プロローグ&1話 二人の始まり
「私はこの頃、とても良いものを手に入れた」
リートン教授が楽しげに語るので、友人ポーマン医師は驚いて、摘まもうとした焼き菓子を落としそうになった。
「はっはっは。どうした、そんなにおかしなことを言ったか?」
「面白くもない冗談だが、何を手に入れたんだ? 君がそんなに上機嫌のだから余程のものだと思うが」
「もちろんだ、見せてやろう」
リートン教授は頷いてから、誰かを呼ぶように手を叩いた。すると、応接間の扉が開いて、背の高い耳長族の女中が現れた。
「お呼びでしょうか?」
容姿に違わぬ美しい一礼をしてから、静かに部屋に入る。
「ああ。君を彼に紹介しようと思ってね」
「申し訳ありませんが、今は掃除中ですので用もない呼び出しはおやめください」
女中はそう言うと、あろうことかリットン教授の頭を叩いた。驚愕するポーマン医師には恭しくスカートの端を持ち上げて一礼し、すぐさま背を向けて出ていった。
あっという間の出来事。呆気に捕らわれてろくな反応を見せないポーマン医師とは対照的に、リートン教授は叩かれた頭を擦りながら声に出して笑い始める。
まるで、計画通りに悪戯が成功した子供のように。
「な、なな何だねあの女中は?」
正義感の強いポーマンは顔が真っ赤だ。
「まぁまぁ落ち着け。彼女は見ての通り我の強い娘なんだ、最近雇ったんだがこれがまた面白くてね」
「面白いとはなんだ? そもそも君の世話をするなば、もっと気配りの出来る者をだな」
自然とポーマン医師の視線が友人の足に向けられる。
リートン教授は自身が手掛けた車椅子と呼ぶものに座っていた。彼は魔法大学魔法史教授の職に就きながら様々な冒険の末に幾つもの古代魔法文明の遺跡を発掘してきたが、彼が最後に挑んだ冒険で足を負傷し、足が動かせなくなっていた。
診察し、治療したのはポーマン医師である。だからこそ、友人の足を治せなかった負い目があり、神経質なまでに口うるさくなっているらしい。
「大丈夫だ、君が気に病む必要はない」
「しかしだな、そもそも耳長族は他種族に関心を持たない閉鎖的な種族だ。おまけに誇り高く扱い難いと聞く、従者など勤まるはずがない」
「だろうな、この前は茶が不味いと言ったら頭に茶をかけられた」
「なんだって! くそ、なら私が無理矢理にでもっ」
「ポーマン!」
リートン教授は語気を強くして友人を制する。
それは許さない、という強い意思が瞳にはあった。
もちろんポーマン医師は不満だった。だから立ち上がったまま椅子に座ろうとしない。治せなかった負い目もあるが、何より友人として心配しているのだ。
「君の気持ちはありがたい、確かに問題はあるだろうが、私は今に大変満足しているんだ」
「何故だ? 主人の頭を殴る女中で満足なのか?」
「ああ」
「惚れでもしたのか? 女嫌いの君が」
「もちろん女は今でも嫌いだが、あれはそういう小さな次元にある存在じゃない」
リートン教授は焼き菓子を一つ摘まんで口に放り込む。サクサクした感触と蜂蜜の甘い味が心地良い。
「わからん、私には君が。今までにもそういうことはあったが、今回は特に」
友人は頭痛がして、苦い顔で下を向いた。気分が良ければ自分も手が届くのだが、今は目の前にある好物の焼き菓子が遠い。
「もしや今日呼び出したのは、あの女中を紹介するためか?」
「ああ、それに君と茶を飲むためさ」
「よく言う、私はそんな気分ではなくなったよ」
「だからこそ茶が必要だろう?」
笑顔を浮かべ、リートン教授は友人のために茶を淹れた。
ふぅーと溜め息を吐いて、ポーマン医師は椅子に座ると、友人に注がれた茶に口をつける。少し気分が良くなった気がするのは、リートン教授の言う通りなのか、それとも自分がそう望んでいるからなのか。
「良い茶葉だ、北の産地か?」
そう言ってお茶を濁し、この件は一旦忘れようと談笑を始めた。
「やれやれ、あんなポーマンを見たのは久し振りだ」
友人を見送った後、部屋に戻ったリートン教授は無邪気な笑顔で茶を飲む。
傍らには、例の耳長族の女中と、代わりの茶を乗せた盆を持つ白髪の老執事が立っている。
「仕方ない。時期を見て、また茶にでも誘うとするか」
「左様で。しかしリートン様、あまりこのような悪戯は如何なものかと」
執事が頷きつつ、釘を刺す。それから中身の少なくなった容器と、自分が盆に乗せている物と入れ換えた。
「そうだな、確かにあまり良い趣味とは言えないな」
「それは私に対する嫌味でしょうか?」
耳長族の女中は不満そうな表情である。
本来彼女のような立場の者が、主に対してあのような非礼を行うのは言語道断ではあるので、彼女にそんなことを言う権利はないはずだが。
私のどこが悪いのか? と言わんばかりの図々しさで薄い胸を張っている。
「そもそも、掃除中なのはご存知だったはずでしょう? それなのに、お客人の見世物のために呼び出すのは、如何なものかと」
「そうだな、確かにそれは悪かった。しかし反論させてもらえば、掃除中にも関わらず私の呼び掛けにすぐさま応じたのは何故だ? お前は食堂の割り当てだと、ローレンに聞いたが?そうだろうローレン?」
ローレンとは老執事のことである。彼は「はい」と頭を下げる。
耳長族の女中は舌打ちして老執事を睨みつけ、不機嫌そうに反論した。
「掃除が早く終わっただけです。なので、いつもの通り不自由な主のために、ワザワザ控えていたのです。文句ありますか?」
「いやいや、そんなことはないさ」
リートン教授は笑った。老執事は苦笑して「それでは、食堂の掃除の続きをして参りますので。これにて」と言い残してそそくさ部屋から出て行く。
「ふん、つくづく嫌味な老人です」
「そうだろう、お前にはな」
「不満です、少し殴りたいです」
「やめてくれ、今晩は好物の魚料理が出るんだ。アイツと君がいないと食べられない」
「魚料理、悪くないですね。この手は引っ込めましょう」
機嫌を直したのか頬が少し緩んでいた。
女中は机の上に置いたままの残り物のお菓子を摘まんで頬張り、行儀の悪さを恥じることなく主の後ろに回る。
「では、そろそろ仕事を始めてください。確か論文執筆と試験問題造りがありましたね?今日中に終わらなければ、罰として私が代わりに魚料理を食べます」
「やれやれ、雇ったことを少し後悔してきたよ・・・・あだっ」
3か月前。
「次の方、どうぞ」
老執事のローレンが扉を開けて、廊下に並べられた椅子に座る次の志願者を呼んだ。
「は、はい」
一番手前の気弱そうな青年が立ち上がるが、それを遮るように、廊下に飾られた絵画を見ていた背の高い女性が叫ぶ。
「次は私よ! どれだけ待ったと思ってるの!」
女性は耳長族だった。肩まで届く金髪で、旅装束の上に外套をまとっている。
容姿も美しく、声も鈴のように可憐だったが、性格は炎のように苛烈で、遮られた青年や老執事を押し退けるように部屋へ入る。
部屋は天井まで届くほどの本に囲まれた書斎だ。棚には本や古い羊皮紙の束が並び、床には子供ほどの大きさの本が置かれてもいる。
そして中央には一応片付けられた机と椅子があり、その机の対面には初老の男性リートン教授が車椅子に座って、現れた女性へ嫌悪感を露骨に示した。
「騒がしと思ったらやはり女か、何か用かね?生理だから待ってくれとでも言いに来たか?」
「まずは文句を。人を待たせ過ぎ、もう一刻になるわ」
「そうか、しかし私が出した従者の採用項目には、女で人間であることが書かれていたのだがな。字は読めるかね耳長族のお嬢さん?」
「ふん、だったらもう少し綺麗に字を書くことね。汚くて、若い青年は来るなって書かれてるのかと思ったわ」
お互い喧嘩腰である。
臆病な老執事は何とか女性を追い返そうとしたが、二人の剣幕の強さに冷や汗をかいて小さくなることしかできなかった。
「おいローレン、一応茶ぐらい出してやれ。どうせ尿になって無駄になるがな!」
「は、はぃぃぃ」
「あと茶菓子もお願い!こんな、家だら贅沢は言わないけどマシなやつを持ってきて!」
「は、はぃぃぃぃぃ」
老執事は恐縮のあまり、聞かなくても良い女性の図々しい命令にも頷いて、部屋を逃げるように出て行った。
リートン教授は「とりあえず座れ」と言ったが、女は「言われなくても」と返答して椅子に座る。
「一応聞いてやる、名前は?」
「エヌマよ。あんたは?」
「リートンだ」
「変な名前ね、便所虫と同じ名前じゃない」
「人の名前を侮辱するとは、やはり耳長族の女は下劣なようだ。論文にでも書いてやろう」
「あんたよりマシよ」
「君よりかはマシだ」
子供の口喧嘩程度の言い争いだ。しかしお互い不毛に思ったのか、二人は睨み付けたままとりあえず黙る。
しかし、さっさとこの無礼な女を追い返したいローレンは「それで?」と口を開いた。
「君はいったい何の用でここに来た? まさか、本当に私の従者にでもなるつもりかね?」
「はっ」
エヌマは鼻で笑う。
「そんなわけないでしょう、私は雇用証明書に名前を書いてくれればそれで良いのよ」
「雇用証明書?」
怪訝な顔をするリートン。
エヌマは手に持っていた羊皮紙を机に叩きつけるように置いた。
「これよ」
覗き込んで、それは確かに雇用証明書であった。仰々しい文章に、国と役所の印、汚いが女の名前が書かれている。
しかし、疑問があった。
「君は見るからに不潔な旅人のようだが、この街に定住でもする気かね? やめたまえ、街のためにならない」
「こんなつまらない街に住むわけないでしょ。私はね、王都に行きたいの」
リートンは噴き出した。
「王都だって? 君がかね、正気か?」
「何か問題でもある? 王都の劇場で女優になるの、そのためにはしっかりした所で働いたっていう証明がいるのよ。だから早く名前を書いて!」
女優か、とますますリートンは笑った。
「なるほどな、しかし器ではないと思うがね」
「そんなのあんたが決めることじゃない、私が決めることよ」
「ほぉ、言うじゃないか」
意地悪に笑ったリートンは、もう一度羊皮紙を見た。一つ気になる点があった、エヌマの名前である。
羊皮紙にはケヌマと書かれてあった。
やれやれ、と溜め息を吐いた彼は手元にあった羽ペンにインクをひたす。
「あら、やっと書く気になった?」
「違う、訂正だケヌマ。逆から読んだらマヌケだがね」
「はぁ!? 何よそれ!」
「見てみろ、ほらここだ」
ケヌマと書かれた部分を指差すと、エヌマは顔を真っ赤にさせた。その様が面白くて、またリートンは噴き出す。
「だ、誰にだって間違いはあるわ」
「その通りだな。私も長年教授を勤めているが、自分の名前を間違った者は初めてだが」
「チッ」
言い返せず、エヌマは舌打ちする。
しかしリートンは意地悪な笑みを崩さずに、羽ペンに自らの名前に、ケヌマを塗り潰してエヌマと記入した。
「ほら書いたぞ、訂正もしてやった」
「どうも」
乱暴に羊皮紙を引ったくったエヌマは、すぐに背を向けて扉へ歩いて行く。
「あぁ、ちょっと待ちたまえ」
去ろうとする背中にリートンは呼び掛ける。
車椅子を動かして、不機嫌そうに振り向き、リートンの様子に驚くエヌマの前で止まった。
「おや、何かね?」
「別に。でも、不自由そうね」
「ふん、確かにな。君より少し動きにくいだけのことさ」
「そうね、それで何よ?」
エヌマが扉から手を離して、リートンに向き合う。
リートンは彼女を見上げつつ、意地悪に言った。
「ちなみに、役所からこうも言われなかったかね?雇用証明書の受理には半年ほど時間がかかると」
「は? 言われなかったけど」
「それなら、これに書かれているな。流石に字が読めない、と役所の人間も思わなかったんだろう」
雇用証明書を広げて見せる。
そ仰々しい文章の中には、確かに受理には半年ほど時間がかかり、またその際にもう一度この羊皮紙を取りに来て雇い主から判を押さなければならない、と書かれてある。
役所の人間が面倒を嫌って文章に書いて説明を省略したらしい。怠慢だな、とリートンはこの文章を見つけたときに思ったが、エヌマの表情の変化を見た今は違っていた。
「そ、そしたら何よ!? 私は半年も待たされるわけ!?」
「そうなるな」
「冗談じゃない!」
「しかし、これは決まりだ。決まりは守るものだ、諦めろ」
冷たくも諭すようにリートンは言うが、エヌマの不満は収まらない。
「嫌よ、いつまであんな暮らしをすれば良いのよ。ふざけんなっ」
それまで、余程の暮らしだったのか、涙まで流している。
流石に女嫌いのリートンとはいえ、目の前で自分の口以外で泣かれるのは少々気分が悪い。
「おいエヌマ」
「・・・・・・何よ」
嗚咽を漏らすエヌマに、リートンは言った。振り返るとこの一言がすべての始まりだったのだろう。
「今日から半年間、私の元で働け。採用してやる。給金も寝床も食事もやる、文句はあるまい?」
最後まで読んでいただきありがとうございます!二人の物語を作者としても楽しめるよう、頑張りたいと思います!