永遠の君とぼく。くりすます。
日めくりのカレンダーを捲ると、25の文字が大きく目に入ってきて、次いで十二月だということに気がついた。クリスマスだ。
真っ暗な部屋に光を取り込むためにカーテンを開けると、しとしとと雪が降り積もっていた。まっすぐ落ちる雪の雫が、窓の外の世界を銀白色に彩っていた。
メリークリスマス。独り言ちたのか、君に言ったのかはっきりとは区別できなかったけど、
――メリークリスマス、と、君は律儀に返してくれた。
――僕からの、クリスマスプレゼントさ。ホワイトクリスマスだよ。
たしかに、昨日までは雪なんてひとかけらも降って居なかった。
今日のために君が必死に雪を降らすのを我慢していたような気がして、ぼくはつい苦笑した。
ありがとう。ぼくのために。
そう、斜め上を向いて言ったら、君は照れたようにして、雪を揺らした。びゅぅ、と吹いた風は見るだけで寒そうだ。
しかし、君からの折角のクリスマスプレゼントを無碍にするわけにはいかない。ぼくは散歩に出ることにした。
――朝ごはんはどうするんだい?
そうだな、散歩から帰ってからにするよ。外で食べるのもいいかもしれないな。
――でも、今日はターキーだよ? 外で食べるとすぐに冷えちゃうだろう。昨日まではある程度温度調整していけど、雪景色のど真ん中にこたつを突っ込むのは無粋がすぎないかな?
たしかに、言われてみるともっともだ。存分に君からのプレゼントを堪能してから、ゆっくりとクリスマスを食すことにするよ。
よいしょ、とぼくは起き上がった。四畳半の狭い部屋。この広い広い世界の中で唯一、生の鼓動が動いている四畳半だ。
動と不動の境界線であるドアを開けると、窓から見たものよりも一層リアルで描写的な雪景色だった。
止まった世界――まるで精巧で写実的な絵画のような街の風景に、上から白が積もる。
それは一枚の絵画にも、二枚の絵画が重なったようにも、一枚の絵画の上に、白い雪が降り積もったようにも見えた。
まるで君みたいに美しい。
からかい半分でぼくが言うと、吹雪のように風と雪が勢いを増して荒れ狂った。
――いきなり恥ずかしいことを言わないでくれよ! 普段はそんなこと、一切口に出さないくせに! そもそも、僕なんてもう半年以上見ていないだろう……忘れちゃったんじゃないか?
そりゃあ、普段から言うには恥ずかしすぎるからな。きっと、こんな思考も彼女に悟られているのだろう。そして、少し赤くなった頬も、目ざとく気づくのだろう。それを望んで、ぼくはこの状態になったのだ。後悔も何も無かった。
忘れるわけがないじゃないか。半年とちょっと前……五月のあの日にどれだけ確かめ合ったと思っているんだい。今でも、すぐに脳裏に思い浮かべられるよ。
――それは、なんというか僕にとっては恥ずかしいね。
これもまたばれているだろうけど、四畳半の隅に置かれた、もう使われることのない財布。その中には君と一緒に撮った写真が入っている。携帯で自撮りみたいにして撮ったものを、最後の日の前、近くの現像ができるスーパーで印刷した。
形は、何か欲しかった。もっとも、今ぼくたちが置かれているこの状況そのものが最高に完成した形なんだろうけど。
にしても、本当に綺麗だな。
――そりゃあそうだとも。僕の最高傑作だからね。最高傑作が、自分が意図的に作ったものじゃなくて、ある程度無作為で、自然的な営為で行われたってのは、なんとなく癪だけど。
時刻を知らせる時計は頂点を指したまま微々たる動きもせず、純白の雪が降り積もるのに任せるばかりだった。車通りは一つもなく、新品同然の車は捨てられたようで、エンジンをかけるという行為を全く忘れてしまったみたいだ。
かみさまになったって、万能じゃないってことだよ。人間を造れても、たぶん、人間の心を動かすものは簡単には作れないんじゃないかな。
――僕は、人間すら造れないけどね。人間が造れたなら、きみだってもっと仕合せだっただろうに。
そりゃあ、君の思い上がりというやつさ。最後の日に言ったろ? ぼくは、君と永遠に一緒にいられるだけで、十分に仕合せだってさ。
――また、照れることを言って……
ぼくは肩に降ってきた雪を一筋、指で舐めた。
雪は生まれ変わったように溶けて、水になってぼくの指をさらに濡らした。
払うようにして肩に積もった雪をぱさりぱさりと振り落とすと、ぼくの周囲だけなんともいびつな雪の積もり方になっていた。
雪は積もり続けても、ぼくにはその変化を微々たるものにしか思えず、積もった雪がどのくらい深くなったかなど測定しようが無かった。
帰るか。ターキーだっけ。
――ああ、クリスマスだからね。特別さ。じゃあ、僕からのプレゼントもこれで終わりかな。
と、君が言うと、雪が止まった。
動かない世界に無理矢理吹き込んでいた息吹が止まった。
ぼくは後ろを振り返った。
そこには、なんでもないぼくの日常が広がっていて……白く彩色されているだけで、昨日となんにも変わらないように感じられた。
ねえ。
――なんだい?
君は怪訝そうにしているんだと思う。
たぶん、ぼくの考えていることが君に全部わかるなんて、ぼくの妄想に過ぎない。
朝ごはんからターキーは、胃に重いかな。
――たしかに、そうだね。僕としたことが、浅慮だったよ。
振り向くと、雪は完全に積もっていた。溶けようとする気配は微塵もない。きっと、明日朝が来るとまるで今日が幻だったように、全部消えてなくなっているんだろう。今日は、一部も溶けはせずに。
絵画は劣化するけど、この景色は劣化しない。完成品だ。
君ももう、ぼくと同じでちょっとしか動けない。世界規模で考えたら、零に近似されるくらいの、ほんのちょっとの動きしかできない。
足元を見ると、当然のように足跡ができていた。
白い銀世界の中の斑点みたいに。
――朝ごはん、何にする?
いつもと同じで……お茶漬けでいいかな。
――クリスマスだよ?
たぶん、君も変化を求め始めてしまったんだろう。だから、クリスマスがこんなに強調される。
ぼくと君の、永遠の愛の逃避行。そんな終末世界、ろくに続くはずが無かったんだ。
無意識かもしれない。でも、それは確かな変化だった。
ぼくと君に、変化は認められるはずが無かったのに。
そうだね、ちょっとだけ豪勢に……鯛茶漬けとかどうかな?
――僕が食べるわけじゃないからね。君が食べたいっていうのなら、最高の鯛茶漬けを造り出してみせるよ。
それは楽しみだ。
ぼくは四畳半につながるドアを開けた。
雁字搦めにされたような、止まった世界でもきっと、君との生活が、終わることはないから。
ぼくは、昨日までと同じようにお茶漬けを食べて、ぐうたら横になって、それで――