第26皿 異界神器“暗月”
「ジス殿から与えられた料理のパワーがあれば、この程度のヘビなど!」
『あ、ああ……』
この自信を取り戻したフィロタスなら、何者にも負けるはずが無い。
そう思ってはいる……いるはずなのだ。
だが、心の奥底、記憶の片隅で警鐘が鳴る。
「ぬおおおお! 渾身の一撃を喰らえいッ!!」
相手は15メートルのヘビの下半身を持つ銀色の巨人である。
フィロタスが2メートル近い巨漢の老人だからと言って、明らかな体格差だ。
猛スピードで走り、その銀色の鱗を殴りつけて貫通させるもサイズが違いすぎた。
同サイズなら致命傷かも知れないが、これでは損傷が浅い。
「ぐおぉっ!?」
一瞬の出来事だった。
銀の尾がきらめいたと思ったら、私を装備したフィロタスの身体が吹き飛ばされていた。
想像以上に素早い。
私自身は、フィロタスが両腕でガードしてくれたので無事だったが……。
「不覚……良いのをもらってしまいました」
フィロタスの両腕は骨が突き出し、かなり痛々しい事になっていた。
『お、おい……大丈夫か……!?』
「はい、まだ両足と、のど元に食らい付く牙が残っておりますゆえ! 軍神アレスの加護を我に──」
『……よし、逃げるか』
ここでフィロタスに玉砕させても無意味だ。
数秒、よくて数分稼いだところでどうなる。
「じ、ジス殿!? 今、こやつを倒さねばアテナイに大きな被害が!」
『国の事なんて知るか!』
私が大事なのは私だ。
こんな隠し球があったと知っていたら、奴らと──グライアイと敵対なんてしなかっただろう。
むしろヘビの尾をペロペロと舐めながら、土下座でも何でもしてやろうという気概さえ生まれそうだ。
それくらい相手が悪い。
「た、確かに国だけが滅びるのなら、命を賭ける道理は無いかも知れません。ですが、今は人が残っているのです」
『私以外の奴のことなんて……』
「そんな事を言っても、ジス殿の事は存じておりますぞ。私の古い知り合い、クリュの祖母が殺された時も憤慨してくれたと」
『……チッ。だが、今は相手が』
現実的に考えて無理だ。
あんな巨大な相手。
それでいて素早さもあり、出現時に放ってきた飛び道具も使われたら……。
「──まずい!」
巨人の頭部──口が大きく開き、飛び道具を発射しようとしていた。
その方角は、クリュティエの屋敷である。
まだあそこには、クリュティエ、クリュ、サンダー、オマケのブリリアントもいるはずだ。
「させませんぞぉぉおおお!!」
フィロタスは叫びながら再び、銀の巨体に走った。
両腕が砕け、血をまき散らしながら、それでも両足は力強く地面を蹴り上げ──その頭部は巨大な城門をぶち抜く破城槌の如く。
「ぬぅぅおおおおおおッ!!」
激突、物理的にありえない火花と衝撃波がまき散らされる。頭部からおびただしい出血が見えた。
フィロタスは反動で吹き飛びながら、空中に浮いている。
銀の蛇巨人の方はと言うと、何の奇跡かわからないが、体勢を崩している。
これが人間の根性というやつなのだろうか……。
だが──。
「……ジス殿。巻き込んでしまい申し訳ありません。本来ならジス殿だけ外して無事なところへ放り投げたいのですが、あいにく両手が動いてくれないのです」
銀の蛇巨人の口──ビームの射線がこちらに向いていた。
数瞬後にはどうなるのか、一瞬で予測できてしまう。
『まったく、これだから人間は……。しょうがないから守ってやるよ。国では無く──人間って奴をな』
「ジス殿……後はお任せしました」
『ああ、安心して休め』
フィロタスは安らかな顔で眼を閉じた。
光──広がる。
周囲のガレキは焦げ、溶け、硝子の結晶となり、存在を消滅させていく。
『柄にも無く、格好付けで安請け合いしてしまったな』
私は既に発動準備していたスキルを使った。
『──今ここに、人命を守れ! “反射魔術1”!!』
銀の蛇巨人が放った光と、私の力が拮抗する。
一秒にも満たない時間、魔力が底を突いた。
永遠に感じた一瞬。
『はぁはぁ……』
運良く相手からの光も消え去り、生き延びることが出来たようだ。
銀の蛇巨人も、こちらを脅威対象から外したのか、別方向へ移動していく。
進行方向はクリュティエの屋敷だ。
『くそっ、うまく反射させる事が出来なかったか……。もうどうすりゃいいんだ』
あの相手に対抗出来る手段が無い。
反射によって倒すのが唯一の方法と思ったが、初見でそれは無理だったのだ。
後はせめて、フィロタス以上の能力を持つ奴が、私の料理でも食べてパワーアップでもすれば……。
「ジスさん、今のをもう一度だけ頼めますか?」
人質の子供を守っていたエリクが話しかけてきていた。
『どうするんだ? 既に魔力が尽きかけていて、さらに短い一瞬しか防げないかもしれないぞ』
「僕が戦います」
『……冗談だろう?』
街のボトルアタッカーや、さっきのゴロツキからも逃げていたエリクなのだ。
そんな事をしても……。
「見たところ、あれは神の眷属である、巨人族の身体です」
『神……。巨人……』
その言葉──何か記憶の底から引っ張られるような、妙な感覚のトリガーとなる。
「ですが、魂を感じられません。さしずめ、機械巨人と変わらないのでしょう」
『随分と詳しいんだな』
「以前に少しだけ縁があったので」
この状況なのに、妙に冷静なエリク。
いや、この状況でも……なのだろうか。
普段の優男の雰囲気そのままだ。
「それに、ジスさんの皿から私も少し食べさせてもらいましたから」
『そういえば、食べていたな……』
「料理人として、一皿の恩をお返しするだけです」
私は、その言葉に噴き出してしまいそうになった。
『サイコーに格好良い言葉だな』
「え? そうですか?」
『ははは。私がよく言う台詞だからな』
「ふふ、二人は似ているのかも知れませんね」
笑い合いながら、二つの魂は密着した。
エリクの身体に、イージスの皿をラップの紐で胸当てのように装備。
『それで、私は防ぐだけでいいのか?』
「はい。アレへの攻撃は多少、溜めなければいけないので。その間だけお願いします」
『分かった』
もう、こうなればダメ元だ。
このエリクが何をやろうとしているのかは分からないが、これに賭けてみる。
安らかな眠りについたフィロタスにも大口叩いてしまったからな。
『準備はいいぞ』
「では──」
エリクの気配が変わった。
魔力すら見えない私だが、フィロタスがあの時に放ったエーテルというモノを感じる。
いや、それよりも何か人間離れしている。
だが──懐かしいような、愛おしいような。
エリクは深く腰を落とした構え。そして剣を鞘に入れたまま、鮫皮が張られた柄を握りしめる。
『ん? よく見ると、その剣の反り方。もしかしてサムライブレードというやつか?』
「いえいえ、包丁ですよ。それはもう本当にただの包丁」
1メートル近い包丁……解体用か何かだろうか。
漆塗りの鞘にも見事な装飾が施されている。
決して豪華絢爛では無いが、叢雲が月を黒く染めている浮世絵。
その内、光の鱗粉が舞い始めた。
『お、おい。ただの包丁の割にすげぇ光ってるぞ』
「妖精の粉ですね。たまに悪さをするから困りものです」
『……絶対に包丁じゃないだろう、これ』
こちらの気配に気付いたのか、銀の蛇巨人が頭部をゆっくりと向けてきた。
そして口を開き、光を収束させていく。
「ただの拾い物の包丁ですよ。銘は仰々しいですが」
エリクが何をするのかは分からないが、向こうの方が先手を取った。
発射されるビーム。
狙いは寸分違わず、一直線に向かってくる。
『ったく、本当は楽して可愛い子とイチャイチャしたいだけなのに』
「はは、またそんな照れ隠しを」
本心である。
『全知全能なる天空神より下賜されし、矛盾の怪物王すら凌ぐ無敵の楯! 森羅万象、災厄払う叢雲の鏡! 愍然たる蛇の女王を番えて、今ここに──』
この攻撃を受けるのは二度目。
多少は効率よく防ぐ事が出来る。
『……──今ここに! 人命を守れ! “反射魔術1”!!』
だが、残りの魔力は雀の涙だ。
根性で相手の力を解析して、それをほぼ100%再利用するしかない。
一瞬でも解析をミスるか、再利用して防げなかったら終わりだ。私の身体が耐えられなくて割れてしまってもダメだ。
目の前に光の楯が出現。
そこにぶつかる銀の蛇巨人のビーム。
楯の内側以外を地獄のような光景に染めていく。
『くっそ、一瞬撃たれるなら反撃も何とかなるが、ずっと撃ち続けてやがる……持たないぞ!』
既に私の身体にはヒビが入り始めていた。
「ジスさんなら大丈夫ですよ」
『その自信ありげな根拠はなんだ……!?』
「何となくです」
……こいつ、大丈夫なのだろうか。
「ボクは料理人です。だから、お世話になる調理道具に対しては、見る眼があると自負していますから」
『そーですか……』
「はい。また使いたくなる、とても良い皿です」
ピシリ、ピシリと亀裂が広がっていく。
『ここから生きて戻れたら、また使わせてやるか考えてやるよ』
「そうですか。では──」
砕け散る私。
それに伴い、“反射魔術1”は消滅。
眼前に光が広がっていく。
「包丁は人には向けられません──」
エリクの身体から、白い光迸り、黒い靄がそれを覆い隠す。
蒼い焔を放つ眼光だけが、研ぎ澄まされた刃のように煌めいていた。
「人は斬れませんが──神、龍、世界ならいくらでも殺しましょう」
カチリと鍔の金属音。スラリと包丁が抜かれ──いや、どう見ても東洋の美しい刀身が見えた。水に濡れた鮫の牙のような、丁子乱れの刃文。
瞬間、何かの溜めだったかと思うように手先がブレて消えた。
「異界神器──“暗月”」
それは刹那の結末を迎えた。
エリクは相手に背を向け、チンッと自称包丁を鞘に納めながら、何も無かったかのように歩き出した。
銀の蛇巨人の方へ目を向けると、ビームが一直線に切り裂かれ、巨体は“姿無き刃”によって空の叢雲まで斬り飛ばされていた。
「さて、ヴェールさんを追いかけましょうか」
銀の蛇巨人だったものは、銀砂となりて闇夜に流れ散った。
人定、亥一つ時──今宵は美しい暗月だった事に気が付いた。




