第一話 【騎士学校へ】
レイネとアイリは、森林の小道を歩いていた。歩度は二人とも互いに同じ。少し、レイネが先んじて歩んでいる。日が中天にかかる昼頃。晩夏の候、緑の葉が、そよ風に揺れていた。
「そうだ、アイリ。あの骨の怪物は、放っといて大丈夫だったのかな」
「うん。私の意のままにできる……そういう術だもの」
「それはすごい。ということは、怪物はあのまま動かない感じだろうか」
「ううん。もう灰となった……私がそう想像したから」
「容赦ないね。なっちゃったか」
そんな他愛ない会話を交わしながら、二人は自宅へ向かう。元は空き家だった。今は家具を持ち込み掃除も済ませたので、過ごしやすくなっている。
緑の葉が茂り静かにさざめく。そんな道を少し歩いたところに二人の家はある。不意にアイリがこう、切り出した。
「その、こういうの、愛の巣っていうと思う……?」
「愛の巣。それにしては地味かも」
レイネはやはりマジメに答えた。堅実な切り返しにアイリは、つれないのですこし頬をふくらまし、半眼で彼を見る。レイネは家の方角を向いて歩いていたから、それに気づくはずもない。ならば今度はレイネの話しやすい話題にしようと話題を変える。
「レイネってすごく……剣の扱いがうまいよね。速すぎて全然見えないもの」
「ああ、褒めてくれて光栄だよ。小さい頃、気づいた時には剣を握ってたから」
「……そのうち、なんでも斬っちゃいそう」
そこで、レイネが足を止める。
葉のざわめきが少し止み、あたりが静謐となった。
ゆっくりとアイリの方を向き、レイネは薄く微笑んだ。
「もしそうなるとしたら、そのとき僕は、【人間】ではないのだろうね」
「………………」
その先は、怖くて聞けなかった。
木漏れ日の中で微笑む彼が、ひどく印象的だった。
このまま森に溶けて、本当に人間ではなくなってしまうような。
不意に、そんな恐れを抱いたアイリは急いで彼へ歩み寄った。
小さな口を開き、彼へ少しふるえた声で。
「手、繋いでいい……?」
「ああ、その、大丈夫だよ。なにも言わずに、アイリを置いていったりなんかしないよ」
レイネは海のように蒼い眼を細め、彼女の手をとった。その手はやや冷たい。レイネはその事に気づいて、その手をしっかりと握る。
「もうすこしつよく繋いでも、良いのに……」
「そんな気障ではないよ」
「レイネが気障……うん」
そういうのもいいかも、とレイネに好意を寄せるアイリは思う。
しかしどこまでも生真面目なレイネは、その好意をさらりと切り抜けてしまう。意図的というより極度の天然なのだ。幼少から騎士道を説かれる日々だった為、うまくふざける能力に乏しい。レイネ自身、特にそれを恨んではいない。
「さて、着いたよ」
「ぇ、あっ。そうだね」
不意にかけられた言葉に、アイリは少しびくっと跳ねる。まさか歩きながら、彼との甘ったるい日々の空想に耽っていたなんて、自白できるはずもなく。彼女は顔に紅葉を散らした。気持ちを切り替えて、家へ目線を移す。森の中にある木造家屋。数人が泊まれる寝屋といっていいくらいの、微妙な広さ。
「増築でも考えてみようか」
「ん、私は……べつに窮屈ではないよ」
そんな話がてら、レイネは扉の錠を開ける。しかし開こうとした途端、彼の腕は止まった。その異変にアイリも気づいたか、少しレイネの隣で足を止める。
このドアの向こうに何かが居る。
この木造家屋は、二人くらいしか知る者がいないはず。
そもそも扉は、しっかり施錠されていた。
奇怪な事この上ない。
しかし、得体のしれない者の気配が、たしかに滔滔と流れ込んでくる。
「……」
レイネは不穏さに押し負けず、意を決して扉を開けようとした。
そこで、高く妖麗な声が響く。
「あら、……白銀の皚狼さんかしら? 待っていたのよ、入ってらして?」
すべてお見通しとでも言うような、余裕を含んだ声色だ。敵意は見えない。しかし、警戒にこしたことはない。レイネは重い扉でも開けるかのように、慎重に扉を開けた。
「一度、あなたの顔を直々に見ておきたくってね♪ とても可愛い顔してるじゃない」
そこにいたのは、長机に頬杖をつく艶麗な女性。山吹色の髪を、腰まで伸ばしている。どこか儚げで、それでいて異性を惑わすような、トパーズを思わせる金眼。その眴せは、レイネに注がれている。ちょっとした遊びのように。暗く深い紫色のローブは、漆黒のドレスのようで、ところどころ細い金の刺繍が入れられていた。そしてなにより、ローブの構造がやや妖しかった。胸部のところがすぐにはだけそうになるほど、布が薄く、揺れている。
初対面だが相手は大人である
レイネは、とりあえず礼を欠かずに、丁寧な言葉づかいで応えた。
「私がその通り名というのは、確かです。しかし貴女とは面識がありません」
アイリは、婦女へ強く言い出さぬ彼の意を汲んだ。
ここは同性の者として、眼前の女性へ自分が、聞くべきことを聞かねばと。
「彼も……そのように言っていますし、また日を改めてお越し頂ければ……。そして、粗相をするようですが、なにか盗品していないかなど……確かめさせてくれますか……?」
「あら、失礼ね……ふふ、なんなら今ここで全部脱いで、無実を証明してあげるわ……?」
「な、っ……れ、レイネっ……見ないで」
蠱惑的に、グルヴェイグの唇が弧を描く。ローブの胸部が首元から下へ引かれ、白磁の柔肌があらわにされていく。すかさず瞠目したのはアイリで、彼女は赤面しつつレイネの両目を片手で隠した。無抵抗のままに、レイネは濃藍の双眸を隠される。それを目ざとく見た女性は、含み笑いをして。
「グルヴェイグよ、私の名前。やはりその子がレイネ君ね……かわいいかわいい狼さん♪」
「っ……レイネに、なにかするつもりですか……」
「ちょっと顔を見に来たくらいのものなのよ♪ レイネちゃんのっ」
「ちゃん~……っ? れ、レイネは男なのですけれ、ど……」
「けどほら、かな~り可愛いわよ? 手をどかしてよ、お、く……顔を見てみなさいな」
素直なアイリは、レイネの顔からそっと手を放す。しかしその時、彼の目線はちょうどローブをはだけたグルヴェイグへ注がれた。レイネは咳払いひとつして、濃藍の眼差しを下にそらす。その反応にアイリは、手を放したことを後悔した。はだけるグルヴェイグにレイネが動揺している。それを少し悔やみ、妬いた顔を。その様を瞥見したレイネはすぐに、事情を察して。
「彼女も混乱していますし、肌を出すのは控えていただければと」
「あら、不自然ね。男子はこういうものにぃ……普通は、興奮するものじゃないかしらぁ……?」
「意識せぬわけでありませんが、私にはそういう素養がないのです」
「あら、そう? ……つれないのね、かわいい顔をしているクセに」
「そもそも、施錠してあったのにどうやって、この家に入ったのですか?」
「さあ、気合かしらね……? ね、レイネちゃん。正直に言わせてもらうわ」
当然、そんな説明でレイネは納得しない。そこで、彼女はローブを着直した。木の床を黒のヒールで踏みしめ、レイネにゆっくりと近寄る。アイリはその様子に、レイネがとられてしまうのではないかと想像してしまって、彼へわずかに身を寄せた。そこで彼女が口にしたのは予想だにしない言葉。
「私ね、あなたのことを気に入ったけれど、イラついちゃった♪」
にっこりと、年ごろの乙女のように、かがやく花笑みを照らすグルヴェイグ。両者は反応に窮してしまう。その様子を見れば、グルヴェイグは笑顔でさらに言葉をつづける。
「だからあなたへの最初の課題。あなたはあなたが、イラついちゃうくらい愚直な理由を見つけてきなさいな。あなたの通っていた騎士学校、アルスェラでね」
その一言に、レイネは目を開いた。この人は、学校の関係者なのだろうか。ならば彼女は、やはり退学の理由を知っているのだろうか。
「いったい、貴女はどこまで知って……?」
「答えは全部、騎士学校にあるわ。あなたが愚直である理由、そしてあなたの退学の謎。そこで、自分のホントの姿を、知ってきなさいな」
ちら、と薄紅色の舌を出して女性は告げる。その仕草をレイネは間近で見たものの、その色香に反応するより、混乱していた。
どうしてグルヴェイグはここを訪ねてきたのか?
どうして自分は退学に追い込まれたのか?
どうして今になってまた、騎士学校に向かえなどと……?
「ああ、そうそう。レイネちゃん、そしてええと……眩しいくらい綺麗な、黒髪の美少女ちゃん」
「あ、っ。アイリ・ステュラワータ、です……っ」
「んっ、レイネちゃんとアイリちゃんの二人に、最後に伝えておくわね?」
わざとらしく薄い桃色の唇に、妖艶な弧を描いてグルヴェイグは言った。
「あなたの見ているものが必ずしも真実とは限らないし、嘘のような本当と、本当のような嘘が、世界には存在するわ。そこらへん、自分自身の思い込みに欺かれないようにね、じゃあねっ♪」
今、見えている世界がすべてとは限らない。
グルヴェイグは、そのまま家屋を後にした。今の言葉についてレイネは、柔軟な視野をもてと言われている、と理解した。そこで、アイリは上目遣いでレイネを見る。不安げに、妖精のような白指で胸の上へ握りこぶしをつくっている。多感な男子ならば、ハートを射抜かれるような仕草だった。
「レイネ……あの人、なんだったのかな」
「さあ……しかし嘘を言っている風でもなかった。それに……どう考えても騎士学校とあの人が、繋がっているとしか考えられない。なにせ退学の報せが届いたのは今朝だから」
「うん……私も、行っていいかな。学校、あなたの退学の理由、知りたいもの」
「ああ、なにかあったときには、君を守ると約束しよう」
「……っ、うん」
アイリは、恥ずかしい言葉を真正面から受けて頬を染め上げる。レイネはそれへ相好を崩す。懐かしい学び舎に向かう事になったが、これは通常の事態ではない。警戒する必要はあろうと、レイネは部屋の奥に置かれた一振りの剣へ目線を移す。それは、家族と袂を分かつとき、父から貰い受けた片手剣。
「あれを持っていこう」
「ん、あの剣は……はじめて私と逢った時にもってた剣だよね」
「ああ……父が何も言わずに、僕が家を出るとき手渡してくれた」
鞘は淡い真珠色の光沢を放っている。
鍔にあたる剣格は金色で、竜のレリーフが刻まれていた。
持ち手である剣柄は深い紅色。
鐺にあたる剣首には金色の装飾、その中心に紫色の宝石が埋め込まれている。
レイネはその剣を手に取って、少し鞘から抜いてみる。すると白銀に光る剣身があらわれた。
「これは……とても、良い剣だ」
「レイネには、わかるの?」
「単なる直感だけれどね」
聖剣や魔剣といった類いのものか。それはわからないが、レイネはこの一振りが気に入った。これを佩剣していこうと決める。
そして二人は向かう、少年の運命が大きく動いた騎士学校へ。




