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プロローグ 【白銀の皚狼】

 レイネ・ルシルフェットは、とてもマジメな少年だった。


 彼の髪は白めの銀髪、濃藍こいあいの双眸は、鮮やかな海を思わせる。

 穏やかな顔つきは、端正だがやや童顔。

 体は適度に鍛えられていてしなやかな、18歳の少年。


 彼は本当に、素晴らしい人間だ。

 美男子であり品行方正、剣才にも恵まれている。

 しかしそれは、彼の一面だけを見た評価に過ぎない。


 騎士の家系に生まれた彼は、生まれながらにして気高くある事を強いられた。

 自分をつねに律さねばならない。

 忠実であらねばならない。

 徳をそなえた者であらねばならない

 臆病風に吹かれぬ者であらねばならない。

 

 すべては、一方的な要求。


 幼い頃から生き方を律されたレイネには、普通のことが許されなかった。

 近所の友人と遊ぶことも、許されなかった。

 子供らしい欲を満たすことも、許されなかった。

 喜怒哀楽を家族の前で示すことも、次第にレイネはできなくなっていった。

 心というものを、ことごとく両親の望むかたちへと、歪められた。


 強い反抗の一つでも、してよかったのだろう。

 しかし心根の優しかったレイネは、それすらもすることができなかった。


 厳格な騎士の家系。

 すべては、そこに生まれたがための運命。


 もっと素晴らしい人間になれ、騎士として、完璧な者に。

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと……。

 そんな思いを一身に受け続け、彼は素晴らしい人間に育つ。

 その代償として、彼は【人間らしい心】を摩耗させた。

 レイネはまさしく、そういう非凡な少年だった。

 それが、レイネ・ルシルフェットという【人間】だった。

 

 しかしそんな彼は、ひとつの迷いを抱いていた。

 

 自分は、いかなる者として生きればよいのだろう?











 





 もうすぐ昼が来る、鬱蒼とした緑の森。


 レイネ・ルシルフェットは、骸骨の怪物と対峙していた。

 その対敵者は粗忽そこつにも、身の丈にあわぬ大剣を構えている。剣身けんしんのみで恐らくは、成人の腕三本ほどあるだろう。


 対してレイネは、身を護るための軽装すらも、身に着けてはいない。白布を合わせたような、変哲もない服を着ていた。頼りになりそうなものといえば、剣撃けんげきあたう片手剣のみといったところ。抜剣ばっけんしているが、相手の得物と比べると貧弱に見える。


 そこで、骨身が体を軋ませて攻勢こうせいに出た。怪物は、剣を大きく上段にあげては草を強く踏む。攻撃的な構えだ。これをレイネは待ちわびていた。


 薄い笑面をつくれば、彼は独自の構えをとる。

 レイネ・ルシルフェットが我流の構え――【猛夔もうきの構え】である。


 腰脇に剣柄を立て、剣身は体側とやや平行に構えている。

 足は剣を構えておらぬほうを前に出し、そして軸足は後方に据える。

 重心は軽く下げていた。


 この奇異な構えの長所は、二つある。

 ひとつは、斬下に素早く応じ、その前に首や小手を斬る事に特化している点。

 もうひとつは、剣を構えぬところへ攻撃を誘い、避け、相手が崩れた瞬時に急襲できる点。

 だが、この構えには大きな弱点もあった。横薙ぎの攻撃には弱いという点である。だが言ってしまえば、あらゆる構えにも弱点は伴う。


 骸骨は、上段のまま疾駆してレイネを斬り断つべく、迫る。

 雌雄を決すべくして両者は――接触した。


 骸骨の斬下が骨肉に達する前、否――それよりも速く!

 レイネは腰脇に立てた片手剣を、瞬時に弧状へ斬り上げる。

 あまりに速すぎて、常人にはその剣速が視認できない。


 剣閃は、腕と手首のわずかな継ぎ目を、みごとに斬り断っていた。

 白骨の両手と大剣が、無慈悲に草の上へ落ちた。

 ほぼ無音の斬撃により、決着がつく。

 

「やっぱり、強いね……。レイネ」


 そこで、レイネの知己である少女の声。

 それは優美で、か細くささやくような、優しげな声。

 若木の幹へそっと片手をつけて、その少女は両者の剣闘を眺めていた。


 とても綺麗な少女だ。内気そうな紫色の瞳。肩にかかるくらいの落ち着いた黒髪。それらが儚げな印象を与える。服は黒の肩掛けに、胸部を覆う黒の下着、黒のハーフパンツ。そのハーフパンツからは薄桃色の、羽衣のような布が揺れている。妖精のように大胆な恰好で、白の柔肌も神秘的だった。


「アイリ、か。案外あっさりと勝負がついたよ」


 その黒髪の少女の名を呼ぶ。

 アイリ・ステュラワータ。

 レイネの同居人、それ以上でもそれ以下の関係でもない。

 彼は、彼女と住み始めてから2週間ほど経つ。


 しかし二人は恋仲ではない。

 そもそもレイネは、そのような関係を結べるように生きられなかった。

 騎士として立派に生きることを、強いられた弊害だ。


「うん。学校での称号が、【白銀の皚狼がいろう】だもんね……なんだか、すごい」


「いやなに、それは学友が、僕へ勝手につけた通り名だ」


 しかし、レイネはまだ剣筋に納得いかないように苦笑いをしていた。

 それを見かねて、アイリは申し訳なさそうにして。


「まだ、不満……? もう少し、強い魔物を出した方がよかったのかも……」


 創怪そうかいじゅつという魔術がある。これをアイリは得意としていた。自らの想像力を基として、持ちうる魔力から怪物を練り合わせる法。本来、魔の存在を魔力から顕現させるには、多くの魔力を消費する。しかしアイリの魔力量は常人と比べ多い。

 それが魔を顕現させることのできる簡単な理由だが、詳説すれば術理は当然これより遥かに深い。


 申し訳なさそうに顔を下げるアイリへ、レイネは優しく告げた。


「大丈夫だよ。実戦稽古は、少し動いただけでも緊迫感があるから」


「レイネ……その、あなたは充分に強いよ。私のことだって、あのとき魔物から助けてくれた……私はあなたに、命を救われた……」


「ありがとう。けれど、慢心せぬのが大事なんだ」


 その言葉を聞いて、彼女はこう思う。少しは自分の事を認めてあげてもよいのにと。

 しかし、レイネの家風について聞かされたからには、そんなことを軽率には言えない。自分勝手な要求を突き付けて、さらに彼を困らせることなんてしたくない。アイリは苦し紛れに話題をそらして。


「ぁ、レイネ。その、騎士の学校では最近、どうかな……?」


「ああ、退学させられた。僕も理由くらいは知りたいけど」


「………………………え? ええと、通ってるんじゃ」


「退学は学頭の判断だったけど、その理由を聞いても答えてくれなかったんだ」


 レイネの素行に問題はなかった。

 むしろ優等生の鏡というべき少年だった。

 しかしなぜか退学させられた。


 本当に謎としか言いようがない流れであった。

 まず学頭からいきなり、レイネは家族と袂を分かつことを勧められる。

 募る疑問はあれど、両親からもそれを促されて彼はそれに従った。

 ここまでは、アイリも聞かされていた。

 だが、今度は退学をしらせる手紙が来た。

 それが今日の朝方だった。

 そのようなわけで、今に至っている。


「だから、これからは稽古とか、一人でやらないと。父とは絶縁だ。父は特に、僕が立派な騎士になることを望んでいたから」


「あ、あの……私にできることなら、言ってね。わたしは、あなたの力になりたい……」


「うん、ありがとう。アイリ」


 その不遇を前に、レイネは柔らかな笑みを浮かべていた。

 きっと気遣ってくれているのだと、アイリは思った。

 彼と共に過ごしてみて、彼は暖かい人なのだと、彼女は知っている。

 しかしだからこそ、優しすぎる彼が心配になってしまう。

 自分でよければ、なんでも悩みを打ち明けてほしいと思う。


「レイネ……。その、私でよければいくらでも、悩みでも愚痴でも……聞くから」


「ん、ありがとう。両親へは申し訳ないと思っているよ」


「……親、とかじゃない、っ。レイネの【レイネ自身の気持ち】は、どうなの……?」


 しかしレイネの不憫に耐え切れず、アイリは感情をあらわにする。こんなに良い人が、生き方を強制され心をすり減らしていくなんて。そんなことはあまりにむごい。耐えられなかった。


「やっぱり、理由が知りたいなって思っているよ。アイリ、そんなに僕のことを、気にしてくれているの?」


「そう、だよね。余計なお世話だったかな……」


「ううん大丈夫、ありがとう。そうだ、僕の父が言ったことで、印象に残っている言葉がある」


「それは……どういうもの……?」


「【普通の人間のように生きることは、お前にとって堕落なのだ】」


 アイリは絶句する。その一言で、どれだけレイネが親の意向に縛られてきたか、痛いほどわかった。彼にはもっと、自分に正直であってほしかったが、なかなかそれも言い出せない。彼女は、伏し目がちにレイネの納剣のうけんする姿を見つめる。控え目に見られていることに気づいたレイネは、アイリへ相好を崩して。


「ねえ、今思ったんだけれど、もし僕が騎士になったらさ」


「う、うん……。なったら?」


「どうしてかな。その時はアイリのような人に仕えたいって、今考えてた」


「んな、っ……!」


「ああ、ごめん。困るよね、こんなこと言われても。僕、変だったかな」


「う、ううん……だ、っ大丈夫、っ…………!」


 意中の人が、自分の騎士ナイト。女の子ならば、誰でも抱くような憧れ。彼の口からまさか、そんな言葉が飛び出すとは、望外の喜びだった。なにやら気恥ずかしくなり、とっさに彼へ背を向けて、顔を真っ赤にしてしまう。その様子を眺めていたレイネは、そんな女心をわからずキョトンと首を傾げていた。






 これは【騎士】にも【勇者】にも成らなかった、そんな少年の物語。

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