第38皿 上書き【※R-15注意】
「離れて戦うなど無粋。やはり、二人の勝負は息の掛かる距離で切り結んでこそのモノらしいな! ジス!」
「ああ、受けて立つ!」
両者、構え直して徐々に近付いて行く。
こうして真っ正面から見ると、相手の大きさが分かる。
広い肩幅の骨格、盛り上がった筋肉、そしてまだまだ膨れあがっていく闘志とエーテルで実際よりも更に存在が巨大だと錯覚させる。
威圧感という奴だろうか。普通の相手なら気圧されてしまうのだろうが、私としては逆に心躍ってしまう。
今も続いている一連の策が、この相手に通じるのかどうかと。
「フンヌッ!」
女性とは思えない程に野太く、覇気を込めた豪快なかけ声と共にエニューオーは炎の剣を両手で振り下ろしてきた。
私はそれを、最初と同じように左手で握るが──。
「うおォ!?」
身体ごと持って行かれた。
こちらの成人男性の体重が紙のように扱われ、炎の剣の付属物か何かのようにされてしまう。
どうやら初撃と違って、渾身の一撃のようだ。
最初にエニューオーと戦った日のように、その剣は巨岩のように重い。
私はそれを警戒していたので、手を離しながら、恐ろしいくらいの加速度に巻き込まれている身体を、流れの円に逆らわせずにタンッと跳ぶ。
視界は一回転──くるりと後方へ向かって宙返りをして反動を殺した。
「……見事」
「さすがの馬鹿力だな」
着地をしながら、冷や汗を拭う。
エリクの普段からの早朝料理トレーニングの賜物である。ストレッチも欠かさないため、身体が猫のようにしなやかで柔らかい。料理にそこまで必要か? とは思うが。
とりあえず、これが剛直な身体だったら、そのまま腕をへし折られた後に良い焼き具合の練炭にでもされていただろう。
「だが結局、貴女は防戦しか出来ていない。さぁ、次にどんな戦いを見せてくれるのだ?」
「そんなに期待されても困るな。私はただの皿で、この身体は料理人だ。どちらも戦うための存在じゃあない。結局、打ち合うしか無いさ」
私はまた同じように、エニューオーへと向かっていく。
それを見た彼女の顔は、ひどく残念そうだった。
「そうか……その程度の存在に成り下がってしまっているのか……」
頭の中でピースがハマっていく音がする。
内心ほくそ笑みながら、エニューオーと暗月で打ち合う直前、既に地中に設置あったモノを飛び出させた。
「──これはいつぞやの手か!?」
そう、エニューオーに使うのは二度目の、地面に分身皿を埋めて意表を突く戦法。
この場所で待ち構えて戦おうとしていたのも、そのためだ。
二人の間に分身皿を浮かべ、二重に広げたラップシートを放つ。
エニューオーの視界を奪うために。
「しかし、同じやり方では効かぬぞ!」
私はそれに返事をする事が出来なかった。
非常に口が忙しいのだ。
エニューオーは、こちらがボンヤリとしか見えないのにイラつきながら、その敷居となっているラップを分身皿ごと切り裂く。
「──残念、同じじゃないんだな」
ゴクリと嚥下してから答えてやった。
ここまでの行動は全て布石だ。
私の食事強化込みのスペックを敢えて知らせることによって、これ以上は無いだろうという油断を産ませるための。
「何ッ!?」
私は──今までではあり得ない、旋風のような速度でエニューオーの背後に回り込んでいた。
それと同時に、浮かび上がらせていたもう一枚の分身皿表面のラップを剥がし、乗っていた肉に噛み付き──飲み込む。
食事効果を、密かに食べていた野菜料理のスピードから、肉料理のパワーに変更。
それもタラモサラタのような防御との混合ではなく、肉のみの純粋なパワー強化。
「皿と料理人でしかできないコンビネーションだ! 喰らえッ!!」
エニューオーの背後から、全身全霊の一撃を振り下ろす。
刀の形をした隕石の如き落下エネルギー。
だが、エニューオーもそのまま背中を晒しっぱなしでは無い。
人間離れした超反応を見せて、上半身だけをひねりながら炎の剣で受け止めていたのだ。
「ぐぬぅぅぅううう!?」
不安定な体勢だったため、派手にはじき飛ばされていくエニューオー。
地面を無様に転がされながら、木の幹にぶち当たってようやく止まった。
流石としか言い様がない。
今の一撃で決めるために、ここまでの全ての行動を布石として、何とかくぐり抜けてきたというのに。
それを獣のような本能のみで切り抜けたのだ、あの血塗れ武器の魔女は。
「悪いが、決めさせて貰う!」
再び、埋めておいた分身皿──スピード重視の一口野菜料理を飛び出させ、噛み砕いて胃の中に入れる。
エニューオーが通った10メートルほどの距離を、まだ砂埃が収まらないうちに追撃する。
人体の限界近くまで達した加速度を感じながら、一瞬で眼前に捕らえたエニューオーに暗月を叩き込んでいく。
一撃、二撃、三撃──。立つのがやっとで、息も体勢も整えられないエニューオーを確実に削っていく。次々と食事効果を上書きしながら──。
時には肉料理で力押し、時には獅子座のタラモサラタでガードカウンター、時には野菜料理のスピードで翻弄。
数瞬後には、もう攻撃を捌き切れていない、ボロボロで血を流す哀れで無残な女傑が立っていた。
私は、既に勝負が決まったと確信して問い掛ける。
「これが食事効果による上書きってやつだ。……エニューオー、お前の事を殺しても一銭の得にもならない。負けを認めろ」
満身創痍のエニューオーは、それでも強敵と戦えて幸せそうな笑みを浮かべていた。
「上書きか……。……ふふ、我もエニューオーとして上書きされた時の事を思い出すな……」
「思い出話か? それでお前の気が済むのなら聞いてやろう」
「……体力回復の時間稼ぎかも知れんぞ?」
「そういうところは信頼してるさ。同じ飯を食った冒険者ギルドの仲間だしな」
「貴女という人は……」
私は、エニューオーの横に座った。
エニューオーもまた、無防備に座り込んだ。
互いが友であるかのように、あるはずのない焚き火を前に語らう冒険者のように。
軍神アレスと──のように。
「あれはまだ我……いや、わたしがエニューオーとも呼ばれていなかった頃の話です──」
* * * * * * * *
「サラマンドラ。無理をしなくてもいいんだよ……」
「ううん、今日は体調がいいの! だから、剣のお稽古もがんばっちゃう!」
まだ幼かった頃のわたし。
病弱で、貧相な身体。
だけど、両親に可愛がられて幸せだった。
「それじゃあ、城に行くまで時間があるから見てやるか。お前は目を離すとすぐ無茶をするからな」
「もう、パパは心配しすぎだよ!」
父親は城勤めの兵士だった。誠実で、優しくて、格好良くて、強くて。わたしの理想の人だった。
おぼつかない木剣捌きでも、とにかく褒めてくれた。良いところを見つける天才だった。あの頃のわたしは、アイツが大好きだったのだろう。
だけど──。
「おい、あんたのところの奥さん……メドゥーサの民だって本当か……? もしかして、最近の疫病騒ぎは……」
そんな噂が流れ始めた。
母親がどこか流浪の民だとは聞いていたが、忌み嫌われている人種だとは知らなかった。……だが、本人もそれを認めたため、人々は魔女だと認定した。
わたしは、父親に助けを求めた。誠実で、優しくて、格好良くて、強くて、私の理想の人なら──何とか──。
「アテナ様に仇成す血は根絶やしにする」
険しい顔でそう言われてしまった。
当時のわたしでは、何とか……なるはずもなかった。
「サラマンドラ、お前も“人間”ではない。処罰する」
アイツは、アイツが定義する“人間”のための行動や理念だったのだ。
家畜を見下すような目は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
後でマンバから聞いたのだが、メドゥーサの民の扱いは良くて非合法な奴隷、大体の場合は死刑ということらしい。
だから皆必死に自分の血を隠しながら生きて行く。いつ露見し、家畜以下の存在に成り下がるかビクビクしながら。
「ウヒウヒ……可愛い顔をしてるじゃねーか。それに年の割に発育の良い身体だ。拷問のしがいがあるぞ……」
わたしは両手両脚を拘束されて、城地下の拷問室に入れられた。
既に斬首されていた母の首を横に置かれ、最初は恐怖と絶望で泣き叫んでいた。
「アテナ様に逆らった、メドゥーサの神話みたいだろう? お前も後でこうなるんだ……」
拷問官は笑いながら、母の髪を蛇のように三つ編みにして弄んでいた。
人間とは、なんと残酷で醜い生き物なのだろう。
わたしを不貞バラ撒く悪の魔女として捌くために、洋梨型の拷問器具で処女を奪っている拷問官を見ながらそう思っていた。
鉄に滴る純血、耐えがたい痛み、屈辱、母への冒涜、父の裏切り、絶対に忘れない。冥界のコキュートスを渡ってもだ。アテナの民よ覚えていろ、死者達の王魔女の炎をこの身に燃え移らせてでも、いつか焼き尽くしてやる。
「ん……なんだ……黄金の林檎?」
その時、ソレは現れた。
わたしの近くに落ちる、こんな場所にあるはずのない異質な存在。
表面に文字が刻まれていた。
──最も熱き“人間”に──と。
もし……この林檎がわたし宛てだったのなら、これを渡してくれた存在はわたしのことを“人間”と認めてくれている。
無意識に手を伸ばした。
「な、なんだコイツ……いつの間に手枷が外れて!? ウ、ギャアアアッ!?」
いつの間にかわたしは、真っ赤に染まった拷問用の焼きごてを掴んでいた。
地面に倒れている、頭部が焼き砕かれている拷問官。
そして、わたしを導くかのように、拷問室の扉が開かれていた。
外に出ると、同じように次々と開かれた扉があり、その通りに進んだ。
最後の扉の先には、知らない女と寝ている最中の父親。
わたしは世界との決別と思い、その汚らわしい物体二つを、その場に置いてあった剣で──アイツから習った剣術で、アイツを殺した。
血に濡れた武器は、わたしの誇りとなった。
その後、まだ幼かったマンバとデイノーと出会った。
わたし達は力を手に入れるために、自らの身体と魂を“なにか”に捧げた。
まるで詩人オウィディウスが語る“変身物語”のように、それぞれの身体は役割を果たすに相応しい変身を遂げた。
マンバは金と毒のために、老婆の姿──“豪奢な服を着た意地悪な魔女”に。
わたし──サラマンドラは、軍神アレスの妻のように勇ましい身体──“血塗れ武器の戦闘狂の魔女”に。
* * * * * * * *
「我はエニューオーとして上書きされたのだ」
一通り語ったエニューオーは、ゆっくりと立ち上がった。
「だからもう我慢が出来ない。大切な貴女を殺さないように戦ってきたが、この“血塗れ武器の戦闘狂の魔女”の気持ち──いや、わたし自身の気持ちかも知れない。受け止めてくれるか?」
「ば~か。最初に出会った時、約束しただろう。今度は真っ正面から、奥の手込みで戦ってやるってな。お前の過去も現在も、そして未来も受け止めてやる。それが一皿を共にした──皿としての礼儀だ」
エニューオーは一瞬、その身体には似つかわしくない少女のような微笑みを浮かべた。
そして──。
「我が懇請によって、彼方から転移せよ……。“四朱に導かれし軍神の戦車”!!」
天を覆い尽くさんばかりの──巨大な炎嵐に包まれた。




