五、そのスパイ、勇者パーティに牙を向く。
(さてさて、フレムたちを見つけたのはいいが……これはどういう状況だ?)
現状を正しく把握するために、周囲をグルリと見わたす。
目に付いたのは、数多くのゴブリンの死体とそれから――腹部に短刀を突き立てられた金髪の少女。
(戦闘が始まって少し経過したころか……。というか見たことのない顔が多いな……。合同パーティでも組んだのか?)
ひとまず状況の把握は完了した。
いまだゴブリンロードがピンピンしているところを見るに、苦戦しているのだろう。
(残る問題は一つ。このゴブリンがどちらなのか、だ)
ゴブリンにもいいゴブリンと悪いゴブリンが存在する。
俺がジッと彼らの方を観察していると――。
「ヴヴヴァアアアアアアアアアッ!」
一際体格の大きいゴブリン――ゴブリンロードが槍を水平に構えたまま、こちらに突撃してきた。そして――俺の胸に槍が突き刺さるかどうかのあたりで、ピタリと彼は止まった。
(……ほぅ。さすがは歴戦のゴブリン――ゴブリンロードだな)
知能が人間程度かそれ以下のゴブリンロードが、<黒の契約/ブラック・コントラクト>を感知できるわけがない。おそらくは自然界で研ぎ澄まされた動物的本能が、濃厚な死の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。
「ヴッ……ヴヴ……ッ」
ゴブリンロードはカタカタと両手両足を震わせながら、怯えた表情でこちらを見ていた。
せっかく近づいて来てくれたのだし、少し本人に話を聞いてみるとしよう。
「さて、ゴブリンロードよ。一つ尋ねたいんだが――お前さんたちはいいゴブリンか? それとも悪いゴブリンか?」
「ヴヴ……ッ」
「聞かせてくれよ。ロードともなれば、少しは言葉を話すことだってできるだろう?」
すると彼は、戸惑い気味に口を開いた。
「……我ラ。争イ、好マナイ。イイゴブリン」
低くしゃがれた声で彼はそう言った。
「ふむ……なるほど。しかし、それにしてはお前さんたちの体からは、濃密な血の匂いがするんだが……。これはどういうことだ?」
彼らが身に纏っている粗末な布・手に持つ武器・そして何よりその体からは鉄くさい血の匂いがした。それも頭の先から爪の先まで全身が、である。殺しを日常とするような生活をしていなければ、こうはならないはずだが……。これはいったいどういうことだろうか? ぜひとも納得のいく説明が欲しいものだ。
「ヴ……ッ。ソレハ……ッ」
しかし、待てども暮らせども具体的な返答はなかった。つまり先ほどの発言は嘘であり、こいつらは――。
「そうか。じゃあお前たちは――悪いゴブリンだな」
残念なことに彼らは村を襲い、人を殺す――ごくありふれた悪いゴブリンのようだ。ならば生かしておく意味はない。
俺は右手を前に突き出し、魔法の準備取り掛かる。
「ヴ……ッ!? ニ、逃ゲロォオオオオオオオッ!」
ゴブリンロードは、手に持つ武器を捨て去り、こちらに背を向け逃走を開始した。
統率者である彼の必死の形相を見た他のゴブリンも、何が起きたか理解まではしていないものの、彼に倣ってなりふり構わず逃走を開始した。
「――<魔法範囲強化/ワイデンマジック><死/デス>」
効果範囲を拡大した魔法が発動した次の瞬間。
全てのゴブリンが糸の切れた操り人形のように倒れた。悲鳴も、うめき声も、断末魔もない。
<死/デス>を抵抗できなかったものは、自分が死んだことすら気付かないという。それほど一瞬であっけないほど簡単に、死は訪れるのだ。
「さて、これでやっと本題に入れるな」
別に俺は何もゴブリンロードを討伐するために、ここへ来たのではない。憂さ晴らし……ではなく、魔王からの依頼をこなすために来たのだ。
満を持して火の勇者パーティの方へ向かうと足を向けると、視界の端にぐったりと倒れ伏す少女の姿が目に入った。
(おっと、そう言えば一人瀕死の少女がいたんだったか)
「シャディ……シャディ……っ!」
少女の横には若い冒険者の男がボロボロと涙を流しながら、その手をギュッと握り締めていた。
(……一仕事する前に、助けてやるか)
今日が冒険者『回復術師オウル』の最後の日である。いつもこっそりと支援魔法ばかりを使っていたので、最後ぐらい回復術師としての仕事をするのも悪くない。
俺は彼女のすぐ傍まで歩き、状態を確認する。
(……腹部に深い刺し傷。出血多量に起因する多臓器不全と言ったところか、重傷だな)
しかし、この程度ならば――生きているならば問題ない。
「……あんた、誰だ?」
絶望に暮れた男が、まさに死んだような目で俺を見上げた。
もしかしたら、この二人は恋仲だったのかもしれないな。そんなことを思いながら、俺は回復魔法を発動する。
「まぁ見ているといい――<大回復/グレートヒール>」
神秘的な薄い緑の光がシャディを覆う。するとみるみるうちに、彼女の腹部にあった穴が塞がり、湯水のごとく流れ出していた血液もピタリと止まった。一目見てわかるほどに、彼女の顔色はよくなった。意識こそまだ取り戻していないものの、規則的な呼吸をしており、そのうち目を覚ますだろう。
「こ、この魔法は……っ!? あ、あんた回復術師なのかっ!?」
「あぁ、一応な」
本職は賢者だが、今回の仕事の『設定上は』回復術師である。
「まぁ俺の事は置いておいて――とにかくこれでもう彼女は大丈夫だ。一日ぐっすりと眠れば、すぐに元気になるだろう」
「あ、ありがとう……ありがとうっ! そ、そうだ何かをお礼を……い、いやその前にあんたの名前を教えてくれっ!?」
「オウル。火の勇者パーティで回復術師をやっていた者だ」
「オウルさん……オウルさんか! この名前と御恩、絶対に一生忘れない! 本当に、ありがとうっ! そ、そうだ、何かお礼を……っ!」
「いや、いい。気にするな」
俺がやりたくて勝手にやったことだ。ただの自己満足の行動に対して、お礼なんて不要である。
「さてと」
ゴブリンロードは討伐した。負傷した少女の治療もした。
これでようやく心置きなく仕事をすることができる。
俺は真っすぐに火の勇者パーティ、フレム・モルガン・クワドラの元へと向かう。
そして三人の目の前に立った俺が口を開こうとしたそのとき。クワドラが不快感と敵意を隠そうともせず、こう言い放った。
「ちょっとオウルっ。どうしてあんたみたいな役立たずが、<異空間の扉/ゲート>なんて大魔法を使えるのよっ!」
本職の魔法使いであり、<異空間の扉/ゲート>の難度の高さをよく知る彼女だからこその怒りだろう。もしかするとプライドを傷つけられたと思ったのかもしれない。
(それにしても本人を前にして『役立たず』呼ばわりとは……。一層清々しいまでに悪口だ)
そのかしましいキンキン声に、俺が顔をしかめているのにも気付かず、彼女はさらに捲し立てる。
「それにさっきの魔法は何!? いったい、あのゴブリンたちに何をしたの!? そもそもあんた回復術師のはずでしょ!? どうして魔法使いの魔法をっ!? ――とにかく、ちゃんとわかるように説明しなさいよ!」
ヒステリックに叫び散らすクワドラを、リーダーであるフレムがたしなめた。
「落ち着け、クワドラ。これじゃ話も出来ないだろう?」
「だって、フレム……っ!」
「気持ちはわかる。だが、お前は今少し冷静さを欠いている。自分でもわかっているだろう? すまないが、ここは俺に任せてくれないか?」
「……わかったわよ」
フレムに説得されたクワドラは、渋々といった感じで大人しく口をつぐんだ。
火の勇者フレムと向き合う。こうして会うのは、何だか久方ぶりのような気がするな。
「……久しぶりだな、オウル」
「だな」
会話の切り口を探るように、まずはフレムが軽く挨拶をしてきた。しかし俺としては、あまり話すこともないので、味気のない返答を返すにとどめた。
「聞きたいことは山ほどあるが、まずは確認をしたい。お前は本当にあのオウルなのか……?」
「あぁ。火の勇者フレムにパーティを追放された、あのオウルだよ」
その節は本当にお世話になったものだ。思い出しただけでも、ムカムカとする。
「それじゃ、どうして俺たちを助けてくれたんだ? それにあの女回復術師の治療まで……。俺たちはお前たちを追放したんだぞ?」
「んー……。まぁ、あれは確かにムカついたが、今回の件とは別件だと思ってな」
悪いゴブリンを皆殺しにすることも、回復術師の少女を助けることも、あの一件とはなんの関係もない。結果的に火の勇者パーティは助かったことになるわけだが、そんなことはどうだっていい。俺は俺が正しいと思ったことをやるだけだ。
「……そうか」
そう言った切り、何を考えているのかは知らないが、フレムは黙り込んでしまった。
(……話も終わったようだし、これはもうやっちゃっていいのだろうか?)
仕事なんて早く終わらせるに限る。いつまでもズルズルと、長引かせるのは好きじゃない。
フレムの背後には、頑なに沈黙を守るモルガン。露骨に敵意を向けるクワドラ。そして……一人見覚えのない、派手なツンツン頭の男が一人いる。
(……誰だ、こいつ?)
俺が見たこともないツンツン頭の男を凝視していると、向こうもこちらの視線に気が付いたのか、片手をあげて挨拶をしてきた。
「ウィッス! 初めまして。オウル先輩っすよね?」
「そうだが……すまない、誰だ?」
火の勇者パーティはリーダーである火の勇者フレム・戦士モルガン・魔法使いクワドラ・回復術師(偽)の俺という四人構成だ。こんな男は見たことがない。
「ウッス! 自分オウル先輩と交代で入った魔法使いのアインって言います! いやー、それにしてもパナイっすね! さっきの魔法! オウル先輩は何の役にも立たないただ飯食らいだって聞いてたから、俺もうびっくりしましたよっ!」
新入りか……。そういえばそんな話を別れ際にフレムが言っていたような気がする。
それにしても『ただ飯食らい』……か。いや、もはや何も言うまい……。
そんなことよりも、きちんと確認すべきことができてしまった。
「ところでアイン。お前は火の勇者パーティの一員なのか?」
「えぇ、一応そんな感じでやらせてもらってます!」
「そうか……それはついてなかったな」
新入りと言っても勇者パーティの一員であることに違いはない。魔王のオーダーは『勇者パーティを潰す』こと。全く何の恨みもないが、彼にも少し痛い目にあってもらおう。
「悪いな。少し眠っていてくれ――<衝撃波/ショックウェイブ>」
「……え? パガァッ!?」
威力を最大限に抑えた<衝撃波/ショックウェイブ>がアインの顔面を直撃した。
油断し、気を抜いているところへの不意の一撃。彼はいとも簡単に意識を手放し、その場で倒れ伏した。
「「「なっ!?」」」
それを見た火の勇者パーティの面々は、すぐさま俺と距離を取り、それぞれの獲物に手を伸ばす。
「何をするんだオウルっ!?」
「オウルボーイっ!? これはいったいどういうことだね!?」
「あんた、自分が何をしたかわかっているの!?」
三人は凄まじい敵意を放ち、俺に刃を向ける。
「ま、こっちにもいろいろあってな。悪いが、少し痛い目にあってもらう。――安心しろ、命までは取らんさ」
こうして俺は、火の勇者パーティとの戦闘を開始した。