第28皿 追う背中はまるでアポロン、たとえこの恋が蝋の翼だろうと──
エニューオーは去ってしまった。
この私──クリュティエに何故か優しくしてくれた敵の魔女。
母か姉のようなモノだったのだろうか? それともただの哀れみだろうか?
本当の家族の温もりを知らない私には理解できない。
「ん? 姫様も急に明日、休みをもらって悩んでるのかい?」
酒場の後片付けをしている最中、珍しくサンダーから話しかけてきた。
クリュが今、近くに居ないからだろうか? そうに違いない。外見が一緒の私は……あの子の代わりだ。
「そうかも知れないわね」
私はつい素っ気なく答えてしまう。
本当は話しかけられて嬉しいはずなのに、同時に悲しくもあるからだ。
彼が一番好きなのは、ジスだと知ってしまったからだ。
一番仲が良さそうな……ハタから見たら恋人にすら見えるクリュより上がいたのだ。
私が入り込む隙間なんてどこにもない。
「じゃあ、明日どこかへ出かけないか? 一緒にさ」
「え?」
サンダーは何を言ったのだろうか。
一瞬、理解できなかった。私の顔はとてもマヌケだっただろう。
「そんなに驚かれるとは思わなかったよ。だから、一緒に出かけようって話。デートみたいな感じ?」
「で、で……っ、ででででデートですって!?」
心臓が飛び出しそうになった。
浮気だろうか、乗り換えだろうか。
まだ幼い私には、そういう恋愛経験も知識も足りず、少し年上であるサンダーが考えている事が分からなかった。
「で、でも……サンダー。あなたが一番好きっていう、お姉さん……つまりジスもいるのに、私とデートって……」
「ん? 何で俺の姉ちゃんとジス姉ちゃんがそこで出てくるんだ?」
「い、いや……その。ちょっと以前、稽古場で偶然、そう偶然! 聞こえちゃって──」
スパルタの姫としては例え死んでも、覗き見てたなんて言えない。
「あ~、クリュと話してた時のか。何を勘違いしたのかわからないけど、姉ちゃんは、唯一の肉親である俺の姉ちゃんだよ。ジス姉ちゃんとは別」
「あ、ああ。そういえば、ご家族がいらしたんですわね……。そ、そうよ。私ったら、何を早とちりしちゃったのかしら」
一応、執事長のフィロタスの次くらいにはサンダーと付き合いも長い。
たまに会話で、お姉さんの事を話しているのを思い出した。
ただ、一度も実際には会ったことが無いので、どんな人なのかはいまいち知らないけど。
「よっし、片付け終わりっと! それじゃあ、明日はデートな! おやすみ!」
サンダーはこちらの気も知らずに、いつもの軽い調子で二階の部屋へ戻っていってしまった。
「……な、何を着ていこうかしら」
私はというと、ニヤニヤとドキドキが止まらなくて、火照った頬を手で押さえ付けていた。
* * * * * * * *
「まぁ、こうなるわよね! こーなるわよね!」
朝がきて、デートが始まったわけだ。
わけだ……こういうわけだ!
「ど、どうしました? クリュティエ様?」
「何でも無いわ! クリュ! 悪いのは全部、チャラいサンダーのせいなんだから!」
サンダーを挟んで、私とクリュが並んで歩いている。
ダブルデートならぬ、三人デートである。
「んん? 姫様、デート嫌だったかい?」
「まさか、女の子二人をはべらせるデートを予定していたとはね……。まったく」
「ははっ、楽しければいいかなって! それとも、姫様は俺と二人きりが──」
私は大声でそれを全力否定した。
「そ、そんなわけ無いでしょ! 私はスパルタの姫なの! 下々の者が普段どう楽しんでいるのか視察しているだけなのよ! ただの勉強!」
いつものように軽く笑って流すサンダーと、事情が理解できないのか首をかしげるクリュ。
私は溜め息一つ、自分の格好を見下ろす。白の清楚なブラウスに、黒のロングスカート。頭には小さなアクセ用のシルクハット。
何時間もかけて選んだ格好。気合いを入れすぎて豪華になりすぎても気取られそうだし、質素すぎてもデートとして華が無い。……みたいにコーデを頑張った自分が馬鹿みたいである。
なんでこんな奴、好きになっちゃったんだろうか。
そもそも、好きとかそういうのに気が付いたのも、ジスがいらぬお節介を焼いてきたのがキッカケだった。
それまでは自覚できない、ただのモヤモヤしたわだかまりみたいなものだった。
ただの使用人の一人。
それが今や、心の中で存在をひたすら大きくしている。
思い返せば、ずっと一緒に居たのだから、その時間で徐々に恋心というものが育っていったのだろう。
本当に厄介である。
「久々に丸一日のお休みですね、クリュティエ様」
「ええ、そうね。私達はずっとジスにこき使われて、ウェイトレスまがいの事を毎日毎日……」
たまに酔っ払った奴が、お尻を触ってきたりと酷い職場環境だ。
しかも、何故か私だけがそんな目に遭う。
酔っ払いを、金属トレイの角で殴りつけながら理由を問い糾すと、クリュは純粋すぎてお触りをするなんてもっての外──とか言われる始末。
私の方が姫という立場なのに、何故こうも格差が……。
「でも、こんな忙しい時期に休んでて大丈夫なんでしょうか……」
「確か、大きな作戦の準備中らしいわね」
「あ~、だからこそじゃねーの? まだ小さい俺らへの気遣いだよ、きっと。遊べるときに遊んでおけってな。……いつ突然の別れが訪れるとも限らないしな」
突然の別れ……。
エニューオーのように、また私の知っている誰かが、ふと消えていなくなってしまうのだろうか……?
「それに店は店で、大人の日とやらで楽しんでいるらしいぜ~」
「大人の日?」
「いつもは酒と看板娘目当ての男性客が多いけど、今日は筋肉自慢の野郎共が主役だとか何とか。妙に布面積の小さいエプロンを用意してたみたいだけど」
そういえば、ジスが『裸エプロン……ぐふふ』とか独り言を言っていたような。
何のことか分からないけど、私達を気遣って休みを作るための行動なのだろう。
「まぁ、楽しませてもらいましょうか。サンダー。デートとやらのエスコートをなさい」
「へいへい。二人きりの時は可愛いのに、他人がいるといつもの姫様だな」
「なっ!?」
可愛いと言われたのと、上から目線の姫様と言われたような二つの感情が複雑に絡み合い、上手く言葉が出ずに、とりあえずサンダーを軽く叩こうとするも回避されてしまった。
うぅ、ぶつけようのない気持ち……なんなのよ。
それから、三人でデートコースを回った。
モナスティラキ広場の屋台で食べ歩き。甘い物、しょっぱい物、三人で分け合いながら色々な種類をつまんでいく。
ジス達によって、少しずつ輸送路が回復してきて嗜好品以外が街に入ってきているために、こういう場所は活気が戻ってきていた。
本屋巡り。あまり多くの本を見たことが無かったクリュが眼を輝かせていた。
昔ながらのスクロールに書かれたホメロスや、魔術などで作れるようになった白く四角い洋紙書籍。
サンダーが未成年では買えない本を立ち読みしようとしていたので、クリュと一緒に慌てて止めに入った。
まぁ、これらは大人向けのほろ苦いロマンス溢れるものではなく、気軽に友達と一緒にぶらつくような子供のデートコースだと思うけど、私は……すごく楽しかった。
「なぁ、このアクセサリー。格好良くね?」
立ち寄った雑貨屋のような店。
サンダーが、鳥の羽とも違う造詣の小物を手に取っていた。
「そうですね! 格好良いです!」
それに眼を輝かせるクリュ。
私は少し呆れながら、二人に嘆いた
「あんた達ねぇ……。この白い羽は、たぶんクピドのものよ。ハートマークに矢が刺さってるもの」
「クピド? ああ、エロスの別名だな」
「え、エロ……?」
「はぁ、そういう反応をされると思ったから、クピドと言ったのに……」
クピドとは、ギリシャ神話のエロス神がどこかで呼ばれた別名だ。
恋心と性愛を司り、黄金の矢で強制的に愛させ、鉛の矢で強制的に愛憎へと変化させる。恋愛物でキューピッドとか、縁結びの神とかの方が有名だろうか。その元ネタである。
「だから、この翼を表現するのなら“可愛い”でしょうに!」
「姫様がそういうのなら、格好良いより可愛いにしておいてやろう。よくわかんねーし」
きっと男子のイメージでは翼は、空から攻撃できてカッケェー! みたいな感じなのだろう。クリュの方も同じ思考なのか、とりあえず良く分からないといった表情で頷いていたりする。
「あら、可愛いお客さん」
耳のとんがった、胸の大きい赤毛の店員さんが話しかけてきた。
少しうるさくしすぎてしまっただろうか。
「ご、ごめんなさい。あまりにこのクピドの羽が可愛くて……」
「ふふ、嬉しい。それ私の手作りなの。ということで、三個セットで特別サービスしちゃうわよ」
うーん、ただの冷やかしというのも悪いし、この人の手作りというのも良さげだし……。どうしようかなぁ。
「よーし、買っちゃおうぜ! こんなに美人なお姉さんの手作りだし!」
確かに同性から見ても美人さんだ。サンダーにこういう事で同意するのは何か悔しいが、今回は特別な日ということもあって、記念品としてもいいだろう。
「そうね。買いましょうか」
「買っちゃいましょう~!」
クピドの羽のアクセサリーは、私達に合わせて糸の長さを調節して首飾りとなった。
三人のお揃いだ。
「へへっ、巨乳のお姉さんの手作りなら、二人も胸が育つかもしれないな」
「くっ、実際に見てないのによく言えるわね! わ、私だって脱げば凄いんだから! 着やせするタイプなんだから!」
「あはは。でも、何か珍しい文字が彫ってあるので御利益がありそうですね」
確かに、羽の裏側に文字が彫ってある。ヴェールの持ち物に似たようなものが刻まれていたような。
「縁結びの“魔法”がかかっているんですよ~」
と、赤毛の店員さんは気軽に、そんな言葉を口にした。
魔法、か。
物に魔術を付与するのでも大変なのに、こんな安くて小さいものに魔法を付与なんて考えられない。
きっとサービストークなのだろう。
そんなこんなで、夕方になってしまった。
もうそろそろ帰らなければいけない。
「なぁ、最後にひとっ風呂浴びていこうぜ」
そうサンダーが提案してきた。
* * * * * * * *
共同浴場──ギリシャ語で“バラネイオン”と呼ばれる、大きなお風呂屋。
庶民達が集まり、一日の汗を流していく場所らしい。
ヴェール曰く、砂風呂やヒップバス、シャワーもある石造りのスーパー銭湯だとか。
私は一糸まとわぬ姿になり、脱衣所から湯気漂う大型の風呂場へと足を踏み入れた。
温泉特有の癖のある硫黄のニオイだが、何か入浴しに来た! という雰囲気作りにはなるかもしれない。
「あ、あのクリュティエ様……バスタオルを巻かなくていいんですか?」
「何よ、クリュ。お風呂にバスタオルを巻いて入るなんて、あなた同性に裸を見られて恥ずかしいの? もっと、誰に見られても気にしないくらい、自分の身体に自信を持ちなさいよ」
無粋、まったくもって無粋である。
王族たる者──いや、女たる者、誰に見せても恥ずかしくない身体であると自負すべきである。それが世の言う美と離れていてもだ。胸が小さくても、胸が小さくても、胸が小さくても。
くっ、サンダーのせいで何か邪念が。そもそも、この年齢で胸が育っているはずも無い。
「サンダーめぇ……」
「ん? 姫様、呼んだ?」
どこからか、サンダーの声が聞こえてきた気がする。
いや、男湯の方にまで声が届いて、きっとそれに返事を……。
「ああ、クリュティエ姫様。だから言ったのに……」
頭を抱えるクリュを横目に、サンダーの声がした方を見ると彼が立っていた。
目の前に。そう、目の前にいた。
「ふぇ?」
「うーん、実際に全裸を見て確かめても、やっぱ……おっぱいは無いな。着やせ率ゼロと俺が判定しよう」
現実か確かめるために、クリュの方へ顔をゆっくり向ける。
「係の人が、混浴だからってバスタオルを貸してくれました。だから、クリュティエ様もと思ったのですが……」
現状を把握した私は、叫び声をあげるでもなく、サンダーに殴りかかるでもなく、体育座りでうずくまって、クリュがバスタオルをかけてくれるまで無言で羞恥に支配されてプルプル震えていた。
* * * * * * * *
初デートで裸を見られてしまった。
そのことを思い出すと寝られず、深夜になっても悶えてベッドを転げ回っていた。
「もう、本当に酷い一日だった!」
……でも、また三人で楽しく遊べたらいいな。
そんな私らしくない気持ちも同時に浮かび上がってきた。
手の中にあるクピドの羽を見ながら、楽しそうに笑うサンダーとクリュを思い出すと、何故か愛おしいという感情が芽生えてくる。
「ほんと……私らしくない、酷いくらい素敵な一日」
もう二度と訪れないくらい、幸せな──。




