第33皿 ヘラクレスの栄光
「ごちそうさまでした、っと」
自分の分身皿で料理を食べるというのも、何か違和感がある。
だが、エリクが作ってくれた猪肉のサンドウィッチは美味かったので良しとしよう。
「じ、ジスの旦那ぁぁぁああ! さすがにもう限界ですぁあああ!!」
オルフェウスは、倍ある体格のネメアの獅子にのしかかられ、その凶器である爪を剣で鍔迫り合いしながら、迫ってきている大口に泣き叫んでいた。
「悪い悪い。それじゃあ、行くぜ。絶対にこちらを振り向くなよ、立ち上がるなよ?」
「へ?」
私はクリュの身体を使い、そこらの大木を引き抜いた。
ついてきた地面ごと持ち上げ、根っこが千切れ、メキメキと樹体が軋む音を響かせる。
小柄な幼女がするには、物理的にありえない行動だろう。
だが、私の料理を食べたクリュの身体は、全身に魔法を纏っているような状態だった。
それもヴェールの初級強化魔術とは比べものにならない倍率の。
私にも力の奔流が見えるので、エーテルというやつに違いない。それも神々が持つと言われる純粋な権能。
それらが、物理現象を無視させて、クリュの中に眠るヘラクレスの血を再現させているのだろう。
「それじゃあ、投げ──うぎゃ!?」
転んだ。
重くてふらついたわけではない。
石も段差も何も無いところで、一歩踏み出しただけで自然と転んだのだ。
……もしや、これは天然ドジっ子女神ヘベの特性だろうか?
確か逸話では、神々の集会中にノーパンで転んでしまって大変な事になったはずだ。
そうか、そう考えれば、クリュが異常なまでに私をパリンしていたのも悪気があったわけでは……。
「ひぃぃぃいいい!? 何か木が俺の横に降ってきたんですけど!?」
転んだ拍子に手を離して、オルフェウスの頭半個分、横の位置に植樹してしまったようだ。
「悪気は無い。ドジっ子なだけだ、許せ」
テイクツー。同じ動作で2本目を引き抜く。
今度は気を付けながら構え、根っこの方を切っ先にして、破城槌の如き大木を槍投げした。
音を越えるような速度で飛んでいき──。
「うおぉ!? す、すげぇ……」
歓喜の声をあげるオルフェウス。
上に乗っていたネメアの獅子が飛翔大木によって吹き飛び、身体が軽くなったためだろう。
「──ちょっとやりあうから、這ってでも離れておけ」
「え? 今ので倒したんじゃ……」
そんなわけはない。
この程度で倒せるのなら、ヘラクレスの棍棒で一撃だろう。
そう予想していると、投げた大木の奥から──低い獣の唸り声が聞こえてきた。
こちらを赤い眼で見据えると、危険な敵と判断してくれたのか、大気を振るわせる雄叫びへと変化した。
「こっちに注目してくれるって事は、いちいちオルフェウスを守ることを気にしなくて済みそうだ」
怒り狂って突進してくるネメアの獅子。
その速度はカリュドーンの猪など比では無く、風のように俊敏に駆け抜けてくる。
さて、どうしたものか。
このまま力任せに、ヘラクレスのように取っ組み合ってもいいのだが、その場合はクリュが傷ついてしまう可能性もある。
クリュ本人はいくら傷ついてもいいと言っているが、私としてはなるべく、そうはさせたくない。女の子の肌に傷を付けるとか論外である。
一部、ヴェールのように笑えるほど、磁石のように災難を引き寄せるフルボッコ体質の奴もいるが。病院での腫れ上がった顔は傑作だった。大笑いしたら、その後で割られてしまったのは秘密だ。
というわけで、今からネメアの獅子簡単3分クッキングを開始する。
既に敵の能力は試した。
後は応用するだけである。
「幼女ヘラクレスVSネメアの獅子、ってところか」
「だ、旦那ぁ! いくら腕っ節が強くても、相手の爪と牙はそこらの剣よりやべぇぜ!?」
オルフェウスの心配はもっともである。
そこで──。
「使わせなきゃ平気さ」
私は後ろに下がりながら、移動方法であった空飛ぶ円盤の要領でラップを糸状に射出。
木々の間に糸の結界のようなものを生成していく。マジックのような結び目や輪をいくつも付けて。
以前、カリュドーンの猪相手には突き破られてしまったのだが、ネメアの獅子は体重がそれより軽く、移動もフットワーク重視なので通用するだろう。
「それじゃあダメだ! 奴は武器が効かねぇ!」
「いや、効果はあるぞ? さっき、投げて試したじゃないか」
私の言葉通り、ネメアの獅子は糸に絡まっていた。
やはり獣は獣である。
人間が知恵を武器として使えば、その強靱な肉体と能力は対等では無くなる。
「刃や打撃がダメージとならなくても、相手の動きを制限することはできる。木で吹っ飛んだようにな」
私はそのままネメアの獅子に近付き、たてがみで隠された首に──細い腕を絡めた。
「クリュ、イメージして眼を閉じて耳を塞ぐんだ。感覚遮断できるはずだ」
今からすることは、子供に見せるようなものではない。
『いえ、わたくし達が、生活というエゴで奪ってしまう命です。見届けさせてください』
そうか、そうだったな。クリュは強い子だ。
「わかった。……じゃあな、ネメアの獅子。今度お前と、争わなくて良い場所で出会ったら、飛びきり美味い餌を用意してやるよ」
私は軽く、必要以上に力を込めずにひねった。
首の折れる音が聞こえ、ネメアの獅子は動かなくなった。
「さ、皿の旦那が。やった……本当にネメアの獅子を倒した!」
「まぁ、クリュのおかげだけどな。そうじゃなかったら、お前を置いて撤退していたところだ」
「ははは、またまたぁ! ツンデレですかい!」
冗談では無く、無機物である私の常識に照らし合わせた、本気の発言だったのだが。
余計なリスクを負うのなら、人間1人を切り捨てるという当たり前の常識。そのために死んだ時に金を渡すのだろう。
だが、クリュの身体で言うのは何か嫌だったので黙っておく。
クリュは頑張ってくれたからな。
「さて、クリュ。戻る──ぞ? あ……れ?」
身体が動かない。
そのまま受け身も取れずに地面へ倒れてしまった。
もしかして……危惧はしていたのだが、反動だろうか。
あれだけの強い力を、まだ幼いクリュが耐えられるはずもなかったのだ。
やはり真正面から取っ組み合って、全力でヘラクレスの力を使うという選択を回避して良かった。
早く、クリュを戦闘食堂に戻らせて寝かせてやりたい。
……のだが、森がざわめいた──。
「ひぃ、ネメアの獅子が複数!? 皿の旦那ぁ!?」
無情にも現れる獅子達のシルエット。
5匹、いや、6匹だろうか。
次々と増えて行く。
『いつか餌をやるとは言ったが、少し早すぎるな。意地汚い奴だ』
意識の無くなったクリュから憑依が強制解除され、皿に戻った私は減らず口を叩くしか出来ない。
さて、間に合ってくれるかな。
クリュのナイト様達は。




