試練
午前11時。修司は一人丸太の山を見ていた。昨日の男が切り倒した丸太を見ると、何度も切られたものと一度しか切られていないものがある。切った跡も深さや方向も様々で、あの男が意図的に切り方を変えていることが見て取れる。まだ昨日の男は来ていない。
少し周囲を見てくるか。
修司は個人訓練場が見える範囲で周囲を30分ほど散策した。すると昨日まで気付かなかったが、少し離れた所に水道があり、その隣には地下につながる階段があった。階段を下りるとそこには底にネジのついた丸太があり、ここからあの訓練用の丸太が調達されることが分かった。また水道の裏手にはコンクリートで覆われたスペースがあり、何かを燃やした跡と灰が残っていた。
あの丸太は燃えるのか?
正午。男はまだ来ない。昨日はこの時間にはもういた。修司はくたびれてしまったが、昼食を取り待った。右手は筋肉疲労で痛むためほとんど動かさないようにしていた。手首も石のように固まっている。ひねるとギチギチと音を立てているようにさえ感じる。
この時間を無駄に過ごすわけにはいかないな。
「[ブラックジャック]。」
剣を左手にコンバートして丸太に向かった。左手はほとんど疲労もなし、右手だけあまり動かさないようにすれば動けた。左手で剣を扱わない修司にとってはどうもしっくりこなかったが何かの役に立つかもしれないと思い、丸太に振る。決して丸太を切ろうとは思わず、左手で降る感覚、物に当てる感覚を確かめるようにした。
「いてっ!」
20分もしていると右手に痛みが走った。右手を使わなくとも振動が刺激するようだ。しかし疲れや辛さではなく明確に痛みを感じていることに修司は焦った。
「まだ来ないのか・・。」
空の雲が少し厚くなっているのか、太陽の輪郭が見えなくなった。
午後3時。修司は【精製】の時間で習った模型や頭の中でイメージしたものをコンバートしていた。繊細な精製はエナの操作技術を向上させると教えられているからだ。今ではほぼ正確にイメージした立方体も創れるが、やはり剣などの実用性を求められるものになると名前を呼ばないと安定した質では創れない。
名前は大事なんだな。・・・それよりあの男はまだなのか?なにやってるんだ。
午後5時、日が暮れだした。雲が厚いせいでいつもより暗く感じる。
なんでまだ来ないんだ。もう夜になるぞ。
修司に戸惑いと疑問が生まれる。
もしかして俺は騙されてるのか?始めからあの男は俺に何かを教える気なんかなくて適当なことを言っただけかもしれない。もしそうならあの男は来ないだろうし、この剣を渡したのだってなんの意味もない・・・。そうだとしたらなんだったんだ今までの努力は!
修司は痛みや疲労も相まって苛立ちを覚えている。
・・・でもそんなことする意味はあるのか?あの男には確かな実力もある。そして俺を騙す理由もない。・・・だけど。
修司は心身ともに疲れ切っていた。右手は痺れ、鈍い痛みがある。もう夜になる。街灯のない森。月も星の明かりもない。暗闇の中、修司の頬に雨粒が落ちた。冷たい滴が伝う。
「もう帰ろう。」
やっぱり騙されていたんだ。そう思いわずかに認識できる戻り道へと進む。
ペキッ。木の枝が折れる音に振り返る。しかしそこに男の姿はない。代わりに黒い塊が4つ、茂みからゆっくりと現れる。グルルと喉を鳴らしている、その姿は暗くて見えないが狼か野犬のようである。こちらを威嚇するように近づき、修司に悪寒が走る。
後ずさりする修司。この訓練場を抜ける道まで行ったら一気に走ろう。そう思ってチラリと後ろを見た瞬間。茂みの中に2つの光を見た。次の瞬間。その光が飛びかかってきた。
ギリギリの反応を見せて後ろに隠れていた獣を避けたが、その合図とともに一斉に4匹の獣も襲いかかってきた。
「[ブラックジャック]!」
とっさに剣をコンバートする。だが間に合わない。痛む右手で飛びかかってくる獣を薙ぎ払う。力が入らないせいか、弾かれた獣はすぐに体制を立て直す。背後に回り込んでくるものもいる。また2匹飛びかかる。転がるように避け、左手に剣がコンバートされたことを確認して振る。今度は「キャウン。」と悲鳴を上げて1匹が倒れる。
獣は警戒してジリジリと距離を詰める。興奮か恐怖か修司は自分の鼓動の音がドクンドクンと鮮明に聞こえた。暗闇の中では目を離すと闇に獣の姿が消える。また一匹飛びかかる。力の入らない右手の剣を突き立て、飛びかかる獣の腹に当てる。勢いのまま刺さる感覚が伝わる。同時にその獣が修司に覆いかぶさる。
やばい!
他の3匹が一気に囲う。右手の剣を離したくても縛ったままではどうしようもない。獣を押しのけて立ち上がろうとするが、すぐそこに3匹が迫っている。顔面に獣の鋭利な刃が触れようかという瞬間に左の[ブラックジャック]で下から払う。立ち上がりつつ剣を振り回し、獣を牽制する。手が震えている。また距離を取る獣。冷たい雨は視界も悪くする。あと10分もしたら完全に闇にまぎれた獣の姿を捉えられなくなる。
修司は勝負に出た。密着している2匹の獣に[ブラックジャック]を投げた。剣はグサッと地面に刺さり、たやすく避けられた。だが避けた一匹に修司は右手に剣を突き立てる。獣は痛みで呻く。背後から一匹が飛びかかる振り返りざまに右手の剣を振る。横に飛ばされる獣。すかさずもう一匹も襲いかかる、右手は間に合わない。修司軽く握ったまま左手を獣に向ける。口を空ける獣。
「[ブラックジャック]」
噛みついた瞬間に獣の背中から剣が飛び出る。その刃は中で折れているようでピクピクと動く獣は地面に落ちる。一瞬で創るとこうも脆いのかと思った。へたり込む修司。
気を抜いた時、背中に衝撃が走る。払った獣の1匹はまだ動けたようだ。倒れこんだ修司の獣の牙が迫る。もうすべてが手遅れだと分かった。目をつぶった修司。
獣はたちまちに消えた。
「詰めが甘いな。」
森から光とともに人影が現れる。しかし修司は気を失った。
目を覚ますと修司は高等部の校舎の軒先に横になっていた。雨がしとしとと降り、近くの照明がぼんやりと光っている。起き上がろうとすると右手に痛みが走る。
「いっ!・・・あ!」
右手の剣がない。慌てて周囲を見渡す修司。
「落ち着け。」
昨日の男が隣に立っていた。
「剣は!俺はきちんと!」
「落ち着け。分かっている。」
「ちゃんと持ってたんだ!・・・え?」
状況はまだ理解できない。
「・・・見てたのか?」
「そうだ。」
「あの狼みたいなのに襲われてる時も・・・。」
「あれは俺がコンバートしたものだ。」
「じゃあ全部・・・アンタ性格悪いぜ。」
修司はガクッと肩を落とした。
「剣を握ってるだけと言った覚えはない。」
「・・・俺はダメだったのか。」
「・・・。」
「アンタの言う通りに俺は甘かった。そして弱い・・・。」
「・・・そうだな。」
「でもまだ諦めてはない。アンタに教えられなくとも俺はどうにか強くなって。」
「なんだ、教えなくていいのか?」
「・・・え?」
「剣術を教えなくともいいのか?」
「でもダメだって・・・。」
「お前が勝手に言っただけだ。」
「じゃあ!」
「明日の朝10時にあそこに来い。」
「・・・あ、ありがとうございます!」
「・・・お前が辛くなって逃げ出すまでの間だ。」
男は傘をコンバートして校舎のバス停とは反対側に歩き出す。
「俺、逃げません!アンタがいくらキツイ訓練をしても!」
「・・・ゼンだ。俺は全。」
「全・・・さん。お、俺は修司!治世修司です!」
「今日の夜は手をよくマッサージしてから寝ろ。」
全は角を曲がって消えた。
修司は言われた通りにその日の夜はよくマッサージした。獣に噛まれた左手も挟まれたエナによるダメージと同様に短期間の痺れだけだったようだ。
翌日、朝7時に起きて準備をした。右手は握れないほどの激痛に見舞われた昨夜に比べてずいぶんマシになった。これもノーベルの体のおかげかもしれない。決して全快とは言えないが我慢ができないわけでもない。
食堂で朝食を目いっぱい食べて出かけた。
今日の足取りは昨日とは全く違う。足元がぬかるむことも気にならない。9時には個人訓練場に着いていた。
「[ブラックジャック]。」
コンバートした剣を握る。手は震えている。
まだ握るのはきついか。・・・でも今日から俺は剣術を教えてもらえる。日下部よりも【闘神】よりも強くなってやる。
修司は決意を改める。今は自分が可能性に満ちているようにさえ感じている。
「早いな。」
全が現れた。修司はとっさに頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
「ああ、じゃあ始めるぞ。」
「はい!」
空には雲一つない。
ルーザーストラテジー用語
ノーベルの肉体=高濃度のエナの影響で一般人よりも頑丈。しかしさわり心地は大差なし。普通のナイフでは切れないし、65度の熱湯でもやけどはしない。