訓練
修司はついに倒れた。
地面に着地した足から滑るように崩れ、膝はガクガクと震える。もう立ってもいられない。ふくらはぎが燃えるように熱い。汗が耳の横を通り首筋へと伝う。
「まだ17回だぞ。」
剣を握る全が言う。
2時間前。
「裸足になれ。」
「え?」
「裸足になれ。」
唐突な指示に困惑しながらも修司は靴と靴下を脱いだ。まだ昨日の雨の名残がある草から湿り気を感じた。
「《烈火》。」
地面に火柱が4つ、等間隔に立ち上がる。エナの性質上、地面自体は燃えていないようだが、跡に直径1mほどの黒い輪が残る。意図的に跡を残した様子だ。
「反復横跳びは知っているな。」
「まぁ、もちろん。」
「その中の3つの円の両端をうまく使って反復横跳びをやる。1セット20秒で70回を下回ったらノーカウントだ。」
「で、何セットやるんだ?」
「…じゃあ始めるぞ。」
質問には答えずにストップウォッチを構える全。
「スタート。」
「ちょっ!」
反復横跳びのノーベルの平均回数は75回。修司が入学時の体力テストでやったときには81回。少し出遅れてたが、今回はどうだろうか。
「終了。」
修司は息も切れていない。
「インターバルは20秒だ、次が始まるぞ。」
「い、今の回数は?」
「俺が分かれば十分だ。スタート。」
自分で数えろってことか。説明が足りないんだよ。そんでまた先の見えない練習か…。あれ、今何回だ?・・・ちゃんと数えてないと怖いな。
「終了。………スタート。」
1、2、3、…
修司は延々と反復横跳びをした。ただきちんと数えるようにしてからは71回だけ跳ぶように調節した。額には汗が垂れる。回数を重ねるにつれて足場がぬかるむせいもあって上手く踏み込めない。
そして20回目が終わった。
「終了。次はこの4つの円並んだ円の中央、それぞれの円と等間隔の場所に立て。」
休憩はないのか…。
言われた通りに移動する。
「《獣偏・土土竜》。コイツが出た円を踏め。各2秒以内に。」
全の足元に30cmほどの丸くマスコットのような形にデフォルメされたモグラが現れた。モグラは頭に被った作業用のヘルメットにライトを点けると土をかきわけるような動作をしながら地面に姿を消した。エナの精製物の特徴に漏れず、その穴を掘ったような動作の後も土は動いておらず、実際に穴もない。数秒後にモグラは修司の手前の円から顔を出して全の指示を待っている。
「スタート。」
修司は手前の円に足を踏み出す。修司が地面へと足を付けた瞬間にモグラは地中に消え、振り返ると右の円にいる。大股で右足を右の円に踏み出す。またモグラは消える・・・。モグラたたきならぬモグラ潰し。視野を広く保って意識を集中し続けなければならない。全は何回行うのかを告げない。
40回目が終わると全が「終了。」と言い、モグラは円の外に出てきた。疲れているのかモグラは首に巻いたタオルで汗をぬぐっている。修司は横を見ると丸太がいくつか散乱してあり、全は自分の訓練も続けていたのが分かる。丸太を外しながら全が言う。
「3分後に反復横跳びだ。」
そして6セット目のモグラ潰し。修司はついに倒れた。
「まだ17回だぞ。」
「はあっはぁ・・・。」
修司は震える足で立ち上がろうとする。しかしぬかるむ地面に足を滑らせ無様に転ぶ。心臓から血液がドクドクと流れてくるが筋肉は言うことを聞いてくれない。ゼェゼェと切れた息を吐き、答えることもできない。このセットの反復横跳びは25回は行った。後半は足が動かず、やり直しになったのだ。それもやり直しが告げられることもなく、淡々といつもなら終わっていた回数を終えても次のカウントがあることでのみ修司は回数が足りなかったことを知る。
全はクルリと振り返り丸太に向かう。そして黙々と丸太を切る。修司はそれを見ていることしかできない。この訓練が何のか。全が何を考えているのか。自分は全に見放されたのか。本当にこれで強くなれるのか。修司には何も分からない。風もない草原に剣の音だけ聞こえる。
30分ほどしてからようやく修司は立てるようになった。大の字で昼寝をしていたモグラも目を覚ます。ヘルメットのライトを点けるとヨロヨロと地中に半分入る。大きな欠伸をしながら頭も消えた。修司は4つに囲われるようなこの位置で待つ。そしてモグラが右の円出てくる。修司は重い足で円を踏む。
このモグラ潰しをどうにか40回終えると修司はまたへたり込んだ。全はこちらを見もせずに丸太を切っている。
3分後、修司は黙って反復横跳びの位置に立とうとした。
「うわっ!」
急に左足が動かなくなり転ぶ。見てみるとモグラが修司の左足のくるぶしあたりを掴んでいた。
「いつの間に・・・。なんだよいったい。」
モグラは何やらジェスチャーをしている。
「・・・モグラ潰しの位置に立てってことか?」
モグラは大きくうなずく。モグラに指示されるがままに4つの円に囲まれるように位置に着いた。全はただ丸太を切っている。そしてまたモグラ潰しが始まった。
なんだこれ?なんで反復横跳びをさせないんだコイツ。いやでもコイツが全さんの精製物なら全さんが指示してるってことなのか?いや、でもこんな生き物みたいなのはどうなんだ。まだ習ってないしな・・・。コイツが勝手に暴走してやらせてるってこともあるのか?
疑問は尽きないがモグラはひたすら地面から頭を出しては地中へと消える。
ん?・・・もう40回はやってるはず・・・どれか2秒以上かかったのか?
確かに修司の足は重く、反応も遅れていた。しかし修司が全力を出し、何度か確実に2秒以内に反応をしてはみたもののモグラはひたすらに続ける。
おいおい、何回やらせる気だよ・・・やっぱりコイツが暴走してるんじゃ・・・。
疑惑は晴れないが修司は足を動かし続けた。どこかまだ訓練が続いているのではないかという思いが拭いきれずにいたからだ。
1時間後、修司は1歩を踏み出すのに5秒はかかるほどの疲労に達していたがモグラはペースを落とさない。だがモグラは毎回、修司が円に足を着くのをしっかりと待っている。また全が何をしているのかを修司は全く分からなかった。いや正確には全く気にすることができなかった。ただひたすらにモグラを追い、足を踏み出す。それの単純作業を行うだけでいっぱいいっぱいだった。周囲の様子も時間も、空腹も疑念も何もかも考えずに足だけ動かした。
そしてある時、モグラ修司はモグラを見失った。4つの円のどれを何度見てもモグラがいない。
「今日はここまでだ。明日も同じ時間だ。」
全のこの一言で修司はようやく今日の訓練が終わったこと、そして何もかも訓練だったことを理解した。日は暮れ、腹が減っている。そして何より足がもう動かない。修司は倒れる。このまま寝たらきっと明日の朝まで目が覚めないだろうな、そんなふうに思いながら動けずにいると地面と接した背中に突き上げられるような違和感を感じた。何かが自分を持ち上げている。その何かは自分の背中を押し上げ動き出す。わずか数cm持ち上げられた修司は足や腕、頭をすりながら20分ほどかけて高等部校舎の裏に運びこまれた。修司を運んだ何かをポイッと修司を投げ捨て消える。
「いてっ、粗いよお前は・・・。」
モグラは笑うように肩を細かく動かした。
「ありがとな。」
モグラは消えた。地中にではなく、リリースされたようだ。モグラが消えた後には修司の荷物があった。
重い体を引きずりどうにか寮に戻った修司は部屋で3時間ほど寝てからシャワーを浴びて、昼食用に買ったはずのパンやおにぎりを食べた。まだ腹は満たされない。食堂もしまっているのでコンビニに行くことにした。しかしこれが地獄の苦しみだった。
少し寝たからか?く、くそ、筋肉痛か!
死にそうになりながらもコンビニに着いた修司が筋肉を酷使した後はタンパク質とビタミンを取るのが良いとネットか何かで見た覚えがあったので、ゆで卵や唐揚げ、オレンジジュースを買って食べた。
火照った体に夜風が気持ちよかった。
修司は帰るとすぐに寝た。
朝起きる。やはりあんなに痛かったふくらはぎがそこまでひどくはない。なんならもう右手はすっかり痛くない。
やっぱり!ノーベルの体は便利だ。どんなに酷使しても1日2日で治るようにできているんだ。
これで昨日一昨日の厳しい訓練も納得がいく、ノーベルにとってはあれが当たり前の量で、まだノーベルになって日の浅い自分は感覚が慣れていないだけなのだと修司は思った。
修司は意気揚々と個人訓練場に向かった。
「今日から飯と風呂、寝る時以外は常にこれと同じ重さ、大きさ、形のものをコンバートして握っておけ。」
全は修司に15センチほどの円柱を渡した。握った瞬間に修司はどきりとした。
これは一昨日まで握っていたあの剣だ。
正確にはあの剣の柄と全く同じである。それにこの柄の重さがあの剣と同じものであることも修司は分かった。重さは700gほどだろうか。
「それと今日もコイツの指示に従って訓練だ。」
昨日と同じように描かれた4つの円の横にモグラがいる。今日のモグラはホイッスルをくわえており、反復横跳びもコイツが指示を出すようだ。修司は靴を脱いで準備をする。
反復横跳びとモグラ潰しを4セットほど終えるとモグラは休憩を取るようにジェスチャーをした。修司が全を見るが、全は自分の訓練を続けている。今日は影のようなものをコンバートして切っている。しかもその影は動き、剣を持っているようだ。狼やモグラをコンバートしているのと同じようなものだろうか。やはり全はこちらを見もしなければ何も言わない。果たしてこのモグラが自分で判断して休憩を取らせるのか、全の指示でやっているのか・・・。
昼食を取りながら修司は考えた。今日の始めにはあまり邪魔にならかった右手の柄も後半になるとやけに気になるようになった。比較的軽いものだが、ずっと持ち続けるのはストレスがかかる。反復横跳びも右手の重さから反動が大きくなっているし、何かにつけて右手が振れてしまうので常に力を入れておかないといけない。だが修司には自らの成長を感じる部分もある。反復横跳びもモグラ潰しも効率がよくなっているのだ。それが反応速度が上がったのか、足の筋肉が運動に慣れたからなのかはよく分からないが、動きをスムーズに行えている気がする。そんな充実感を感じているとモグラが訓練を再開することを告げるようにホイッスルを鳴らした。
午後の3セット目が終わる頃には昼食時の余裕は消えていた。汗が滝のように吹き出し、ふくらはぎは切れそうなほどに張っている。右手も前腕の疲労もさることながら、右肩までが痛み出した。柄による振れを抑えるためにこんなに筋肉を使うものなのかと感じた。昨日と同様にほぼ機械的に足は動く中で、修司の頭に疑問が浮かぶ。
俺はいつまでこんなことをするんだ・・・。これでホントに日下部より強くなれるのか?あの影や狼と戦わせた方がずっと効率がいいんじゃないのか・・・?
肉体的な疲労に加え、いつ終わるか分からないこと、全が直接指導する場面がないことなど修司は精神的にも蓄積するものを感じていた。
そして4セット目が終わると修司は立てなくなった。疑念から動くのを止めたわけではなく、昨日と同じように動けなくなったのだ。膝をついて倒れこむ衝撃で左足がつった。「うっ。」声を出すもどうしようもない。唐突な痛みで何をしたらよいのか分からなくなった。するとモグラが修司の足元に来て、左足のつま先を持ち、すねの方に反らせた。次第に足のこわばりが解けていくのを感じる。2分後にモグラはゆっくりと左足から手を離すと足のマッサージを始めた。10分後にモグラがマッサージを止めるとまた円の中にスタンバイしている。
再開ってことか。
修司は立ち上がる。足はまだ疲労感があるがだいぶ軽くなった気がする。
少しは動けそうだ。
モグラが反復横跳びの位置にいないことからきっとエンドレスモグラ潰しが始まるのだと察した。
モグラ潰しは日が暮れて星が見えるほどになるまで続けられた。修司がそこまで長く動き続けられたという証かもしれない。何度もここで倒れたらどんなに楽かと思いながらも、自分の世話をしてるモグラの事を考えるとまた一歩と頑張れた。そしてモグラが出なくなると同時に修司は倒れこんだ。