エナ理論
翌朝には一色は持ち直していた。何より昨日のことでまたクラスの人間と仲良くなれたことを一色もうれしく思っているようだ。休み時間には根津や迫間、安堂、本郷とも話すようになった。今日の午後はエナについての桐山の授業。今週すでに日本史と世界史の授業は受けたが、エナの歴史や概念についての授業をやるらしい。科目名は【エナ理論】。
「はい、じゃあ今日は初めてのエナ理論の授業ですね。今日はですね、最初ということなので、エナの特徴とノーベルについてやっていきます。教科書の5ページを開いてください。」
そう言うと桐山先生は板書を始めた。この授業は座学のようだ。
「まずですね。エナというのは、元々この地球にあった原子とエネルギーの間の存在で、生き物にも物質にもエナは存在しています。しかしながら50年ほど前、正確には76年前に最初のノーベルが出現していましたが、まあ、それまでの人類はその力を扱うこともできなければ認識もできませんでした。ノーベル出現とともにエナも研究も進み、その性質はわかってきましたが、まだまだ未知の分野です。」
「エナはあらゆる物の中にありますが、通常の原子に触れることはできません。エナの粒子と物質の原子が触れる瞬間を見ると、エナの粒子がすり抜けるような反応を見せます。エナはエナとしか接触できないのです。そのためエナは物質の中で結合しているわけではなく、何かしらの力で留まっている、ということです。これを〈エナの滞留〉と言います。またエナはエナにしか触れることができないのに、エナで創った物はこのように壁や黒板をすり抜けて落ちたりはしませんね。どうしてでしょう?」
桐山は30センチほどナイフを創り、黒板に突き刺す。少しの沈黙の後、後ろの方の女子が挙手をした。
「はい、篠河さん。」
「そのナイフは黒板の中に滞留してるエナに刺さっているからです。」
長い髪と眼鏡が特徴的な優等生、篠河瑞季が答える。
「そうですね、ありがとう篠河さん。このナイフは黒板の中にエナがあるのでこの刺さった状態を維持しています。しかしエナは黒板を構築する物質には影響しないので、このように。」
ナイフを抜く桐山。不思議なことに確かにナイフが3センチは刺さっていた場所には傷一つない。
「黒板自体には傷はつきません。これは生物にも言えることで、エナを生物に強く接触させる、例えば精製した剣で刺しても細胞や人体を構成する原子に影響はありません。簡単に言ったら切れたり血が出たりはしません。ただし、外部からのエナの影響で体内のエナが乱れ、痺れるような感覚や焼けるような感覚になります。この〈エナの乱れ〉はエナの粒子がエナ同士の激しい接触により、体内のエナが振動しながら対外に放出されることで起きます。この時に患部は若干赤みを帯びることもあります。例外的にエナでできた炎で軽いやけどを起こすことがありますが、これはエナ自体が発した熱によるものなので、エナが人体に影響を及ぼしているのとは少し違いますね。とりあえずこのように、エナが既知の原子などの理解から離れた存在であることが分かりますね。」
黒板に字が並ぶ。みな熱心にノートを取る。滝田はわたわたしている、座学は苦手なのだと自分でも言っていた。先生は続ける。
「一般的にノーベルは人類の進化の結果と言われますが、人口の約0.000023%とう一定の割合しかその能力が発現しないこと、また生得的にノーベルであるわけではないことから、様々な説がありますね。ちなみにノーベルの定義は①体内に高濃度のエナを宿していること②エナを操作できること、の二点が挙げられます。それまで一般の人間だった者が14歳から15歳の間に体内のエナの濃度が急激に増え、ノーベルとなります。」
「ノーベルの体ですが、体内に常に高濃度のエナが流れているので先ほどのナイフと黒板とは逆に、体の中のエナが鉄製のナイフなどの中のエナを弾くようにはたらき、外部からの衝撃に強い体になっています。エナは高濃度であるほど強固なものとなり、また身体能力も同年代の一般の人間と比べて高くなります。これはエナの影響で筋肉や神経が強化させているのだと言われています。例えば、走力、50メートル走の記録で言うと、17歳のノーベル、男子の平均は5,1秒と同年代の一般男子の平均より早いことが分かる。また免疫も高いので一般人に比べて風邪を引きにくく、ウイルスに侵されにくいですね。」
こう聞くとほんとに俺らは人外というか、同じ生物じゃないんじゃないかと思う。確かに1年前は俺もまだノーベルじゃなかったし、それまで一般人だった訳だから同じ人間なんだが・・・。でも実際ノーベルになったと言っても、自分の体に急に特別な変化を感じたわけじゃなくて、8月にあった中学校のノーベル審査で、エナの濃度が高いって言われて、その1か月くらいあとからなんとなくエナの感覚というか、何かに包まれているような感覚が分かるようになって、気付いたら転んでも痛くないし、集中すると何かを創れるようになっていた。みんなそんなもんらしい。一色と違って俺の親しい人や近い親族にはノーベルはいなかったし、テレビや雑誌でノーベルとして活躍している人がいるのを知っている程度だった。
クラスの生徒にとってこの桐山の授業は自分の身体やエナ、能力について学術的、科学的に知ることができるので興味深かった。自分の変化や周囲の変化、地元を強制的に離れさせられこの学園に来たことなど、不安、不満はあった。15,6歳の彼らから自由を奪い、未知の力を与えられた理由は何なのか、それを知りたいのだろう。ノーベルという存在を知ることは意味あることだと考える者も多い。
その日の午後7時、修司は一色と寮の2階ロビーでテレビを見ていた。クイズ番組を見ながら不意に一色が訪ねてくる。
「修司君はさ、ノーベルになった時にどう思った?」
「どうって・・・、なんだろな、すごい漠然としてたけど、これからの人生はこれまでとは違うんだろなってくらいは思ったかな。」
「そっか・・・。僕も近いかも。でも僕はもっと色々期待してたかな。きっとこれからの人生は僕の自由で、僕だけの特別なものになるんじゃないかって。」
「ははっ、自由って、こんなとこに来ちゃってるけどな。」
「ふふふ、確かに、全然自由じゃないけど、たぶん普通のままだったらもっと不自由だったんじゃないかってさ・・・。」
「それってどういう・・・。」
疑問を口にしようとしたら乱入者が現れた。
「おい~!お前らここにいたのか!今から俺の部屋でトランプやるから行くぞ!」
「え、あ、うん!」
突然現れた滝田の勢いに飲まれてそのまま滝田の部屋に行った。滝田の部屋は4階で中には迫間がすでにいる。部屋はごちゃごちゃとしていて、マンガやらお菓子の袋が散乱している。部屋の片隅には竹刀と思われる長い袋に入った物も立て掛けられている。部屋に入った瞬間、迫間はニコニコして出迎えた。
「お!よくやった滝田。これでちょうどいい人数だ。」
「よし、始めるぞ、大富豪でいいか?」
「ああ。」
4人でトランプを始めた。しばらくすると雑談が始まる。話し出したのは迫間だ。
「さっき俺らで話してたんだけど、仙進ってあんまり上級生と校内で会わないよな?」
「ああ、2年生が東側の3階、3年生が南側の1階に教室あるからだよね?」
「そうそう、でもにしても全然会わなくないか?」
「まあ、食堂か購買くらいでしか見ないな。それがどうかしたのか?」
迫間は真剣な顔で一瞬黙って、こう答えた。
「なんかさ・・・かわいい先輩とか探したくないか?」
「でた、コイツさっきからそればっかりだぜ?」
滝田はあきれているようだ。
「おいおい、お前ら正直になれよ!折角学園ライフ送ってるのに先輩との淡い青春を楽しまないでどうすんだよ!」
「で、でも迫間君、なんで先輩だけなの?同級生もかわいい子いない?」
それを聞いて迫間はふっと笑い飛ばした。
「おい、一色。同級生なんて何もしらね―ガキどもじゃねーか。ここには経験豊富な大学生までいるんだぜ?そんなお姉さまと遊びたいじゃんか。」
修司と一色は引きながら迫間を見る。滝田は呆れながらも提案をする。
「じゃあお前部活とかやればいいんじゃねーか?来月からは部活に入部できるんだし。」
「部活はなんか違うんだよな。うん、なんか違う。」
「訳わかんねー。あ、俺あがり。」
「まあいいじゃんーか。それよりお前らはどんな奴がタイプなんだよ?」
「あー俺は元気な感じがいいな~そんでめっちゃスポーツとかできる感じの。そんで巨乳。ははは。」
「滝田っぽいな。そんで巨乳はみんな好きだわ、はは。一色は?どんなのタイプ?」
「ぼ、僕は清楚な人はいいかな。一緒にいて落ち着く人とかさ。」
「なんか想像できるな、彼女と二人で静かに本読んでそうだわ。」
「そういうのもいいね。」
「治世は?」
「俺は・・・まあ優しい人で。」
「何だよ~当たり障りない答え。照れずに言えって。」
「いや、別にそこまでこだわりはないからな。」
「あ、言ったな、じゃあお前柊どうだよ、同じクラスの柊楓。ははは。」
「柊?別にかわいい方だとは思うけど、あいつは正確くっそわりーだろ。」
滝田がすぐにツッコミをいれる。
「いや、案外ああいうキツイのがタイプかもしれないだろ。ははっ。」
「優しいのがイイって言ってるから違うんじゃない?雪野さんとか優しそうじゃん。」
「お、なんだ一色の推しメンは雪野か?」
「ち、違うよ!雪野さんは優しそうなイメージあるだけ!」
一色は顔を真っ赤にしている。それを見て滝田も迫間も笑う。
「まあ確かに雪野はかわいいな。てか俺らのクラスはかわいい子多いと思うぞ?」
「確かに、ひどい顔の奴はいねーな。」
「あ、治世のタイプ聞いてたんだ。治世、クラスの中なら誰がいいよ?」
「クラスの中か。まあ大体みんなかわいいと思うぞ。」
「だ~か~ら~、そうじゃないだろ、このすっとこどっこい。」
肩を落とす迫間。
「まあまあ、じゃあ治世は好きな子とかいなかったのか?」
「う~ん、仲のイイ奴はいたけど、そんな感じじゃあなかったしな。あがり。」
「まあ人それぞれだよね、僕もあがり。」
「あ、俺の負けかよ。」
その後もトランプをやりながら雑談をした。その内に今度学園の敷地内を探検しようと話がまとまり、解散になった。
修司は自分の部屋に戻るころには一色に疑問があったことを忘れてしまった。それよりもむしろこうも早く同級生と仲良くなれたことに嬉しさを感じていた。迫間も滝田も軽いノリの人間だが悪いやつではない。見知らぬ地での生活において友達が多いことで安心を得られた。おぼろ月が浮かぶ空をカーテンで閉じ、修司はシャワーを浴びに行った。