五、そのスパイ、困惑する
その後、ヌイと入れ替わりに風呂へと入った俺は、お湯のたっぷりと入った浴槽の中で大きなため息をつく。
「ふー……っ」
ただヌイの家に遊びに来るだけだったはずが、何だかドッと疲れてしまった。
もちろんこれはヌイが悪いわけではなく、ロンさんとマリアさんが原因だ。
(それにしても……、二人はいったい何を考えているのやら……)
俺の家や資産について根ほり葉ほり聞いてくるものの、魔法を破った件についてはノータッチだった。何を狙っての質問なのか、全くもって理解不能だ。
(……とにかく、ここで一夜を明かすのは危険だな)
自動迎撃魔法<黒の契約/ブラック・コントラクト>を展開中とはいえ、油断は禁物だ。いったいどんな手札を隠し持っているのかわかったものではない。
(ヌイには悪いが、今日はもう帰らせてもらおう)
浴槽から立ち上がった俺は、風呂場を出て体の水気を拭く。
服は風呂に入る前に、<異空間の扉/ゲート>を使って自宅から持って来ているから問題ない。
(よし、それじゃさっさと帰るか)
寝間着に着替えた俺はサッとタオルで髪を乾かし、ヌイの部屋へと向かう。
部屋の前に立った俺は、前回の反省を踏まえて扉を優しくノックする。こうすればどんな事故も起こりようがない。万が一、ヌイが着替え中であった場合の予防策だ。
「ヌイ、入っていいか?」
「あ、えっと……。はい、どうぞ……」
どういうわけか彼女の返答は、微妙に歯切れの悪いものだった。
「……? 入るぞ」
嫌な予感がする……が、いつまでもここに立っていても仕方がない。
意を決して扉を開けるとそこには――。
「……何だ、これ?」
思わず二度見してしまうほど大きなダブルベッドが、部屋の中央を陣取っていた。その大きさたるや部屋の面積をほぼ埋め尽くしてしまい、まともに足の踏み場もないほどだ。……いったいどうやって運んだのやら。
(こんなものつい先ほどまでは、なかったはずだが……)
説明を求めるように、ヌイの方へ視線を向けると。
「す、すみません……。お父さんが、急に魔法で運んで来まして……」
ピンク色の可愛らしいパジャマに身を包み、ベッドの上で女の子座りをしたヌイが申し訳なさそうに言った。
(はぁ……。本当にあの二人は何を考えているんだ……?)
そんな風に扉の前で棒立ちしていると――。
「……っ!?」
俺の魔力探知に巨大な魔法が引っ掛かった。
「こ、これは……っ!?」
どうやらヌイも感じ取ったようだ。
「ふむ……どうやら閉じ込められてしまったみたいだな」
目を凝らせば、この部屋を中心とした次元断層結界が展開されていた。それもただの結界ではない、<反魔法無効化/アンチ・ディスペル>を使って強化までされたものだ。
(……そこまで俺をこの部屋から出したくないのか?)
この魔法があの二人の仕業であることは日を見るよりも明らかだが……やはり、その目的が全く見えてこない。
すると――。
「この感じ……多分、お父さんとお母さんの魔法です……」
本当に申し訳なさそうな顔つきで、ヌイがそう呟いた。
「まぁ、そうだろうな」
この家はそもそも認識阻害と不可視化の魔法に守られているため、外部から攻撃されるとは考えづらい。ましてやヌイの部屋ピンポイントに結界が張られるなんて、あの二人の仕業としか思えない。
(ふむ……この結界を破ることは簡単だが……)
どこまで高度な魔法だろうが、所詮は結界。俺に対して最も効果を発揮しない魔法の一つだ。
(……問題はヌイだな)
現状、俺は魔王軍のスパイとしてグリフィス高等学校に潜入している。任務遂行のためにも、普通の学生を演じ切らなければならない。
(つまり……こんな大規模な結界を破壊するところを、彼女に見られるわけにはいかない)
はてさてどうしたものか……。
(俺に対して危害を加えてくるならば、それ相応の対応をするのだが……)
いかんせん、ただ閉じ込められただけである。それも何故かヌイと一緒に。
(仕方がない……ひとまずヌイが寝付くまではこのままでいるしかないな)
彼女がしっかりと眠ったことを確認した後に結界を破壊し、<異空間の扉/ゲート>を使って孤児院に帰ろう。
そうして今後のプランが出来上がったところで――。
「……ごめんなさい、オウルさん。こんなことになってしまって……」
しょぼくれたヌイがペコリと頭を下げた。
「いやいや、ヌイが気にすることじゃない」
悪いのは全てロンさんとマリアさんだ。
「うぅ、本当にすみません……。お詫びの印と言ってはなんですが……、私は床で寝ますので、オウルさんはベッドで寝てください」
「床……と言ってもなぁ……」
チラリと視線を床に落とすが……残念ながら大き過ぎるベッドによって、完全にスペースが潰されてしまっている。仰向けに寝ることもうつ伏せに寝ることもできない。かろうじて横になって、壁とベッドに挟まれるような形が限界だ。そんな状態で寝ようものなら、明日は体のあちこちが悲鳴をあげるだろう。
「いや、俺が床で寝るから、ヌイはそのままベッドで寝ていてくれ」
「そ、そういうわけにはいきません! オウルさんはお客さんですし、何よりこうなった原因はお父さんとお母さんなんですから!」
「いやいや、俺は大丈夫だから――」
「いえいえ、そういうわけには――」
そうして話が平行線をたどりかけたそのとき。
「その、もしオウルさんが嫌でなければ……一緒に寝ませんか?」
ヌイがそんな提案を持ち出してきた。
「……一緒に?」
「あ、え、えと! その、一緒にというのは、ベッドの上で一緒に寝るという意味でして! い、いや『寝る』と言っても特に深い意味があるとかないとか……っ!?」
その慌てっぷりが何だか小動物みたいで可愛らしく、ついクスリと笑ってしまう。
「ヌイが構わないなら、俺はそれでいいぞ」
それにこのまま話しを続けてもヌイが折れることは無さそうだしな。
すると――。
「そ、それではどうぞ……っ」
そう言って彼女は自分の右隣のスペースをポンポンと叩いた。
俺はその言葉に甘えさせてもらって、ヌイの右隣に寝転がる。
見慣れない天井、何だか変な気持ちだ。
「で、電気、消しますね……?」
「あぁ」
彼女が電気を消すと、部屋は真っ暗になった。元々家が橋の下にあるということもあり、部屋の明かりが無くなれば、文字通り本当に真っ暗だった。
「お、おやすみ、なさい……っ」
「おやすみ、ヌイ」
■
それから何分、いや何十分が経っただろうか。
(……中々寝付いてくれないな)
先ほどからほんのわずかにだが、ベッドマットが揺れている。
きっとまだヌイが起きているのだろう。
(さすがに異性が隣で寝ているとなれば、中々気が休まらないか)
俺とは違ってヌイは年頃の女の子――当然の反応である。
(しかし、あまりに長居するのも危険だしな……)
いつ何時、ロンさんとマリアさんが仕掛けてくるかもわからない。できれば、ヌイには今すぐにでも眠ってほしいというのが本当のところだ。
(仕方ない……ヌイには悪いが、少し魔法を使わせてもらおう)
彼女の魔法探知にかからないように、無詠唱化した魔法を発動する。
(――<睡眠/スリープ>)
出力を限界レベルにまで引き下げた<睡眠/スリープ>。これならばいい具合に眠ってくれるだろう。
すると――。
「……オウルさん?」
俺が魔法を発動するとほとんど同時に、ヌイが俺の名を呼んだ。
(き、気付かれた……!?)
<睡眠/スリープ>は試験時に使った<斬鉄の風/スラッシュ・ウィンド>よりも遥かに難易度の低い魔法だ。ただでさえ魔力感知に引っ掛かりにくいものを無詠唱化したというのに、気付かれるわけがない。
俺が内心で冷や汗を流していると。
「あの……起きてますか……?」
魔法が効果を発揮しているのだろう、彼女はどこか舌ったらずな口調でそう言った。
「あ、あぁ……起きてるぞ」
「そう、ですか……」
それから何とも言えない沈黙が降りる。
「……」
「……」
これは……気付かれてないのだろうか?
もし俺の魔法を察知していたならば、もっと何かアクションを起こしてもいいはずだ。おそらく……いや、ほぼ間違いなく気付かれていないと考えていいだろう。
俺がそうしてホッと胸を撫で下ろしていると、ヌイがポツリとつぶやいた。
「その……今日は、ありがとうございました」
「……ん?」
何故お礼を言われたのか。
その理由に思い当たるところのなかった俺は首を傾げる。
「私……こんなに楽しい日は、生まれて初めてかもしれません」
「少し大袈裟な気もするが……まぁ、俺も楽しかったな」
「また……一緒に、遊んでもらえますか……?」
もう<睡眠/スリープ>の効果が全身に回っているのだろう、ヌイの言葉はとぎれとぎれになっていた。
「もちろんだ、約束しよう」
「や、った……ありがと、うござぃます……」
そう言ったっきり、ヌイは喋らなくなった。
代わりにスーッスーッという可愛らしい寝息が聞こえてきた。
「……ヌイ、寝たか?」
念のため、優しく肩を揺さぶってみる――が、全く反応がない。
(よし、ぐっすりと寝ているな)
これでようやくこの部屋から脱出することができる。
「そうだな……念のために<睡眠/スリープ>を重ね掛けしておくか」
一回目に発動した<睡眠/スリープ>は魔力感知に引っ掛からないように、出力を最低レベルにまで引き下げている。つまり、現在ヌイの眠りはそれほど深くない――ちょっとした衝撃で目を覚ましかねないほどに。
ベッドから起き上がった俺は、彼女の枕元に立つ。そして魔法を発動しようとしたところで――ピタリと手が止まった。
(それにしても……我ながら酷い絵面だな……)
クラスメイトの女の子に<睡眠/スリープ>を重ね掛けしようとする男――控え目に言ってもよろしくない。
(い、いやいや……これは仕方がないことなんだ。そもそも本を正せば、ロンさんとマリアさんが結界を張らなければ、こんなことをせずに済んだ)
つまり、俺は被害者であって決して加害者ではない。
そうして自己の正当化を果たした俺は、心を鬼にして魔法を発動させる。
「悪いな、ヌイ。――<睡眠/スリープ>」
魔法は無事に発動し、ヌイの睡眠はより深いものとなった。これでちょっとやそっとでは起きないだろう。
(ふむ……それじゃそろそろお暇するか)
<異空間/ゲート>を使ってひとっ飛び……と行きたいところだが、まずはこの次元断層結界を破壊する必要がある。
「結界の端は……っと、ここだな」
部屋の扉を開けるとそこには、薄っすらとした透明の膜のようなものがあった。結界の一部である。
「それじゃ、ぶっ壊しますか」
スッと手を伸ばし、その結界に触れた瞬間――結界は引き裂かれるように消滅した。俺のこれは、<魔法無効化/ディスペル>とは違う。いくら結界を強化したところで無意味だ。
「さて……急ぐか」
術者は魔法が破られたことを即座に察知することができる。
あと一分もしないうちに、あの二人はここへ来るだろう。
「それじゃあな、ヌイ。――おやすみ」
そうして俺は、座標を孤児院の私室に設定した<異空間の扉/ゲート>をくぐり、無事にヌイの家から脱出した。
※読んでそのままサイトを閉じられる方へお願い申し上げます。
もし最新話まで読んで少しでも面白いと思ってくださったのなら、読了報告代わりに評価を入れて頂けると読まれている事がわかるので、とても助かります。m(_ _)m
【作者の言い訳11】拝啓読者のみなさま、いかがお過ごしでしょうか? 約二カ月ぶりの更新。本当に……本当にすみませんでした……>orz 理由を書き連ねますと、仕事仕事仕事仕事病気仕事仕事でございます。約二カ月の間、見事にノックアウトされていました……。しかし、地獄の八月九月を乗り越えた私に不可能はありません。宣言いたします――これからはだいたい三日に一度更新する、と。(ここで毎日更新と言えないところに、圧倒的な小物っぷりが窺えますね)。というわけで、次回更新は三日後を予定しております! これからも全力で書き進めていきますので、今後とも応援していただけると嬉しいです。少しでも面白かったり、更新がんばれと応援していただけるならば評価ポイントを入れてもらえるととても嬉しいです。
※次回は待望の新エピソード! お楽しみに!




