第36皿 深き森に燻る炎
「うっぎゃあああああ!? な、ナイフが拙者の腹に!? ヤンデレENDでござるかああああ!?」
突如、クリュティエに刺されてしまったポリュペーモス。
私はそれを冷静になだめる。
『いや、よく見ろ。ナイフの刃が皮膚にめり込んではいるが、突き破ってはいないだろう?』
「なんですと!? 確かにこれは……どういう事でござるか!?」
さっきまで元気に絶叫していた筋肉デブは、痛みが無いのに気が付くと一端落ち着き、今度は説明を求め始めた。
他の冒険者もざわついているし、早めに種明かしをしておいた方が良さそうだな。
『お前らも知っての通り、私の料理は喰った奴へ特殊効果が出るわけだ。肉なら力が上がり、魚介系なら防御力が上がり、スープ系なら持久力が……といった基本的なルールでな』
「も、もしかして……」
『そう、冷静になれば当たり前の事だ。ネメアの獅子の特性は武器無効化。それを喰えば、食事効果もきっと同じようなものになるに違いないと考えて、相乗効果で魚介類のタラモを合わせたのだ。結果はベストマッチ! 刃を通さぬ強靱な皮膚!』
「で、でも、もしそうならなかった場合はどうしていたでござるか? いきなりナイフで刺してくるなんて……」
痛いところを突いてくるポリュペーモス。ナイフで突かれただけに。──突かれただけに!
『変に力んでたら本当に効果が常時どれくらい発揮されているかわからないし、それにもしナイフの刃が通っていたとしても、クリュティエからの刺し傷なら喜びそうだしな、お前なら』
脂肪と筋肉で刃渡りの短いナイフなら軽傷というのもある。
「もっともでござるな! 幼女からの刺し傷なんてレアすぎて勲章物でござるよ!」
ナイフを持っていたクリュティエ本人はどん引きしつつ、私の方へと近寄ってきた。
呆れ気味だが、若干どや顔が混じっている。
「ジス、言われた通りにやってあげたわよ?」
『オーケー。ナイスだクリュティエ。お前にしか頼めない仕事だったぞ』
「なによそれ、まったく……こんな事に私を使うなんて……」
結構、無理やりのこじつけだったが、頼られた事自体はまんざらでもなさそうだ。
サンダーのように……アレな手段でどうこうする事は私にはできないが、こういう仕事を割り振って気を紛らわせるくらいなら可能だろう。
表向きにはまだ雇い主であり、立場的に王族のお偉いさんなのだから。
『──というわけで、この料理を使って冒険者全員を強化して、ネメアの獅子に対抗する。そして例の作戦で奴を──エニューオーを引きずり出して勝負に持ち込む』
いよいよ、カリュドーンの猪狩りも最終局面に向かってきた。
最終的に狩るのは私達か、エニューオーか。
「おや、ジス殿。あのテーブルの端に置かれ、一口大の料理が入った、ラップに包まれた皿達はいったい?」
さすがポリュペーモス、デブだけに食い物には目ざといな。
『アレは喰うなよ。対エニューオー用の切り札。私の皿としての神髄を見せるための最終兵器だ』
* * * * * * * *
冒険者達が“獅子座のタラモサラタ”を食べた後は、破竹の勢いで獣の縄張りの勢力図を塗り替えていった。
肉であるために従来通りに力も上がり、獣の爪や牙も防ぐようになった特級の食事効果。
武器の通じぬネメアの獅子が出てきても、冒険者達は素手で肉弾戦を挑んで勝利していったのだ。
その雄々しい侵攻はまるで、数十人のヘラクレス。
誰も彼もがスパルタ式パンクラチオンで殴り、蹴り、最後には獣を絞め殺していく。
そしてネメアの獅子を食材として持ち帰り、調理して喰らい──新たなヘラクレスが生産される必勝のループ。
ついに冒険者達は縄張りの中心部まで到達したのだが、森のど真ん中に信じられないモノを発見した。
──玉座だ。腕を組みながら、怒りの炎を燃え上がらせる魔女……いや、軍神の王女が御座す場所。
「よくぞ、ここまで辿り着いた」
血塗れ武器の魔女──エニューオーは組んでいた太い腕を解き、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
身長、骨格、筋肉。そのどれもが雄々しく逞しく、女性とは思えないシルエットだ。
「あ、あいつさえ倒せば、おれたちゃ英雄だ……!」
「おい待てよ! ジスさんの指示は──」
功を焦った冒険者の1人が、先走ってエニューオーへと走って行く。
まだエニューオーの恐ろしさを知らない、新人冒険者だ。
食事効果で無敵の高揚感を得ているとは言え、理知ある古参者たちは必死に止めようとした……が、遅かった。彼は既にエニューオーの眼前で剣を振りかぶっていた。
「その剣で、ただ必死に生きようとする獣たちを殺してきたのか──」
エニューオーは手の中に真っ赤な炎の剣を召喚して、それを目にも止まらぬ早さで一閃。
冒険者の剣はへし折られた。断面を熱で赤く染めながら。
「だが、我は咎めぬ、生きとし生けるものは、何かを殺すのは当然の理」
「く、くそ! だが、武器が通じないのなら怖くはねぇ!」
冒険者は予備で持っていたナイフを取り出し、まだ戦おうとするのだが──。
「そうして、現実のカリュドーンの猪も、ネメアの獅子も……広才博識という最強の武器を持つ人間達に絶滅させられてきた。……同じ境遇なのだよ」
エニューオーは焼きごての如く、冒険者の胸板に炎の剣を押しつけた。
直後、1秒も立たずに黒い煙と肉の焼ける臭いが周囲を舞った。
「ぎゃああああ!? 熱い、熱いなんで、なんで武器が通じないはずなのに!?」
「ほう? 多少は防がれるのか。さすがはジスの食事効果だ」
その刃を防ぐ事は出来ても、物理的なモノから離れている、恐ろしく例外的な炎は通してしまうのだ。
「さぁ、我は無駄な命は奪いはしない。大将同士の一騎打ちを望む! ジスはどこだ!!」
「ひぃ!? て、撤退だ! 後方の“戦闘食堂”まで下がるぞ!!」
這々の体で逃げ去る冒険者達、それはまるで最初から指示されていたかのように鮮やかなものだった。
遅れて、エニューオーに表皮を焼かれた新人冒険者も、よたよたと逃げ去っていく。
エニューオーはそれを、まるで先輩冒険者のような気持ちの良い豪快な呵々大笑で見送った。
「はっはっは! 無様にでも逃げて、生き延びろ! 我らと──メドゥーサの民と同じ境遇にはなるなよ、アテナイの民よ!」
そして、力強く一歩一歩、軍神のように進む。
冒険者達が撤退していった方向──信頼、敬意、羨望を向ける一皿の居る場所へ。
それらの心持ちを上回る、強者との戦いという意思と共に。




