二、そのスパイ、勇者の襲撃を受ける。
火の勇者パーティからリストラを食らった次の日。
俺は荷物をまとめて、サリエスの街をあとにした。
別に火の勇者パーティの奴らに会いたくないとかではなく、ただ仕事が終わったから家に帰るだけだ。
サリエスの街を出て、俺は大きく伸びをする。
「んー! 良い朝だ!」
小鳥のさえずりに、パリッと乾いた優しい風。
昨日のムカムカとした気持ちがどこかへ飛んで行ってしまうようだ。
俺の家……というか俺が経営している孤児院は、この近くの森のちょうど真ん中にある。空間移動系の魔法を使えば一瞬で帰れるのだが、今日は気持ちのいい快晴。せっかくだから、歩いて向かうことにした。
それからのんびりまったりと歩いていると、遠目に森が見えてきた。孤児院を隠すために俺が魔法で作った人工の森である。
「もうすぐだな」
そのまま森に入り、綺麗に整備された落ち葉一つない道を真っすぐに進む。
すると一体の巨大なゴーレムが目の前に現れた。ゴーレムは、ゆっくりと膝を付き、こちらに頭を垂れた。
「ウゴゴ……お帰りなさいませ……オウル様……」
俺の召喚した警備ゴーレムだ。左手に専用の大きな箒を持っていることから、孤児院の警備兼森の清掃をしてくれていたことがわかる。
「あぁ、ただいま。いつも見回り、ありがとうな」
「ウゴゴ……もったいなきお言葉……」
その場で大粒の涙を流すゴーレムに「それじゃ」と告げ、再び道なりに真っすぐ歩く。
しばらく進むと森を抜け、広い広い草原に出た。そこではいくつもの畑が広がり、その中心に大きな屋敷が建っている。あれが俺の運営する孤児院だ。
孤児院の前では、三人の子どもが楽しそうにボール遊びをしており、そのうちの一人――狐娘のファーがこちらに気付いた。
「あっ、おじさんだ!」
それを皮切りにして、次々に子どもたちがこちらに気付いた。
「おじさんが帰ってきたー!」
「えっ、どこどこ!? あっ、ほんとだ! おーい、オウルのおじさーんっ!」
今日も元気いっぱいの子どもたちが、笑顔で俺の元へ駆け寄ってくる。
「ファー。ルーサー。ピリン。ただいま」
「「「おじさん、おかえりー!」」」
「ちゃんと、いい子にしてたか?」
「「「うん!」」」
ここにいる子どもたちは、その全員が身寄りのない子どもたちだ。ファーもルーサーもピリンも、初めて出会った頃は虚ろな目をしており、笑うことなんてなかった。それが今ではこんなに楽しそうに笑ってくれる。
「ねーねー、おじさん。一緒に遊ぼうよー!」
「遊ぼー遊ぼー! 僕、鬼ごっこがいいなー!」
「えー、おままごとの方が楽しいよー!」
足元でワイワイと何をして遊ぶかを決め始めた子どもたち。
しかし、大変申し訳ないが俺は今からやらなくてはいけない仕事がある。
「いや、すまんな。俺はこれから少し仕事があるんだ」
「えーっ!?」
「せっかく帰ってきたのにまた仕事ー!?」
「一緒に遊ぼうよー! お仕事なんかよりも絶対楽しいってー!」
すると子どもたちは、俺の服を引っ張って必死に「遊んでほしい」というアピールを始めた。
「はぁ……わかったわかった。すぐに仕事を終わらせてくるから。それが終わったら、一緒に遊ぼう」
「「「やったーっ!」」」
仲良くハイタッチをする子供たち。
「それじゃ、それまではみんなで遊んでてくれ。喧嘩はせずに、ちゃんと仲良くするんだぞ?」
「「「はーいっ!」」」
そう言うと子どもたちは、元気よく走っていった。
「おじさんありがとーっ!」
「お仕事頑張ってねー!」
「待ってるからねー!」
「こらこら、危ないから前を向いて走れ。前を!」
「「「はーいっ!」」」
全く……本当に元気ないい子たちに育ってくれたな。
「さて、いっちょ気合を入れて頑張るか」
時間短縮のために頭の中で報告書を整えながら、孤児院へと向かった。
■
その後、孤児院内の私室で魔王への報告書をしたため終えた俺は、大きく伸びをする。
「んー……これでよしっと」
ここには人間の機密情報――現在極秘裏に進められている作戦や勇者の位置情報などなどがてんこ盛りとなっている。
報告書を封筒に入れて、しっかりとのり付けを行うと――。
「おつかれさまです。オウル様」
背後に控えていたハイサキュバスの少女――サキュラから声がかかった。
サキュラはサキュバスの上位種族ハイサキュバスだ。透き通るような白く美しい肌。まるで生糸のような上品な銀色の髪。おとぎ話に出て来そうなほどに整った顔立ち。そして非常に身持ちが固く、肌の露出を嫌うため、黒い貫頭衣のような衣装を着込んでいる。この孤児院での頼れるお姉さん役だ。
「ありがとう、サキュラ。……それにしてもお前、みんなと遊んだり休まなくてもいいのか?」
いったい何が楽しいのか、彼女はよくこうして俺が仕事をしている姿をニコニコと眺めている。別に俺としては一向にかまわないのだが、サキュラは退屈ではないのだろうか?
「いえ。こうしてオウル様の雄姿を見ていられる時間こそが、私にとって至高のひと時ですので」
「ゆ、雄姿と来たか……」
ただの書類仕事なんだがなぁ……。
そうして俺が苦笑いをしていると――。いったいそれをどう解釈したのか、サキュラは暗い顔をして問うてきた。
「その……お邪魔、でしょうか?」
「いやいや、決してそんなことはないぞ。誰かに見られながらする仕事は、ピリッとした良い緊張感をもってできるからな」
本当のところを言うと、初めは――彼女が仕事中の俺の背を見つめ始めたころは、視線が気になって中々集中することができなかった。しかし、今ではそれがほどよい緊張感となっており、いい具合に集中することができている。
「それは良かったです。あっ、そうだ。私、コーヒーを入れて来ますね。いつも通りブラックでよろしかったでしょうか?」
「あぁ、頼む」
「わかりました。ちょっと待っていてください」
そう言って彼女が部屋から出て行こうとしたそのとき――。
「お、おじさんっ!」
先ほど外で遊んでいた狐娘のファーが部屋に駆け込んできた。
「どうしたんだ、ファー? そんなに慌てて」
「きゅ、急に知らない女の人が来て……それで……っ! ゴーレムさんが、ゴーレムさんが……っ!」
彼女は今にも泣きだしそうな顔で、必死に言葉を紡いだ。
「ふむ、珍しいな侵入者というわけか……。ファー、簡単に座標を教えてくれ」
「え、えーっと……っ。た、多分、トウモロコシを植えていたあたりだと思う」
「そうか、ありがとう」
それだけわかれば十分だ。
「サキュラ、ファーのことは任せたぞ」
「オウル様は!?」
「おじさんは!?」
「少し出てくるよ。心配するな、すぐに終わる――<異空間への扉/ゲート>」
俺は空間移動魔法を発動させ、目の前に出現した扉をくぐった。
■
扉をくぐった先では――。
「はぁああああああっ!」
ちょうど謎の少女が、警備ゴーレムを一刀両断するところだった。
「ウ、ウゴゴ……オウル様……申し訳ございません……」
最後にそう言い残すと警備ゴーレムは動かぬ土塊となった。
「ほぅ、俺の作った警備ゴーレムを倒すとは……。若いのに中々やるじゃないか……」
眼前に立つ謎の少女をじっくりと観察する。
長い金髪をポニーテールにして、金と白を基調とした防具。武器は刀身が真っ白な刀――おそらくは聖剣であると推測される。相手に少々キツイ印象を与える整った顔立ちの美女だった。
(外見上これといった特徴はなし、ということは……。なるほど……どこぞの『勇者様』か)
俺の召喚した警備ゴーレムを単騎で討伐するほどの人間だ。『何らかの勇者』であることは間違いないだろう。
「はぁはぁ……貴様があの『禁忌の王』か……っ!」
少女は鋭い眼光と聖剣の切っ先をこちらに向けた。
「――いかにも」
と自信満々に答えてみたものの、正直目の前の少女が何を言っているか全くわからなかった。
(……禁忌の王? 何だそれ、初めて聞いたぞ……)
「やはりそうか……っ! 閃光の勇者の名において、その命もらい受ける!」
すると彼女は聖剣を持った右手をグッと後ろに引き、腰を深く落とした。聖剣の切っ先は、しっかりと俺の心臓へと向けられており、凄まじい殺気を放っている。
「んん……?」
そのとき俺は何とも言えぬ奇妙な既視感――デジャヴを覚えた。
(あの独特な構え……以前、どこかで……?)
それによくよく見れば、彼女の顔も見覚えがある……ような気がする。
俺が目を凝らして、その顔をよく見ようとした次の瞬間。
「――覚悟っ!」
彼女の姿が一瞬にして消え去り、一筋の黄色い閃光が視界を走った。
そして――。
「……お?」
「ふっ……手ごたえありだ!」
気付けば、聖剣が俺の胸に深々と突き刺さっていた。
胸のあたりからドロリとした血が流れ出し、聖剣に鮮血がしたたり流れ――。
「――あぁっ! 思い出したぞ、その顔!」
俺はようやくこの見覚えのある少女の正体にたどり着いた。
「な、なにっ!?」
少女はまるで化物でも見たかのように顔を青くすると、後ろへと大きく跳び下がり、俺との距離を大きくとった。
「お前さん、もしかしてツァドラス=レスドニアの娘じゃないか?」
「っ!?」
「ふふっ、その顔……どうやら図星のようだな。うんうん、凛とした面ざしがよく似ている……。しかし、ツァドラスめ、まさか娘をこしらえていたとはなぁ……」
見れば見るほど、目の前の少女は俺の友人――ツァドラス=レスドニアによく似ていた。それに今思えば、声質もよく似ているではないか。
(ふむ、そういえば最近ツァドラスとは顔を会わせていないな)
友人の近況が気になった俺は、その娘であろう少女に聞いてみることにした。
「どうだ、ツァドラス娘っ子よ。あいつは今も、元気でやっているか?」
すると彼女は、怪訝な顔つきでこちらを見やった。
「……貴様、本当にいったい何者だ?」
「ん? そうだな……」
まさか魔王と人間の二重スパイです、と言うわけにもいかない。
「ツァドラスの――お前さんの母親の友人ってところだな」
彼女に伝えるべき「俺」という存在は、ここらが適切なところだろう。
しかし、それを聞いた彼女の表情は、一層険しいものとなった。
「ふざけるな、禁忌の王よ! 私の問いにちゃんと答えろ!」
「いや、だから俺はツァドラスの友人だと――」
「――ツァドラス=レスドニアは、私のひいひいひいひいひいお婆様。百年以上も前に亡くなっている。もう一度聞くぞ――貴様はいったい何者だ?」
……ツァドラスが……死んだ?
親しき友人が死んだという突然の報告に、視界がグラリと揺れる。
「そうだったのか、もう……亡くなっていたのか」
一瞬、嘘かと疑ったが、そんな嘘をつくメリットは何もない。おそらくは……いや、間違いなくそうなんだろう。
最近顔を見せないと思っていたが、まさか……な。
「ツァドラスめ……」
言いたいことは山ほどあるが、うまく言葉にできなかった。
俺がツァドラスとの思い出を振り返っていると――。
「……くそっ。ここまで……か……」
ツァドラスの娘っ子は、突如力なく倒れた。
息も荒く、額には玉のような大粒の汗が浮かんでいる。心臓のあたりをギュッと強く押さえ、息も絶え絶えといった様子だ。
「っと、すまんすまん忘れていた」
俺の心臓を貫いたことにより、自動迎撃魔法<黒の契約/ブラック・コントラクト>が発動してしまっていたのだ。この魔法を受けたものは体の一か所に死の刻印が浮かびあがり、それを破壊しなければ苦しみ抜いた果てに死に至る。
「どれ……」
魔法を解除するために、彼女の防具を外していく。
(顔、腕、足……ないな)
体の各部を見ていくが、死の刻印はいまだ見つからない。
そして彼女の肌着に手をかけたとき、何とも言えぬ罪悪感に駆られた。
「……ツァドラスよ、勘違いはしてくれるなよ? これはれっきとした医療行為だ。決してお前の子孫に不埒なことをしているわけではないからな?」
今は亡きツァドラスへしっかりとした言い訳を残し、彼女の肌着を引き裂いていく。一々丁寧に脱がしている暇はない。
「よしよし、こいつだな」
彼女の胸の中心に、死の刻印――黒い薔薇が浮かび上がっていた。
「――<上位魔法無効化/グレート・ディスペル>」
魔法を無効化する魔法を唱えると、黒い薔薇はサラサラと崩れ去った。
同時にツァドラスの娘っ子の荒かった息も収まり、苦悶に満ちた表情も幾分か和らいだ。
「これでよしっと。さてと、とりあえず孤児院に運び込むか。――<異空間への扉/ゲート>」
俺は彼女を背に乗せ、あまり衝撃が伝わらないようにゆっくりと、異空間への扉をくぐった。