第24皿 英雄ヘラクレスの従者
俺はずっと名前負けしていた。
ポリュペーモスという、伝説の英雄ヘラクレスの従者と同じ名前。
昔から不器用で、顔も頭も良いわけでも無く、ただ図体の大きい木偶の坊だった。
何度も職にあぶれ、無能と罵られ、落ち込むことが多かった。
でも、それは当然だとも自覚していた。
自分は何をすればいいのか、自分には何ができるのか。
そういう、根本的なところが理解できていなかったのだから。
それを気が付かせてくれたのは、もう明日の飯代すら無くなり、行き倒れてしまった……あの場所だった。
『ねぇ、おじちゃん。だいじょーぶ?』
今でも聞こえてくる、記憶の奥底に残っているあどけない子供の声。
俺は、それに対して真面目に反論した。こんな格好でも、まだおじちゃんという歳ではない──と。
そこで意識を失い、目が覚めたら孤児院で休まされていた。
さすがに孤児院という年齢でも無いが……と思ったが、どうやら子供達が俺を運び込んで、一晩だけでも泊めてあげてくれと頼んでくれたらしい。
かなり重かったらしく、後でしこたま文句を言われたのは良い想い出だ。
孤児院で一晩過ごす内に、俺は気が付いた。
ここは女子供、老人達だけで男手が無い……と。
ダメ元で、働かせてくれないかと頼んでみた。
いきなり知らない奴を身内とするのは、家族同然の繋がりを持つ孤児院にとってはきついかな……と思っていたのだが、二つ返事で受け入れられた。
理由は、俺が妙に子供達に好かれるかららしい。
もしかしたら、これは才能かもしれない。あまり役には立ちそうに無いが……。
それからは真面目に働いた。
相手が女子供や老人だからといって見下さず、木偶の坊なりに力仕事を引き受けたり、裏の奴隷商人が人さらいを送ってこないか夜も警戒したり。
自分でも驚いたが、この仕事だけは続いた。
それはきっと、子供達の笑顔のせいだろうか?
後は……たまにやってくる教会のシスターに恋をしたというのもあるだろうか。
その日が待ち遠しく、たまに夕食を共にする時は心が躍ってしまって、子供達から茶化されるくらいだ。
そういう時に限って俺は変な口調で、自分の事を『拙者』とか、語尾に『ござる』を付けて誤魔化したりしている。
意外と子供達に好評なので、結果的にはよかったかもしれない。どこかの異文化からの転移者という奴の口調に感謝である。
だが、その日々も唐突に終わりを告げられることとなる。
その日は、シスターに会えるため日中に張り切りすぎたのか、子供達も交えて一緒に夕食を食べ終えると、いつもより早く寝てしまった。
そして夜……何かの声で重いまぶたを開くと、地獄のような光景が広がっていた。
足元が、床が濡れていた。赤く、黒く。
転がっていたのだ、子供達が。子供達だったものが。
視線の先には男がいた。暗くてよく見えないが、手斧を持って『んっんー、これじゃない。これでもない』と呟いていた。
俺は頭が真っ白になって、ふらつきながらも足元の血溜まりを蹴飛ばすかのように、男に向かって行った。
男は、新たな標的となる、一人の金色の髪の少女の頭を鷲掴みにしながら、こちらに気が付いた。
ニィッと口元が動いた気がした。
瞬間、手斧が俺の胴体を切り裂いていた。
激痛で思わず獣のような絶叫を上げた。
男は不快そうな顔をしながら、何かの作業をするかのように──。
『や、やめろ……やめてくれ!!』
俺の制止も虚しく、金色の髪の少女の首をブツリと切り離した。
その子は、俺を助けてくれた、孤児院で最初に出会った子供だった。
その後、意識を失った俺は奇跡的に助かっていた。
俺の絶叫を聞いた近隣住民が駆け付けてくれたらしい。
犯人の手斧の男は正体も分からず、逃げ去っていた。
残ったのは頭部が切断された子供達。
あの子の頭は見つからなかった。
俺は深く絶望した。
それからというもの──酒におぼれ、真面目でいるのが辛くなって、いつもおちゃらけて口調を崩し、似たようなゴロツキ達とつるむ日々。
もうこんな壊れそうな国も、世界もどうでもいいと思っていた。
子供達を助けられず、自分の生きる意味も見いだせず、たまに思い出して無力にむせび泣く。
何もかもが辛かった。
だけど──だけど、あの日、あの一皿が言ってくれた。
『さてと、お前らもこんなところでくすぶっているより、国を……いや、世界を変えてみないか?』
他の奴らは熱狂していたが、俺は内心、馬鹿馬鹿しいと思っていた。
国を、世界を変えられるはずなんてないと。
『もう一度、お前らに問う。この子供二人は俺の教えでここまで成長した。こんな子供だけに任せておいていいのか? いや……言い方を変えよう』
そう問われた時、クリュという娘が、孤児院のあの子と重なって見えた。
そして、その皿──ジスさんは言った。
俺達に……過去の英雄を越えた大英雄になれと!
自然と頬へ涙が垂れていた。
英雄ヘラクレスの従者と同じ名前に負けない、未来の子供達の従者という俺になろうと決心した。
* * * * * * * *
「ぬううああああ! そんなもので、拙者を守ってくれるあの子の想いが! 切り裂けるモノでござるかッ!!」
舞台の上、ネックチョッパーの手斧を頭部で──いや、かぶっている兜で受け止めていた。
「ちっ、また邪魔をするのかお前は」
あの時、教会を襲った犯人──ネックチョッパーが、弾かれた手斧を見ながら、苦々しく吐き捨てた。
「だが、その兜を作った私からしても、その強度はおかしい。まさか本当に……その兜飾りとして付けた、子供の髪の毛の加護とでもいうのか……!?」
そうではない。
同じ作りだった鎧は以前の戦いで、怪力で振るう手斧に切り裂かれた。
この兜は、ジスさんに強化してもらった防具なのだ。
本当は別の素材の方が作りやすかったらしいが、理由を話したら一晩で寝ずに作ってくれた。
「だが、お前程度なぞいくらでもやりようがある。どうやったって、このネックチョッパーを殺せないのだからな……」
ああ、確かにそうかもしれない。
以前、防具屋で戦った時に、骨を折っても、腕を切り落としても、首をはねても……いま正に眼前で生きているのだ。
俺一人では絶対に敵うはずも無い。
『ねぇ、おじちゃん、だいじょーぶ?』
頭の中に、またあの子の声が響く。
「ポリュペーモスさん、大丈夫ですか!?」
今度こそ守らなければいけない少女──クリュからも、そう心配される。
俺は、恐怖と喪失のトラウマで本当は震えて泣き叫びたいという気持ちを握り潰しながら、子供達の従者となるべく答えた。
「ああ、大丈夫──!」
もう俺は負けない。
そのために冒険者ギルドに入り、フィロタスさんの元で訓練を積み重ね、ジスさんから武器と防具を受け取ったのだ。
この武器を受け取るとき、ジスさんは言ってくれた。
『天国に居る子供が悲しむから人殺しにはなるな──とは言わない。その逆に殺せとも言わない。お前の因縁だ、お前だけの気持ちで好きにやれ』
──と。
突き放しながらも、ジスさんらしい応援の仕方だ。
俺は手に持つ、ジスさんがくれた武器を振るう。
そして、ネックチョッパーの片腕を軽々と切断した。
「くくく……まだ私への攻撃は無駄だと──」
「知ってるでござるよ。今までの状況から推理するに、再生魔術の類だと。それも上級クラスの」
切断された部位を、急いで魔術でくっつけるというのは聞いた事もあるが、切断された首をくっつけて、また生き返らせるというのは聞いたことが無い。
普通には出回っていない、上級魔術だろう。
それもたぶん、意識が無くても発動される先に付加しておくタイプのだ。
「だったらどうする……? 無駄だと分かっていて、なぜ──」
ネックチョッパーは、斬り落とされた腕を拾おうと視線を落とした時、驚愕の表情になった。
それもそのはず、斬られた腕が──バラバラに解体されていたのだから。
ジスさんが渡してくれた“討伐肉化包丁”により、再生よりも先に解体したのだ。
「──もう……大丈夫! あいつ、ネックチョッパーに……俺は負けない!」
「何か今日のデブ……いや、ポリュペーモスは頼もしいな」
クリュをかばってくれていたサンダーが、共に戦う仲間と認めてくれたような悪戯っぽい笑顔でそう言ってくれた。
「自分の事も拙者じゃなくて、俺とか言ってるし」
「あ、これは拙者、何かの間違いでござるよ。サンダーきゅん」
こちらとのやり取りをしている最中に、会場にいたギルドの冒険者達が集まってきていた。
ネックチョッパーは完全に機を逃し、ギルドの冒険者達を突っ切って逃げようとした。
だが──。
「スパルタ魂を注入された俺達が、そう簡単にお前を通すかよっと!」
その他の一人──雑魚と見ていたであろう冒険者が振るう槍に、いとも容易くあしらわれ、貫かれていた。
「何だこの馬鹿力は!? 正確な狙いは!?」
日頃の訓練の成果と、この状況を先読みしていたジスさんのおかげである。
開演前、ジスさんが力強化の肉料理を、冒険者達に振る舞っていたのだ。
更に場が荒れたときのため、役者達には過剰演出が可能となる料理を振る舞って、このアクシデントすらも劇に取り入れて、この後も進行を続けるとか何とか。
「この私が!? 一等地の店を受け継いだエリートである私が……!? 生まれながらの勝者のはずの私が──こんなところで終わるはずが無い! 唯一の汚点である血筋の復権すら終わらせれば完璧な人間になれるというのに!? ここで終わるはずが無い!」
ネックチョッパーはそう叫びながら、付近の席にいた観客を人質に取った。
近付いたら今にも首を落としそうな血走った形相で。
「んっんー! やはり逃げおおせても、最後に勝てば良いのだぁ……!」
周辺を取り囲んでいる冒険者も、近付けば強力な戦士となるが、離れていては対処ができない。
手が出せない膠着状態──かと思われたが、それは一瞬で覆った。
「火ぃッ、私の腕がぁ!?」
飛来してきた赤い剣が、ネックチョッパーの肘から先を燃え上がらせて炭化させていたのだ。
「我は他の魔女に余計な干渉はせぬが、逆もまた然り。観客達と一体になって劇を楽しんでいる故、それを妨害するのなら許さぬ」
血塗れ武器の魔女──エニューオーは、客席から立ってギロリと睨み付けていた。
早すぎて見えなかったが、赤い剣を投擲したのも彼女だろう。
「ひ、ひぃぃぃ!?」
もはや再生できないほどに焼け焦げた腕に悲鳴をあげ、人質を諦めて、そのまま走り去ろうとするネックチョッパー。
両腕の無い姿でバタバタと出口へ向かうが、冒険者達に斬られ、突かれ、針刺しのような無残な姿になっていった。
それでも再生魔術の力が効いているのか、死にものぐるいで生命力を表現するかのように走る。
俺もそれを追いかけようとするのだが、その前に……舞台袖で見守ってくれていた恩人に一礼した。
* * * * * * * *
「はぁはぁ……。何とか撒いたか」
ネックチョッパーは、一時的だが平穏を手に入れて安堵していた。
夜の町にまぎれ、冒険者の追っ手から逃げ切れたからである。
だが、まだ安心は出来ない。
痕跡で追尾してくるだろう。
その前に、この再生不可能となった腕の代わり──誰かの腕と、逃走用の人質を見つけなければならない。
つまり、これからすべき行動は──。
「次に出会った奴の腕を切り落として、ついでに人質に……。んっんー、我ながら冴えている」
腕が無くとも、強化された身体を使えば実行は可能だろう。
相手を蹴りで気絶させ、まだ隠し持っている手斧を口にくわえて使えば。
と、その時──少女の声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、なぞなぞ勝負しようニャ。スピンクスからの問い掛けにゃから、嫌なら断ってもいいにゃ、または逃げ出してもいいにゃ」
「な、なんだお前は……」
変なのに絡まれた、そうネックチョッパーは思うのと同時に、幸運でもあると確信していた。
夜の町に一人で出歩くおかしな少女だが、うまく行けば腕を切り落として、人質にする事もできる。
「朝は四本脚、昼は二本脚、夜は三本脚。これにゃ~んだ?」
「そんなこと、知るか!」
余裕が無いネックチョッパーは、少女の問い掛けに“分からない”と表現しながら、急いで事をなそうとした。
「答えは、分からないってことでいいのかにゃ?」
少女は、とても嬉しそうに、あどけなく笑っていた。
「ああ、もうそれでいい……だから、お前の腕を切り落として、私の物に──」
「はい、スピンクスの勝ち~」
その言葉と共に、少女は膨れあがった。
周囲は闇より黒く染まり、幽界成りし場所へと変化していた。
その異様な場所に現れたのは、一匹の巨大な獅子。
だが、ただの獅子では無く、顔は少女、背には鷲の翼、蛇の尻尾。
それは神話の生物──スピンクスであった。
旅人になぞなぞを出し、間違った者を喰い殺すというバケモノ。
主神ゼウスを凌ぐという龍の王と、数々のバケモノの母である蝮の女の娘。
「な、なんだお前!? 何なんだお前は!? 神々は死んだはずだ!? 抜け殻ならまだしも、意思持つ存在が残っているはずが──」
それがネックチョッパーの最後の言葉となった。
バケモノでもあり、神でもあるスピンクスは大きな口を開けていた。
そして、ネックチョッパーの肩から心臓、腹までを一噛み。
「はぁ~あ。昔に比べて随分と人間の質が悪くてまずいにゃ……。あの娘がくれたクッキーの方が百倍おいしいのにゃ……」
ネックチョッパー──人間だったモノの胴体は9割程度が噛み千切られたが、恐怖に歪む頭部は辛うじて残っていた。
スピンクスは一瞬で少女の姿に戻り、クリュのことを思い出しながら、遙か遠くの砂漠の国を目指して歩き始めた。
──数分後、冒険者達がネックチョッパーの死体を発見するのだが、不思議な事に死体が砂となって崩れ去るのが目撃された。




