2話 最初の仕事は
翌日の朝にエヌマは、あてがわれた部屋で目を覚ます。
さほど広くはない、家具も古びた棚だけの粗末なものだ。とはいえ旅人のエヌマにとって、寝具と屋根があり、暖かい毛布で眠れるだけ贅沢に感じられた。
今でも信じられないが、自分の部屋らしい。
目覚めたばかりで現実味が湧かないが、シーツの温もりを次第に感じるようになって、初めて声を上げたくなる。
『おい女!』
せっかく高揚してきた気分を遮るように、リートン教授の無遠慮な声がした。それも寝具の下から。
「っ!?」
エヌマは反射的に枕の下に隠してあった短剣を取る。旅に慣れたものならこれぐらいの警戒はするものだ。
だが警戒は杞憂らしく、寝具の下から現れたのは小さな黒猫。ただし普通ではなく、背中に蝙蝠のような翼があり、額には星の印がある。
『まったく、酷い顔だな。驢馬の方が可愛いげがある』
その猫が口を動かすと、リートンの声がした。エヌマの様子もわかるようで、どうやら彼の使い魔らしい。
「女の部屋に無断で入るな」
「これは使い魔だ、それにお前に対してその手の感情などない」
「それは助かるわね。あんたみたいな男に好かれるなんて、最悪の思い出よ」
軽口を叩きつつ、エヌマは警戒を解かない。昨日は隙を見せてしまったが、もしかしたら自分を貶める罠があるかもしれない、と旅人の習慣が油断を消し去る。
隙を見せたと思っているのはリートンも同じようで、さっそく喧嘩腰で言葉も汚かった。次に彼の声は警戒心の強さを見透かしているのか、からかうような口調で笑う。
「用心は認めるが、ここでは不要だぞ? むしろ私の方が気をつけているぞ、お前に貴重な魔法石を盗られたら堪らん」
「私はそんなみみっちいことしないわ。やるなら、宝箱ごと盗む」
「ふん。剛毅なことは結構だが、早く起きろ。早速働いてもらうぞ」
「・・・・働く?」
エヌマは首を傾げた。
どういう形にしろ、エヌマはリートン教授に雇われている。
呼び出された耳長族は、まだ眠そうな顔で、昨日入った書斎の椅子に座っていた。
「・・・・腹減った」
実は昨日の夜から何も食べていない。部屋は与えられたものの、旅の疲れもあってそのまま眠ってしまったらしい。
そのつけで、机の向こうで学生が提出した論文に目を通しているリートンに笑われた。
「ふん、聞くに耐えん音だ。見るに耐えない物を読まされている私に、何か恨みでもあるのか?」
「はん、まともに物が食える身分で羨ましいよ。流石は劣等魔法学生の教授様だ、さぞかし頭に悪い物を食べてるんだろうね」
リートンの傍らに控えている老執事は表情にこそ出さないが、正体不明の頭痛と腹痛に苦しんでいる。恐らく目の前で起きているやり取りが原因だろう。
だが、今回はそう長々とは続かなかった。扉を開けて入って来た、恰幅の良い鳥人族の護衛役ノーノーンのおかげだ。
「アイヤー!御主人、やっと、新しい人を雇ったんですカー!これで身辺警護が楽になるネー!」
甲高い中性的な大声が、険悪な雰囲気を一掃した。
鳥人族とは人と鳥が合わさった種族で、空を飛ぶことが出来る。鳥によって容姿は異なるが、ノーノーンはダチョウで、また恰幅の良さから飛行能力はなさそうだ。
しかし、畳んだ翼に隠れて背負われた巨斧と腰の大剣、革製の鎧は重量感と膂力の強さを感じさせる。
「何こいつ? 朝からうるさい声して」
「アイヤー!失礼ネー!でもいいヨー、許してあげマース!私はノーノーン、御主人の護衛デース!」
初対面から口の悪いエヌマと、初対面から失礼なことを言われても寛大なノーノーン。
リートン教授は笑顔を浮かべる。
「やあノーノーン。実は君に頼みがある、そこの女と共に密売狩りに行ってきてくれ」
「は? 何よそれ?」
「アイヤー! 御主人、頭大丈夫ネー? 幾らなんでも来たばかりの女の子には大変ネー!」
二人の反応は予想通りだったらしい。リートン教授は落ち着いた様子で、引き出しから紫色の小さな石を取り出した。
「これが何かわかるか女」
「魔法石でしょ? それが何?」
魔法学は魔力の含まれてい鉱石で、魔力の濃度によって色が異なる。紫はごく平凡な、安物の宝石と同程度の価値がある。
魔法使いはこの魔法石を使って魔法を行使するため、彼らの必需品と言える物なので、度々商人から高額で取引させられることもあった。
リートン教授は「良かった、これぐらいの知識はあるか」と鼻を鳴らし、続ける。
「実はこの魔法石を密売している連中が街の宿場街にいることが、私の使い魔の報告でわかってな。奴等を捕縛しつつ、所持している魔法石すべてをいただいててこい、ということだ」
言ってみれば犯罪者相手への強盗行為だが、それを事も無げに言ってのけるということは慣れているらしい。
ノーノーンの反応を見てもそれが伺える。
「こんな細腕の女の子には荷が重いネー御主人!」
反対するノーノーン。彼は護衛役として経験があり、その経験則に則った反論だ。
しかし、主人はたしなめる。
「落ち着けノーノーン。これは試験だ、それにそこの女は元々旅を生業にしていた奴だ、そう簡単にやられはせんさ」
「アイヤー、しかし心配デース。背中を簡単に預けるにも私は彼女を知りまセーン」
「なに、もし裏切ったら叩き斬ればいい。私は別に困らん」
本当に困らないと思っているのか、冷ややかな雰囲気の笑みを浮かべる。昨日の温情が嘘のようだ。
額に青筋を立てるエヌマは足を組んで、不満そうに眉を寄せる。
「はんっ、言いたいこと言ってくれるわね。足の動かないあんたより、私の方がよっぽど役に立つから!」
「アイヤー! 御主人に向かって何てこと言うね!」
「あんたこそ甘やかせ過ぎよ!だからこんなに偏屈な人間に育つんだわ!」
「ムッキー! 言うに事欠いてこの娘ー!」
二人は顔を真っ赤にして睨み合う。
本当はことのなり行きを見ていたいが、早くしてもらいたいリートン教授は、手を叩いて無理矢理割り込む。
「そこまでにしろ、喧嘩なんてものは害虫に餌をやるようなものだ。必要もないものにそこまで時間を浪費するな」
「すいません御主人ー」
ノーノーンは素直に頭を下げる。もちろん、まだ不満の残るエヌマは、偉そうにふんぞり返ったままだが。
「それと女」
「エヌマって名前があるわ」
「エヌマ、そもそもお前に女中の真似事なぞあまり期待していない。それはお前自身もわかっているはずだ。であるなら、それ以外の、お前が旅をする中で身に付けたものを対価にしろ、そうしなければお前はお払い箱だ」
お払い箱。その単語に、エヌマは敏感に反応し、小さく震えた。
彼女とて腹が立つがわかっている。自分には旅で得たものでしか役に立たないということが、だから大人しく従うしかないと。
「・・・・わかったわよ。やる、やってやろうじゃないの」
「良い返事だ」
リートン教授は満足そうに頷いた。
ノーノーンもこの際もうなにも言わなかった。最悪、自分一人ででも密売狩りは出来る、今までもそうしてきたという自信がある。
「さて、それではさっそく行ってもらおうか。道案内は使い魔にさせる」
「ちょ、ちょっと待って!」
笑顔のリートン教授に、頬を赤く染めてエヌマが恥ずかしそうに割り込んだ。
途端に、不機嫌な表情になったリートン教授は「なんだ?」と聞くと、下を向いくエヌマはおずおず言った。
「・・・・お腹空いたんだけど。ま、まずは腹ごしらえしてか」
直後にお腹の虫が鳴り、二人の大笑いと、一人の怒号が書斎から響いた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
次回から本格的に物語が動きます!