第35皿 獅子座(ネメア)のタラモサラタ
『……え、エリク。例の物は作れそうか?』
「はい、獅子肉は一度、道で出くわした時に調理させてもらった事があるので」
倉庫で衝撃シーンを目撃した私は、厨房の方へと移動していた。
そこで下ごしらえを始めていたエリク。
いきなりネメアの獅子を料理することになって困惑しているかと思いきや、獅子肉の経験があるとかどんだけなのだろうか。
「ジス君、顔が真っ赤ですが大丈夫ですか?」
『え!? ま、真っ赤……か!?』
「ふふ、冗談です。声の感じから察しただけなので」
『なんだ……驚かせるなよ』
冷静に考えれば、皿の色が赤に変わるはずは無いのだ。
火を浴びた耐熱皿じゃあるまいし。
「落ち着けたのなら幸いです。では、急いで作らないといけないという事なので、時短のために協力して頂きましょうか」
既にネメアの獅子はブロック状の肉にしてあり、塩コショウがすり込まれていた。
急造の簡易コンロの上にフライパンを置き、油を伸ばしてから、下ごしらえを終えたブロック肉を入れて焼き色を付ける。
「ジス君、ラップを袋のように出来ますか? 肉汁を逃がしたくないので」
『やってみる』
構造的にはどうするか。
分厚くしすぎても熱の通りで問題があるかもしれない。
広めのシートを二枚出して、それでブロック肉を二重に包んで、ヒモで入り口を縛ることにしよう。
「うん、良い感じです。これをお湯の中に入れて、タイミングを見て火を止めて放置しておけば──主役の完成です。後は市場で買ってきたアレを合わせるんですよね」
『ああ、その組み合わせならたぶんベストマッチだ』
* * * * * * * *
『さぁ、お前ら。あの無敵の神話生物を倒すための秘密兵器の完成だ』
食堂に戻った私と、いくつもの皿を並べるエリク。
森から引き上げさせた冒険者達が戦闘食堂の中ですし詰めになり、それに注目していた。
お冷やを配りに来たヴェールが、皿の中身を見ながら呟く。
「何、これ? ピンク色のペーストだけ?」
『おいおい、ギリシャじゃポピュラーな食べ物だろう。タラモサラタだ』
「あ~、これが噂のタラコサラダね。地球のコンビニで買った事ある」
『タラモサラタ、だっての……』
勘違いしている奴が多いのだが、タラモというのはギリシャ語で魚卵の事だ。今回はボラの卵を使っている。ちなみにサラダでもない。そんなに野菜メインでも無い。
「で、でもジス殿。このタラモサラタで本当にネメアの獅子に勝てるんでござるか? もしそうなら、最初からこれを作っていればよかったのでは……」
『そりゃー、無理な相談だ。だって、さっき手に入れたばかりの素材が入っているからな』
「も、もしかして──」
エリクが皿を並べ終わった時点で、私はこの料理の名前を告げた。
『さぁ……、“獅子座のタラモサラタ”を喰らえ!』
「クリュ殿が倒してきたネメアの獅子を材料に!?」
ポリュペーモスは慌てたようにフォークを握り、桃色のペーストをかき分けた。
その中には、薄くスライスされたローストビーフ……いや、ロースト獅子肉が隠されていた。
「ほ、本当に入っているでござるよ……。というか、ライオンの肉って食べられるでござるかぁ?」
『それは私も色々と考えたが、神話でヘラクレスが食べてたし平気だろう。成分的にも毒は入ってなかったし』
言葉に出すと料理を運ぶ手が鈍くなりそうな、倫理的な部分は言わないでおいた。
ライオンを食べて良いか悪いか。……ええい、今は非常事態なのだ!
「そ、それじゃあ……頂くでござるよ……」
まずは毒味の一人目、という雰囲気でポリュペーモスが皿に手を付けた。
ボラの卵のペーストから。
「ほう、アテナイでは混ぜ物はパン粉が多いですが、これはジャガイモも入れておりますな。魚卵の生臭さが消えて、程よい粘りと爽やかさ。正にタラモの新しい王道でござる」
『おおっと、その食べ方じゃダメだ。ロースト獅子肉と一緒に食べるんだ』
「なんと? では──」
外側に焼き色が付き、まだ生のような瑞々しい色が中央に残っている獅子肉に、魚卵ペーストを絡ませて口へ運ぶ。
「ふぉおおお!? この蕩けるような柔肉!? 本当にこれが、あの武器の通じぬ堅牢なネメアの獅子肉でござるか!?」
『武器が通じないのは黄金の表皮のせいだ。逆に言うと、それ以外は柔らかくてジューシーなのだ。硬くならないようにオーブンでは無く、湯につける低温調理で、しかも私のラップで肉汁を逃さないように真空圧縮したしな』
「同時にタラモのきめ細かくプチプチとした心地良い食感と、食べ応えあるイモとパン粉のペーストが……腹を幸せで満たしていくでござる……」
昇天しそうな満足げな誰得表情と共に、ポリュペーモスの身体が食事強化によって輝きだした。
ちゃんと狙い通りに効果が発揮されていれば──。
「うまい! うます、ぎ──あれ? えっ?」
いつの間にか近付いてきていたクリュティエ。
鎧を脱いでいたポリュペーモスに走り寄り、手に持っていたナイフを腰だめに構えて体当たりしていた。
──その顔は無表情だった。




