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Ⅲ 月光 ― 恋

 彼女をずっと傍に置きたいと強く想った。

 しかし、突然現れたあの()を客人として迎える訳にはいかなかった。


 僕は考えを巡らせた。

 言葉を話さぬ彼女に、メイドをさせることもできなかった。


 目をつけたのは、城の楽団。

 僕は彼女の心も聞かず、団長に掛け合った。

 彼女を踊り子に仕立ててくれ――。


 僕の望みに逆らうことなく、彼女は踊った。

 笑顔を絶やさず奏でられる音楽に合わせ、軽やかにステップを踏んだ。

 その踊りを見ると、とても僕の暗い心は満たされた。

 まるで彼女は、僕のために踊っているように想えた。





  ...The another tale of

      the Little Mermaid

Ⅲ 月光 ― 恋





 晩餐の後、僕は庭に出た。

 その夜は満月で、いつもより明るい月光が庭に咲く春の花々を照らしていた。

 優しく吹く夜風が、どこからか甘い香りを運んできた。

 僕は大きく深呼吸して、散歩を始めた。


 少し歩くと、海の見える場所に来た。

 あの()と初めて出逢ったポーチの近くだ。

 僕は何故だか心臓が煩く鳴るのを感じながら、ポーチが見える位置まで歩み寄った。


 あの時のように、彼女はそこにいた。

 踊り子の華やかな衣装に身を包んではいたが、

 月光に輝く髪と桃色の唇は、初めて逢った時と同じだった。

 どこか遠くを見ながら、象牙のように白い脚を、海の水面に浸していた。


「こんばんは」


 僕が声を掛けると、彼女は吃驚して慌てて足を海から引き上げ、立ち上がった。

 いまだに驚きの色を残す蒼い瞳が僕を捕らえると、

 何だか僕は申し訳ない気持ちになって、あの時のようにそっと囁いた。


「驚かせてごめん。……そっちへ行ってもいいかな?」


 彼女はそっと微笑み、静かに頷いた。

 僕は低い生垣を乗り越え、彼女のいるポーチへと降り立った。


「脚、水に入れていたけれど、痛むのかい? 気にせず浸していていいよ」


 僕の言葉に、彼女はゆっくりと首を振った。

 しかし、その脚は月の光の中でも赤く腫れているように見えた。


 僕は今乗り越えた生垣をもう一度越えて庭に戻った。

 そして、彼女に向かって手を伸ばした。


「おいで、水につけないのならこの石造りの床は素足に悪い。こっちの芝生の方がいい」


 戸惑ったように彼女は首を傾げた。

 僕は半ば強引に彼女の白い手を取り、引き寄せた。

 急に変わった重心に堪えられず、僕は彼女を抱えたまま芝生に転がった。


「すまない! 大丈夫?」


 腕の中の彼女に問い掛けると、彼女は楽しそうに笑った。

 僕は急におもしろくなって、声を上げて笑った。

 彼女がいて、僕がいて、時間を共有する――とても幸せだった。


 僕が笑い止むと、彼女は急に立ち上がろうとした。

 だが、まだ彼女の柔らかい温もりを手放したくなくて、

 僕は彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

 最初彼女はもがいていたが、しばらくそうしていると諦めたようで大人しくなった。


 僕は彼女の髪に口付けを落とし、背中の曲線をなぞった。

 彼女の顔を見ると、頬を唇と同じ色に染め、潤んだ蒼い瞳で僕を見つめていた。


 僕はそっと彼女の唇に自分のそれを近付けた。



 唇が触れる直前、どこからか流れてきた曲に僕たちは動きを止めた。

 それはあの(ひと)が――僕が守ると誓った彼女が好きだと言ったワルツだった。

 僕を助けた、運命の人。


 戸惑いにより緩んだ僕の腕から、頬を先程よりも更に濃く染めた彼女が抜け出した。

 上体を起こすと、彼女の蒼い目がこちらを静かに見ていた。

 暖かかった僕の胸元を、ほんのり冷たい夜風が撫ぜた。


「……君は、嵐の夜に――」


 僕は口を開いたものの、何と言葉を紡いでいいか分からず、また口を閉じた。

 気付くと彼女は曲に合わせて静かに踊っていた。

 月明かりの中で舞う彼女は少女のように愛らしく、女神のように神々しくさえあった。


 僕は彼女と同じように裸足になって、彼女の手を取り共に踊った。

 ゆっくりと、彼女の足に負担が掛からぬように。


「……ずっと『踊り子』とか『君』とか呼ぶのも変だね。もし許してもらえるなら、君を呼ぶ名前を僕が付けてもいいかな?」


 ダンスの最中僕が囁くと、彼女は幸福を口元に浮かべた。

 その笑顔をずっと見ていたいと想った。


 名前を付けたいだなんて、只の独占欲だった。


 ・

 ・

 ・


 月は人を狂わせると言われるけれど、僕は月が好きだ。


 太陽のような明るさはない――優しい光で照らしながら、世界に柔らかい陰を残す。

 まるで人の心のように形を変える――しかし形を変えてもずっとそこに在る。


 今も彼女は、姿を変えても僕の傍に在るのだろうか。

 月の光に狂った僕の目には見えないだけ?

 それとも、もう僕は彼女を永遠に喪ってしまったのだろうか。


 何故彼女が運命の人だったらと願っていながら、

 その可能性を突き詰めなかったのだろう?


 ――あの時唇を重ねていたら、あのままの姿でずっと僕の傍にいてくれた?

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