いだけだろうな、と黒銀は思った。

「あなたは新入生なのよね」

 魔法が使えないのを知らないのは、新入生だからだろうと黒銀は予想した。

「はい。昨日きました。あっ、挨拶がまだでしたね」

 少女は箒を床に置き、手を前に重ねると柔らかくお辞儀をした。

「はじめまして。わたしは、……えっとですね、あ、あれぇ~、何でしたっけ。たしかぁ……あれ?」

 どうやら自分の名前を憶えていないようだった。

 しかし、新入生ならば別段珍しい事ではない。昨日か今日、いきなり名付けられたのだから、失念してしまってもおかしくはない。

 入学時に記憶は封印される。それが死神候補生になる為の取り決めだった。

 それは天使候補生であろうと変わらない。

 人間だった時の記憶は邪魔にしか為らない。死神が人間の常識や規律に縛られていては、神の代行として活動するのは不可能だからだ。友達や親類の魂であろうと、躊躇なく刈れないようでは仕事にならない。

 記憶が封印されても、知識と経験によるであろう技能や癖などは憶えているのだから不思議だった。

 少女の大きな赤い瞳が、申し訳なさそうに見上げてくる。

「ごめんなさいです。忘れてしまいました。わたしの名前」

 ぺこりと頭を下げて謝る。どうやら記憶力はあまり良くないみたいだ。

「次までには思い出します。それか聞いておきます」

「あぁ、気にしないで。聞いたばかりだもの、仕方ないわよ」

――それに、次の機会は無いわ。

 黒銀が思ったことは、あながち嘘ではなかった。

 この学園は天使と死神の候補生とで二分されており、そして、とても仲が悪かった。

 二つに別けられた人間は、争わずにはいられない業を背負っているのかも知れない。

 同じ神を崇めながら、教義の受け取り方が違うだけで殺し合いをするのが人間だ。その元人間が神に仕えるようになっても、性質が変われるはずがなく、役目が違えば亀裂が生じ、大西洋のように広い溝が育ってしまうのだ。

 天使は神の下で天国の管理を行っていることから、自らを神の代行者と名乗って威張り散らしている。天使は神に選ばれた者であり、天使以外は等しく下等なものとして見下していた。尊大な態度で振る舞う天使達に好感を持つ者がいるはずも無く、誰からも嫌われているのが天使だ。

 一方の死神は、全ての魂を管理していた。現世で死亡した魂の全ては死神によって管理される。だから天使であろうと、魂が有る限りは死神の管理下に置かれていた。

 管理下に置くからといって魂をどうこう出来る訳ではないのだけれど、神の代行者を自負する天使には、まるで自分達が死神の管理下に置かれているかのようで気に入らない。

 更には『死を司る天使』だった死神が、いつの間にか『死を司る神』と呼ばれるようになったことも、天使達の癪に障った。自分達ですら神の名を与えられないのに、選りに選って魂を運ぶ事しかできない無能な連中が神と呼ばれているのだ。天使が死神を目の敵にするには十分過ぎる動機だった。

 天使は死神を侮蔑する事によって心の平穏を保っていたが、死神がその様な偏見を甘んじて受け入れる筈がなく、お互いが嫌悪し合うまでに時間は掛からなかった。

 そして、長年に及ぶ確執は教育機関にも深く浸透し、今では死神と天使を一緒の学園にしないという暗黙の決まりが出来ていた。

 それでも、天使が死神を意識するようになる前は仲が良く、同じ学課として存在していたらしい。今では同じ教室に天使が居るなんて、とても考えられない。

 だから栞坂学園のように両学科が同じ学園にある世界は珍しい存在となっている。

 一年程前に死神候補生となった黒銀には、未だ天使を嫌悪する理由が無かったけれど、天使候補生が嫌な奴ばかりだと言うのは理解していた。

「あの、お姉さんの名前、聞いても良いですか」

 少女に名前を聞かれただけなのに、黒銀はお姉さんという響きに胸が僅かに熱くなった。

「わたしは黒銀よ。黒髪に一房の銀色が混ざっているから、黒銀と名付けられたの」

「黒銀さん? あれ? どこかで聞いた事あるような」

 少女はこめかみに人差し指をあてがい、少しだけ頭を傾ぐと、パッと表情が明るくなった。

「ああっ、思い出しました。わたしの名前」

 嬉しそうに微笑み、自分の銀髪を指差しながら少女は名乗った。

「わたしは白銀(しろがね)です。白髪にシルバーで白銀ですよ」

 黒銀は()きれた。あまりに安易過ぎる名付け方だと思ったからだ。

「その名前を付けたのって、学園長でしょう」

「学園長って千歳先生のこと? ――うん、そうです。どうして分かったのですか」

 頷く白銀を見て、黒銀は名前の由来を確信する。白い髪の中に銀色の房が混ざっていたから『白銀』と名付けたに違いない。黒髪に銀色の房があったから『黒銀』と名付けたのも学園長だったのだから予想するのは簡単だ。見た目で名付けるところが学園長らしいと思う。

 死んでこの世界へと来た者は、現世の業と共に記憶と名前を忘れさせられる。そして新しい名前を付けられるのだけれど、名付ける権限は受け入れ先の責任者に一任されていた。栞坂学園であれば、学園長の千歳だ。

 それにしても、まるで黒銀と対になっているような名前だ。先に黒銀が名乗っていれば、すぐに思い出せただろう。

「あれ? でも、黒銀さんの名前って、どこかで聞いたような……どこで聞いたのかな。うにぃ~、思い出せない。……うん、まぁ、いいよね」

 白銀は諦めるのが早かった。

「それよりも、黒銀さん? 黒銀ちゃん?」

「えっ、な、なに?」

「名前の呼び方。どう呼べばいいかなって。普通じゃつまらないよね。クロピョン? クロタン?」

 一人で盛り上がる白銀に少し呆れながらも、黒銀と名前を呼ばれる度に背筋がムズムズして顔が熱っぽくなる。

「好きに呼んでくれていいけど、できれば普通に呼んで欲しいわ」

「じゃあ、クロちゃんって呼ぶね。で、わたしはシロちゃん。名前で呼び合うのは、もっと仲良くなってからね」

「え?」

 聞き間違えかと黒銀は思った。白銀のことを『シロちゃん』と呼ぶように言われた気がする。勝手な名称で呼ばれるのは構わないけれど、呼ばされるのは嫌だった。

 黒銀にはあだ名で呼ばれた事も、誰かを呼んだ経験も無い。しかも名前で呼び合うのが常識の世界で、仲良くなるまでは名前を呼ぶなと言う。

 黒銀の価値観では少女の思考は異質過ぎて、意味は解かっても理性が理解しようとはしてくれなかった。

「逆だよね。普通は仲良くなってからあだ名だよね」

「そうだよ。お友達だからクロちゃん。もーっと仲良くなったら黒銀」

 黒銀は意味が分からなくて戸惑ってしまう。

「ダメ?」

 白銀が頭を傾げて上目遣いで見上げてくる。

 駄目に決まっている。そんな犬や猫を呼ぶような名前は。

「だ……」

 黒銀は言いかけて思い直す。

 落ち着いて考えてみれば、天使科の彼女と出会う事など二度とないだろう。ならば、ここでどのように呼ばれようと構わないのではないだろうか。

 そうだ。決して白銀の寂しそうな表情に、心が揺れたからではないのだ。

「……好きに呼びなさい」

「うん。じゃあ『クロちゃん』って呼ぶね。わたしは『シロちゃん』。……少し犬っぽいかなぁ。ううん、シロちゃんでいいや」

「わたしは白銀で良いと思うんだけど……」

「それでは、わたしはシロちゃん。これからよろしくお願いしますね、クロちゃん」

 笑みを浮かべて楽しそうな白銀を見ていると、不思議と嫌悪感は無く、嬉しいような、恥ずかしいような感情が湧き上がってくる。

 他の誰かからクロちゃん等と呼ばれたら、絶対に打ちのめしているのに。

 何故、白銀に呼ばれても平気なのか、それどころか呼ばれる度に馴染んでしまうのか、黒銀には理解することが出来なかった。

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