2010/06/23 23:53
◆2010/06/23 23:53
「ええ!? それマジ!?」
「きゃははは、うぜえー」
「いやあ、もう酔っ払っちゃいましたよぉ」
「課長! 今日は飲みに行きましょう!」
日が沈み、月が光り出してもまだ喧騒がやむことはない。大通りでは学生、会社員、男、女、年齢問わず、人々が足を止めることなく動き続けている。
その雑踏の中にしゅうの姿があった。黒いロングコートを身に纏い、どこか異質な雰囲気を出しながら歩きゆく。しかししゅうは雑踏の流れに身を任せているわけではない。
ふらり、ふらりと闇に溶けていく。しゅうはこの街の奥深く、いわゆる裏通りへと、まるで誰かに誘われるように進んでゆく。
この街の裏通りは表通りと立ち並ぶ建築物は変わらない。高層ビル、高層マンション。違うのは、色。裏通りはあまりにも、暗い。日の光が当たらないこの場所には、命がない。
人がいないのは勿論、草木、鳥、野良犬、野良猫の姿すら見えない。あるのは立ち入り禁止になり、錆だらけの無法地帯となったビルやマンション。もはや全て同じに見えるため、簡易的な迷路と化している。
しゅうは錆の迷路を、行く先があるかのような足取りで歩く。迷っているのではなく、探しているのだ。
月光。街灯。虫が焼ける音、そして匂い。
響くのはしゅうの足音、そして生温かい風の音。もはや表通りの人の声など聞こえない。時間的にも、空間的にもここは隔離されている。しゅうはそんな感覚に陥っている。
「麒麟島鈴、か」
しゅうは無意識のうちに鈴の名を呟いていた。
麒麟島家の次期当主である『りん』の名を冠する者、それが麒麟島鈴という存在。
普通の人間にはない力を持つ者たち。だからこそ【異能者】なのである。【魂】が見える事、それが【異能者】であり、彼らにとっては普通のこと。普通ではない、普通。
「全く、難儀なやつだよ」
結局、しゅうは鈴の依頼内容は聞かないまま、今に至っている。その為、しゅうは鈴が何を望んでいるのか、どのような目的を持って『棘ノ家』に来たのか分からない。
しかし、それに対する答えをしゅうは仮定として導き出していた。
「二匹の麒麟。猛々しい麒麟、幼い麒麟ねぇ。なんだっていいけど、それよりさ」
そう言い終わると、しゅうはぴたりと歩くのをやめた。
いつの間にか、風が止んでいた。急に電灯が明かりを失う。もはやこの裏通りには音すらなくなった。まさに、闇。そして急変する世界。
肌に突き刺さるような夜の冷気。狂気へと誘う闇。沈黙が、うるさい。
「顔を見せろよ、ってこれじゃあ伝わらないか」
しゅうは瞼を閉じ、大きな深呼吸をする。ピンと張りつめた空気と共に澱む空気を吸い込む。
それと同時に、しゅうはあるべき姿、ありたい姿を思い描く。大空を支配する鳳凰の姿。逆らう者、抗う者、降伏する者。皆須く、支配者たる鳳凰にひれ伏させる。これこそ己が源。己が力。
そして、しゅうはそっと目を開け、己の【魂】を解き放つ。
【おい、堕魂、聞こえるか?】
新緑色に染まる瞳。闇に映える二つの目。しゅうの格好が闇に溶け込んでいるため、余計に輝く、異質な目。
【早くでてこいよ。こっちは忙しい身なんでな】
しゅうは何か、そう、何かを探すように周りを見渡す。しかし見渡す限り、錆が支配する世界。突如消えた電灯のせいでその錆すら見えにくい。静まりかえる音がしゅうの聴覚を支配する。
しゅうの額に汗が滲む。この汗はロングコートとフードによる暑さによるものではない。頬を伝う汗。頬から顎へ、そして重力に負け、地面へと落ち行く。
ぽた。地面に汗が落ちた、その瞬間。地面に大きな衝撃が走り、沈黙を劈く轟音が鳴った。
【っ!?】
しゅうは瞬時に反応し、轟音の鳴った方へと中腰になりながら体を向け、戦闘態勢をとる。
しかし轟音の正体は朽ち果てた看板であった。おそらく長い年月の放置によって、結合部分が限界に達し、落下してきたのだろう。
【なんだよ】
ふう、とため息をつくしゅう。張り詰めていた糸が切れたように脱力する。額にびっしょりとかいた汗を拭い、中腰から普通の姿勢へと戻る。
【ナァ、鈴ヲ、見ナカッタカ?】
耳を、舐められる感覚と同時に、その【声】が聞こえた。しゅうの全身に、寒気が走る。そして、体に訪れる衝撃と、鈍い音。さらに反転する世界。
しゅうは何が起きたか認識出来ないまま、飛んだ。いや飛ばされた。まるでしゅうに質量がないかのように、ビルの入り口のガラスを突き破りながら吹き飛ばされた。
【くっ……そ】
それでもしゅうは何とか受け身をとり、何かを目で捕捉し、どうやって吹き飛ばしたのかを探りながら、そのまま階段へと走り出す。一連の流れは五秒にも満たないわずかな時間。しゅうは自己を非戦闘要員と謳っていたが、そうとは思えない動きだった。
【見タノダナ、ドコダ、ドコダ、ドコダ、鈴】
そう呟く何か。その姿は還暦を過ぎた男性老人のように見える。しかしよくよく見ると、人間とは異なるものであった。頭には、角のような物体。身につけているじんべえから見える体には金色の毛並みがある。そして、人間にあるはずのない煌びやかな尾。
化物、魔物。この言葉がピッタリである。この何かはしゅうを追うようにビルに向け歩きだした。
一方、しゅうは階段を駆け上がる。階数はゆうに五階を数える。しかししゅうの息は乱れていない。
「血に感謝するのは鈴だけじゃないか。それにしてもマズったな」
黒のコートに滲む紅。至る所に見える染み。さっきのガラス片が刺さったのだろう。そしてぎこちなく動かす左腕。何かからの初撃。鈍い音の出所はここだ。
しゅうの顔が苦痛に歪んでいる。無理もない。簡単に人が吹き飛ばされる衝撃が直撃したのだから当然の結果である。しかし、しゅうの顔はすぐに苦痛から変わった。
「久しぶりの【堕魂】退治か。死ななきゃ儲けもんだな」
笑み。しゅうの顔からは、笑みがこぼれていた。これが、狂気の笑顔なのだろう。そう思わせるような、笑みだった。