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オラシオン

掲載日:2026/09/22

「なんでこんな感じなんだろう」



 ふと口をついて出てしまった言葉に漂うやるせなさ、というか。半ば諦めにも似た呼気が大気中に拡散し、誰のものとも分からなくなるまで消え去る。誰かと己を比べれば比べるほど土壺に嵌ってはゆくが、比べずとも目標には程遠い今にあってはその感情も仕方ないのかも知れない。



と、そんな夜もあるにはある。概ねのところは順調で、ときおり訪れるいかにもありがちな「感情」に支配されないように気をつけて進んでいる日々という感想。自分のスマホに表示されるショート動画が年相応の関心事に限定されているのは良いことなのか、それとも逆なのか。



『よく眠れるツボ』



として動画内で紹介された首周りのツボを無意識に押しながらPCで作業していると最近仲の良くなったSNS上の『切り絵アート』作家の方からの、



『いつもありがとうございます。先日訪れた海の景色を作品にしてみました!』



というリプの通知がスマホに届いた。プロフィールを確認する限り趣味で作品を作り続けているらしい作家さんで、恐らくは女性と思われる。この春に彼女が地元の『桜坂』(あの有名な桜坂とは別の)と呼ばれている場所を題材にした作品を投稿した際にタイムラインに偶然…というよりは地元民には相当バズったので自然と流れてきたのがやり取りのきっかけ。『岳温泉』と呼ばれる温泉街のけっこう急な坂道の両側に咲き誇る桜は叙情的というか、心の中にある何かを思い出させてくれる光景で彼女の『切り絵』はそれを見事に写し取っている。



『夏の終わりになりましたが、私も海に行ってみたくなりました』



 リプに対しての返信をこのようにして投稿。すぐに「いいね」が灯るフレンドリーさがこの作家さんの魅力でもある。他の方にも積極的に交流している様子も見受けられ、日々ファンを増やしていることからいつかはプロとして活動できる可能性を個人的には感じている。投稿されたばかりである『海』を題材に海岸線から眺めるその光景も、一見するとシンプルな作りには見えるのにどこかしら郷愁を感じさせて、あたかも自分がそこに立っているような気がしてしまうのだ。



<この海の光景にしてもそうなんだけど、『才能』があるんだよなぁ>



そんな場面ですら自分の悪い癖が顔を出しそうになっている。上司や身内からはこの頃「ありがたいよ」とよく言ってもらえるようになってきてはいるが、何かはっきりと作品をこの世に送り出しているわけでもない身からすれば、卑屈な捉え方をしてしまえば『都合の良い存在』という感もないわけではなく世間の人に感動を与えられているかというと、そうではなさそう。



…というか「こんな性格」だから感動を与えるとかそういうのは土台無理な話なのかも知れない。



「それでも、」



 それでも、そこに続く救いのようなものはあったっていいと思う。ぼんやり思うのは、学生時代の現国の授業中に指名されて朗読した『詩』に対して、「○○くん、いい声ですね。抑揚も素晴らしかったです」と教師から何気なく褒められたときのこと。今でも自分の声にはときどき「いいね」と言ってもらえる。なんでも聴いていると落ち着くんだそうだ。ただ、それをどこかに発信しようという気持ちにはならない。なんとなく怖い気がしていたのだ。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 高気圧のお陰なのか少しだけ暑さが戻った連休のこと。前から推しているローカルタレントが道の駅のイベントに登場するという話を聞きつけ、東に向けて車を走らせた。現地は駐車場からトイレに至るまでだいぶ混雑してはいたが無事にタレントの姿を拝むことができて、満足しつつその後食堂で海鮮丼を食した。そのとき、



<そういえば、あの切り絵の『浜』もここから遠くなかったっけ>



と頭によぎり、迷うところではあったけれど十分時間もあったから思い切ってそちらの方に車を走らせてみることにした。少しだけ道に迷いつつではあったが無事に青々とした海が見えてきた際にはちょっとした感動があり、見晴らしのいい場所を探して行き着いた浜辺の駐車場で車を停めた。降車してすぐ潮の香りのする海風がビューッと吹きつけてきて気分が高揚する。



「わあ!いいじゃん!」



連休ではあるが訪れる人の数は想像していたよりもずっと少ない。特に何かの施設があるわけではないから、家族連れならどうせならと水族館のある海の方に向かうのかも知れないなと思った。砂に足を踏み入れて、沈み込むその感覚がけっこう懐かしい。『いつ以来だろうか』と考えてしまうほどに、別世界のように眼前に広がる『海』のありように自分の中の何かが目覚める思いがした。そして偶然にもそこからの眺めがあの『切り絵』とほとんど重なるということに気付いた。




広いな。ほんとうに広いな。なんだか




 心の中で思っていたことがいつの間にか『凪いだ』。激しくはないがしっかりと何度も繰り返される波の音にかき消されてしまうかのように、いつかの夜思っていた「ああいうこと」も今では余韻だけ。まるで『意味はないんだよ』と言われているかのようだ。…けれど、確かにその鮮やかな光景は自分に何かを与え続けている。ここに来た意味はあったのだろう。



「うわー、いい天気!!」



そのとき不意に後ろから響いてきた女性の声に思わず振り向いた。風に靡く髪を手で押さえるような格好で歩いてくる女性、世代的には同じくらいに見える。一人で来たらしく、嬉しそうな表情が窺えて思わず会釈してしまった。



「こんにちは。こちらの人ですか?」



「いえ、○○市の方から来ました」



「あ、○○市ですか。わたし子供の頃に住んでましたよ」



「そうなんですか!」



意図せず始まってしまったやり取り。



「ここからの見る景色が好きで、けっこう来てるんです。いいですよね」



「はい。初めて来たんですけど、SNSでとある方の『切り絵』作品を見て、たぶんここからの眺めなんです」



「えっ?」



何故か女性が目をまん丸に見開いてこちら向いている。不安になって「俺、何か変なこと言いました?」と訊ねると「全然、全然」と一生懸命かぶりを振って慌てた様子で、



「その『切り絵』、たぶん姉の作品です!」



と告げた。一瞬どういうことか分からず混乱したまま、お気に入りに登録していた切り絵の投稿の写真をスマホに表示させて「これですよ?」と言いながら彼女の前に提示する。「あ、そうです。これです!」と声を上擦らせて言うのでどうやら間違いなさそう。なんという偶然だろうか。



「ああ、そうか。お姉さんもこちらによくいらしてるんですね」



「そうなんです。わたしは全然、そういう才能はないんですけど、前に姉と一緒にこの景色を見た時に『切り絵にしてみたら?』って提案したんです。その作品を見て見に来てくれた人がいたんだって思ったら、今、めっちゃ嬉しいです!」



「お姉さんも○○市に住んでたんですもんね。岳温泉の桜坂も良かったですよ!」



「はい。姉に伝えておきます!ほんと、才能があって。羨ましいです。わたしは切り絵とか不器用で無理ですけど、憧れて『詩』を書いてるんです」



「詩ですか?どんな?」



「え、恥ずかしくて見せられないです。あ、でもこの景色を見て書いた詩なら、これです」



そう言って『妹さん』はスマホのアプリに表示させた詩を見せてくれた。




何も語らない波が 心の中に痕を残してゆく 


夕映に縁取られた姿は いつかの誰かのようで


かすかな痛みさえも 静かに包み込む世界のそのまばたきに


『エモい』なんて言葉を与えたくはなかった



だけど あなたなら そう言うだろうなって思った



そんなことを わたしはまた 思ってしまった





 自分のその時の心情はどんなものだったろうか。恥ずかしそうではあるけれど、その瞳には力があって言の葉から伝わってくる秘めたその想いを誰かと共有したい、そんな願いのような懇願のような…。自分もそれを上手く言葉にはできない。



「 何も語らない波が 」



伝える代わりに、一つ一つの言葉を心を込めて【声】という現象にしてゆく。そこに現れたのはたしかに自分の声。見つめる双眸にはわずかな驚きが現れている。




「 そんなことを わたしはまた 思ってしまった」



朗読し終えて、女性は何かを確かめるかのように「うん」と小さく頷いた。



「素敵な詩でした。いつ以来だろう、こんなふうに読むの」



「すごく上手でしたよ。感動しちゃった、自分の詩なのに」



「ありがとうございます。なんか、こういうのって『エモい』って言いたくなりますよね。言わないけど」



「でしょ?なんか勿体無いよね。でも、ありがとうね。詩はちょっとした『救い』なの」



「救いですか?たしかにそうかも知れませんね」




 その時は何気なく同意したけれど、後日「お姉さん」からこんなDMが届いた。



『間違ってたらすみません。○○市だから、もしかして妹に伝えてくれたのは△○さんですか?』



『はい。間違いありません。私です』



『そうでしたか!妹が△○さんにとても感謝していました。『これからもっと詩を書いてみよう』って意気込んでます。それで彼女、最近アカウントを立ち上げたんです』



 そう言ってお姉さんが教えてくれたアカウントをしっかりフォローすると、彼女も気付いたのかすぐに相互になった。彼女がときどき投稿する瑞々しいその『詩』は、いつしか自分の救いにもなっているような気がしている。

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