第22皿 さらに舞台の主役になりました
さて……クリュとサンダーに気付かれない内に帰ろう。
この足元に転がっているクリュティエが、いつ大暴れしてもおかしくないし。
──と、稽古場から脱出するように、私を持つエニューオーに指示をしようとしたが、先にこちらに声をかけてくる者がいた。
「おや、ジス君達ではありませんか?」
いつも爽やか王子様フェイス、エリクだった。
その手には大きめの箱を一つ持っていた。
『お、エリク奇遇だな。どうしてここに?』
「今度、新作メニューに出そうと思っている、試作ケーキを差し入れに持って来たんですよ」
我が冒険者ギルドによって開かれた輸送ルートや、農場の保護によって、色々な材料も手に入るようになってきたとは聞いていたが、ついには大きなケーキまで作れるようになっていたのか。
エリクが開けてくれた箱の中には、真っ白いクリームが塗りたくられた一品がホールで入っていた。
ただの海綿体スポンゴスのような味気ないケーキでは無く、クリームがタップリの白いケーキ。く、クリームが! タップリ! 上には果実が載せられている!?
生まれてこの方、皿としてしょっぱい物を乗せ続けてきたが、この甘く白いスィーツを載せられてしまったら、私はどうなってしまうのだろう……。ドキドキである。
「ん? ジス姉ちゃんと、エニューオーに姫さん、それにエリク兄ちゃんまで何をやってんだ?」
しまった、サンダーに見つかってしまった。
クリュもこちらを見ている。
ど、どう誤魔化すか……。
いや、それはそれとして、サンダーが私の事を世界で一番好きとかの告白を聞いた後である。
そちらのリアクションも、どうしていいものか……。
ここはどんな料理でも受け止める皿として、そのショタの思いすら受け止めてやるべきか。後でクリュティエに八つ当たりで割られそうだが。
既にクリュと私と相思相愛の友だし、ショタと幼女に挟まれるジスとなるのだろうか……罪な皿である。
『ふふ、モテる皿はつらいな』
「何言ってるんだ、このジス姉ちゃんは……。そんなことより、もうすぐ稽古が再会されるから見て行くかい? 丁度、演出の人も戻ってくるし──」
その言葉通り、演出家らしき髭もじゃの貫禄ある人物が走ってきた。
かなり慌てて。
「お、おい! 主役であるアテナ役の女優が怪我で出られなくなっちまった! 誰か代役を立てないといけぇね!」
どうやら、大変なことになったらしい。
といっても、アテナと言えば眉目秀麗、文武両道のスーパー処女の美女神である。
そんなのに当てはまる奴なんて、知り合いではいな──。
「い、いた! 目の前にいた! 長身、スリム体型だが確かに機能美のような薄い筋肉が付いていて、美しい金髪と蒼い眼、そして名だたる彫刻家でも嫉妬しそうな天が作りし甘いマスク!」
演出家は、唾を飛ばす勢いでまくし立てる。
そして、その視線の先には──。
「ええと、僕ですか?」
男であるエリクがいた。
* * * * * * * *
……というわけで、とんとん拍子で話が進み、エリクがアテナ役を務めることになった。
女性的な外見の問題──つまり胸の膨らみは鎧でどうにかなった。
アテナは生まれながらの鎧の女神でもあるため、常時おっぱいアーマーを装着しているので、男でも女性っぽくは見える。
顔は元々、女神もうらやむレベルなので軽く化粧をすれば平気である。
もう一つの難題である台本を短期間に覚える、という部分は、私が憑依することで解決した。
私は前々から、ちょいちょい手伝いに来ていたので劇の流れが頭に入っていたし、台本も一度読めば簡単に覚えられる。
演技も演出家の注文通り──いや、それ以上のものを打てば響く鐘の如く、即座に返せる。
さすが器用な私である。
針仕事から演技まで任せてくれたまえ!
そして本番当日──。
『ばっちり似合っているな! エリク! いや、今日は私でもあるのか!』
銀と黄金で出来た、かなり豪華な鎧。
エリクがそれを身につけているとかなり重くて利便性は無さそうだが、リアリティ重視とかいう演出家の主張でこうなったらしい。
神話的リアリティはあるかもしれないが、実際の戦闘だと動きにくさ故に重宝されるかは疑問だ。
「出来れば、僕はあまり目立ちたくは無いのですが……」
ため息を吐きつつも、キリリとした女装姿のエリク。
私はその胸で装着されながら、励ましのエールを送った。
『大丈夫だって! ここまで女神アテナになりきっちゃえば、中身が男のエリクだって誰もわからないさ!』
エリクとしては、目立つ行動は控えたいらしい。
変な事である。
私だったら、目立ちまくってキャーキャー言われて、可愛いファンを連日お持ち帰り~の、つまみ食い~のするだろう。
「き、きききき緊張しますね……」
「おいおい、クリュはワンシーンだけだろ? 練習通りにやればいいじゃんか」
「そ、そんな事を言ってもですね……サンダーさん! わたくし、こういうのは村近くの森で動物相手にやってみた程度の恥ずかしい過去があるくらいなのですよ! もう、どうしてこんな事に!?」
準主役である主神ゼウス役のサンダーと、一瞬登場の脇役を頼まれたクリュがいつものようにイチャイチャ……もとい、仲良く言い合っている。
石造りの舞台裏は、役者達が若い二人の空気に笑いつつも、本番前のピリピリした空気に包まれている。
『よし、それじゃあ、開演前に景気づけの差し入れを食おうぜ!』
私は出演者を呼び集めた。
「……お、お皿さん。なんですか、これは?」
緊張気味のクリュが、用意してあった料理を見て疑問符を浮かべた。
『これか? これはだな、舞台を盛り上げるための強化食事だ!』
私の分身皿の上に載っていたのは、特殊な形状をした生地のケーキだった。
それを見た役者達は、少しだけ困った顔をしていた。
「うーん、いつもジスさんの差し入れはありがたいけど、本番前にこれ──エクメックは、ちょっと重いかなぁ。意外と麺状の小麦生地が腹に溜まるんですわ……」
そう、私が持って来た本日の差し入れは“エクメック”という名で、ギリシャではポピュラーなデザートだ。
麺状の“カタイフィ”と呼ばれる小麦生地をシロップに浸して、その上にカスタードクリームなどを載せたモノだ。
……というのが、普通のエクメック。
『まぁ、騙されたと思って食べてみなって! ちゃんと、演出家にも許可は取ってある!』
「演出家……? なんでまた。でも、何かこの香りに釣られて手が勝手に……。この香りは──」
役者達はフォークを使ってエクメックを次々と削り取っていく。
そして、俺だけじゃないぞ? という謎の連帯感で他の人間をチラ見しつつ、口へとその白く魅惑的なデザートを運び入れた。
「……こ、これは小麦生地じゃない!? 口の中に入れた瞬間、フワッと無くなる軽さ……。だが、それでいてしっかりとした、まろやかな甘さ!」
「お皿さん、もしかしてコレ……栗ですか?」
『そう、小麦生地の代わりに、開演前に重すぎない“栗のクリーム”を使ったのさ! クリのクリーム! クリの! クリーム!』
「……えーと。それはともかく、ヴェールさんからは“モンブランでは?”とも言われてましたね」
私は何故かスルーされ、エリクは苦い笑いを浮かべていた。
「あと、ジス君の提案でお酒──ブランデーを入れさせて頂きました。良い香りでしょう?」
その言葉に、モリモリと食べていた役者達の手が止まった。
「さ、酒?」
「ひえぇ。わたくし、お酒なんて始めてです……」
心配そうなクリュに向かって、私は続きを説明した。
『心配ない。香り付けの意味もあるが、食事強化のために少量入れただけだ。そう、このデザート! “バッカスのエクメック・カスタノ”の食事強化のために!』
「バッカスって、この劇場の名前にも使われている酒の神デュオニソスの別名だよな? ジス姉ちゃん、これの食事強化って……?」
『さぁ! せっかく、私が主役の舞台だ! 最高のモノにしてやろうじゃないか!』
* * * * * * * *
一方その頃。
雑用をしながら会場を見回っていた劇団員は、ある不審者を見つけた。
「お、おい。君、チケットを確認してもいいかい?」
一見、平凡な市民に見える男性。
だが、異常に息が荒く、何か一つの単語をブツブツと呟き続けていた。
開演前で高揚しているファンなどはいるが、それにしても見過ごせないレベルで不審である。
「チケット……。ああ、チケットね。あれぇ、どこへやったかなぁ。ああ、そうだ。向こうの休憩場所に座った時に落としてしまったかもしれない」
「それじゃあ、ついていくから一緒に探そうじゃないか」
劇団員は、どうせ不審者は最初からチケットを持って無くて、タダで見ようとしているのだろうと思っていた。
そして、チケットが見つからなかったら、劇場から追い出してやろうと。
「ええと、こっち。こっちだったねぇ……」
「早くしてくれ。今日は初出演が多くて、裏方も大変なんだ」
「初出演……というと、クリュという娘、か?」
「ああ、そっちの手伝いによく来ていた子も、最後の方にちょっとだけ出るみたいだね」
もうすぐ開演なので、話しつつ辿り着いた休憩所はガランとしていた。
そこで二人きりになってしまった。
「落とす、確かに私は落とすんだ」
「落とす? チケットを落としたではなくて?」
「ああ、今から君の首を落とすんだ」
男はどこからか、手斧を取り出した。
劇団員は悲鳴を上げる間もなく、それで首をストンと落とされた。
「んっんー。もっと良い首を落としたい。メドゥーサ様に相応しい首、イージスの盾に相応しい首。あの永遠を秘めた瞳の──クリュという娘の首を落としたい」
殺人鬼ネックチョッパーは、本番が始まろうとしている客席へと向かった。
劇団員が持っていた衣装を奪って、人畜無害な顔で偽りながら。




