第39皿 神の耐熱皿(ギガフォティア)
──そこにあった。
神話、嘘、フィクション、まやかし、幻想、空想。現実からは否定しかできない存在。
周辺の森に生える木々と同じくらいの高さの巨躯、4本の脚を持つ神の獣。
ごうごうと燃え上がる紅き炎を纏い、猛々しくそびえ立つ神馬である。それが四頭。
エニューオーが乗る台車を引いている、是即ち──アレスの戦車。
「これが我の本気だ。軍神アレスの松明、剣、戦車を託された女神エニューオーの依代としての全力!」
私は身体が震えていた。
魔力では無い、純粋かつ巨大で濃厚なエーテルの塊。
それが形作ったであろう、真なる神の持ち物。
「いくぞ!」
エニューオーは両手に握った手綱を弾き、神馬に指示を出した。
進行方向は一直線──私をひき殺せという命令だろう。
山雪崩の如く地響きで突進してくるアレスの戦車。
なかなかの速度だが、げに恐ろしきはその突進力だろう。
「空を切り裂け! 暗月!」
試しに斬撃を飛ばすも、やはり効果が無い。
神馬は身動ぎもせずに、その炎を揺らめかせるだけだ。しかも揺らいだ炎の下には表皮など無く純粋なエーテルのみで構成された神の獣の身体。進行方向をずらすことすら出来ない。
「チッ」
スピード上昇の効果でギリギリにしてやっと、アレスの戦車の突進を躱す。
横に転がりながら、戦車の進行方向──戦闘食堂の方を見ると、吹っ飛んでいた。
急ごしらえとは言え人が何十人も入れる建物が、まるで藁で作られた家のように吹き飛び、燃やされ、跡形も無くなっていたのだ。
中に置いてあった、何枚かの予備の分身皿の反応も消えたので、同じ耐久力である私に当たったら一瞬にして割れる……いや、消滅するだろう。修復不可。
「ハハハハハハハ!! どうした、その身体でも、貴女は貴女のはずだろう!」
「ったく、前から貴女貴女って、私じゃない“誰か”を見ているようだ」
エニューオーは軍神らしい粗暴で狂った笑い声をあげながら、再びの突進をしてきた。
私は身体が震えていた。
正直言って、打つ手が無い程の圧倒的な力量差。
机上で練った策を百、二百弄しようとも絶対に届かない勝利。
これには勝利の女神ニケですら、微笑みを捨て去るだろう。
「どうした! そらッ! どうしたァ!!」
私を虫けらのように踏みつぶそうとする、エニューオーが操るアレスの戦車。
何度も何度も往復して、こちら側のスタミナを削ってくる。
こうなるのだったら、スタミナ回復のスープでもゼリー状に固めて用意でもしておくべきだったか。
いや、全て無意味だ。私は絶対的な戦力差で蹂躙されているのだ。
相手は無敵、私は一撃食らえば蘇生不可能な即死。
そういう理不尽なルールの戦い。
「その程度で負けるのなら、貴女は貴女では無かったということだッ!!」
「……のし……な……」
「ハハハハハ! 何をブツブツと言っているのだ! 我の強さを前に気でも狂ってしまったのかッ!!」
私は身体が震えていた。
誰しも戦いに身を置けば分かるだろう。
眼前に迫る死、現状では覆せない運命、疲労しきった身体。
思わず震え──そう、武者震いが起きてくる!
本能が“楽しめ”と囁いてくる!
死、運命、疲労困憊、苛烈な戦い。
「なぁ、楽しいなぁ!! エニューオー!!」
これ以上、楽しいモノがあろうか? いや、否である。
命と命をぶつけ合い、どうやっても届きそうに無い勝利、血が沸騰する。
あの時の、魂無き巨人の抜け殻と呼ばれた存在相手では、味わえなかった最高のスパイス。
神々の戦が“私”を呼び覚ます──。
【ギガサラァ!!!】
以前から使用不能だった、たったひとつのスキル。
その発動条件は“1000000XARA”という意味不明なものだ。
いくつかの仮説を作るも、なかなかに発動条件が揃わなかった。
そのひとつめの謎が、1000000……すなわち、百万というキーワードだ。
以前からメガサラ、ギガサラという謎の自動音声が発生するタイミングがいくつかあった。
そのタイミング、それは昂ぶる感情ではないだろうか。
ふたつめの謎、XARA。これはもしかしたら×……ARA座。つまりゼウス達が祭壇座に約束した、旧体制を打ち破った時のようなの誓い──意思の力。
簡単に言えば、普段の百万倍気持ちが昂ぶれば良いのだ。
つまり仮説が正しければ、私は相手が強ければ強いほどに──。
「“軍神アテナ”の楯にして、無敵の胸当て! その身を“炎鎚の神ヘパイストス”に捧げ、百万の昂ぶりで熱く赤く染め上げよう──!」
私は、そのスキルを発動させた。
皿が徐々に朱に塗られ、それが炎となってエリクの身体を大蛇のように這い回る。
「変身!! “耐熱皿”!!」
「何をしようと遅い! 我──私──俺──アレスに轢き殺されろォォォオオオ!!」
その狂った言葉通り、炎の神馬引く戦車がこちらへ一直線。
暴力的な炎をまき散らしながら、全速力で向かってきた。
ビリビリと響く雄叫びと、大地を揺るがす蹄の震動。
──そして私に体当たりしながら、通り過ぎていった。
「ハッハァー! 勝ったぞ! 今度こそアイツに勝ったぞ! 忌々しいアイツに! 俺は、アレスは勝ったぞ!!」
エニューオーの、もはや人ですら無い、どこかの軍神のような下品で粗暴なけたたましい声。
「不愉快だな、その声は」
「ハハッハハハ!! ……は?」
その間抜けな声が聞こえる背後。
無傷の私はゆっくりと振り向いた。
「な、何だその姿は……何故、焼け死んでいない……?」
エリクが──いや、私が身に纏う衣服が文字通り変身していた。
元のコックコートは影も形も無く、全身がゆったりとした赤き布に包まれている。
この衣服はなんと呼べばいいのだろうか……。
『これは紋付き袴ですね。ジス君より、僕と暗月の思考が出たようです』
東洋のなじみ無い衣服に戸惑っている私を察してか、皿からエリクの声が響いてくる。ナイスフォローである。
袖や足元がヒラヒラとしたスカートのように広がっていて一瞬戸惑うが、試してみると意外と動きやすいかもしれない。
それに、日本刀である暗月を腰に差していると、ヴェールが持ち込んでいた時代劇という奴にそっくりである。
こちらでいう血統を表す紋章のような、家紋というやつだろうか?
それが肩のところに刺繍されているのだが、青い背景に白十字で、王冠をかぶってオリーブの小枝を咥えたフクロウが左右に描かれている。
国章に似ていて、どこかで同じ物を見た事があるような。たぶん、これもエリクか暗月の思考が出た物なのだろう。
「死なない……アイツは死んでない……。ならば、何度でも踏みつぶすまでよ! なぁ──女神──よ! 俺が──アレスがお前に勝つのだ!!」
「ついにエニューオーの人格すら上書きされて、今ではアレスになりきっているのか。解放してやるよ」
空に見えるはずの無い月──真っ赤に染まった月が見えた。
地には再び、こちらをひき殺そうと一直線に向かってくる軍神アレスが乗った戦車。
私は立つ、ただ断つがために。
もう一歩も引かぬ。今の“耐熱皿”となった私には、どんな炎も効かない。
空に浮かぶ赤い月に捧げるように、“暗月”──いや、その新しい刀を抜刀する。
交差する巨大なアレスの戦車。
エリクの蒼い焔を放つ眼光だけが、炎の赤を見通している。
「異界神器、暗月改め──“炎月刀”」
それは刹那の結末を迎えた。
私は彼方に走って行く戦車に、紋付き袴を熱風と共にひるがえしながら背を向け、チンッと炎月刀を鞘に収めた。そして何事もなかったかのように歩き出す。
既に戦車は一刀両断されて、神馬のエーテルは霧散しているのだから。




