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三千世界の鷲となって  作者:
第1章
8/16

2010/06/24 0:20

◆2010/06/24 0:20



 月が昇り切り、日付が変わっていた。その頃、『棘ノ家』では不規則に機械音がなっている。キーボードを打つ音、マウスのクリック音、コピー機が発する独特の音が部屋を満たしていた。

 たかこはデスクでパソコンとにらめっこしている。開かれているページは6月14日のウェブ上の記事、『訃報。麒麟島凛さん、事故死』であった。

 ふむ、とたかこは呟く。何かに納得したような表情であった。そしてスポンジが飛び出たソファーで寝ている鈴をちらりと見て、デスクの上に並んでいる炭酸飲料の空き缶を、ソファーの傍に積まれている資料に向けて、ぽいと投げつける。

 たかこから放たれた空き缶は弧を描いて見事資料の山に命中する。絶妙なバランスで保たれた均衡が打ち破られ、雪崩のように鈴を襲う。


「う。重い」

「おっと、ワリィワリィ。起こしてしまったな。今退かすよ」


 たかこは鈴を埋めてしまうほどの書類や資料を手際よく片づけていく。もしかしたら慣れているのかもしれない。そう思わせるほどの早さで散らかった物がまとまってゆく。

 

「どうだい、目覚めは?」

「んと……」

「なんだ、低血圧なのか?」

「いや、紙に押しつぶされる感想なんて言った事ないから戸惑っているだけです」

「なかなか余裕じゃないか。で、どこまで覚えている?」

「【深淵】に辿り着いた、【異能者】さ、ってアイツが言ってたのは、覚えてます」

「うむ、優秀、優秀。うちの馬鹿に見習わせたいものだぜ」


 ふふっと含み笑いをするたかこ。それと対照的に鈴はぶすっとした表情でたかこを睨みつけている。何か言いたげ、いや聞きたげに睨みつける。


「そんなに睨むなよぉ。せっかくの美少女が台無しだぜ?」

「貴女に言われたくはないです、落空たかこさん。それよりも」

「あー、分かってる分かってる。みなまで言うな。改めましてようこそ、公式魂問題対策室『棘ノ家』へ。依頼をどうぞ、麒麟島鈴?」


 にやにや笑いながらも、真剣な雰囲気を醸し出すたかこ。二度目のようこそ。今度こそ、鈴の抱える問題に迫る。鈴は何か話すことを躊躇う様に、たかこから目線をそらす。しかしすぐに意を決したように重い口を開いた。


「おじいちゃんと、話がしたい。これが、依頼」


 たかこと鈴の目線が交差する。鈴のまっすぐな瞳。懇願、祈り、そして一縷の望み。それは痛いほどに、たかこに伝わっている。

 しかし、対照的にたかこの顔には何とも言い難い、険しさがあった。そして、偶然か、必然か。たかこがちょうど手にしている資料が、『おじいちゃん』なる存在のものだった。


「『パーキングエリアにて車が炎上。車内からは麒麟島凛氏のものと思われる遺体が発見された。しかし孫の麒麟島鈴さんは幸運にも食事処にて休憩中だったため、事故には巻き込まれなかった。事故の原因は今もなお不明』」

「貴女の言いたい事は、分かります。死んでしまったら、それは叶わない。でも、私、おじいちゃんに聞きたいことがある、ううん、聞かなきゃいけないことがあるんです」

「凛氏に聞きたいこととは?」


 ごくっと鈴は唾を飲み込む。その仕草で分かる重大さ。そして鈴は呟いた。


「6月17日。それが、おじいちゃんの命日。そして私の誕生日。あの日の真実を、私は知りたい。いや、こう言った方がいいですね。あの日の記憶を、取り戻したいです」


 これが鈴の願いだった。悲しいほど強い想いである。鈴とたかこの視線は揺らがず、互いを見つめ合っている。


「鈴、お前は凛氏と一緒にいたんじゃないのか?」

「はい。そう、らしいですね」


 らしい。らしいということは不確かであるということ。鈴の話し方はまるで自分がそこに居なかった、後から誰かから聞いたかのようである。


「例えば、1週間前の朝御飯、何を食べたかなんて覚えていない。でも10年以上前のおじいちゃんとの思い出は覚えている」

「意識、無意識の話か。つくづくお前は優秀だよ。意識せず過ぎた時間、つまり日常はなかなか記憶として銘記されにくい。だが意識して過ごした時間、感情が入り混じる思い出は記憶に深く刻まれる。そういう事だろぉ?」

「はい。その後者が、6月17日。それは毎年、私の心に残る日だった。でも私の中に、今年の6月17日と言う日が、ない」


 6月17日。いや6月17日に限らず365日須く平等に与えられる。だが鈴は自分に6月17日はなかったと言った。


「ないという表現すら、違うのかもしれない。あったモノが抜き取られたような、最初からなかったかのようにされた。そんな感覚、なんです」

「ふむ」

「いつから記憶がないのかすら、分からない。覚えているのは、目の前の炎だけ。おじいちゃんの車が燃えていて、私は、膝をついて、泣いていました。」


 たかこの表情に曇りが見える。珍しく言葉が出ず、鈴を見つめることしかしていない。鈴は、そんなたかこを余所に、ポツポツと言葉をこぼす。


「ですが、記憶を無くしてしまった事はもうどうしようもない。ショックによる記憶喪失なのかもしれません……悔しいですが」

「さすがに記憶を取り戻させてくれ、と言われてもなぁ」

「はい。だから、おじいちゃんと話がしたいんです」


 記憶と鈴の祖父にどんなかんけいがあるのだろうか。たかこはそんな疑問すら抱いていないようである。さっきから身動き一つとらず、鈴から目を逸らさない。


「17日、おじいちゃんの命日の夜。そこから私は毎晩、痛みとともにありました」

「だろうなぁ。あれだけの傷だ」

「原因は……祖父、いや、私です」

「枕元に来てた祖父。いや正確には祖父の【魂】が、何かを訴えようとお前に触れていた。しかしお前は祖父の言葉がわからず、そして祖父もお前の言葉を理解しない。結果、致命傷。どうだ?」

「はい……ぼんやりとしか見ていませんでしたが……あれは正真正銘祖父、祖父の幽霊でした」


 傷。それが麒麟島凛の幽霊の訴え。何らかのメッセージ、伝えなければならない思い。それらが積み重なり、結果として傷となった。

 鈴の感じた何か、謎の事故、そして傷。それらが導く核心。


「おじいちゃんの身に何かあった。そしてその答えを私が知っている。いや、無くなった記憶の中にある。そして、被害者のおじいちゃんも知っている。だから私は真実を知る為に、おじいちゃんと話したい!おじいちゃんが私にくれた傷の意味を知りたい!」


 痛々しく、生々しい傷の正体。それは死んだ祖父から受けたもの。しかし皮肉にもそれが鈴と凛を繋ぐ唯一のものだった。痛くとも、痛くとも。


「でも私は嬉しかった。傷がおじいちゃんからの期待だったから。受け取って、理解しなきゃいけなかった。でも私には出来なかった。それが、悔しくて」


 潤む目。苦痛に耐え、必死に痛みと共に訴えを受け取っていた。

 どれだけ苦しかったのだろうか。分かりたい、理解したい。そう思えば思う程己が受ける傷が増すのだ。しかし傷や痛みが増えても、鈴が真意を理解することは出来なかった。

 

「おじいちゃんは、いつも私の傍にいてくれました。現当主のお父さん、そしてお母さんは……いつも家を空けていました。あの日、私の誕生日の時も。傍にいてくれたのはおじいちゃんなんです。そのおじいちゃんが私に……」


 必死に、必死に希望に縋り付こうとする鈴。それを傍目に、たかこは資料を片づけ終え、自分のデスクに戻る。

 そして蓋の開いた炭酸飲料を飲んだ。冷気も炭酸も抜けているだろう飲み物などおいしいのだろうか。しかしたかこは、文句一つ言わずに飲み干し、ふたたび鈴と向き合う。


「鈴。お前に言わなければいけない事がある。酷な話だが……お前は、凛氏の訴えを理解することは出来ない。ましてや、凛氏とは絶対に話せない」

「……それは私が、普通の【異能者】だから?私が【境界者】じゃないから?」

「ほぉ。【境界者】まで知っているか。『棘ノ家』の存在を知っているだけでなく、この【世界】の【深淵】にまで足を突っ込んでいるとはな」

「おじいちゃんが教えてくれたわ。【境界者】、死んだ者の幽霊「と交信できる異質な人間。幽霊が見える【異能者】を超える存在」

「で、『棘ノ家』は?」

「詳しくは、覚えてない。ただ、最近になっておじいちゃんが頻繁に言っていました。ここの場所と合言葉は『魂の在り処』だって事。それを言えば、【魂】の事なら何でも助けてくれるって」


 あのジジイ、耄碌しやがって。舌打ちをしながらたかこは鈴に聞こえないように呟いた。 飲み干した炭酸飲料の空き缶をべこっと握りつぶす。


「落空たかこさん、私を【境界者】にして。そうすれば、そうすれば!」


 鈴はもはや肩で息をしている。興奮状態に陥っている。それほどまでに強く、叶えたい願いなのだろう。


「【魂】を知っているか?」

「は?」

「【魂】とは、鈴、お前が言うように、俗に言う幽霊という単語と同意義でもある。ならば何故幽霊と呼ばないと思う?」

「そんな事よりも今は……」

「いいから答えろ。じゃないと、話が進まないぜぇ?」

 

 たかこは虚空を見つめ、髪を掻きあげながら鈴に問うた。少々難しい問い。まるで落ちつけ、と言わんばかりの問いだった。

 鈴はどこか話題を逸らそうとしているたかこにイライラしながら、答える。


「……同意義でもあるが、同意義でもない、から?」

「ふっ、うちの社員にしたいくらいだな。

 【魂】とは、人間、いや命あるものの根源。人間であれば本能、理性、感情の元となる存在。想いや行動の原理。大胆に言えば個性、パーソナルカラー、自我と認識しても問題はないかもなぁ。

 つまり、私達自身、【魂】なのだよ。ただ在り方の違い。お前が言う【魂】には器、身体がない。私の言う【魂】は身体という檻に囚われていながら、根源としての役割を果たしているという事。そう意味で、同意義でもあるのさ」

「それじゃ矛盾が生じるわ。だって」

「根源としての【魂】なら檻が朽ち果てても尚、檻の形として存在するのはおかしい、だろ?その理由として、お前の祖父、麒麟島凛の【魂】も、人間の形として見えた事があげられる」

 

 人間という名の檻。【魂】を閉じ込めながら、【魂】に捕われている器。その器が壊れた時、【魂】は行き場を失うはず。そして檻の形を保っているのはおかしい。

 それが鈴の言う矛盾。しかしたかこはその矛盾に対する答えを持ち合わせていた。

 たかこは机の上に置いてあったまだ開けてない炭酸ジュースの缶を手にした。


「例えばこの缶部分を人間つまり器、中身のジュースを【魂】と見立てよう。缶、つまり器が壊れていない状態、これが我々命あるもののことだ。しかし」

「あっ!」


 鈴が気付いた時にはもはや音もなく、缶が壊れ、中身のジュースが溢れていた。炭酸のジュースがたかこの手から溢れて、床にこぼれてゆく。


「これが、死。器が器としての意味をなさなくなった時、こうして【魂】が溢れだす。しかしこれだと、この中身のジュースも意味を為さない。飲めないからな。これは【魂】にも言える」


 ジュースは飲むもの。ならば缶の中で飲める状態であってこそ、ジュースとしての意味をもつ。飲めず、床にこぼれているこれは、ジュースだったもの。

 つまり【魂】も器がなく、形ない状態では、根源としての役割をしえない。


「さらに言えば、【魂】がこのように形を失えば、それこそ永久的な【死】だ。 おっと、この話は行き過ぎたな、ワリィワリィ。とにかくだ、形、あるべき姿を失ったものに、与えられるものなどない。つまり」

「……また」


 鈴の感嘆の声と同時に床にこぼれていたジュースが消えると同時に、たかこの手には缶状態のジュースがあった。そう、缶の中身のジュースが、缶なしに缶状態で保たれている。世界の法則を無視している。


「このように器の形をした中身なら、意味をなくさずにいられる。【魂】が器を失って尚、形を保っているのはそういう理由さ。納得かい?」

「理屈には納得です。でも目の前の現象には目を疑うわ」

「くははは、手厳しい。まあお前にはまだ早い話さ」


 そしていつの間にか、ジュースは缶に収まり、缶も壊れていない状態に戻っていた。

 これは白昼夢だったのだろうか。違う。鈴は確かに見た。今、たかこの目が新緑色から黒色に戻った瞬間を。

 いや、それよりも鈴は話を戻したかった。こんな話よりも自分が【境界者】になれるか否か。


「で、今の話と【境界者】となんの関係が?」

「そうだなぁ、そろそろか」


 ちらっとたかこは時計を見た。そして窓から夜空を眺めた。


「よし鈴、行くぞ。全ての答えを見せてやるよ」


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