第32皿 神話生物、ネメアの獅子
私──ジスは、格好良く登場したのだった。バッチリと決まっている。
やはり友であるクリュの前では、情けないところは見せられない。
「お皿さん、どうしてここに……? かなり距離の離れた、後方の“戦闘食堂”の方にいたんじゃ……」
『なぁに、このお皿さんにかかれば軽くひとっ飛びさ』
偵察として出していた使い魔のフォボスから“ネメアの獅子”が現れたと報告を受け、正義感の強いクリュなら最悪の事態も起こりうるだろうと“最速の方法”で移動してきたのだ。
以前はヴェールの不安定な風魔法で死にそうになりながら、しかも速度の出ない方法で移動していた。
今回は、身軽な私一枚での移動だ。
手足も無しに、憑依もせずにどうやって? と疑問に思う者も多いだろう。
そこはラップの射出を使った。
蜘蛛糸のようにラップを木々に巻き付けて、ターザンの如く移動する。
最初は一本巻き付けての移動だったが、安定性が悪く、木の幹に激突してパリンしそうになった。
すぐに2点まき付け方式にして、安定性とスピードを獲得した。
名付けて“空飛ぶ円盤”とでも呼ぶ事にしよう。
ただ、怖いのでもう二度とやりたくない。一歩間違えば森の中に割物四散である。
後々の事を考えればリスクが高すぎるのだが、私の優先順位でクリュはもっと高いのだ。
だから、他の事を捨て置いてでも、クリュの意思は尊重される。
『クリュは……あのネメアの獅子を倒したいんだな?』
「はい……! オルフェウスさんを救います! もうおばあちゃんの時のようにはさせません!」
本当にこの娘は良い子だな。私の友に相応しい
「で、でも……わたくしが身を挺したとしても、可能なのでしょうか……。相手は神話の生物なのです……」
『心配するな』
それに……この戦いの前、フィロタスに願いを託されたからというのもある。
遺言と同じような信頼のメッセージ。
* * * * * * * *
「ジス殿、少しよろしいでしょうか?」
『ん? ああ、これを作りながらなら』
私は数日前、カリュドーンの猪狩りのために防具を量産していた。
我ながら器用である。
「ジス殿は、クリュティエ様を助け、私を助け、クリュを助け……冒険者を助け──。最も信頼の置ける人物だと認識しております」
『よせよ……。偶然、そうなっていったってだけだ。私自身の正体は分からないし、利害が一致しなければ簡単に裏切っても良いと本心では思っている皿だぞ』
「敬意に値する相手というのは、そんな些細なことは気にしません」
『とんだ過大評価だ。で、なんだ? 私を口説き落とそうとでもいうのか?』
ロマンスグレーのフィロタスなら、まぁ悪くは無いと冗談めいて言ってみた。
「ふふっ。もう数十年若ければ、そうしていたかもしれませんな」
私としては特に年齢は気にしないのだが。
「今日は、折り入って頼みが有り参上致しました。次の作戦は誰しも死の危険が伴うものです」
『まぁ、予想外の相手が出てきたら、危険は避けられないな』
「はい、つまり遺言を身近に託せる相手は、ジス殿なのです」
縁起でも無いが、危険を伴う事の前には遺言を残しておくのは世の常だろう。心残りを気にして戦えというのも難しい。
『わかった。聞くだけ聞いて、金になりそうなら後で情報屋にでも売っぱらってやるよ』
「その情報屋が聞いたらひっくり返りますな。……さて、冗談はさておき他言無用でお願いします。これは、クリュ──いえ、真のクリュティエ様の出生の事ですので」
『やっぱり、あの2人には何か関係があったのか』
「はい。本来は離れていて、こうも2人が交わることなど無かったのですが……」
クリュが、俺を追っかけてきたせいだな。
そして、ヴェールがクリュティエ邸に転がり込んだため。
確かにこの偶然が重ならなければ、クリュとクリュティエは出会わなかっただろう。
『それで、クリュ……いや、真のクリュティエか? ややこしいが、どうしたんだ?』
「あの方には、我がスパルタ王家の証である大英雄の子孫の血が……いえ、さらに神々の給仕である女神ヘベの血も受け継がれているのです。それも誰よりも強く深く」
『なるほどな、つまり──』
* * * * * * * *
フィロタスは、なんて事を私に話してしまったんだか。
情報屋に売れば、凄まじい量の金貨が手に入っただろう。国家機密レベルだ。
だが、私の友であるクリュの事でもあるので、そんな光を反射するだけの物体程度では渡す事の出来ない情報だ。
『クリュ、少し身体を貸してもらうぞ。なるべくは身体を傷付けられないように努力するが、かすり傷くらい──』
「わたくしの事は気にしないでください! 頭や心臓の一個や二個くらい、覚悟しての発言です!」
この幼女は、本当に汚れ無き精神である。まるで永遠の純真を秘めていた女神ヘベ。だからこそ、人間としてクリュが大きく成長してくれるまでは、大人達が道を示しながら守ってやらなければならない。
私としては、もうちょっと汚れて利口になってくれた方が楽だろうとは思うが、私が友と認めたクリュなので、洗い立ての皿のように真っ白を貫くのだろう。
そんな友だから、私も──リスクを負ってでも力を貸すのだ!
『では、身体を借りるぞ! 意識が私の位置と逆転するが、冷静にな!』
「はい! わたくしの全て、任せます!」
私はラップで、クリュの小さな身体に巻き付いた。
そして皿では無く、胸当てとして機能を変更する。
『メガサラァ!!』
「うおっ!? レベルアップしてないのに、あの声が勝手に出た……」
と、憑依を終えた私は、クリュの口を使って驚いてしまう。
『きっと、気持ちが昂ぶった時に出るんですよ!』
クリュの方は、反対に皿から声を出している。
「ははは、そんな馬鹿な……」
いや、まてよ、でも……精神の昂ぶり……上昇……数値。それなら確かに。
あの使用不可になっている、一段階上の“耐熱皿”になる変身というのも……。
「お、おい! ジスの旦那とクリュちゃん! 話の途中で申し訳ないが、俺の事を助けるとか忘れてないか!?」
すっかり忘れていたオルフェウスは、あしらい上手を発揮してネメアの獅子とまだ取っ組み合っていた。
あいつの生存能力すげぇな。
今度から、過酷な依頼には優先的に送り込むようにしよう。
「悪い悪い。これ食べてから行くわ」
私は、落ちていたバスケットから猪のサンドウィッチを拾い、モシャモシャと食べ始めた。
「早くぅ、早くぅぅ!! 皿の旦那ぁぁあ!!」
モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かに豊かで……。




