一、そのスパイ、急遽呼び出される。
クラスメイトとの簡単な顔合わせを終えたその日の夜。
俺は急遽魔王ことラフィ=エーデルワルツに呼び出された。
何でも緊急の用事ができたため、すぐに魔王城へ戻ってきてほしいとのことだ。
(全く今度は何事だ……?)
時折このようにしてラフィから呼び出されることがあるが……いつもつまらない要件ばかりだ。テレビが映らなくなっただの、ゴキブリが出ただの……ひどいときは寂しいからという理由で呼び出されたこともあった。
(どうせ今回もまたつまらないことなんだろうな……)
そんなことを思いながら、俺は魔王城の最上階にある魔王の間を目指した。
階段を上へ上へと登り、威圧感のある大きな扉をくぐり魔王の間へと入る。
「よく来たわね、オウル」
「はぁ……今回はいったい何の用だ? こっちも暇じゃないんだぞ?」
ラフィはいつものソファの上――ではなく。部屋の最奥にある玉座に足を組んで座り、珍しく真面目な顔をしていた。顔が整っているだけに、その無駄に様になるポーズが少し腹立たしく思えた。
「まずは、そこにある資料を見てちょうだい」
そう言ってラフィが指差したのは、机の上に置かれた五枚の書類だった。
「ん、こいつか?」
手に取ってザッと中身に目を通す。
(ふむ、どうやらこれは魔王軍の作戦資料のようだな)
そこには簡潔な作戦内容とその結果――失敗と書かれていた。
「ふむ、見事に全て失敗しているな」
「えぇ、そうなのよ。どれも私が考えた完璧な奇襲作戦なのに、何故か人間たちはこれに完璧な対応をしてきてたのよね。そう――まるで初めから私たちが攻めてくるのをしっているかのように」
俺とラフィの視線が交錯し、ピリッとした緊張感が流れ始める。
「どうやら魔王軍の機密情報が、人間側に漏れているようなのよ」
「……なるほど、それは由々しき事態だな」
このポンコツにしては鋭い。
実際この五件の作戦情報を漏らしたのは――俺だ。
「えぇ。そこで――オウルには、その犯人が誰か突き止めて欲しいのよ」
「……ほぅ」
これは……試されているのだろうか?
俺が人間側に情報を流していたことをラフィは薄っすらとだが勘付いており、俺の反応を見るためにこんなことを言っているのではないか。……そこまで警戒したところで、馬鹿らしくなってやめた。
(いや、冷静になって考えたら、このポンコツに限ってそんなことはありえないな……)
ラフィのあまりの頭の悪さには、先代の魔王もよく頭を抱えてた。まぁ親バカで甘やかして育て過ぎたあいつにも責任の一端は存在するが……。
「というわけでオウルには、魔王軍から向こうに寝返った裏切り者を探し出して欲しいのよ!」
やっぱりいつものポンコツラフィだった。
スパイに裏切り者ををあぶり出せと命じてどうする。
しかし、そんなことを言うわけにもいかず、俺は真面目くさった顔で対応する。
「ふむ……そう言われてもな……。ラフィも知っての通り、魔王軍はこの世界を代表する一大勢力だ。当然所属しているモンスターも多く、その中から裏切り者を探し出すとなると、骨が折れるどころの話じゃないぞ?」
というかそもそも犯人は俺であるから、この捜査は間違いなく無駄になる。
「大丈夫よ。ある程度の絞り込みはできてるから!」
ラフィは玉座から立ち上がり、俺に手渡した五枚の作戦資料のうち、二枚を指差した。
「これとこれは魔王軍でもほんの一握りの者――幹部以上の地位を持つものしか知らないはずなのよ! つまり――」
「少なくとも一人、幹部に裏切り者がいるということか」
「そういうこと!」
目の前にいる俺が犯人だと知ったら、彼女はいったいどんな反応をするだろうか。少し興味があったが、そんなことをすれば今までやってきたことが全て水の泡になる。さすがにそこは自重した。
「どう、オウル? 何か幹部で怪しい動きをしている奴とかいない?」
「ふむ……そうだな……」
魔王軍を裏切っている可能性がある幹部となると……。
(ふむ、けっこういるな……)
天然ポンコツのラフィは気付いていないかもしれないが、魔王軍内部では現魔王の体制に不満を持っているものは少なくない。実際、クーデーターが起きるかもしれない、と人間の街では話題になっているほどだ。
(そうだな……。幹部の中で人間と手を組んでいる可能性が一番高いのは……ファランあたりか)
彼女はたびたび人間との関係が噂になっており、そのうえ最後に彼女に会った時もラフィの適当過ぎる治世に全く納得がいっていないようだった。
(しかし、ここでファランの名をあげるわけにはいかない……)
ひとまず俺は黒だとして、ファランも黒である可能性は非常に高い。
(今ここで裏切りが表沙汰になってみろ……。ただでさえ内部統制のとれていない魔王軍は、それこそ崩壊してしまう)
俺の目的上、魔王軍がこれ以上弱体化するのは避けたい。人間と魔王軍、両者の勢力が可能な限り均等になるようこれまで立ち回ってきたのだから。
(この場では一旦、最も裏切りの可能性が低い幹部の名をあげるとするか)
幹部の中で最も潔白な者といえば――。
「レン=ファルザリオ――あくまで噂の範囲を出ないが、人間側に情報を融通していると聞いたことがあるな」
こいつが魔王軍を裏切ることはあるまい。
レンには悪いが、ちょっとしたスケープゴートになってもらうとしよう。ラフィがこの裏切り者捜しに飽きるまでの少しの間、悪いが付き合ってくれ。
「やっぱりっ! あんの引きこもりめっ!」
俺の話を疑いもせずにそのまま鵜呑みにしたラフィは、地団駄を踏んで露骨に苛立ちを見せた。
レン=ファルザリオ――魔王軍幹部の中でもかなりの古参に分類される男だ。ゲームの類を心の底から愛しており、今も魔王城の地下に引き籠ったまま出てこない。外に出ることは滅多になく、ほとんど毎日一日中部屋に籠っているため、こいつが潔白であることは間違いないだろう。
そんなことにも気づかない頭の残念なラフィは、こぶしを固く握り締め、額に青筋を浮かべている。
「行くわよ、オウル!」
すると彼女はカツカツと早足に歩き始めた。
「行くって、どこへ?」
「決まっているじゃない、レンのところによっ!」
やめてくれ――それが率直な俺の気持ちだった。
ラフィが絡めばどんな簡単な話も、ポケットに入れたコードのように複雑に絡まっていくだろう。彼女を連れて行くのは何としても避けたい。
「気持ちはわかるが、落ち着けラフィ。今回は俺一人で行かせてもらいたい」
「何でよ! 一人で行こうが二人で行こうが一緒じゃない! 私だけ仲間外れにするつもり!? 魔王なのに! 私ここのトップなのにっ!」
変なところで駄々をこね始めたラフィに、俺は努めて優しい声色で説得をする。
「別に仲間外れにするつもりはないさ。ただいきなりラフィと俺が二人揃って会いに行くとなると、レンも警戒して話が進まなくなってしまうだろう。それに、もしかすると逆上して襲い掛かってくるかもしれない」
「ふんっ、そのときはこの私直々に取り押さえてやるわよっ!」
「待て待て、俺達は何も喧嘩しにいくんじゃない。というか、出来る限り話し合いで内々の問題として処理したいんだ」
「どういうこと!?」
「あまり言いたくはないが、現在の魔王軍はかつてないほどに窮地に立たされているだろう?」
「うっ……。そ、それは……」
「そんな状況で幹部の一人が、魔王に楯突いたという情報が広まってみろ。それこそ各地で配下のモンスターが反旗を翻すことにつながる。そんな絶好の機会を人間たちが見逃すわけがない。きっと全勇者をこの城へ差し向けてくるだろう。そうなったら、魔王軍は一巻の終わりだ。ラフィだって先代の作ったこの魔王軍が潰されるのは嫌だろう?」
「当たり前じゃない! ここはパパが作った大事な大事な場所なんだからっ! 人間なんかには絶対に潰させないわっ!」
うん、それじゃもう少しまともに仕事をしようか。テレビばっかり見てないでさ。
――喉のあたりまで出かかった言葉をゴクリと飲み込み、俺は話を続ける。
「あぁ、俺もラフィと同じ気持ちだ。だから、今回はまず俺が一人でレンのところへ行く。そこでさりげなく探りを入れて、もし間違いなく黒だという決定的な証拠を掴んだら、まずは説得をしてみる。それでも駄目だった場合は、俺が消す。――これでどうだ?」
「うー……っ。わかったっ! わかったわよ、何だか私はお邪魔みたいだし? もう全部オウルに任せるっ!」
そう言ってプーッとほっぺたを膨らませたラフィは、不貞腐れた表情でいつものソファに寝っ転がってテレビを点けた。
「そうか。それじゃちょっと行ってくる」
そうしてお荷物を置いてくることに成功した俺は、レンの私室へと向かって歩き始めた。
■
魔王城の地下三階。
地上の光も届かない、魔王城の最深部にレン=ファルザリオの私室がある。
「っと、ここだな」
現代的な開き戸の扉。この中がレンの私室だ。
(そういえば最近はいろいろとドタバタしていて、レンに会うのも何だか少し久しぶりな気がするな……)
そして俺は扉をコンコンコンとノックする。
「レン、いるか? 俺だ、オウルだ」
しかし、どういうわけか一向に返事が返ってこなかった。
(……ん? あいつに限って外出中ということもないだろうし……。もしかしてまだ寝ているのか……?)
そんなことを考えながら再び扉をノックするが、先ほどと同様に返事はない。
「おい、レン。いないのか?」
ドアノブを回してみると、どうやら鍵は掛けられていないようで、ギィッという蝶番が軋む音共にゆっくりと扉が開いた。
「入るぞー?」
そうひと声かけてから、部屋の中へと入る。
するとそこにはイヤホンをしたままパソコンの前に座り込み、コントローラで何やら必死に画面の中のキャラクターを動かしているレンの姿があった。おそらくまた、何かゲームにはまっているのだろう。
「おい、レン。俺だ、オウルだ。いい加減返事をしてくれ」
そう言いながら彼の肩を揺らすと――。
「なんだよ、今いいところなんだからっ! ――って、あれ? オウルだ」
ようやく俺の存在に気付いたようだ。
レン=ファルザリオ――伸びっぱなしの明るい茶色のストレートヘアで、片眼が髪で隠れている。服装は上下ともに灰色のスウェット。目鼻立ちの整った男だ。
「珍しいね、どうしたの?」
「少し話しがあってな。っと、その前に――」
俺はチラリと先ほどの扉へ目を向ける。
「ちゃんと戸締りはした方がいいぞ? 物騒な世の中だからな、何があるかわかったもんじゃない」
「あー大丈夫大丈夫。僕が丈夫なのは、オウルが一番よく知っているでしょ?」
「まぁ、それもそうだが……」
一見して華奢に見えるレン。しかし、その体は見た目以上に遥かに頑丈で、凄まじいまでの回復力を備えていることを俺はよく知っている。
(もう今からどれくらい前になるのだろうか)
俺とレンの出会いは最悪だった。出会ってすぐに、ちょっとした行き違いが発生し、壮絶な殺し合いをすることになったのだ。と言っても俺がひたすらに殺傷性の高い魔法を打ちまくり、それをレンが持ち前の防御力と回復力で何とかしのぎ続けるという、俺からすれば的当てのようなものだったが。
「それで話しって何? 僕、今忙しいんだけど」
そう言って机の上に置いてある煎餅をバリボリと口に入れるレン。
(忙しい……ね)
彼のパソコンの画面は明らかにゲームのそれであり、どこからどう見ても忙しいようには見えない)
しかし、そこを指摘しても何の意味もないので、俺はさっさと本題に入ることにした。
「何、お前が『魔王軍を裏切っているのはでないか?』というタレコミがあったのでな、その事実確認をと思ってな」
当然ながらこれは嘘だ。そんなタレコミは入っていないし、十中八九この引きこもりは白だろう。
すると――。
「はぁ? 僕が魔王軍を裏切る? ないないないない、あり得ないよ。|オウルがこっちについている限り《・・・・・・・・・・・・・・・》、裏切ることなんて絶対にないね」
レンは呆れたように肩を竦めてそう言った。
あの殺し合いの後、レンは逆立ちをしても俺には勝てないと悟ったようで、俺と敵対することは絶対にしないようになったのだ。
(まぁ、やはりというか何というか、こいつが魔王軍を裏切ることはないな)
形だけだが、一応本人への事実確認を終えた俺は、魔王の間へと引き返すことにした。
「そうか、邪魔したな。魔王には俺から伝えておくから、さっきの話しは気にしないでくれ」
「それにしても相変わらず、何かいろいろと忙しそうだねー。僕なんか毎日食べてゲームして寝るだけだよ」
さっき『僕、今忙しいんだけど』とか言ってなかったか……?
ほんの数分で誰もがツッコミを入れたくなるような矛盾を犯したレンだが、この適当な男にそんなことを指摘しても仕方がないので、そのまま流すことにした。
そしてレンが大きなあくびをしながら、煎餅に手を伸ばしたそのとき。
『――お兄ちゃん、メッセージが届いたよ! お兄ちゃん、メッセージが届いたよ!』
パソコンから甘ったるい女の子の声が鳴った。
「あっ、ルンちゃんだっ!」
レンは今まで見たことがないような笑顔でパソコンの前に座ると、起動していたゲームを閉じて別のソフトを開き始めた。
(ルンちゃん……?)
人の名前だろうか。ともかく、少し様子を見てみよう。
俺がレンの後ろに立ったまま、しばらくパソコンの画面を見ていると――。
突如画面が真っ黒になり、レンはそこへ次々に白い文字を打ち込んでいった。
「何だ、それは?」
「ん? あぁ、オウルはあんまりこういうの知らなさそうだねー」
そうしてレンは説明をし始めた。
「これはチャットって言って、遠く離れた相手とお話しするアプリなんだよ」
「ほぅ、それはメールとは違うのか?」
「んー、ほとんど一緒だけど、チャットルームってのがあって、リアルタイムで話し合いできるところがちょっと違うかなー」
そう言いながらもレンは、カタカタカタと凄まじい速度で次々に文字を打っていく。
見れば、画面上では『十漆黒の翼十』と『ルンちゃん』とが文字を使って会話をしているようだった。
「あっ、この『十漆黒の翼十』ってのが僕ね。どう、かっこいいでしょ?」
「お、おぅ……」
あまりにもキラキラした目で問われたので、ついうっかり肯定してしまった。
(さすがに『十漆黒の翼十』はない……。うん、これはないな……)
そんなこと思いながら、ボーッと二人の会話を眺めていると――。
ルン:すごいね、お兄ちゃんの言ってた通りだよ! 本当にヘラネ村に魔王軍が攻めてきた!
十漆黒の翼十:でしょでしょ! どう? これで僕がただの引きこもりじゃなくて、実は魔王軍の優秀な幹部だって信じてくれた?(*‘∀‘)
ルン:うーん……。でもまだ偶然っていう可能性もあるからなぁ……。
十漆黒の翼十:そ、そんなぁ(´・ω・`)
ルン:そうだ! じゃあ、今一人になっている魔王軍幹部の居場所を教えてよ! もしこれが当たってたら、お兄ちゃんがほんとのほんとーに魔王軍の偉い人だって信じてあげる!
十漆黒の翼十:そんなことならお安い御用だよっ! ちょっと待っててね(/・ω・)/
何やら話がずいぶんときな臭い方向へと進んでいた。
「えーっと、今遂行中の作戦で……一人なのは……っと」
一人でそう呟きながら、レンは箪笥の中に雑に詰め込まれた極秘の作戦書類を漁りだした。
「ちょっと待とうか」
俺はがっしりと彼の肩を掴んだ。
「急にどうしたの、オウル? 僕、今は本当に忙しいんだけど」
少し不機嫌そうに目を細めながら、彼はそう言った。
「レンお前、まさか……。今までこんな風にずっと魔王軍の情報を漏らしていたわけじゃあるまいな……?」
「いやいやいや、そんな『情報を漏らす』だなんて大袈裟だよ。僕はただルンちゃんが知りたがっていたことを、教えてあげてるだけだから」
「……『ルンちゃんが今まで知りたがっていたこと』とやらを教えてくれないか?」
「別にいいけど……。えーっと、確か次に魔王軍が襲撃する街の名前・魔王軍の持つ隠れ家の位置・魔王軍の現在の指揮系統とかだね。何か彼女、魔王軍の大ファンらしくてさー。特に僕みたいな幹部クラスの人とぜひともお話ししたいんだってー」
「……そうか」
俺は大きくため息をついた。
(おいおいおいおい……。真っ黒だよ、こいつ……)
本当にただの偶然だが、とんでもない馬鹿を見つけてしまった。
何より俺と違って、情報の重要性を理解していない。自分がどれほど愚かなことをしているのかわかっていない。ある意味では俺以上に性質の悪い奴だった。
「あのなぁ、レン。お前、ルンちゃんに騙されてるぞ?」
「……は、はぁっ!?」
「断言してやろう。ルンちゃんは間違いなく、お前から情報を盗み取るためだけにチャットをしている。お前はただ利用されて遊ばれているだけだ」
「ちょ、ちょっと待ってよっ! ルンちゃんが僕を騙しているわけないだろっ!? いくらオウルでも、さすがに怒るよっ!」
どうやらレンは完全にルンちゃんに入れ込んでいるようで、俺の言葉に聞く耳を持たなかった。
「はぁ……それじゃこうしよう。レンはこれからお前の分身体をアモレ山地の麓へ飛ばす。そしてすぐにルンちゃんとやらに、『魔王軍幹部が一人でいる場所として』アモレ山地の麓を伝えるんだ」
「それで?」
「そのまま少し時間を置いて、もしお前の分身体が無事ならばルンちゃんは白だ。しかし、分身体が消滅したならば、ルンちゃんは真っ黒だ。これなら嘘をついたことにもならないし、ルンちゃん自身が確認にくるのならば、分身体越しにとは言え彼女と会話を交わすこともできる。どうだ、やってみる価値はあると思うが?」
「ふんっ、いいよ! そこまで言うならやってあげる! いつもは正しい君だけど、今回だけは間違ってるってことを、今から僕がわからせてあげるよっ!」
そう言って彼は意気揚々と分身体を作り出し、俺の話した作戦を実行した。
それからおよそ一時間後、アモレ山地に飛ばしたレンの分身体は、『ルンちゃん』を名乗る筋骨隆々の大男とその他大勢の人間から袋叩きに合い、一瞬にして消滅した。
残念ながらずっと女の子だと思ってチャットしていた相手は、筋骨隆々の大男だったらしい。
「ごめん……ちょっと一人にしてくれる……?」
「それは構わんが……早まるなよ?」
「うん……ちょっと泣くだけから……」
信じていた『ルンちゃん』に裏切られ、心に深い傷を負ったレンはそれから数日間寝込んだ。そしてそれ以降、魔王城の地下からは夜な夜なすすり泣く声が聞こえるようになったとか。
ともかく、こうして無事にスパイ騒動は解決し、魔王軍に平穏が訪れたのだった。
■
その翌日。
今日は平日なので、当然ながら今は学生の身分である俺には学校がある。
朝支度をサッと整え、寝ぼけ眼をこすりながらグリフィス高等学校へと向かう。
正門をくぐり、本校舎の前を通り過ぎようとしたそのとき。本校舎の前に設置された巨大な決闘専用掲示板に、大勢の人だかりができているのが目に入った。
(確かあの掲示板には……今学期中に行われた全ての決闘の結果が張り出されているんだったか……)
昨日呼んだプリントにそんなことが書いてあった。
(しかし、あの人だかりはいったい何だ……?)
ここまでみんなの注意を引くほど、好カードの決闘があったのだろうか?
(まだ始業までは時間もあるし、ちょっと見てみるか)
決闘専用掲示板が設置されているのは本校舎前。当然ながら、そこにいるのはほぼ全員が正規クラスの生徒だ。そんな赤色尽くしの制服の中に、俺のような非正規クラスの白い制服を着た生徒が混ざれば浮いてしまう。俺は掲示板から少し離れた場所から、目を細めて彼らの注目が集まっている部分を見ることにした。
(何々……。一年非正規クラス:オウル=ハイドリッツ×三年Sクラス:ジェスタ=ラハドーム。結果オウル=ハイドリッツの勝利)
あーなるほど……俺か。
彼らの注目を集めていたのは、俺とジェスタ先輩との昨日の一戦だったのだ。しかも掲示板にはご丁寧に二人の学年・クラス・名前に加えて、顔写真までもが貼ってあった。
(いや……普通顔写真まで乗っけるか?)
学校に対し激しく抗議をしたくなったが、もうあれほど多くの人に見られているので、あまり意味はないだろう。
少し耳をすませば、彼らの雑談が聞こえてくる。
「あのジェスタが負けた!? それも一年の非正規クラスにっ!?」
「そんなわけあるかっ! 絶対何か、卑怯なことをしたに決まっている!」
「馬鹿、審判は風紀委員長のラナ先輩がやってたそうだ。あの規律に厳格な先輩が、目の前で不正を見逃すかよ!」
「いやでも……本当にどうやってあのジェスタを倒したんだろ? あいつには<魔法無効化/ディスペル>もあるっていうのに……」
「何でも<魔法無効化/ディスペル>の効かない魔法で、それもたった一撃でぶっ倒したって話だぞ」
「いやいや、俺は九十九発もの大量の魔法をぶち込んだって聞いたぞ!?」
どれもこれもが中途半端に真実と嘘が混ざりあっている。
知らぬ間に尾ひれがついているという迷惑なアレだ。
(はぁ……。これはまた面倒なことになりそうだな……)
そんな一抹の不安を抱きながら、俺はクラスメイトの待つ旧校舎へと向かった。




