動き出す序章Ⅲ
クラルヴァイン王宮 アーサー
「アーサー、紹介しよう。バラデュール候セレスタンとその妻エリアーヌ、そして長女のリュシエンヌだ」
ある日、王宮でも王族が私的に使うサロンの一つに呼ばれた俺は、父ヘンドリック七世から貴族の親子を紹介された。場所からしてこの面談はごく私的なものなのだろう。父とバラデュール侯爵夫妻の間には寛いだ雰囲気が流れており、俺への自己紹介も簡単に済まされた。
「ふむ、リュシエンヌも息災に育ったようだな、喜ばしいことだ。かなり気性が激しいと聞いていたが?」
「は、少し前から急に落ち着きまして、最近ではこれまで我儘を言って困らせていた家人にまで配慮を見せるようになりました」
父が俺の興味を惹くようにリュシエンヌへ目を向けると、夫妻の間に座る少女が畏まって姿勢を正した。
性格が急に変わったなら、すでに記憶を取り戻している可能性が高いな。ちらちらと俺を見る目にも、観察をするような冷静さを感じる。
「兄上、リュシーの成長は気性だけではないのですよ。最近は算術や魔法などにも熱心ですわ」
横からバラデュール侯爵夫人が口を挟む。言葉からも分かる通り、夫人は父王の妹で先王の第三王女だという。セレスタン卿は義弟ということになる。その気安さがこの部屋の空気の正体か。
そしてリュシエンヌは父からすれば姪になる。それもあってネット小説のリュシエンヌは、現代知識で生み出した物を直接あるいは母親経由で王の前に披露し、市井暮らしの経験がある王に気に入られて発言力を強めていく。
この現実でも、可愛がっていた妹姫そっくりのコバルトの巻き毛とアイスブルーの瞳を持つ姪っ子を父はすぐに気に入るに違いない。悪役向けにきつい感じ吊り上がった目も、見ようによって賢そうという印象にもとれる。
それにしても、算数と魔法か。転生者が真っ先に手を付けるやつだ。これはもう確定だな。
「あの、殿下。私、殿下と遊ぼうと思って、これを作ってきたんです」
俺達を置いてけぼりにして話に夢中になっている大人達を見て気を利かせたのか、リュシエンヌがそう言って合図をすると、彼女の後ろに控えていた侍女が抱えていたバスケットから何かを取り出し、テーブルの広げた。
それはマス目が書かれた大きめの羊皮紙で、侍女は次にバスケットからマス目と同じくらいの大きさの羊皮紙片の山を広げた羊皮紙の上に乗せた。
「これは?」
「これは私が考えた新しいゲームです」
自信満々で胸を張るリュシエンヌ。羊皮紙片の山から一枚取って見てみると、片面だけインクで×印が書いてある。×印はその一枚だけでなく、全ての羊皮紙片に書いてあるようだ。マス目の数を数えてみたら縦横8マスある。つまりこれは即席のオセロ盤なんだな。羊皮紙片がコマ、無地が白で×が黒というわけか。
「リュシー、ここ数日、部屋に篭って何かしていると思ったら、こんなものを作っていたのかい?」
セレスタン卿も羊皮紙片を手に取りながら戸惑ったような表情でリュシエンヌに問いかけている。なるほど、リュシエンヌは誰かの手を借りずにオセロ盤を作ろうとしてこうなったのか。良く見れば、マス目の線はガタガタでマスの大きさも均一じゃないし、羊皮紙片も歪な四角形がかなり混ざっている。
小説でもリュシエンヌが初対面のときに手作りのオセロを持ち出したが、一度やって負けたアーサーが詰らないとヘソを曲げた場面があったのは憶えていたが、こんな手作り感満載の代物だったとは。
「お、お父様! み、見た目はあまり良くないけど、ぜったい面白いはずなの!」
セレスタン卿に抗議するリュシエンヌだが、さすがに見た目が貧相すぎる。父王も微妙な表情でテーブルに広げられた羊皮紙を眺めているし、エリアーヌ夫人も自慢話の直後だけに気まずそうだ。
「これで我と遊ぶのか? この紙キレで、どう遊ぶというのだ?」
話が進まないのでリュシエンヌの意識をオセロの方に戻してやると、いそいそと羊皮紙の前に戻ってきてちょこんと椅子に座り、羊皮紙を自分と俺の間に設置しだした。どうもこの時点では、俺への心証はそう悪いものではないらしい。せっせと羊皮紙片を数えて、それぞれの手元に山を作っている。
「これで準備ができました。えっと、この小さい羊皮紙がコマです。何も書いていないのが表で×印が書いてある方が裏です。そして……」
セレスタン卿が止めさせたがっていたが、手を振ってそれを止め、リュシエンヌに最後まで説明させる。卿とすれば、婚約の話を進めるつもりが、まさか娘がこんなスタンドプレーを始めるなんて想定外も良いところだろう。
「それじゃあ、一回、私と勝負しましょうか? 殿下から始めてください」
一通りの説明を終え、俺が理解していると判断したのか先手を譲ってゲームを始めようとする。こうして、世にも不格好なオセロゲームが始まった。
* * * * *
クラルヴァイン王宮 リュシエンヌ
「うーむ、今ひとつ何をしておるのか分りづらいな……」
「はあ、まったくのお目汚しで…… 申し訳ございません……」
私とアーサーのオセロを見ていた王様が呟き、お父さんが恐縮している。時間が無かったから急いで作ったオセロだったけど、やっぱり誰かに作ってもらえばよかった。でも、二人だって六歳児が作ったものに評価が厳しすぎるんじゃないの。
「でも、ルールは簡単だけど勝負は面白かったです、父上。新しい遊戯盤として、良くできている」
アーサーが勝負の終わった盤面を見ながら、淡々と言う。ゲームはもちろん私の勝ちだったけど、アーサーは文句も言わず擁護してくれた。
『キャン☆ラビ』のアーサーってもっと冷淡な感じだったと思ってたのに、子供の頃は違ったのかしら。
「しかしコマと盤の目の大きさが揃っていないと、見た目が悪くて手を付ける気にはならないな」
たしかにアーサーの言う通り、自分で思っていた以上に盤面が散らかってて汚く見えるし、コマがどこにあるのかも分り難い。
「そう、だな…… リュシエンヌ、盤の目の大きさを決めよ。その羊皮紙の中から一つ選ぶがいい」
不揃いなコマをいくつか手にとってマス目と見比べていたアーサーが、急にそんなことを言いながらマス目を書いた羊皮紙を私の方に押しやってくる。反射的に羊皮紙を手にとってもう一度アーサーを見ると、壁際に並んでいた侍女に目配せをし、中庭に面した透かし彫りの扉を開かせていた。
「決めたか?」
「で、では、このマスを……」
差し出されたアーサーの手に羊皮紙を乗せながら、最初に書いたマスを指す私。アーサーは私の指の先を一瞥すると私達には大きすぎる椅子から飛び降り、開いた扉から庭に出て行ってしまう。
「どうしたアーサー? 何をするつもりだ?」
「アーサー殿下?」
国王陛下とお父さんが、アーサーの後を追って立ち上がったので、私もついていこうと椅子から飛び降り、二人の後について庭に出てみる。中庭は、王族のプライベートエリアだからか、王宮の周囲に広がっている整然とした庭園と違って、イングリッシュガーデン風の長閑な空間になっていた。
「うわぁ……」
室内から午後の日差しに溢れた庭の眩しさに目が慣れてくると、色とりどりの花に木漏れ日が降り注ぐ景色の美しさに思わず声が出てしまう。
「この庭に出るのも久しぶりね……」
私の後に続いて庭に出たお母さんが、私の両肩に手を添えながら懐かしそうに呟いた。
最初に庭に出たアーサーはといえば、二人の侍女を従えて庭の中を通るあぜ道の真ん中に立っていた。私の視線に気付いたのか、こちらへ振り返る。
「遊戯盤の色は何色が良い?」
「え、あ、緑……」
またいきなりの質問に、つい見慣れた緑色のオセロ盤を思い出して答えてしまった。
もう、何なのよ。子供だと思って、オセロで興味を惹いて適当にお茶を濁そうと思っていたのに、こっちが振り回されちゃってるじゃない。
私の答えを聞いたアーサーは、軽く頷いてそのまましゃがみ込むとあぜ道の地面に手を置き、何か呟き始めた。そうすると、アーサーの手が触れている地面がざわざわと動きだし、数秒したら盛り上がった地面から緑色の石板がせり上がってきた。
「うそ……」
完全に地中から姿を現した石板は大理石の様に艶やかで、正確な正方形の板のように見える。
「うむ、まあこんなものだろう」
侍女の一人に石板を持たせ、手元の羊皮紙と見比べたアーサーは、気が済んだように手に着いた土を叩いて払った。
何をするつもりなのか見守っていた国王やお父さんが、恐る恐るアーサーに近づき、やがて侍女の手にある石板に顔を近付けてみたり指でなぞってみたりし出した。
「アーサー、そなた何をしたのだ?」
「錬成ですよ父上。土の魔力で石を作りました」
「いや、それはそなたは土の魔力も持っておろう。だが、石というのは……」
うん、国王達が戸惑うのは分る。普通は錬成で石を作ると地面に落ちてるあれになるわよね。
でも、それは石って言葉から皆があれを想像してしまうからだって、私は知っている。アーサーもどうにかして錬成にとイメージの関連を知ったのかしら。
「緑色が良いというので、母上の部屋にあった緑色の花瓶の石を見本にしました」
「ふむ、たしかにあれは碧玉から削りだしたものだが、まさかこんな物を錬成で作れるとは……」
当たり前のことのように言うアーサー。国王は感心したのと呆れたのが混ざったような溜息をついて石板を見つめ直している。私が近づくと、侍女が国王に目礼してから私の目線の高さまで石板を下げてくれた。
明るい緑色に煌めく石板の表面には、正確なマス目が刻み込まれていて、線の表面を指で撫でてみると別な黒い石で線が描かれているのが分る。
「……すごい。きれい……」
もともとチート級の魔力持ちって設定だったけど、アーサークラスの魔力持ちが土の魔法で錬成をするとこれだけのことができるんだ……
そうだ、ゲームでアーサーエンドを迎えると、コンプレックスを克服したアーサーが持てる魔力の限りを注いで、太陽を象徴するサンライトダイヤを錬成して主人公にプロポーズするんだった。もう、こんな歳からその力の一部が使えるのね。
悪役令嬢をやるつもりはないけど、これは主人公に嫉妬するリュシエンヌの気持ちも分るわ。
「コマは何色が良いのだ?」
人の気も知らない暢気な王子は、もう自分が作った遊戯盤には興味失って、今にも次の錬成を始めそう。
いいわ、それならとことん付き合ってもらいましょう。将来は主人公に持って行かれるんだろうけど、今くらいなら良いわよね。
「殿下、石に二つの色を付けることはできますか?」
「我が見たことのある石の色ならばできる」
「えーと、では、コマを金貨のように薄く丸くすることは?」
「石で硬貨を作れば良いのか?」
「そう、石の硬貨です。白い硬貨と黒い硬貨をこう……」
アーサーの前で左右の掌を広げて重ねて見せると、アーサーは少し考えてから口を開いた。
「表と裏が分るように、色を変えたいのだな?」
「はい! その通りです!」
「次々とよく思いつくものだ」
ふん、と軽く笑ったアーサーがそっと地面に手を置く。そういえば私、この子が笑うところを初めて見たんじゃないかな。
「お前が考えていたのはこれか?」
私がちょっと呆気にとられている間に、アーサーは前世で見慣れたオセロのコマを一つ、さっさと錬成してしまうと掌に乗せて見せてくれた。盤と同じく大理石のような光沢の石は、白黒がきれいに分けられた本当に前世のオセロそっくりで、何だか涙がこみ上げてきそうになる。
見られたくなくて急いで頷いて顔を下に向けたら、また地面に置かれたアーサーの掌が見えた。