丸太切り
翌日も修司は探検で見つけた個人訓練場に来ていた。昨日はあのあと20回ほど挑戦したが、結局丸太に傷一つ付けられないまま体力の限界を迎えた。手に力も入らなく、意識が朦朧としその場で倒れるように寝た。起きると日は沈む直前で5時間以上は寝ていたことが分かった。帰り道では空いた腹を満たすため、閉まっている学食の代わりに近くのコンビニでおにぎりやらパンやらを食べて、寮に帰るとまたすぐに寝た。不思議なことに眠気やだるさは今日の朝にはすっかり回復し、剣を振り続けた手や肩の筋肉だけの疲労感は若干残っていた程度だった。
今日は夕方までここにいられるようにパンと飲み物を持参してきた。意気揚々とコンバート始める。慣れてきたのか昨日よりも早くコンバートできている気がする。元々コンバートする速度はクラスの中でも早い方だと思っていたが、それでもこんなに早く成長するものかと修司はノーベルの体の神秘を感じていた。
意識を集中して振りぬく!
手に残る振動も気にせずに丸太を確かめる。相変わらずきれいなままでへこんだ様子もない。[ブラックジャック]は刃が1センチは欠けている。
「やっぱりダメか・・・。」
まだ集中が足りないのか?でもこれ以上に高濃度なエナの精製はできるもんなのか?。集中して高濃度にする以外に何か剣を強くする方法はないのかよ・・・。
その後も何度か挑戦してみたが成果は上がらず、最後はまた剣が砕けるまで切りつけてみたが、4回目の接触で剣は見事に折れた。
「はぁ、はぁ・・・ちょっと頭を冷やすか・・・。」
修司は飲み物を飲みながら木陰に腰を下ろした。今日も快晴。そよ風が気持ちいい。
こんないい日に何やってんだろな・・・。
むなしさを感じながらふっと笑いがこぼれる。
今頃一色たちは何やってんだろな。部活組は着実に力をつけてくるだろうし、迫間をノーベルの知り合いなら何か秘策とかあるんだろうな。部活に入ればよかったかもな・・・。あの日下部なんとかって2年生もきっと・・・。どうやったら強くなれんだろ・・・。
1時間ほどして修司は目を覚ました。寝ぼけ眼の修司は近くに何かが転がっていることに気付いた。木のようなそれは切った跡がいくつもある。ふと立てられた丸太を見ると誰かが丸太の側面を持って何かしている。脱力したような瞳その人間は修司の方を一瞬見たが、すぐに丸太の方に向きなおした。若い男はやや長めのもみあげ、整った顔をしている。身長は180cmはあるだろうか。深い緑色のTシャツを着ていて、年齢は大学生くらいに見える。
男の手に握られた細身のロングソード。レイピアにも近い。男はその剣を両手でしっかりと握り、腰元で刃先を後ろに引いた形で構える。
一瞬だった。寝ぼけていたせいか修司には、瞬きの瞬間にはもう男が剣を振りぬいたように思えた。しかし丸太には変化がない、やはり切ることはかなわないのか、と思われたが。丸太の上部は少しずつ移動する。時間をかけてドサッと音をたてて滑りように切り落ちた。
「え?」
思わず声の出る修司。
男は丸太の下部を掴みクルクルと回すと、丸太を取り外した。地面には大きなネジ穴があり、丸太の底はネジのようになっていて地面とつながっていたようだ。分断された丸太は他の丸太と同様に切られた丸太の山に無造作に投げられた。
意を決して修司は立ち上がり男に近づくと声をかけた。
「どうやって切ったんだ。」
驚きと興奮の混ざった声だった。
「何がだ?」
「この丸太だよ!」
「・・・剣の振り方も知らないのか?」
「それくらいは知ってるさ!そうじゃなくてどうやって切ったかを聞いてるんだ。」
「構えろ。」
「え?」
「アームズを構えろ。」
唐突で言葉足らずな指示に戸惑いながらも修司はコンバートした。
「[ブラックジャック]。」
修司は腰を落とし構えた。男は静かに言葉を発する。
「・・・剣の握り方も知らなかったか。」
「お、おい!どういうことだ。」
「こういうことだ。[立刀・欧]。」
男の手には先ほどのロングソードがコンバートされ振り上げられた。修司は全く反応することもできず、気付くと[ブラックジャック]は手元を離れ、地面に落ちていた。
「も、もう一回だ!」
落ちた[ブラックジャック]を拾い、構える修司。
まただ。
修司は手に衝撃を感じた瞬間にはもう剣は手元を離れ、男は振りぬいた後になっている。金属のアームズの触れる音さえ遅れて聞こえてくるかのように。
呆然とする修司。
男はまた丸太へと体を向ける。
「・・・ださい。」
修司の声に男が半分振り返る。
「俺に教えてください。」
「何をだ?」
「・・・剣の、剣の握り方を。」
「何のために握る。」
「強くなりたいから・・・倒したい相手より強くなりたいんです。お願いします!」
修司は頭を深く下げている。
「その相手を倒してどうなる?」
「・・・それは・・・。」
「答えのない戦いに加担するほど暇じゃないんだ。」
男は剣を構え丸太に向きなおす。
「証明するんだ、俺と・・・一色が負け犬じゃないことを!」
修司は震える声で言った。男は振り返りもせずに冷たく答える。
「子どもの私怨だな。」
「・・・・・・。」
修司は返す言葉もなかった。
「・・・一度だけチャンスをやる。」
「・・・!」
顔を挙げると目の前の地面に剣が刺さっていた。
「その剣を明日また会うまで握っててみろ。」
修司が男の方を見る。
「それは一度でも手を離すとリリースされる。明日その剣を握ったまま俺に見せられれば考える。」
男の粗い説明でも修司は理解した。
「つまりこの剣はずっと握り続けないと消えてしまい、もし握り続ける根性があれば認める、ってことか。」
「ああ、そうだ。」
「・・・それさえできないと思われてるんだな。」
「できないか。」
「できるさ!」
「やるのか。」
「・・・ああ、強くなれるならこのくらいやってやるさ!」
修司は地面に刺さった剣の柄を握り、引き抜いた。
「お前は自分の甘さを知ることになるぞ。」
男はそう言って立ち去っていった。
時間は午後1時。あの男がいなくなってから昼食にパンを食べて、1時間は経った、修司は渡された剣で丸太を切ってみた。あくまで軽く、剣が壊れないような強さで。
案の定丸太は切れなかった。
あの男が丸太を切った剣は特別強く創ってあったのか、それともこの剣はわざと弱く創ったのか、それとも俺が本当に剣の振り方も握り方も分かっていないだけなのか・・・。
確かに闘技の授業を始めたのは3週間前だけど、素振なんかは入学前からもやっていた。それをこうも否定されたら・・・。
そんなことを考えながら剣を振って時間を過ごした。同時に修司は与えられた課題を絶対にこなす自身があった。過信や慢心ではなく、自分の決意と意志が本物であることを熟知しているからだ。
与えられた剣は不思議と握りやすかった。重いわけでもなくむしろ軽いくらいだ。この剣をたった1日握っているだけでなんて子どもでもできる。
午後3時になる頃にふと修司は違和感を感じた。剣を握る自分の手の汗のせいか、うまく握れていないように思える。始まって3時間ほどで手の筋肉が疲労してきたのかもしれない。闘技の時間に剣を握るのはせいぜい1時間ちょっと、昨日は全力で握り続け、今日の午前もそれなりに振っていた。肉体への疲労は着実に溜まっている。〈ただ剣を握る〉それだけでもじわじわと限界へと向かっているのだと悟った。修司は血の気が引くのを感じた。
もしこのまま振り続けたら明日までもたないんじゃないか・・・。
突如として見えてきた自分の限界。予想よりもずっと近くに見える。人間の体、ノーベルの体、自分の体・・・まったくその能力を理解していなかったのだと気付く。
修司は急いで寮へと帰ろうと準備した。早く帰って部屋で大人しくしていることが最善だと考えた。速足で森を進む。右手がどんどん重くなっていく。
意識してしまうせいでますます重く感じる。
森は暗闇が広がり始め、不安をかきたてる。何かに追われているような錯覚にも陥る。
修司は剣を両手で持つことにした。この右手から間髪入れずに左手に持ち変えることも考えたが、それは危険な賭けである。もしこのアームズの仕組みとして握った手を変えるような変化も「手を離した」と判断されるようになっていたら、たちまちリリースされてしまう。今更そんな賭けにはでていられない。右手の上から左手を重ねる持ち方は居心地が悪く、歩きづらい。精神的にも負担が溜まってきた。
森林エリアを抜け、バス停まで着いた。ちょうどバスが停まっている。乗り込もうとする修司の様子を数人の学生がチラチラと見ている。ステップに足をかけた瞬間に運転手に止められた。
「ちょっと君、バスに乗るならリリースしてよ。」
「え、でもこれは・・・。」
「ダメダメ、他の人に迷惑かかるから。」
困った様子の運転手。修司は仕方なく歩いて寮へと向かった。
街灯にも明かりが点きだし、日は半分以上沈んでいる。左手も疲れてきてあれこれ支え方を変えるが、どうしても気持ち悪さがある。右手の前腕は強い筋肉痛のような違和感をかけていた。できるだけただ無心で歩き、靴が砂利とすれる音だけが耳に残る。
寮へと帰る頃にはすっかり日は沈み、夕食の時間も終わっていた。部屋に入ると引き出しの中の薄いタオルを一枚割き、包帯のように右手ごと剣を縛った。
これでとりあえずは気を抜ける。
安心とともに一気に疲労を感じた。備え付けのミニ冷蔵庫の中からナタデココゼリーを出して食べる。
腹減ったな・・・、コンビニ大丈夫かな・・・。
明日の事も考えてコンビニに向かう。手はきつく縛られたおかげで大して力は入れないで済むが、もしものことを考えると脱力はできない。
店員に不審な目を向けられながらも無事におにぎりとサンドウィッチ、お茶、〈ヘンゼルパイ〉を買って戻った。寮の部屋でおにぎりを頬張りながら考える。
この課題は思っていたよりずっと厳しい。気の抜けない状況での肉体的な疲労と精神的な負担。あの男に言っていたように自分は甘かったのかもしれない。
手を縛ったままシャワーを浴びるともう一度手をきつく縛って横になった。眠ることがこんなに不安になったことはない。
もし目覚めて剣が消えていたら俺のこの努力はすべて無駄になる。
しかし溜まっていた疲労から気付いたら眠っていた。
修司は建物の中で誰かに追われていた。廃墟のようなビルで、窓ガラスが割れている。息をきらしながら曲がった角の先は行き止まり、近くのドアも開かない、やむなく立ち向かう。コンバートが嫌に遅い。誰かの足音がドンドン近づいてくる。割れたガラスの破片をバリっと踏みながら角から日下部久志が顔を出す。ニヤニヤと笑いながら大剣・獄炎を振るう。ほとんど柄しかない剣で防ごうとするが、剣は砕け、左肩から腹まで切られる。目の前が赤く染まる。日下部は何かを吠えている・・・。
目を覚ますとひどく汗をかいていた。最悪の夢だ。思い出したように急いで右手を見る。まだ剣はある。時計は5時を指している。外はまだ暗いがあんな悪夢を見たらもう寝てはいられない。修司は着替えてできるだけ手に負担の内容な姿勢でいた。眠ったおかげで少しは楽になったように思えていた。
朝食は寮の食堂で食べた。ゴールデンウィークということもあるのか、人は少なく、あまり視線を気にしなくともよかったことが幸いだ。食堂のおばちゃんも「どうしたの?」と聞きこそしたが「ちょっとね。」と答えるとそれ以上は質問を重ねなかった。
9時には食料などを持って寮を出た。薄い雲が空を覆い、ぼやけた太陽の輪郭が見えた。歩きで校舎まで30分、そこから10分森林エリアを進む。
個人訓練場へと着いた。
ルーザーストラテジー用語
ヘンゼルパイ=スポンジ状の生地でクリームを挟み、チョコでコーティングしたお菓子。おいしい。