第15皿 気を抜いたら即ハヤボス
ギルドの喧噪で掻き消されそうなくらい、目の前の奴は普通のテンションでこう言った。
自分はグライアイの魔女、エニューオーであると。
『新手の売り込みか……? 冗談にしちゃタチが悪いぞ……』
最も警戒すべき相手で、最も正体が隠蔽されているであろうグライアイのトップの一人が、こうも突然に名乗ってくるはずがない。
……そう常識では考えたかった。
「証明が必要か? 何も知らぬ第三者に示すとなれば、我は武を披露するのが適切なのだろうが──」
肩に掛かるか掛からないかくらいの赤みがかった髪を揺らしながら、体格の良い女は椅子から立ち上がった。
身長は女性にしてはかなり高い2メートルくらいで、それでいて全身に筋肉が付いていて腹筋も綺麗に割れているため、長身体型というよりはガッシリとした女傑のイメージだろうか。
動きやすい軽金属鎧に、皮や布で些細な装飾しているが露出は多く、大きめな胸元が見えている。──が、今は女として見る事は出来ず、目の前の戦士として観察してしまう。
いや、戦士では無く魔女なのだろうか。
舞台の男装役者のような端正な顔立ちと、自信に満ち溢れた武人の表情を併せ持っている。
「──今はこれで許せ」
エニューオーは、こちらに何も載せていない手のひらを広げて見せた。
そして力を入れて握ると──。
『これは……』
フォークが出現した。
特に変哲もない……いや、猪や狼、キツツキやニワトリの可愛いデフォルメされた姿が彫り込まれている。
「まず、ここで調理された我の可愛い猪がどうなっているのかも確認しなければならない」
一見して無から有──手のひらからフォークを出現させたのは、サイズ的に手品でも可能かもしれない。
だが以前、瞬間的に“魔法”というモノが使用される時と同じ──何かを感知したような気がする……。
ここはとりあえず、グライアイのエニューオーとして扱っておいた方がよさそうなのだが、そうするとまた別の問題に直面することになる。
今エニューオーが言った、可愛い我の猪とは……たぶんカリュドーンの猪のことだろう。
この魔女と、何か関わりがあるとすれば、それは非常にまずい。
何せ、それを害獣としてぶっ殺して、料理して、既に注文を受けているであろう肉料理を運んできているクリュが目の前に迫ってきているのだ。
「お待たせしました! 今日のオススメ、カリュドーンの猪狩り定食です!」
運ばれてきた皿の上には、回転率を上げるために薄切りにした猪肉と山野菜を炒めたものが載せられている。
付け合わせのパンは、普段は経費削減で大量に焼き上げて保管している硬い黒パンなのだが、今回は料金上乗せで頼める白パンのようだ。
セットのスープは内臓と香草を煮た物だ。
「ほう……」
エニューオーは、最初から変わらない表情なのだが、元が気迫溢れる身体、顔なので言葉一つですら威圧感を感じる。
一瞬あと、その通り名──“血塗れ武器の魔女”の如く、ギルドの中が血まみれになる可能性もある。
私は全力で対処出来るように準備をしておく……初見の親玉相手にどこまでいけるだろうか。
「では、頂く」
意外な事にエニューオーは、そのままスッと椅子に座り直し、テーブルの上の皿にフォークを伸ばした。
「あ、お客さん! フォークはこちらをお使いください!」
事情を知らないクリュは、普段と同じように店内への持ち込みを注意した。
それをギロリと睨むエニューオー。
「なにゆえだ。この軍神アレスの聖獣が描かれたフォークの何が問題なのだ?」
ドスの利いた迫力のある声。
それに物怖じせず、はきはきと答えるクリュ。
「物によってはお皿さんが傷つくこともありますし、衛生面でも問題が出てしまうのです!」
「ふむ……」
納得したらしいエニューオーはフォークを一瞬にして消滅させ、あらためて店のフォークを手に取った。
「ご理解、ありがとうございます! あ、でも事前に仰って頂ければ、こちらで綺麗に洗ってから料理に使用、その後もまた洗ってお返しします」
「いや……いらぬ手間をかけさせた。これはチップだ、受け取れ」
エニューオーは腰の革袋から銀貨を取り出し、クリュに握らせた。
「え、あの……こんなにもらうわけには」
「それに値する給仕だったということだ。では、頂こう」
食事を始めるエニューオー、それに対してお辞儀をしてから仕事に戻るクリュ。
今のやり取りだけを見れば、ただの客とウェイトレスのやり取りに見えるが……。
いや、油断をしてはいけない。
ここは最大限の警戒を続けるべきだ。
それに今の部分から、エニューオーの力のヒントも一つあった。
フォークは手から出現させたが、銀貨は普通に革袋から取り出した。
何か制約か、魔力の消費などがあるのだろう。
「ほう……」
エニューオーは一口食べて料理に感心を示した小さな声をあげ、そこからは無言で食べ始めた。
身内の者の肉体をひと噛みし、弔うという風習もどこかにあると聞く。
それだった場合は、今の内心は怒りで震えて爆発寸前なのだろうか。
重々しい無言。
食べ終わるまで声をかける事ができない。
「馳走になった」
食後、初めての言葉がそれだった。
さすがに埒があかないと思い、言葉による勝負をかけることにした。
『どうだ? エニューオー、お前のいう“我の可愛い猪”は美味いか?』
敵対するかどうか、の確認と同意義の言葉である。
私は皿ながら息をのみながら、エニューオーの返答を待つ。
「そうだな……」
エニューオーは口にパンくずを付けながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「100点満点中、150点だ」
私はその感想にホッとした。
エニューオーは武人然とした表情のまま、後を続ける。
「──いや、だが自らが律した100点満点なのに、その満点を破ってしまうというのは良いものだろうか。そもそも満点の設定値がおかしかったのか? 200点満点にすれば、150点も収まるのだが……だが、その場合は相対的に」
『普通に100点の表現でいいんじゃ』
「……むぅ、そうか。誰かと話したり、料理の評価など慣れていなくてな」




