そして我が身を振り返る
磨き上げられた銀の鏡に、ぷくぷくした幼児が映っている。
将来、絶対に美形に育つと分かる可愛らしい顔立ちを黄金色の波打つ髪が縁取り、鮮やかなバイオレットの瞳が神秘的なアクセントになっている見るからに特別製の幼児、それが自分だということに違和感を感じる。
「今日はどうされたのですか王子、落ち着かれないご様子ですね?」
読み聞かせの最中に急に眉をしかめたり、人の名前を訊いて回ったかと思えば、突然に鏡を見たがれば、乳母のゼルマから見たら落ち着きが無いように見えるよな。
思案気な表情で少し俺を眺めていたかと思うと、俺を抱き上げて優しく背中をさすってくれた。
「王子、例え何があろうと、王子にはお母上様とゼルマがついておりますよ。どうぞご安心なさいませ」
生まれたばかりの弟に注目が集まっている宮廷内の雰囲気で、不安になっていると思われたのかな。
実際は部屋の外がどうなっているのかすら分からないんだけど、出たがったら余計不審がられるか。
「ん……」
俺はゼルマにしがみついて頷いておいた。年相応に甘えておいた方が、お互いストレスなく過ごせるだろう。
それからしばらく背中をさすられていたが、就寝の時間が来てベッドに運ばれてしまった。
侍女達も控えの間に下がり部屋の灯りも落ちてしまえば、人目を気にしなくて良くなる。
そうなってからやっと、広いベッドの上を転がりながら、記憶を漁ってこの世界についての乏しい情報を漁ることができた。
* * *
大前提として、この世界は、ネット小説『侯爵令嬢の華麗なる逆転』の舞台だと思われる。
小説の筋立ては、何とかいう乙女ゲームの世界にヒロインのライバル役として転生したアラサー女子が、ゲームの攻略情報と現代知識を使って信用と財産を築き上げ、ゲームのシナリオ通りに自分を捨てた婚約者の王子とヒロインに逆襲し、最後には隣にある魔法帝国の皇太子に見初められて皇妃になるまでの活躍を描いた話のはずだ。
ゲームの舞台は王都オリオールにある魔法学園で過ごす三年間だけど、幼い頃に前世の記憶を取り戻した主人公は、学園に入るまでにもいろいろと活動するから、物語は幼児編から始まるけっこう長い話だった印象がある。
主人公の名前はバラデュール侯爵令嬢リュシエンヌ。変わり者だけど画期的な発想をする幼い賢者として貴族達はもちろん王都の民衆からも頼りにされるようになっていく。
ゲームでは攻略対象筆頭のアーサー王子は、天才的な魔法剣士で自信家の俺様王子だけど、実は仲間思いで正義感が強いという設定が、主人公からは独善的で勝手な人物と判断されて王太子妃なんて面倒な立場がセットになっていることと併せて遠ざけられる理由になるんだっけ。
他にも、俺の乳兄弟や宰相の息子、王国一の豪商の跡取り、王国軍元帥の孫、宮廷魔術師長の一番弟子、神殿の神官長の息子などがゲームの攻略対象で、小説では主人公の味方になったりぎゃふんと言わされたりしているから、それに類するヤツが何処かで生まれているんだろう。
そういえば、乳母のゼルマは俺に乳を与えられたくらいだから子を産んでいるに違いないよな。
隣国の魔法帝国皇室って俺の母、正妃カトリーヌの実家なんだから最後に主人公を嫁にもらう皇子ってのも俺の従兄弟なんじゃないか。おそらく、ゲームなら隠しキャラなんだろう。
しかし、こんな状況になって思い返してみると、物語が前半は王都とその周辺、後半は魔法学園と王宮の中で進行するから、都市の様子や貴族の暮らしについてはあれこれ注釈があるものの、その外側がどうなっているのか全く見えない話だった。
さすがに三歳児の身でいきなりそういうのを調べるのはおかしいだろうけど、少しずつでもこの世界の現実ってやつを確認していかないといけないな。
リュシエンヌがが前世を思い出すのは、小説の通りなら六歳のとき。そして俺と彼女は同い年だから彼女が前世を思い出すとしても俺の方に三年の利があるってことだ。まずはこの三年をどう使うかを考えよう。