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三題噺

whiteout balloon

作者: 花留 カコ

 いつもとは違う地面の質感に、違和感を覚えて重たい瞼を開けた。

 発色のいい赤色が私の目に入る。

 手をついて体を起こしてみると、地面は柔らかくグニョッと歪んだ。

 仰天して目を見開く。

 この床はなんだろうか。トランポリンのようなこの床は。

 とりあえず私の布団でないことは確かだった。

 足を取られないように気をつけながら立ち上がる。

 そこにはとんでもない光景が広がっていた。

「わあ」

 私は思わず、驚きとも感嘆ともいえる声をあげる。

 見渡す限り真っ白な世界。海の中を泳ぐクラゲのように浮かびゆっくりと上昇する色とりどりな数多の風船。

 ここはどこだろう。

 あまりにも現実離れした状況に頭がついていかない。

 なんともいえない不安感が胸に広がり、落ち着かなくて私はしわくちゃになった制服のスカートを手で伸ばした。

 制服のまま、ということは私は帰宅してからそのまま寝てしまったのだろうか。どうも記憶が曖昧で直前のことが思い出せない。

 今私が立っているこの場所もどうやら巨大な風船の上のようだ。

 落ちてしまわないように気をつけながら四つん這いになって下を覗く。けれど地上らしきものは見当たらず、眼下ではただ風船が浮かんでいるだけだった。

 黄色い風船が私の前を通りすぎていく。目で追っていくとこの世界の空が見えた。

 空といっても水色じゃない。厚い雲がどこまでも広がっていて太陽のような光がほのかに広がる天井だった。

 一歩二歩さがりながら確信する、これは夢なんだと。

 だって私の世界にはこんな一面真っ白な場所なんてないし、風船がこんなにもおっとりしているわけがないから。

 私は今しがた下から浮かんできた黄緑色の風船の紐を掴む。人の頭一つ分くらいの大きさだ。

 それを両手で軽く挟んで押してみる。

 弾力のあるそれはやっぱりゴム製の、なんの変わりもないただの風船だ。

 何をするという考えも浮かず押しては離し押しては離しを繰り返す。

 ぐっと、爪がくい込んだ気がした。

 風船が大きな音をたてて割れる。

 同時に強い光が私の視界を奪った。

 明転。


 そっと目を開けると、緑茶の入った湯呑ゆのみが二つ。

 それの乗ったおぼんを抱えているのは私の手だ。

 誰かが談笑している声が聞こえる。

 何故自分がおぼんを持っているのかわからず困惑していると喧騒の中から「おーい、嬢ちゃーん」と声が聞こえた。

 反射的に声がした方を見ると髪をちょんまげにした着物姿のおっちゃんが朗らかな笑みを浮かべてこちらに手をふっている。

 ちょんまげに着物……? 私はドラマの撮影場所にでも飛ばされたのだろうか。

 よく見ると私の服装も制服姿から萌黄色の着物姿に変わっている。

 いつの間に着替えたのだろうか。まさかあの一瞬で? いやいや。

「それ終わったらこっちに団子二つおくんなー!」

 周りにかきけされないようにそう叫ぶおっちゃん。私、ここで働いてたっけ?

 私の学校、アルバイトは禁止されてるんだけどなぁ。

 お茶を置いてすぐに立ち去ろう。そう思ったが――

「はーい、お待ちをー!」

 私の舌は勝手に威勢のいい返事をしていた。

 どういうこと!?

 戸惑っている間も私の体はあくせく動く。

 自分の体なのにまったくコントロールが効かない。

「はい、どーぞ」

 私はおっちゃんにお団子の乗った皿をだした。

 自分の表情筋、声帯、腕が勝手に動いてなんとも奇妙な感覚だ。正直気持ちのいいものではない。

「おう、ありがとうよ! それにしても嬢ちゃんは相変わらずかわいいねぇ。

どうだい、俺んとこの嫁にでもこないかい?」

 冗談はこの状況だけにしてくれ。

 本気でそう思った。

 若干引いていると私の意に反して口が開く。

「んもー、またそんなこと言ってぇ! なーんもでませんよー?」

 少し照れた様子で軽くあしらう私の口。

「それにお兄さんにはべっぴんさんないい奥さんがいるでしょう、もー!」

「おう、うちの女房はこの辺りで一番のべっぴん! 自慢よぉ!」

 あはははは……と笑うおっちゃんと私。

 駄目だ、テンションについていけない……。

 諦めかけていると周りの音が遠のき始めた。 おっちゃんの顔も、白いもやがかかって見えなくなっていく。

 そしてまた、強い光が私の目をくらませた。


 気がついたらもといた空間――風船の浮かぶ世界へと戻っていた。

 はらり、と割れた風船のゴムが膝へ落ちる。

 呆然。

 今のは何だったんだろう。江戸時代……みたいだったけど。

 短い一瞬。だけど数分は確実に、私はあの場所にいたのだ。

 なるほど、夢の中の夢か。

 なかなか珍しい体験をしたなぁと自分で納得して自分で頷く。

 この空間の風船には夢が詰まっているのだろうか。

 気になってそばに浮いている自己主張の激しい風船を手にとった。

 黄と青のしましま。お互いの色が強いせいで目がチカチカする。

 正直不安はあるが確かめずにはいられなかった。

 一つ息を深く吸って、止める。

 私は力を手に込めて風船を割った。

 バチンッ。

 さっきと同じ強い光が私の目を覆った。

 また、明転。


 光が引く直前に私の臀部に鈍い痛みがはしった。

 いったぁ! と声に出したかったけど先ほどと同じく思うだけで実際に口は動かせない。

 ゴツゴツとした茶色い地面に手をついている。

 岩盤だ。

 強い風が頬を叩く。それと同時に聞こえる獣のような声。

 私は目に飛び込んできた物体に絶句する。

 十メートルはあろうかという大きな生物が空に向かって叫んでいた。カンガルーのような体に爬虫類に似た肌。

 なんじゃこいつは!?

 気持ちが悪すぎて寒気がした。

「おい、大丈夫か!?」

「まったくぅ、計画無しにつっこんでいったりするから……」

 それを取り囲む数名の男女。手には大きな剣や弓といった武器を各自持っている。

「あのモンスターを倒すなんて一瞬だ、なんて言ってたのはどこの誰だったかなぁ」

 眼鏡をかけた男が馬鹿にするように笑う。

 別に私が私の意思でそんなこと言ったわけではないけれど正直イラッとした。なんだこの眼鏡男。

「うるっさいなぁ」

 今のは私が発した言葉だ。

 私は立ち上がりながら目の前のモンスターをキッと睨む。

 まさか。

「今から本気だすんだよっ!」

「最初から出してほしいよなぁ」

 そのまさかだった。

 どうやら私はあの化け物に勝負を挑むつもりらしい。

 お願いだからやめてくれ。あんな大きな生物を相手にするなんてどうかしている。

 周りの人達が武器をモンスターに向けて構えた。私も同じように武器を向けて――

 えっ?

「コテンパンにしてやるんだからっ!」

 ちょっと待って!?

 私が構えていたのは剣でも弓でもなく、一本の枝のようなステッキだった。

 正直あの大きな獲物に対して細い杖では心もとない。

 大丈夫なのか!? という心配を余所に私は杖を振り上げる。

「――――っ!」

 そして何かよくわからない言語を叫んだ。

 途端に空が曇り、雷鳴が轟く。

 雷鳴とともに稲妻が空を切り裂き、的確にモンスターの体を貫いた。

 敵が大きく口を開けて、 苦しみもがいている様子が見て取れる。

 稲妻がおさまると、モンスターは煙を立てながら前に倒れた。

「やったか……!?」

「いや、まだだ」

 目の前にいる眼鏡の男とその隣に立つ男が会話しているのが聞こえた。

 低いうめき声が聞こえたかと思うと、モンスターは両腕をついて怒りのこもった大きな音を発した。

 耳を劈くような鳴き声に皆が耳を塞ぐ。

「おい、お前ら勝負だ」

 剣を構え直しながら男が言った。

「先にアイツにトドメさしたやつが勝ちな」

 その言葉に眼鏡の男と私が笑う。

「のった!」

「あたしも!」

 返事とともに地面を強く蹴り、モンスターに向かって駆け出す。

 景色が矢のように飛び、相手との間合いを一気につめた。

「いっくよぉ!」

 足を止め、再び杖を構えたところで白い靄が立ち込め始める。

 このタイミングで?

 薄れゆく意識の中で私はポツリと呟いた。

 どうせなら、結末まで見させて欲しい。

 広がる靄が全てを包んだ。


 気がついたらまた、元の世界に戻っていた。

 夢の中だということは変わらないのに、このシンプルな世界に妙な安心感を覚えてしまう。

 私の手には杖の代わりに風船の欠片が握られていた。

 今のはなんなんだろう。コッテコテな異世界王道ファンタジーみたいだったけれど……。

 最近あんな本でも読んだかなと首を捻るが記憶にない。というかあまり趣味でもない。

 だがこれではっきりした。ここにある風船には夢が詰まっているらしい。それも一つ一つ内容が違う。

 少し気になるのは、なぜ夢の中ではこうして自由に動けるのに夢の中の夢では自分の思ったとおりに動けないのだろう。

 いや、案外そういうものなのかもしれない。

 半ば無理矢理な感じもしたがそれで自分を納得させた。

 なにせ夢の中の夢というものを見ることじたいがまれだし、最近はめっきり夢というものを見なくなった。見たとしても忘れているだけかもしれないが。

 手の届く範囲の風船は全て割れてしまったので私は移動することにした。

 離れたところに今乗っている風船とあまり変わらない大きさの風船が浮いている。

 あそこまでどうやっていこうか。

 下をのぞき込むと足場に出来そうなくらいのものが浮いていた。

 私は空中にゆっくりと足を踏み出し、そして重力に身をまかせ降下する。

 片足が風船の頭を踏んづけると同時に、膝のバネを使って跳び上がった。

 不思議と落下の恐怖はなく私はウサギのごとく飛び跳ねを繰り返し無事目的の場所へ降り立った。

 遠くから見たときは気がつかなかったが中心から無色透明の風船の束が生えている。

 製造中……? 着色前に膨らませるなんて順序が逆のような気がするけれど。

 変に気になって近づこうとして、足を止めた。

 足元に小さな風船を見つけたからだ。

 しゃがんでよく見てみる。お祭りなんかで見かけるヨーヨーほどの大きさで、濃い緑色だ。

 中の空気がいくらか出てしまっているようで浮力はそれほどない。

 一人ぼっちで寂しそうだなぁとか無機物に相手に情がわいた。せめてあの海藻みたいに生えている風船の束の近くに置いてあげようか。

 小さな風船の紐を手にまいて歩を進める。

 小さい子がこうして、親と一緒に街中を歩く光景を何度か見かけたことがある。

 私は……どうだったんだろう。

 透明な風船の束が風もないのに静かに揺れた。

「ここでいい?」

 膝を曲げながら手で包み込んだ風船に微笑みかけた。

 ただの風船に返答なんて期待していない。なんとなく声をかけてみたくなっただけだ。

 そうっと降ろしているとき、軽い音を立てて風船が割れた。

 私はなにも……してないはずなんだけどなぁ……。

 抗うこともできず、私はまた夢の中の夢へと引き込まれた。

 明転。


 目に移ったのは、すすり泣く女の人だった。

 髪はひどくボサボサで袖口を涙で濡らし、鼻声で「ごめんね、ごめんね……」とひたすらに謝り続けている。

 何をそんなに誤っているのだろうか。私にはまったく検討もつかない。

 私は必死に口を動かしている。上と下の唇を離すことが難しいのかとてもゆっくりな動きだ。

 女の人はうつむいているせいで私のその様子には気づいていないらしい。

 視界の隅に水の入ったガラスのコップと半透明の紙の包みがあった。

 ああ、この体の持ち主は病弱なのか。そして多分、もう長くはないんだろう。

「か……」

 やっとのことで私は声を出せたらしい。

 でもその声はとても小さくかすれていて、そして幼かった。

「か……さま……」

 舌っ足らずな口が女の人を、母親を呼ぶ。

 母親ははっとこちらを見た。そして涙で濡れた顔を近づける。

「何。どうしたの、坊や」

 彼女は息子の言葉を聞こうと必死だ。

 だけど私は息苦しさからかうまく喋ることができない。

「か、さま……」

「はい、お前の母はここにいますよ」

 母親が私の手を握った。優しい温もりがじんわりとそこから伝わってくる。

 懐かしいと思うのはなぜだろうか。

 もしかしたらこの体の主の気持ちがこっちにも伝わってきているのかもしれない。

 私は二、 三度咳きこみ深い呼吸を繰り返す。

 母親の顔が恐怖に引きつるのを揺れる視界で捉えた。

 そんな顔、してほしくないな。

 初対面の人間相手にこんなことを思えるなんて不思議だ。

「かあさま……」

 もう一度母親を呼んだ。今度ははっきりと音が続いた。

「はい」

 私は深呼吸をしてから母親に言う。

「わらって、ください……」

 母親はそれを聞いて、目から溢れる涙をまた袖で拭い、しゃくり上げながら笑った。

 それを見て私も微かに笑う。

 視界が狭まってきた。暗闇が彼女の顔を隠していく。

 暗転。


 目が覚めて。

 私の手にはしぼみきった緑の風船が握られていた。

「う、うう……」

 ぽたりぽたりと、先ほどの母親のように私は涙を流す。

 どうして泣いているのか自分でも分からない。

 ただどうしようもなく悲しかったのだ。

 映画を見て泣くのと似ているようで違う。胸が締めつけられるように苦しかった。

「なんで……」

 なぜあの子はあの時、死ななければならなかったのだろう。

 まだ小さかったのに。人生これからだというときに。

 私は嗚咽を繰り返して、ただなんでと誰とも知らず問うだけだった。

 そして何度目かの問いのとき、頭上から声が降ってきたのだ。

「しかたないよ、あれがあの時の君の運命だったんだ」

 私ではない誰かの声に息を止め、声のした方を振り返る。

 見ると男か女か判断し難い容姿の子が立っていた。

 カラフルな風船の束を片手に私のことを真っ直ぐに見ている。

「どうして死んだかなんて問うだけ無駄だと思うな」

 この子はいつからいたんだろう。

 私が何も言えずただ見ていると相手は呆れたように言葉を続けた。

「しっかし君、よくもまぁたくさん割ってくれちゃったねぇ。これを一からまた膨らませるの、僕なんだけどなあ」

「あなたは……誰?」

 私は涙を手で拭き取りながらきいた。

 僕、ということは男の子だろう。

 彼は私が彼の愚痴をスルーしたことを特に気にすることなく答えてくれた。

「僕? 僕は僕だよ。名前なんてない。僕はここでずっと風船を膨らませ続けているだけ」

「名前がないの?」

「ここにいるのは僕一人だけだからね、必要がないのさ」

 彼が「何かここについての質問はある?」と聞くので私はこの沢山浮いている風船について聞いた。

「この風船は何?」

「これかい? 何ってこれは君の記憶だよ」

 なんともあっさりと返されてしまった。

「詳しく言うと、君の前世の記憶かな」

「前世っ!?」

 驚きのあまり目を丸くする。その反応が予想通りだったのかおもしろかったのか、彼がクスクスと笑う。

 なるほど、前世。だけどちょっと待ってほしい。

「お団子屋さんの娘やあの男の子はまだいいとして、魔法の世界はありえないでしょう」

 あんな非現実的なおかしな記憶があるわけない。というかあってたまるか。

 私がそう言うと彼は軽く吹き出した。

「何を言ってるんだい? 君が暮らしている世界だけが本当の世界じゃないんだぜ?」

 チッチッチッと人指し指を左右に振りながら答えた。

「天国と地獄があるように。六道輪廻があるように。世界ってのは沢山存在していて互いに干渉してないだけなんだよ」

「どういうこと……?」

 訳がわからない。多分これは私の頭が悪いせいじゃない。

「世界はいくつも存在してて、お互いに混ざりあうことがないからこそ個々としてあるってことさ」

 ……ますますわからないのだが。

「これでもかい? うーんと、じゃあ……君の世界では魔法なんてものは存在しないんだよね? だからファンタジーといったフィクションで楽しまれるわけだ。

でもそれを魔法の存在する世界で書いてみたらどうだろう。ただの日常でしかないよね。魔法の存在する世界では君の世界とは逆に、魔法のない世界がファンタジーなフィクションとして楽しまれるってことさ」

「……とてもややこしかったけど、なんとなくわかった」

 本当になんとなくだけど。感覚的にだけど。

 とりあえず私の暮らしている世界とはまた別の世界がある、ということらしい。

 彼はほっと胸をなでおろしながら「よかったー、これでも分からなかったら数学の集合で例えるしかなかったよー」なんて言っていた。

 それだともっとわからなくなっていたかもしれない。

「つまり君のさっき見た魔法の世界は、君の前世が魔法のある世界で暮らしていたときってことだね。団子屋娘や男の子、そして君が今生活している世界とは違った世界にいたんだよ」

「なるほど。じゃあこの風船全部が……?」

「そう、全部君の前世の記憶さ」

 私は小さく叫んだ。数が尋常じゃない。どれだけ私は生まれは死んでを繰り返しているんだ。

「もちろん人物が被ってたりはするよ。一人の記憶全てが一つの風船に納まるわけがないからね。分割してあるんだ。だからほら、同じ模様や柄があるだろう?」

 見た目ほど君は転生を繰り返してるわけじゃないよ、と彼は続けた。

「ついでにいうとだけど、この生えてる透明な風船の束は君のやつね」

「私の?」

 予想外だった。それにしてもなんだって無色透明なんだろう。

「今はまだ作られている途中なんだ。だから色もついてないし表面も薄い」

 そう言って彼は指で透明な風船の一つを弾いた。

 シャボン玉のように簡単に割れ、光も小さく弱々しい。

 私の頭に浮かんだのは兄の顔だった。

 意図して思い出したのではなく、本当突然浮かんだのだ。

「壊れやすいけど、割れてもすぐにこうやって生えてくるんだよ」

 彼が指さす先にはまち針ほどの小さな風船が地面から生えていた。

 植物みたいに生えるものなんだ、風船これ……。

「そーれーをー、僕がこうして育てるわけ!」

 彼は太い鉛筆のようなものをどこからか出して肩に担いだ。表面にいろいろな文字が書かれている。その中の文字の一つに〈HELIUMヘリウム〉と書かれたものを見つけてやっぱり風船は風船なんだ……と心でツッコミをいれる。

 彼はそれを地面に刺した。足場にしているこの大きな風船が割れないかと一瞬肝を冷やしたが、それは風船を割らないように作られているという。

「ねぇ」

 私は自分の風船を見ながら彼に聞いた。

「この私の記憶の風船。全部割ったら全て忘れることができるの?」

 彼は驚いたように目を見開いた。

「冗談だよ」

 と、私は彼に笑いかけた。

 実際は半分本気だ。過去に失敗したことや、学校のこと、家族のこと、友人のこと……思い出したくない過去を全て忘れて現実からのがれることができたらどれだけ楽になるだろうか。

 どうせ私が後世に残せることなんて何もないだろう。

「そうだね、全部割ったら君の記憶は無くなるだろう。でもそれはほんの一時的なものだよ」

 彼は私の隣にゆっくりを腰を落としながら言った。

 一時的、というのはどういう意味だろう。

 不思議に思って彼を見ると、私の顔を見て彼はニッと笑った。

「この僕がいるんだもん! すぐに元通りにまで膨らませるさ!」

 そんな彼の顔を見ていると、なんだかさっきまで考えていた''半分本気''がとても馬鹿らしく思えた。

「……うん、分かった。私のに何かあったらよろしく頼んだよ」

 私はそっと微笑んだ。彼は「うん!」と元気に返してくれる。

「さぁてと、僕は与えられた役割をこなさなくっちゃ。誰かさんがいーっぱい割ってくれたからねえ」

「ごめんって」

 私は両手を合わせて頭をさげた。

 彼は笑いながら別にいいよと言ってくれた。

「することがあんまりなくて暇だったんだ、ちょうどいいよ」

 彼が差し出してくれた手を私は握って立ち上がる。

 帰り際に彼が言った。

「可愛い色になるように、人生頑張ってねー!」

 大きく手を振ってそう叫ぶ。

「うん! 私頑張ってみる!」

 白い靄がかかり始めた。時間はほんのわずかだ。

 最後に私は思いっきり息を吸い込んだ。

「よろしくねー!」

 光は彼の姿を隠し、風船たちを飲み込んでゆく。

 多分、彼にはまた会えるだろう。

 私が人生をやりきった、その時に。

 明転。



 今回のお題は診断メーカー様より

『前世』『風船』『おかしな記憶』 でした。

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