影狼
剣を構える修司に狼がジリジリと近づいてくる。2匹が左右へと回り込む。手前にいる
5匹の奥では全が真っ直ぐ修司を見ている。
前回と同じ行動パターンなら、この狼は後ろからの不意打ちを警戒しないといけないな。
でも待ってたらこの数はきっとキツイ・・・。だからまずは1匹ずつ減らせれば。
修司は右斜め後ろに後ずさりを始めた。慎重に一歩ずつ。狼も修司の動きに合わせて斜
めに追いかける。
修司の右側に回り込んだ一匹の狼はチャンスをうかがっていた。目の前の少年は不用意
にも自分の方へと近づき、あまつさえ正面に集中を払っているせいでこちらには目を向け
ることが少ない。あと少し、あと少しだけ近づくことができたら俺が飛び込み、それを合
図に全員が飛びかかりこの少年は・・・。そのように狼も考えているのかもしれない。
そして修司は右側の狼の間合いに入る。その瞬間に狼は飛びかかろうと後ろ脚に力を入
れた。狼が地面を蹴る、よりも早く修司は間合いを詰め、剣を狼の首元に当てる。キャウ
ンという鳴き声と共に狼は飛ばされ動かなくなった。同時に残り6匹の狼が全速力で向か
ってくる。
修司は非常に冷静だった。狙い通りに狼を仕留められたのも前回の得体の知れない獣の
奇襲ではなく、訓練の一部だという認識が頭をクリアにしてくれているのかもしれない。
しかし鼓動は確実に早くなっている。頭だけは冷えて体は火照っているような感覚である。
修司の背後から回り込んでいたもう一匹の狼が跳びかかる。修司は横に跳び避け、腹に
向けて切り上げる、しかし体を引きすぎてしまったため剣は空を切る。狼は着地と同時に
体勢を修司に向け直す。その間に他の5匹が修司を囲うように陣取っている。次々と息荒
く跳びかかってくる狼。反撃の隙もなく避け続ける修司。
狼たちには疲れている様子はない。足を止めずに修司に襲いかかる。それも連携のクオ
リティーが高いため、少しずつ修司もさばききれなくなってきた。
反撃の隙がない。このまま消耗戦になったらマズイぞ。一瞬でも、一匹でも狼の動きを
止められれば・・・。
狼の連撃の中、一匹が正面から向かってくる。足元を狙っているようだ。修司はそれと
同時に斜め後ろから跳びかかってくる影を視界の端に捉えた。
どっちもは対応できない!
一瞬の判断。修司は目の前の狼に剣を向ける。剣で払うことで正面の狼は大きく後退す
る。後ろから迫る狼は首を目がけ大きく口を開く。突如狼の視界は一面黒く染まる。狼は
その黒に突撃するとグシャッと音を立てて黒いものが砕ける。とっさにコンバートした壁
のおかげで修司はわずかにぶつかりながらも狼の攻撃を避けることができた。
一色みたいに目隠しを浮かべておくほどのことはできないけど、距離さえ近ければ薄い
壁を一瞬で張るくらいはできるぞ!
修司はその後も背後の狼には壁を張り視界を遮ることで大きなダメージを追うことはな
かった。
まもなく25分が経とうというとき、狼の数は4匹まで減らすことができたがもう自分
の剣がボロボロである。エナの消費も激しく、あと何度壁を出せるか分からない。
ここでリリースするのは賭けだな。まだ30分にはならないだろうし、一回コンバート
し直さないと。
修司は意を決して[ブラックジャック]をリリースした。途端に狼は4匹同時に跳びか
かってくる。壁を張り転がりながら避ける修司。
「目の色が変わった?」
狼の目は黄色から赤に変わり、獰猛さが増しているように感じられた。狼の攻撃の速度
は上がり、コンバートするタイミングが掴めない。
俺にコンバートさせない気か!
修司は間一髪で狼の猛攻を避けながらコンバートのタイミングを探す。しかし、狼は修
司に息つく暇を与えぬほどに攻め続ける。
このまま時間いっぱいまで避け続けるしかない!
修司はコンバートを諦めて残り時間を回避に専念することを決め、狼の動きの全神経を
集中する。時間が経つにつれて狼の攻撃を避けきれなくなり、体の痺れも強くなってきた。
まだか、まだ時間にならないのか。
ラスト1分。修司はこの時間の終わりを今か今かと待っている。右から来る狼を足でい
なしながら避け、跳びかかって来たものを前転して避ける。避けた先の狼の噛み突きは頭
を反らして避けたが次いで迫る爪が遂に左太ももをえぐるように入った。
「うっ!」
右足で狼を蹴り飛ばしたが、どうにももう全力では動けなそうだ。狼の攻撃を背中や肩
に受けながら転がり続ける修司。一匹の狼が右足に噛みついた瞬間、全の声が聞こえた。
「終了。」
狼たちはゆらゆらと滲みながら消えて行った。空の端がにわかにオレンジ色に染まる中、
膝を着く修司に近づく全。
「お前は今の時間で何を思った。」
「・・・俺はまだまだだった。これまでの訓練で足を使うことしかしていないのに足を止
められた・・・。全然動けていなかった・・・。」
「そうだな。」
「最後は狼の攻撃を受けながら早く時間が経つことしか考えられなかった。」
「そうだな。」
「・・・。」
「・・・終わりか?」
「・・・いえ、きっとまだダメな所は・・・。」
「・・・良かった所はどこだ?」
「よ、よかった所なんて。」
「お前がダメなことなんかは分かりきっている。」
「・・・。」
「それよりも自分の何が成長したのかを考えられないのか。」
「・・・。」
「今回の収穫が分からん奴はこれからも収穫はないぞ。」
「俺の成長・・・。」
「以前のお前にできなくて、今日のお前にできていたことはなんだ。」
修司は今日の自分がこれまでと何が違うかを考えた。自分の変わった所。収穫。成長。
変化。対応。攻撃。回避。思考。・・・。
「俺は・・・。俺は、今日は足も肺もまだ動く・・・?・・・まだ動けます!」
「前はどうだったんだ。」
「この前は・・・足の疲労は大してない・・・はずなのに、わずかな時間で息を切らし足
が動かなかった。だけど・・・けど今日はエナのダメージで痺れるだけで、まだ余裕はあ
る!俺は・・・成長してる。」
「・・・まだ不安はあるか?」
修司は首を横に大きく振った。心の曇りが晴れた気分である。この人は自分を成長させ
てくれると強く感じることができ、期待が内側から湧き出る.
「今日だけは残りの時間は俺が相手をする。」
「え?」
意外な言葉に驚く修司。
「痺れが取れたらかかってこい。」
「・・・あ、はい!」
30分ほど休憩をして修司は全と手合わせをした。全の指示で一方的に全力で攻撃を仕
掛ける修司だったが、全はその全てを受け流し、刃がかすることさえなかった。滝田の不
意を突いた突きも刀身を盾のように使い防がれた。休憩もないまま2時間は切り続けたが
結局修司は一太刀も浴びせることはできなかった。そして帰り際に全は言った。
「明日からはまだ基礎の練習だ。お前の癖も少しずつ治ってきたからな。」
修司は全が何のことを言っているかよく分からなかった。
その日の夜に食堂でばったり会った滝田を見て、滝田に言われたことを思い出した。
「なあ、滝田!この昨日の闘技に授業で俺の癖のことでなんか感じなかったか?」
「おお、どうした急に。そうだな、なんか治世はあんまり跳んでリズム取ったりしなくな
ったから、少しやりづらくなったな。お前剣道か柔道みたいなすり足やるスポーツ始めた
のか?」
全さんは俺の跳ぶ癖の事も考えてたのか。
その週末は日曜が全さんとの訓練が休みで、一色と迫間と一緒に珍しく部活が休みだっ
た根津にエナの操作について部活でどんなことをやっているか教えてもらった。根津が言
うには一色はエネルギーなどのコンバートを多用して戦う【アタッカー】という戦闘のス
タイルが合うらしい。逆に迫間は主に闘技の技術や体技を活かして戦う【ファイター】の
典型例らしい。アタッカーと言っても戦闘の全てをマラヴィラによりダメージを与えるわ
けではなく、補助的に使うことが一般的なようだ。だから厳密にアタッカーとファイター
が分けられるわけではなく、アタッカー寄りかファイター寄りかという程度の認識でいい
らしい。戦闘が苦手な一色はアタッカーとして間合いを取りながらダメージを与える方が
いいとか、迫間は運動能力が高いからファイターとして極めて行った方がいいとか色々ア
ドバイスをくれた。そんな根津に全さんのこと俺たちの目論見を黙っておくわけにはいか
ないと思い、ここ数週間のことや特訓の事を話した。
「・・・そうか、そんなんあったんやな。でもな正直1年が優勝は無茶やで?」
「それは確かに難しいのかもしんないけど、俺らも色々特訓してるし、治世もなんかすご
そうな師匠がついてるんだから、もしかしてがあるかもしんないだろ?」
「気を悪くしたらごめんな、でもな実際うちの部活の先輩見てるだけでもえげつないで?
タメの中で優秀な滝田君でも先輩とか含めた全体で見たら下の上ぐらいの実力しかないん
やなって感じを最近気付いたしな。」
「滝田が下の上って・・・。」
「いや、悪く言ってるんちゃうで?滝田君はすごいし、これからももっと伸びるんやと思
う。ただ他の先輩はもっとすごいし、色んなテクニックがあるやん。」
「根津君は間近で上級生のこと見てるんだもんね・・・。」
「それに治世君のいう日下部さんって人は【武人】の人でアホみたいにしごかれてるんや
ろうし、まして【三武天・闘神の井伊】さんなんてきっと化け物やで?」
「そんなにやる気を削ぐようなこと言わなくてもいいだろ・・・。」
「・・・下手に高い目標立てて失敗して傷付くとこ見たくないやんか・・・。」
根津の気まずそうな雰囲気に空気は重くなる。
「・・・けどな、俺はもう引き下がらないって決めたんだ。」
「治世君・・・。」
「結果がどうなってもここで引き下がったら俺はきっとずっと後悔し続けると思うんだ。
あの日も何も言い返せずに引き下がったことがまだ心の中で引っかかってる・・・だから
俺はもう引かない。」
「・・・僕も修司がこう言ってくれる内は諦められないね。便乗だけど、へへへ。」
「それを言ったら俺こそ便乗だろ。はは。まあ根津、とりあえずコイツらも俺もやるだけ
やってみるんだってよ。」
「も~う、ほんま強情な人たちやわ。はいはいもう止めませんて。」
「ありがとな根津。」
「うんありがとう。」
「もうええわ。それより今から【マラヴィラ】の練習や。」
根津は立ち上がる。
「まだ授業では実践的で攻撃的なマラヴィラのやり方はやってないから勝手に練習するん
よ。部活でもちょくちょくやってるしな~。」
「あ、そういえば、さっき言ってたアタッカーとかファイターとかで言うと一色はマラヴ
ィラで戦うアタッカーってことか?」
「いや、なんやろな、アタッカー自体がマラヴィラで戦うことをいうから、単純に一色君
はアタッカーやね。とりあえず練習や!」
その後ほぼ1日中マラヴィラの練習をしたがやはり根津が一番規模も持続時間も長くコ
ンバートしていられる。しかし根津はどうしても光と風のコンバートは苦手なようだった。
その点、一色は規模も持続時間も根津の火には敵わないが水でも光でも安定してコンバー
トできたのでマラヴィラに関しては万能型と言ったところだろうか。
「やっぱ一色君は操作の才能が飛びぬけてるな~。」
「いやいや根津君の火の方がすごいって。」
「今はそうでももし一色君が俺と同じペースで練習し始めたら抜かれてまうやろし、それ
にどの属性のコンバートも平均以上にできるってのが・・・チートやんけ。」
一色にソフトボール大の火の玉をぶつける根津。炎は一色にぶつかった瞬間に消える。
「いてっ、僕に当たるな。」
一色も水でできたピンポン玉を2個投げる。球速は緩やかだ。
「こんな速さじゃ当たらんで、まだここは俺の勝ちやな。」
「移動の速度も練習しなきゃな・・・。」
「あ、やっぱ、今のなし、練習せんといて!これまで抜かれたらホンマたまらん。」
「やだね~、絶対練習する!」
「そんな・・・。」
「へへへへ。」
「楽しそうにしやがって・・・。」
エナの操作のうまい二人に迫間が噛みつく。
「なんや、迫間君も電気のコンバートうまいやんか。」
「ばっきゃろう、お前らの見せられたらこんなのゴミだわ。」
迫間の両手の間にパチッパチッと電気が行き交う。
「でもファイターでやってくんやし十分ちゃうの?」
「あのな~お前は何も分かってないな・・・。」
「な、なんやねん。」
「燃える双剣・・・やりたいだろうがぁぁあ!」
ポカーンとする根津。呆れているのが
「迫間君・・・それすごくわかる!」
「お、さすが一色。」
「僕も炎を纏った大剣でバッタバッタなぎ倒してみたい。」
「一色ぃ。」
涙を流す迫間と一色は硬い握手を交わした。
「あのな、ずっと火出してたらエナの消耗激しくてすぐバテてしまうで?全然現実的な戦
法とちゃうやん。」
「はいはい、ロマンの分からん糸目は黙ってろって。」
「お、おいこら糸目て!ちょっと治世君もなんか言ってやってや。」
「う~ん、迫間のロマンも分からなくもないが、でも確かに現実的じゃないって言われる
とそれもそうだな、と思う。」
「よしまあ見てろよその内俺が燃える双剣で活躍してやるからよ。」
「タノシミー。」
根津は棒読みの発言で迫間を茶化す。
「修司は割と水のコンバートが得意なのかな?」
「ああ、そうかもな、この間出せるようになった電気と光は一瞬だし、火も全然。でも水
もやっと一色に追いつくかどうかくらいだしな。」
「そんなら治世君もファイター寄りでやってくん?」
「そうなるもな。」
「お、仲間仲間!」
迫間はうれしそうだ。友達といると全さんといる時とは違った意味で成長できていると
思う。色んな意見があるから、それを聞いて俺自身のスタイルと考えることができる。
そろそろ梅雨が始まるというのによく晴れた空に鳶のつがいが舞っていた。