第23皿 開演、ディオニソス劇場
「──始めに混沌有り。次に、そこから生まれた天空と大地が交わり、ティターン神族を産み落とした」
夕闇深く、星空に照らされるディオニソス劇場。
その石と木で作られた舞台の緞帳がサッと上げられ、何も無いはずの暗闇の舞台が、微かな魔術光を当てられて原初の混沌として演出されている。
姿の無い語り手が、それについての説明をしているが──本来、世界の始まりというのは諸説あるのだ。
今でも議論されるのが、夫婦として交わる前に独力で産みだしたとか、先に奈落や愛が生まれたとか……まぁ、劇なのでどうでもいいだろう。
ヘシオドス著の“神統記”をメインに、他の“変身物語”などをつまみ食いしながら、アテナイならではの女神アテナを主役にしたアレンジ劇らしい。
「他にもキュクロプスや、ヘカトンケイルなどの巨人も生まれましたが、ウラノスはこの我が子達が醜いと言い放って奈落へ追放してしまいます」
ちなみにまだ壇上には誰も登場していない。
ギリシャ神話は神々の数が多いため、名前が出るたびに役者をあてがっていては数が足りないのだ。
「それに怒った、ウラノスの息子でティターン親族の末弟クロノス。神器である不死殺しの“アダマスの大鎌”で──」
ここで舞台に変化があった。
裏方のヴェールが、初級光魔法で♂マークを投影。
「ウラノスの男性器をバッサリと切り落としました! 痛い、これは痛いです!」
真っ二つになる♂マーク。
会場は女性達の笑いが聞こえているのだが、同時に男性達の苦い顔が目に浮かぶようだ。
そして、舞台全体に明かりがパッと灯る。
「私は時の神クロノス。父ウラノスの権力を奪い、この私が主神となってしまいました」
舞台の上にいつの間にか現れていた、大鎌を持つ長身のイケメン。
格好良さではエリクと同等だろうか……だが、おかしなセリフを言っている。
『なぁ、クロノスって別に時の神じゃないよな?』
出待ちの舞台袖で私は、横に居るサンダーに聞いてみた。
「あ~、あの人は通称クロノスさん。何かクロノス役があるとふらっと現れて参加してくれる謎の人。クロノス役しかやらないから、クロノスさんと普段から呼ばれてるんだよね」
『そんなテキトーで、この劇団、大丈夫か……?』
「あのセリフもアドリブだし、うちの劇団は緩いんだよね。そこがまた受けてるらしいけど」
私はため息を吐きながら、舞台へと再び目を移した。
「子供を不憫に扱った親のウラノスを倒したのですが、この私──クロノスもまた予言で“子供に権力を奪われる”との啓示を受けてしまいました。どうしようと数秒悩んだのですが、まぁ、子供を閉じ込めておきましょう」
とても良い笑顔で外道な事を言い放つクロノスさん。
イケメンなので、観客から黄色い歓声が飛び交っているが。
「どこに閉じ込めるって? それは私が飲み込んで腹の中にです」
ヴェールによる魔術のライト移動で、クロノスさんの口の中に何かが入っていくように演出。
「炉の女神ヘスティア、豊穣の女神デメテル、結婚の女神ヘラ──」
結婚してー! とか客席から歓声が飛んできて怖い。
「冥王ハデス、海王ポセイドン。ペロリと食べてしまいましょう。おおっと、忘れていた……最後に生まれたこの子──ゼウスも~、モグモグ……おや、石のように硬いですね。石頭なのでしょうか? ですが、これでもう安泰ですね」
あまり怖そうでは無い緩やかな芝居口調でセリフを吐ききった後に、そのままクロノスさんは退場してしまった。
「クロノスはすっかり油断してしまいました。さっき食べたゼウスだけは、ただの石とすり替えられていたと知らずに……。クレタ島に逃れたゼウスは立派に成長して、再びクロノスの元へと舞い戻ります」
そのナレーションと共に、横に居たサンダーは舞台へと走って行く。
一応、主神ゼウス役なのだがイメージとしては背が小さい気もする。
演出家の話では、アクションシーンが多くて身軽なサンダーが適役なのだとか。
後はただ単に年が近く感情移入しやすい子供達に人気だとか、お姉様方がグッズを買ってくれるからだとか、色々と大人の事情があるらしい。
「俺はゼウス! 卑劣な父──クロノスから兄弟達を取り戻すために、奴が食べる物の中に嘔吐薬を混ぜてやるぜ!」
熱血少年っぽい言い方だが、その言葉の内容はえぐい。
舞台慣れしてるのか、無駄に握り拳を突き上げるポーズを取ったりもしている。
「う、うぅ……お腹の具合が……」
舞台上のサンダーの前に、ふらふらと登場するクロノスさん。
お腹を押さえているが、この先の台本からするにアレである。
中央の奈落が設置されている場所まで器用に歩き、片膝をつきながら顔面を真下に向けて──。
「おう゛ぇ~っデヴェヴオボッォォオロロロロロ……」
妙にリアルな嘔吐の演技。
何故、妥協しなかったのか……。
さすがにファンっぽいお姉さん方はどん引きかと思いきや、意外とイケメンの嘔吐演技は受けるらしく眼を輝かせている。むしろそっちにどん引きである。
気を取り直して舞台上に目を戻すと、奈落の底から様々な神々役が飛び出してきた。
『もうそろそろ食事効果が発揮されるか』
「お皿さん、やっぱりあの差し入れのケーキって何かあったんですね」
若干、演技だけで貰いゲロしそうになっていたクリュが、横でフラフラしながら聞いてきた。
「今までみたいに身体が強くなって、アクションシーンをしやすくなるとかですか?」
『いや、演出力を高める力だ』
今、正に舞台上で演出力が高まっていた。
神々役が、嘔吐の演技の下の奈落から飛び出してきているのだが、物凄いキラキラと輝いている。
それはまるで鯉が滝登りをするかのように、力強くも美しい光景だ。
「な、何ですか……アレ」
唖然とするクリュ。
他の役者達も同じらしく、サンダー等も呆然としていた。
『魅力を上げる効果の料理を発見してな。それを応用して、舞台用にしてみた。自らがなろうとする者を強くイメージすると周辺に干渉して、簡単な幻を見せるような感じだ』
ちなみに演出家に相談したら、是非やってくれという事だった。
役者には打ち明けず、サプライズでやって欲しいと逆に注文をされたくらいだ。
舞台の演出家というのは、頭のおかしい人種らしい。
だが、その計算通りか、普通の舞台と違った空気が流れて、役者は始めてギリシャ神話の世界に踏み込んだかのような演技になっている。
炎が舞い、光が貫き、闇が包み、月が照らし、雷が落ちる。役者自身が舞台装置となり、そんな信じられない程のスペクタクル演出が続く。
そして──劇は進行して、この私の出番がやってきた。
サンダーの背後から、奈落の装置を使いエリク憑依状態でジャンプ。
「父ゼウスの脳天から登場! 私!」
どんなシチュエーションかというと、ゼウスもまた子に権力を奪われるという予言を受けてしまったために、クロノスと同じようなことをしたのだ。
しかも、色々とダメさ加減がパワーアップして、妊娠中の嫁を飲み込むというギリシャ神話スケール級の馬鹿な行動。
だが、私が演じているアテナもトンデモ行動を取る。
飲み込んだゼウスの頭の中で成長して、暴れていたのだ。
頭痛が酷くなったゼウスは、プロメテウスという男神に頼んで斧で頭をかち割ってもらう事に。
そして誕生したのがアテナこと私である。
「この美しい私に、星座の大海は波風立たせ、太陽も足を止めて凝視。ギリシャ全土を震撼させる知恵の、芸術の、工芸の、戦略の、最高の女神アテナ! 爆誕!」
かなりオーバーに演技をしているが、このアテナイではアテナ人気は相当の物なので、これくらいが丁度いいのだ。
ちなみに処女神でもあるのだが、何となく恥ずかしいので言うのは止めておいた。
だって、この私が処女──つまり経験0とかあり得ない。皿になる前は男女どちらだとしても、それはもう経験豊富な夜の営みをしていたはずだ、うん。間違いない。
「──さぁ、私の物語の始まりだ!」
ふと観客席を見ると、超不機嫌そうなエーテルをまき散らすエニューオーが見えた。
そういえば、アテナ役が決まった時から、ずっとそんな感じだったような……。
メドゥーサ役なんてどうだ? 考え直さないか? とか意味不明な事を言われた気もする。
イージスの中にいる私だから、逸話的にメドゥーサっぽいとか……そんなイメージで言ってきたのだろうか?
そのエニューオーの熱視線をスルーしながら、劇は進行していく。
幼少期、海神トリトンの娘──パラスと一緒に育てられ、親友となった。
だが、些細な事で喧嘩となって、それを見たゼウスが親友パラスを殺してしまう。
安定の糞ゼウスめ。
私は悲しみ、新たな親友パラスを人工的に作りだした。
そう、アテナはそういう類の事もできたのだ。
巨人族との何度かの大戦を挟み、神々に近かった人間も何度も滅びた。
そのたびに、アテナはプロメテウスと協力して──土から人間を作り上げた。
黄金の時代、金の種族は平和で幸福な半永久生物。
神々にもひけを劣らぬ力を持っていた。
次に白銀の時代、銀の種族。
次に青銅の時代、銅の種族。
次に……と、人間を作り上げるたび、どんどん劣化していった。
そして、最後に神々を敬い、慕った時代──それは英雄の時代。
ヘラクレスや、イアソンなどの英雄が生まれた。
それは神秘における、最後の灯火だったのかもしれない。
その流れで行くと今はたぶん、神々が姿を消して神話が終わった、鉄の時代だろうか。
神々を模倣して魔術を扱い、生活水準はそれによって確かに向上した。
だが、本当の奇跡である神々の“魔法”という物を考えれば格段に衰退している。
それは物悲しすぎる努力なのかも知れない。
まぁ、この演劇のメインは華々しい英雄の時代のお話だ。
アテナは数々の英雄に加護を与え、このアテナイを納めたり、“巨人大戦”でシチリア島を投げ飛ばしたり、鍛冶神ヘパイストスに痴漢よろしく精液を足にぶっかけられて地面からエリクトニオスという古きアテナイの王が生まれたり──。
ん? よく考えたら足にかかった精液が垂れて、地面から子供が生まれたなら、既に処女は卒業しているのでは? ユニコーン辺りに判定を頼みたいものだ。
後は……メドゥーサが、私の神殿でエロい事をしていたのにぶち切れて口論となり、どっちが美しいかとまでに発展して、蛇のバケモノに変えてしまうシーン。
これをやっている最中、観客席のエニューオーが機嫌の悪さマックスで剣を召喚しようとしていたところを、フィロタスと冒険者達が全力で止めていた。
ハラハラドキドキである。
そんなこんなで──アテナが、ペルセウスという若者にメドゥーサ討伐を頼み、イージスの盾を貸し出すシーンが終わり、私は休憩に入った。
流れ的に、ペルセウスがメドゥーサの寝込みを襲って、その首をイージスに封じて、盾無双しながら戻ってくるまでは休める。
確か途中に、クリュが登場する“変身物語”の一幕も入るはずだ。
休憩がてら、それを眺めるのも悪くないかもしれない。
「あれ……雑用をやってもらっていた劇団員の一人が見当たらないな。どうしたんだろう」
舞台裏に戻ると、少しだけ裏方達がざわついていた。何かアクシデントがあったのだろうか?
* * * * * * * *
舞台の上では、幼い少女が芝居を始めていた。
太陽神アポロンに恋をしたが、別の女に負けてしまったクリュティエという水の妖精。
演じている幼い少女の名前はクリュ。役名の妖精クリュティエと似ていた。
幼い少女は、太陽神アポロンに振り向いてもらえず、一方的に見詰めるしか無い。
そのため、ずっと太陽の方を見詰め続けた。
そして、そのまま大地に根を生やし、ひまわりになってしまう運命が待ち受けている。
「クリュ……あの娘だ……」
それを観客席から見ていた、一人の異様な男。
着ている服は舞台役者のものなので一見、関係者のようだが……異様だった。
胸元が開いている衣装のため首の部分が見えるのだが、縫い付けたような跡があったのだ。
しかも、その縫い付けが失敗したのか、首が変な方向へ向いている。
腕にも同じ縫い付けがあり、それはまるで出来の悪いフランケンシュタインのようだった。
男──ネックチョッパーはニタリと笑い、観客席から舞台へと向かう。
観客達は、また何かの演出かと思って眺めていた。
彼は期待の視線を受けながら、段々と早足になり、走り、跳んだ。
舞台へ着地して、ネックチョッパーは一人の壇上の役者となった。
「あれ……?」
舞台の上で演技をしていたクリュは戸惑う。
脚本には新しい役者の登場など無かったからだ。
だが──その相手の顔を見て血の気が引いた。
「あ、あなたは……」
以前、自らを殺そうとし、ポリュペーモスを瀕死に追い込んだ殺人鬼──。
ネックチョッパーが手斧を掲げ、走ってきたのだから。
「クリュ!!」
舞台横からサンダーが、ゼウスの衣装のまま飛び出してきた。
まるで雷のような速度でクリュの前に立ってかばうも、舞台中なので丸腰だ。
鋭い刃物から、その身一つを捧げて守るしか無い。
観客達はどうなるのかと期待した。
このまま妖精をかばったゼウス役が切りつけられるのか、乱入してきた役者が躊躇して手を止めるのか。展開はどう転ぶのかと。
だが、それ以上に予想外のことが起きた。
舞台中央の奈落が開き、そこからせり上がってきた大男が──。
「お前は……!?」
頭部で、手斧の一撃を受けたのだ。




