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黒銀がソファーで寝ようとリビングに行くと、由旬と卯佐が酒を飲み交わしていた。
「おう、起きたか黒銀。お前もどうだ、一緒に」
「駄目よ。学園を卒業するまでは未成年なの。勧めるんじゃありません」
酒を勧める卯佐に、止める由旬。しかし、黒銀には最初から飲む気はなかった。
「かってぇこと言うなって。つまんねぇやつだなぁ」
「あなた飲み過ぎ。いい加減にしなさい」
呂律の回らない卯佐の前から、由旬は酒瓶を取り上げた。
「う~~」
恨めしそうな卯佐に睨まれても由旬は怯まない。根負けしたのは卯佐だった。
「いいもぉん。いじわるなぁ由旬なんてぇ相手にしないもんねぇ。寝る!」
ふて腐れた卯佐はソファーに寝転び、背を向けて眠ってしまった。初めからソファーで眠るつもりだったのか、置いてあったシーツを由旬が掛ける。
「具合は、もういいの?」
「はい」
「それは良かった」
黒銀はソファーに座ると、単刀直入に訴えた。
「由旬さん。お願いがあります。力を貸して下さい」
「さんはいらない。由旬でいいわ。借りたいのは、わたしの力ではなくてアンプルではないの」
黒銀は感心した。流石は管理省の調査官だ。察しが良い。
「駄目……ですか」
「貸すのは構わないのだけれど、一体何で返してくれるのかしら」
借りた物は返さなければならない。しかし物が薬だけに消耗品で、しかも簡単には手に入らない代物だ。同じ物が返せないのだから、他のもので肩代わりをしなければならない。
「今のわたしには何も返せないけれど、いつか必ず返します」
自分の言葉ながら、まったく説得力を感じない。これでは貸して貰えないだろうと、黒銀は半ば諦めた。
「う~ん。出世払いは駄目って言いたいのだけれど、あなたには借りがあるのよね」
由旬はアンプルを三本取り出した。
「一本毎に一回の貸しね。いつか返してもらうから、心して使いなさい」
「あっ、ありがとう!」
黒銀は頭を下げた。本当に感謝している時は、自然と頭が下がり、言葉が出て来るのだと知った。
「それと、おまけにわたしのベットを貸して上げる。どうせ白銀に取られたのでしょ」
「どっ、どうしてそれを……」
「分かるわよ。あなたよりずっと長い人生経験があるのよ」
「でも、それだと由旬の眠る場所がなくなってしまうわ」
「わたしは大丈夫。ここで朝まで飲み明かすつもりだから」
「そんなの不健康ですよ」
睡眠の必要がない霊体に、身体的な不健康というものはない。あるのは心のあり方に対する不健康だ。
「母親か、あんたは。だったら白銀と一緒に寝るの? 二人じゃ狭いわよ。あっ、ごめんなさい。狭い方が嬉しいわよね」
「なっ、何を言って……。そ、そんなこと、で、できないわよ」
恥ずかしくなった黒銀は、逃げ出そうと立ち上がった。酔っぱらいの冗談からは逃げるのが一番だと経験的に知っている。
由旬の好意に甘えてゲストルームを借りることにした。客から部屋を借りるというのもおかしな話だけれど、他に選択の余地はなかった。ソファーで寝ている卯佐のベットでも良いように思うかも知れないけれど、あの酒臭いベットではとても眠れそうもない。眠れたとしても、起きたら二日酔いになっていそうだ。
「ああ、そうそう。勝ちたいのなら、白銀の指導をして上げなさいよ」
「……うん。分かってる」
黒銀はアンプルを大事そうに抱えて廊下へと消えていく。由旬はそんな黒銀を微笑ましく見詰め続けていた。何となく、懐かしい光景に出会ったかのような気分だった。
黒銀の姿が消えると、由旬は立ち上がって卯佐の眠っているソファーを蹴りつける。
「ほら、どうせ狸なんでしょ。飲み明かすのだから付き合いなさい」
「何だよ。飲み過ぎだって言った癖に」
「ほら、コップ」
酒瓶を向けてくる由旬は、何故か嬉しそうな表情をしていた。何となく理由が分かるような気がしながら、卯佐はコップを差し出す。
「あんた、黒銀に何かしたのか」
「どうして分かるの?」
「そりゃあ、やる気のなかった黒銀が頭を下げてまで勝とうとしてるんだ。しかも頭を下げた相手があんただぞ。何かしたとしか思えないだろ」
「そうね、敢えて言えば、自信をあげたのかしら」
由旬は具体的なことを言わなかったけれど、その楽しそうな表情から卯佐は察した。由旬は黒銀の正体を探り、そこから千歳の真意に近付こうとしている。
止めるべきだろうかと考えたけれど、由旬の笑顔を見て「まぁ、いいか」と思い直す。
由旬が嬉しいのなら、卯佐だって嬉しい筈なのだから。
由旬のしていることは、本来ならば卯佐がやるべき事だった。しかし、どうしても気が乗らなかったから、今まで放置してきたのだ。
だけれど、千歳が時を進め始めてしまった。止まっていた時計の針は、少しずつ文字盤の上を終末に向けて回っていく。
宇佐は思う。自分の思いから逃げることができない千歳は、果たして不幸なのだろうか。それとも幸福なのだろうか。
卯佐は酒瓶を持ち上げると、由旬に向けて傾けた。由旬はコップを差し出して酌を受ける。
いつも苦いだけの酒が、今日は何故だか美味しく感じられた。