第11皿 自称アレキサンダー
私はヴェールに掴まれながら、引ったくり犯を追いかけていた。
広い道から、狭い路地。曲がりくねった不慣れな場所での移動。
いくらヴェールが移動速度を初級魔術で強化していても、なかなか追いつけずにいた。
「ジス、次にストレートで射線が通るところに出たら、ラップで拘束をお願い。あたしの魔術だと、当たり所が悪かったらやりすぎになっちゃいそう」
『雷でも落として、天気のせいですとか言えばいいんじゃね?』
「雲一つ出てないのにどうしろっていうのよ……。それに落雷なんて高度な事、主神ゼウスの雷霆じゃあるまいし。初級魔術じゃ無理!」
やれやれ、と手の形にしたラップをヒラヒラと揺らしてみた。
「いつの間にラップをそんな風に」
『慣れだ、慣れ』
本当はもっとすごい事も出来るようになってきているが、それは黙っておこう。
そう考えていると、いくつかの曲がった道を抜けた先、狙い通りのストレートがやってきた。
『よし、ここなら狙えるな。いくぞ!』
私は、息を切らしながら逃げる引ったくり犯の両足辺りに照準を合わせ──。
「じゃ、邪魔だドケェ!」
「きゃっ!?」
発射しようとした瞬間、引ったくり犯が無関係な女性を突き飛ばした。
進路上に居て邪魔だったのだろう。
思わず、私はそれをガン見してしまう。
しなだれるような女性の倒れ方。
乱れる服装。上はたわわな巨乳、下はスカートから見える魅惑的な白い三角形。
追加で艶めかしい太もも。
『うら若き女性に暴力を振るうとは許せないやつだ。ちょっとあの女性に近付いてくれないかヴェール。ムッチリとした太ももに擦り傷があるかも知れない』
「ジス、あんた……確実にパンツを見てるわよね」
『そんな事は無い。紳士として女性が心配なだけだ。ちなみに私の位置はなるべくローアングルから頼むぞ』
「引ったくり犯、曲がり角に入っちゃったわよ」
『……ドンマイだ。ヴェール』
ヴェールはニッコリ笑うと、私を持つ手を高く振りかざした。
そして重力をもてあそぶが如く、真下へ叩き付けようとした。
『すまない、悪かった、ゴメンナサイ、いや、あのヴェール様、ほんとうにはんせいですゆるしてくださいぃぃ!』
叩き付けられる直前で手が止まった。
セーフ……。
「次やったら、叩き付けた後に治療して叩き付けるわよ?」
『……はい』
恐ろしい治療魔術の使い方だ。
ぞっとしながら再び、私達は曲がり角を追いかける。
だが、その先で目に飛び込んできたのは犯人が──。
「ちょ、馬に乗ろうとしてるわよ」
『何でこんな町中に何も引いてない、乗せてない馬が……』
犯人が馬の鞍に脚をかけて、こちらを見てニヤついている。
「お、俺の馬が! ディオニソス劇場で使う大切な馬が!」
飼い主らしき男性がそう叫んでいる。
どうやら劇で使う動物らしい。
『どうする、馬ごと攻撃するか? 脚を縛って倒れたら馬の治療費取られそうだが……』
「やめてくれ! 特別な飼育をされている貴重なタレント馬なんだ! たぶんあんたら以上に稼ぐスターだ!」
『マジか』
飼い主から治療費どころか、劇場からも訴えられて賠償金を取られかねない。
『これでは下手に手を出せないな……上の男だけ拘束しても、無人の暴れ馬になってしまったら……』
「よし、諦めましょう。あの引ったくられたお婆ちゃんは運が無かったということで」
『そうだな、見なかった事にして帰ろう』
私達が清々しいまでの笑顔で締めくくり、引ったくり犯が馬を走らせようとした瞬間──。
「ちょっとゴメンよ!」
一人の少年が、雷のように駆け抜けた。
走り出しそうになっている馬の前に投擲ナイフを投げて脚を止めさせた。
そして一瞬で、少年は馬の真横まで到着し、そこから軽業師のようにクルリと一回転ジャンプしながら馬上へ。
「な、なんだテメェ──う、うわっ」
引ったくり犯を蹴飛ばしながら、馬の手綱を奪い取った少年。
「どー、どー。よしよし。良い仔だ」
少年は無邪気に笑いながら、馬を見事に落ち着かせた。
私はそれに感心しながら──。
「あ、馬から落ちた引ったくり犯がいない」
『既にロックオンしている』
人混みに紛れようとしていた引ったくり犯の両足をラップで拘束。
無様に地面とキスさせてやった。
* * * * * * * *
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
取られた荷物を持って、被害者の老婆の元へ戻ってきた。
あの軽業師のような少年も一緒だ。
「いやいや、出来る魔女として当然の事をしたまでですよ~!」
ヴェールは当然の事と言っているが、表情がかなりニヤついている。
一つは犯罪者を町中で捕まえるという、後々の名声に繋がりそうな事で機嫌が良いのだろう。
もう一つは、私も期待している事。
謝礼が出るかもかもしれない。
老婆は身なりが良いので、それなりの財産を持っていそうだ。
「この枯れた老体めは魔術はおろか、魔力すら見る事ができないので、本当に憧れてしまいます」
私は少しだけ引っかかるところがあったので、老婆に向けてラップの魔力だけを放出。後は意思決定一つで顔面に、実際に具現化したラップが飛んでいく状態だ。
それに気が付いた、魔力が見えるヴェールがこつんと叩いてきた。
老婆は表情を動かさなかったため、本当に魔力が見えていないようだ。私はそのまま疑念と共に魔力を引っ込める。
「そう、当然の事をしたまでさ! 御礼なんていらないぜ!」
付いてきた少年は爽やかな表情でそう言った。言ってしまった。
あらまぁ、と感心した顔をする老婆。
ヴェールは明らかに不機嫌そうになり、全力で無言の抗議。眉間にしわを寄せて、少年にガンを付ける。
「あらら。確か、あなたはクリュティエ様のところの──」
老婆は、少年の顔を見て何か気が付いたようだ。
「うん、俺はそこで小間使いをしているけど……姫さんを知ってるのかい?」
「ええ、もちろん。他国の姫でありながら、この国を取り巻いている魔物問題に対処しようとしているお噂は、かねがね。そういえば、そちらの御方も招かれているという魔女様では?」
自分の事だと気付いたヴェールは、身バレしているのを察して表情を平常運転に戻した。
「はい、あたしはヴェール=モイライ。クリュティエ=アリストデーモス第13王女殿下にお招き頂き、その御所へ馳せ参じる途中でした。ですが、目の前の悪行を見逃すことが出来ず、身体が勝手に動いてしまったのです」
さっきまで金と名声の事で頭一杯だった奴とは思えないお堅い喋りだ。
「では丁度良いですね。後日、そちらへお伺いする事に致します。今日は本当にありがとうございました」
多少なりとも事情を知っているかのような老婆。ペコリと一礼し、去って行った。
残された少年と私達。
「俺、あの人をどこかで見た事があると思ったら~、大きな商会の会長さんだ」
『ふむ、つまりこれは後日謝礼金ゲットの流れか? 良い服を着ていたし、それに何故か遠巻きに護衛のような存在も感じられた』
「うわっ、皿が喋った!?」
どうやら私の声に驚いたようだ。
少年は、こちらをマジマジと見詰めている。
「ふふ、これはあたしの神器イージス」
『よう、気軽にジスとでも呼んでくれ。軽業師っぽい少年』
無駄に偉そうなヴェールと、意外と少年に好感触を持った普段通りの私。
「ええと、俺の名前はアレキ=サンダー」
少年──アレキ=サンダーの外見は割と好みのショタだった。
13歳くらいの小柄な身体だが、しなやかそうな筋肉が着古した白シャツの隙間から見えている。
愛され系っぽいクルッとした茶色の癖っ毛に、デフォルメされた雷マーク型のヘアピンをオシャレに装着。
「アレキサンダー……? この世界でその名前は……偽名か何か?」
何故かヴェールが不思議そうな顔をして問い掛けている。
「あはは、バレちゃったか。元々の名前がスラム育ちの名字も無い、簡素な代名詞で“少年A”みたいな感じだったから、適当に自称してるんだ。一応、お姫様の小間使いで働くには、それなりの名前が必要だったからね」
「ふーん……。まぁアレキサンダー三世という名前くらいは、ここにも伝わっているかもしれないか」
『そのアレキサンダーって何だ?』
考え込むヴェールに、思わず聞いてしまった。
「誰が使っても名前負けしちゃう、異世界の古い古い大王様」
『それじゃあ、名前負けは可哀想だからサンダーとでも呼ぶか』
「俺の事はどう呼んでもいいけどね♪ お皿のジスは~……ジスお姉ちゃん?」
ジスお姉ちゃん……良い。ジスお兄ちゃんも捨てがたいが。
「あ、声が中性的でも、こいつは性別“皿”だから。ただのジスでいいわよ」
「うん、わかった。ヴェールお姉ちゃん♪」
「……ん~、アタシは年下とかパス。興味無い」
『──おねえたま、ねぇちゃん、あにぎみ、あにくん、にぃ、様々なバリエーションの道が断たれたというのか……』
私は絶望した。
「見ての通り、ジスはこんな性格だから。本当、気にしないで適当に扱って」
「は、はは……」
サンダーに引きつった笑いをされてしまった。
その困惑する表情も良い!
ロリとショタは都市国家で保護する存在ではないだろうか。
ロリショタ御殿を作って、その空気だけを缶詰に詰めて吸って生きたい。
「あ、そうだ。執事長のおっちゃんと一緒に買い出ししていた途中だったんだ。合流して一緒にダメ姫様の屋敷に向かおうぜ」
「やっぱりダメ姫とか、そんな印象なんだ」
『何かダメそうだったもんなぁ……』
私とヴェールは、その呼び方に妙に納得してしまった。
そこへ、燕尾服に身を包むロマンスグレーの初老の男が現れた。
「こら、アレキサンダー。あなたはまたダメ姫ダメ姫と……」
深いシワの入った年期ある表情を、さらに苦い顔でシワを寄せる。
「ええと、タイミング的にあなたが──」
「はい、私がクリュティエお嬢様の屋敷で執事長を勤めさせて頂いております、フィロタスに御座います」
スッと、45度の自然なお辞儀。
その流れるような動作は、まさに執事長と言った貫禄だ。
「よっ、フィロタスのおっちゃん」
「あなたねぇ……買い出しの荷物を、この老体に全て押しつけて走り出すとか……」
「はは、おっちゃんはそこらの兵士より良い身体してる癖に」
二人は年の差から、同じ屋敷で働く仕事仲間というより、仲の良い孫と祖父に見える。
「貴女様はヴェール女史でいらっしゃいますね。伝説の魔術師様と御一緒にいらっしゃった時に──」
「女史……あたしが女史! あ、すみません……人の顔を覚えるのとか苦手で……てっきり初対面かと」
女史というのは、それなりの名声がある女性に付けられるものだ。
そのためか、ヴェールはニヤけた表情をしてしまっている。
「いえいえ、構いません。執事とは仕える御方の影となることが基本ですから」
同じ執事でも、あのブリリアントとは違ってまともなタイプの執事らしい。
たったこれだけの言葉を交わしただけでも、クリュティエには勿体ないスーパーできる雰囲気が出ている。
「ところでアレキサンダー。また目立つことはしなかっただろうね?」
「し、してないよ」
「本当に?」
サンダーは眼を泳がせながら、助け船になるような物を探し求めていた。
「ほ、本当だって! えーっと、ヴェールとジスに、パルテノン神殿とか街の成り立ちを説明してたんだ!」
「……まぁ、そういう事にしておこうか」
明らかにバレていそうだ。
「んとね、この都市国家アテナイは昔々、海神ポセイドンと、女神アテナが所有権を巡って争ったんだ」
「へ~、知ってるけど知らなかった~」
「ちょ、ヴェールお姉ちゃん~!」
話を合わせようとしているのか、合わせようとしていないのか微妙なテンションのヴェール。
「そ、それでね! 街の人間に、より有益なモノを生み出した方を守護神とするって事になったんだ。ポセイドンは馬と塩水の源泉、アテナはオリーブの木を創造した。人々はどっちを選んだと思う?」
「食べられるし、あたしはオリーブを選ぶかな」
『私も料理として乗せられそうなオリーブだな』
「そう! それでこの街の守護神はアテナに決まり、街の名前もそれにちなんでアテナイになったんだ! ……もっとも、今はオリーブの流通は魔物やら何やらで止まっちゃってるけどね」
そういえば、そんな事を聞いた気がする。
アテナが与えたオリーブが食べられない、女神アテナの都市国家。
何やら滑稽だ。
「そんなアテナを祭るのが、このパルテノン神殿」
少年は、神殿に刻み込まれているアテナのレリーフを懐かしそうに見詰める。
「でも、俺はゼウス神殿の方が好きだけどね」