『人形遊びしかできない令嬢はいらない』と婚約破棄されましたが、本当にそれでよろしいの?
その日は、公爵令嬢・フランソワーズの誕生日だった。
「フランソワーズ、君はもう十七だろう? 来春に我々は結婚するというのに、どうして『人形遊び』をやめられないんだ」
誕生日会に遅れて来て、いきなり主役を怒鳴りつけたこの男は、彼女の婚約者・第一皇子のエミール殿下だ。長い金髪を後ろで一つに結び、青い双眸でフランソワーズを睨みつける。
『遅れて来たことをまず謝りなよ。それにお人形遊びじゃないよ。分霊術だよ』
犬の人形がフランソワーズの影から飛び出し、腕を組んで男の前に仁王立ちした。フランソワーズは『分霊術』と呼ばれる魔法で、人形たちを自在に操ることができる。この人形たちは、いわば彼女の『分身』だ。
犬の人形は名を『ラウル』という。『ワン』とひと鳴き抗議した。
「――ああ、もううんざりだ」
エミール殿下が溜息をつく。
「君は皇太子妃として失格だ。この婚約は破棄させてもらう」
フランソワーズは菫色の瞳を少しだけ潤ませ、胸に抱いたクマの人形をぎゅっと握りしめた。
『フランソワーズ、泣かないで。婚約を破棄するだなんて、絶対何かの間違いだよ。ねえ、そうでしょエミール?』
クマの人形『ジャン』が、心配そうにフランソワーズの髪をなでた。銀糸のような髪が揺れた。
足元では、スカートを履いたかわいらしいウサギの人形が、フランソワーズのドレスの裾を引っ張った。
『ねえねえ、フランソワーズ。あの皇子、ラブレー伯爵家のイザベル嬢と皇宮のガゼボでキスしていたよ。あんな浮気男、こちらから願い下げだよ』
このウサギの人形は『エマ』という。エマは、フランソワーズに身を隠しながら、エミール殿下を睨みつけた。
「うるさい! 分霊術だか何だか知らんが、君が悪いんだ。人形遊びばかりしている皇太子妃など、臣民は認めない。だから君は不適格だ」
『アイツが浮気しているのに、フランソワーズが不適格だって。もう婚約破棄でいいんじゃない?』
ウサギのエマがフランソワーズを見上げて言った。
エミール殿下は、良くも悪くも素直な人だ。前はもっとフランソワーズや人形たちに対して理解があった。『人形遊び』とフランソワーズを馬鹿にし始めたのは、つい最近のことだ。おそらくあのイザベル嬢に、何かを吹き込まれたのだろう。
『この婚約は、あんたの母上たっての希望だよ。後悔しないんだね?』
クマのジャンがエミール殿下に告げる。フランソワーズも無表情で殿下を見つめた。
「――これだけ長い間婚約していたのだから、もっと悲しそうな顔をしたらどうだ。この期に及んでも無表情か。残念ながら、私は後悔などしない。ミュール公爵家の後ろ盾が無くとも、私は立太子するからな」
イザベル嬢の父ラブレー伯爵は、現騎士団長だ。後ろ盾としても万全であるとエミール殿下は考えたのだろう。
『婚約破棄だって、慰謝料たくさんとってやろうよ!』
『そうよそうよ!』
人形たちの声がホールに響く。
会場にいた貴族たちは、本日の主役であるはずのフランソワーズが、突然婚約破棄されて、どう反応したらいいのか分からないのだろう。皆困り顔だ。事の成り行きを見守っていたフランソワーズの父、ミュール公爵がようやくその口を開いた。
「――エミール殿下、ここのところ娘を蔑ろにする発言、態度が増えていたと、報告を受けていましたが、まさかここまでとは。婚約破棄は承ります。しかし、殿下の浮気に関しては確たる証拠がありますので、そちらの有責になりますことを、ご承知おきを」
「証拠だと? 勝手にするがいい。私は帰る」
エミール殿下は一瞥もせずに会場を出て行った。
それからすぐ、ミュール公爵はフランソワーズと人形たちが集めたエミール殿下とイザベル嬢の浮気の証拠を、皇宮に突き付けた。
エミール殿下がイザベル嬢にあげたネックレスの領収書
二人で行った観劇のチケット
ともに過ごした夜を映した記録水晶
これらが動かざる証拠として挙がったことで、皇帝も息子の非を認めざるを得なかった。エミール殿下の有責で婚約破棄が成立した。
エミール殿下の母である側妃だけは、最後までこの決定に反対した。一人奔走したが、結局ミュール公爵家の意思も、肝心のエミール殿下の意思も固く、覆水は盆に返らなかった。せめてもの償いとして、側妃はその私的財産から慰謝料のほとんどを払ってくれた。
「エミール殿下も馬鹿だなぁ。なんで側妃さまが、フランソワーズを婚約者に据えたのか全く理解していなかったとは」
ある昼下がり、フランソワーズが人形たちとサンルームでお茶をしていると、フランソワーズと同じ銀髪に菫色の瞳の青年が話しかけてきた。彼は義兄のセドリックだ。
「セドリック義兄さま、不敬ですよ」
フランソワーズが静かに言った。
「おや。フランソワーズの声が戻ったということは、人形に移した魂の一部を戻したのか」
セドリックは眼鏡のブリッジを押さえながら言った。
「ええ、この子たちはもう魔法を使う必要がありませんから」
セドリックが椅子に深く腰かけると、犬のラウルが余ったカップに紅茶を注いだ。
ミュール公爵家は代々魔術師の家系だ。現・ミュール公爵、フランソワーズの父も、国一番の魔術の使い手として、領主と共に魔法大臣を兼任している。
フランソワーズはこの家の一人娘だ。だが彼女が皇宮に嫁ぐと決まり、類まれなる魔術の才を持て余していた遠戚のセドリックが、この家の養子として迎えられた。
そんな父も義兄も扱えない、伝説級の闇魔法が『分霊術』である。
フランソワーズがこの魔法を習得したのには、悲しい事情がある。
フランソワーズは幼い頃、出産中の事故で母に先立たれた。生まれるはずだった弟も死産だった。父であるミュール公爵は、ひどく悲しみ仕事に没頭するようになった。
フランソワーズは、義兄のセドリックが引き取られるまで、一人さみしい幼少期を過ごした。その孤独を紛らわせるように、彼女は人形たちに話しかけた。すると、ある日クマのジャンもフランソワーズに話しかけてくれるようになった。それをフランソワーズはとても喜んだ。
しかし、彼女がさみしさから自然と身に着けた魔法こそが『分霊術』だった。公爵家の使用人は驚愕した。幼子が分霊術を自然習得するなんて、前代未聞過ぎた。
「良かったのか? エミール殿下のことが好きだったんだろう?」
「幼い頃の殿下はクマのジャンと一緒にお茶をしましたね。私の魔法もすごく褒めて下さいました。でも、殿下のお気持ちをつなぎ留めることができなかった。全て私が悪いのです」
「イザベル嬢の評判を聞いたら、まともな令息は近づかないと思うが」
「騎士団の中で育ったので、男性の扱いがとてもお上手だそうですわ。殿下のことも上手く持ち上げたのでしょう。元々素直な方ですから、うれしかったに違いありません」
「何も誰の腕にでも縋りつくような令嬢と浮気しなくてもいいのにな」
「私も人形の扱いなら長けているのですが」
フランソワーズの紫色の瞳に涙があふれ出す。
『……フランソワーズのことを幸せにするって約束したのに』
零れ落ちた涙をクマのジャンが優しく拭った。
「――せめて立太子するまではと思って、諜報に力を入れていたのですけどね」
『あの場にセドリックがいれば……』
犬のラウルが言った。セドリックもいたたまれないという表情で、溜息をついた。セドリックは誕生日会当日、隣国で行われた魔道具の博覧会に賓客として呼ばれ、誕生日会に参加できなかったのだ。
「ああ、俺がいたら文句の一つも言ってやったさ。公に『密偵』を雇えない側妃さまが考えた最善の策だったのに、どれだけお前に命を救われたと思ってんだ。でも我々家族はお前の味方だ。だから自分を責める必要はない」
「セドリック義兄さまにそう言って頂けると、心強いです」
フランソワーズは止まらない涙をハンカチで拭いながら言った。サンルームに初夏の木漏れ日が差し込み、頬を伝う涙が宝石のようにキラキラと輝いた。
***
フランソワーズは屋敷に籠る日々が続いた。
世間ではエミール殿下とフランソワーズのことが面白おかしく噂されたが、ミュール公爵や義兄のセドリックは、それが彼女の耳に入らないように注意を払った。
「帝都で最近流行っているエッグタルトという菓子だ。茶でも飲まないか?」
「セドリック義兄さま、ありがとうございます!」
特にセドリックは、フランソワーズを大切にした。少しでも気晴らしになればと、帝都で流行の菓子や本を、彼女に差し入れた。そんなセドリックにフランソワーズは兄妹の信愛以上のものを感じるようになっていた。
やがて夏の日差しが陰り、木枯らしが吹く季節になった。その頃、皇宮では別の事件が起こった。
ある朝、エミール殿下が自室の寝台で血を吐き、意識を失っていたのだ。同じ寝台にいたイザベル嬢が毒を盛ったとされ、貴族牢に入れられた。
「――エミール殿下の話は聞いたか? 今も生死の境を彷徨っていると」
フランソワーズがいつも通り、サンルームで読書をしていると、義兄のセドリックが話しかけてきた。
「イザベル嬢が捕縛されたのでしたっけ? 彼女もはめられたのでしょうね」
『エミール殿下付きの侍女が、皇妃の侍女からお金をもらっているところを何度も見たよ』
『皇妃の父は宰相、イザベル嬢の父は騎士団長。二人は政敵』
『イザベル嬢が、はめられたね』
人形たちが口々に言う。
もともと皇帝と皇妃の間には長らく子ができなかった。そのため、側妃が召し上げられた。
しかし側妃が第一皇子であるエミール殿下を出産した直後、皇妃も待望の男児を出産した。それからずっと、皇妃とその実家はエミール殿下の命を狙っている。
フランソワーズに、人形による諜報活動を願い出たのは側妃だった。彼女がエミール殿下の婚約者に決まったことで、自然に人形たちを皇宮内に持ち込むことができた。
ただ人形に諜報活動をさせるには、しゃべって動くだけでは足りない。隠密魔法に記録魔法――闇魔法を扱うには、フランソワーズの魂をより多く人形に移す必要があった。魂をたくさん移すと、フランソワーズは空っぽになった。声を失い、その表情を失った。
「冷静だな。取り乱すかと思った」
「もう赤の他人ですから」
「そうか。殿下に盛られた毒の種類はまだ分からないそうだ。今までのエミール殿下の暗殺計画の諜報資料を持っているんだろう? その情報があれば、もしかしたら毒の種類が分かるかもしれない」
「――セドリック義兄さま。私は彼を助けてあげないといけないかしら?」
フランソワーズが、乾いた笑いを浮かべた。
「すまない。おかしなことを聞いた」
「言ってみただけですわ。見殺しにするのも気分が悪いので、諜報で集めた資料はお父さまに預けています。今回使われた魔法毒も、もう特定されたそうです。魔術大臣として意見して下さると」
「確かに義父上が助けたという形にすれば、当家の功績になるな」
「――私はエミール殿下暗殺の捜査資料だけを押さえているわけではありません」
「なるほど?」
『側妃の侍従が第二皇子の乗った馬車に細工をしていた』
『イザベル嬢はエミール殿下の近衛騎士にもすり寄っていた』
『イザベル嬢が媚薬を使って殿下に迫った』
人形たちが、口々に諜報の成果を披露する。どれも皇帝の耳に入ればただでは済まない内容だ。
「フランソワーズ、それを家族以外に報告したことは?」
「いいえ。私はもう疲れました。皇宮からは距離を置きたいのです」
「分かった。お前の希望を叶えられるように、俺も尽力するよ」
「ありがとうございます。今は義兄さまに甘やかされてとても幸せです」
セドリックは驚いた表情で、フランソワーズを見た。
『ヒューヒュー!』
『殿下よりお似合い』
二人は顔を見合わせて笑った。ウサギのエマと犬のラウルが冷やかす。クマのジャンだけが、それを静かに見守っていた。
***
エミール殿下はミュール公爵が提出した魔法毒の調査資料のおかげで、一命をとりとめた。取り調べでは、イザベル嬢が毒を盛ったという動機も、決定的な証拠も見つからなかった。
それでもエミール殿下は、彼女を疑い、進んでいた婚約の話も白紙に戻した。イザベル嬢の父であるラブレー伯爵は騎士団長の座を自ら降りた。イザベル嬢は社交界を去り、ひっそり修道院へ身を寄せた。
結局、得をしたのは皇妃さまか。フランソワーズは思った。
春が近づいてきたある日、ミュール公爵はその書斎にフランソワーズを呼び出し、ある手紙を渡した。
「エミール殿下からだ。この前の礼を言いたいと、茶会の誘いが来ている」
「資料はお父さまがお渡しになったのですよね。なぜ私に?」
フランソワーズはその場で手紙を開け、すぐに中身を確認した。
「――お父さま、こちらはエミール殿下の筆跡ではないですわ」
「何を言っておる。これは側妃殿下から直々に賜ったのだぞ」
フランソワーズは婚約中、エミール殿下から手紙をもらうことがあった。
この手紙の筆跡は、以前彼から送られてきたものとは少し違う。おそらく側妃もしくは彼の側近が、エミール殿下の文字に似せて、書いたものだろう。
「ほらこのサイン、最後が右肩上がりになってますでしょう? 殿下の本当のサインは少し下に下がるのです。側妃さまから賜ったのであれば、側妃さまご自身が書かれたものでは?」
ミュール公爵は絶句して、しばらくその手紙を眺めていた。
「――それで、返事はどうする?」
「お断りの手紙をしたためますわ」
「そうか。お前の思う通りにするがいい」
フランソワーズは人形遊びばかりしていると蔑まれ、婚約破棄された傷物令嬢。家としてみれば、エミール殿下と復縁するのが一番収まりがいいのかもしれない。
だがミュール公爵は一人娘に甘かった。そして彼自身もエミール殿下の態度にほとほと愛想を尽かしたようだった。そして、この側妃の手紙にも。フランソワーズにいつまでもこの家にいてもいいと言った。
「では失礼しますわ」
リビングに戻り、暖炉の前で人形たちと手紙を書く。
「きっと春までに復縁させたかったのね」
春にはエミール殿下の立太子がある。それに合わせ、皇宮で舞踏会が催される。側妃としては、それまでに足元を固めておきたかったのだろう。
側妃がもうこんな手紙を送ってこないよう、フランソワーズはエミール殿下宛ではなく、側妃宛に返事を書いた。
「ねえ、ジャン。今年の春の舞踏会のエスコートは誰にお願いしたらいいかしら?」
『父上はどう? 母上が亡くなってからずっと一人だ』
クマのジャンが答えると、ウサギのエマが隣から口を挟む。
『父上もいいけれど、セドリックは? セドリックも婚約者がいないから、一人よ。ラウルはどう思う?』
『俺もセドリックがいいと思う』
義兄・セドリックも、今は婚約者がいない。少し前まで隣国の王女が婚約者だったが、彼女の国でクーデターが起き、他国に亡命した。だから婚約も破棄せざるを得なかった。
「セドリック義兄さまか」
『そうそう』
『優しいし』
『かっこいいし』
「おいフランソワーズ、呼んだか?」
タイミングよく、セドリックがリビングに入ってきた。
「セドリック義兄さま、春の舞踏会ですが、エスコートをどうしようかと考えておりまして」
「俺がエスコートする。お前に変な言いがかりを付けてくる人間は、言い返してやるから、安心しろ」
「はい」
『やったー!』
あの誕生日会以降、社交界を恐れていたフランソワーズは、セドリックをとても頼もしく感じた。
帝都の舞踏会に合わせて、セドリックは家に仕立て屋を呼んだ。セドリックは楽しそうに、フランソワーズのドレスを選んだ。フランソワーズに贈られたドレスは、その瞳に合わせた紫色で、胸元に華やかな刺繍が施されていた。スカートのドレープが流れるようで美しい。
当日、フランソワーズが身支度をしていると、セドリックがその様子を窺いにやって来た。
「そのドレス、よく似合っている」
少し照れ臭そうにセドリックが言うと、フランソワーズはニコリと微笑んだ。
「義兄さま、ありがとうございます」
フランソワーズは、セドリックに手を取られ、舞踏会に向かった。父であるミュール公爵は家長として、日中に行われた立太子の式典にも参加している。
二人は馬車に乗り、皇宮に向かった。フランソワーズが皇宮に出向くのも、およそ一年ぶりだ。皇宮の白い大理石でできた廊下は、今日のためによく磨かれている。何本もの薔薇が花瓶に活けられていた。
「ミュール公爵家入場!」
皇宮の楽隊が奏でる荘厳な調べと共に、フランソワーズはセドリックに手を引かれ、ボールルームに入場した。天井には大きなシャンデリア、会場には春らしく、色とりどりのドレスを身に纏った令嬢たちが咲き乱れていた。
だが、その入場と共に無数の好奇の視線がフランソワーズに突き刺さった。まさか公爵家の人間の悪口を表立って言うものはいない。それでも彼女の指先は緊張で震えた。
「緊張しているのか?」
「ええ、少し」
『大丈夫、フランソワーズ』
『僕たちもついている』
人形たちが、フランソワーズの周りで口々に言った。遠くの方で囁き声が聞こえた。
「まあ! 舞踏会にまであの人形を持参されるなんて」
「あれでは公爵家とのつながりを求める殿方からも敬遠されるのでは」
声のする方をセドリックが一瞥すると、囁きが凪ぐ。
「エルフェ子爵家の人間だな。顔は覚えたから後で抗議する」
「ありがとうございます」
定刻になり、楽団の演奏が静まると、皇帝が集まった国中の貴族を前に舞踏会の開会宣言をした。
「――では皆の者、楽しんでくれたまえ」
演奏が再開されると、フランソワーズたちはまず皇族方に挨拶をした。――もちろん、エミール殿下にも。本日、遂に立太子を終え、これからという時なのに、少しやつれている。誕生日会の時のような覇気はなかった。毒を盛られたのが、心身ともにこたえたのだろう。
「エミール殿下、この度はおめでとうございます」
「久しぶりだな。フランソワーズ」
エミール殿下が足元の人形たちに目を落とした。そして少し残念そうに言った。
「――君は何がいけなかったのか、分かっていないようだな」
「殿下、以前にも申し上げましたが、これは『人形遊び』ではありません。この子たちは私のかわいい『分身』。それと私はもうあなたの婚約者ではありませんので、どうかミュール公爵令嬢とお呼び下さいませ」
「君が改心して、私との再婚約を望んでいると母上から聞いたが……」
エミール殿下が不審そうに尋ねる。彼も彼で側妃に何か言われていたようだ。
「私は殿下との再婚約など望んでおりません。側妃さまにもそうお伝えしていたのですが、上手く伝わっていなかったようですね」
「フランソワーズの言うとおりだ。当家はそのような打診はしていない」
セドリックが、フランソワーズに同調すると、殿下はどこかさみしげな顔で言った。
「そうか。イザベル嬢の件はすまなかった。元婚約者として君の幸せを祈る」
「私もこれからの殿下の活躍、一臣下として見守らせて頂きます」
フランソワーズは優雅なカーテシーで挨拶をした。
続いて側妃に声をかけると、また茶会に招きたいと誘われた。
「あんなことがあって、あの子も少し考え直したみたい。家と家との力関係を見ると、やはりミュール家を後ろ盾にするのが……」
「側妃さま、もうエミール殿下は皇太子に指名されました。これから国をまとめるのに必要なのは後ろ盾ではなく、エミール殿下自身の統率力では?」
「それはそうですが」
「義妹と殿下の関係はもう終わったのです」
フランソワーズが深くうなずくと、側妃はひどく残念そうな顔をした。
その後も、エミール殿下の立太子を祝う春の祝宴は、華やかに進んだ。
ダンスタイムには、フランソワーズはセドリックと初めの一曲を踊った。曲はワルツだった。フランソワーズがステップを踏み、くるりとターンする。その時、ホールの回廊に、怪しげな人影が潜んでいるのが目に入った。
「義兄さま、あそこに人が。手にナイフを持っています」
フランソワーズはわざとセドリックに体を近づけ、小声で言った。
「どこだ? すぐに近衛騎士に知らせる」
「あちらのシャンデリアの近く……きゃあ!」
男がボールルームに吊るされた一番大きなシャンデリアめがけてナイフを投げた。ナイフがシャンデリアを吊るす金属の糸を切り裂く。シャンデリアはそのバランスを失い、次々と糸が切れていく。
「危ない! 逃げろ!!!」
セドリックが叫んだ。シャンデリアの真下に、エミール殿下がいた。
『フランソワーズ、彼を助ける』
「ジャン!!」
ジャンがフランソワーズのもとを離れ、一人飛び出していく。しかしもう彼は魔法が使えない。ジャンは勢いよくエミール殿下に体当たりした。
ガシャーン!
「きゃああああ!!」
一瞬で、ボールルームは地獄絵図となった。すぐに会場を守っていた近衛騎士がシャンデリアの下敷きになった人たちの救助に当たった。怪我をした貴族たちが、次々と会場から担ぎ出された。
回廊にいた男はそのどさくさに紛れて逃げようとした。セドリックはすぐに捕縛魔法を放った。遠く離れていたにも関わらず、彼の魔法は的確に男を拘束した。
「あの男がナイフを投げたのを見た。捕らえろ」
回廊の男はセドリックの捕縛魔法にかかったまま、近衛騎士に連行されていった。
「ジャン! ジャン! どこなの?」
フランソワーズには、何故ジャンがあんな行動をとったのか、分からなかった。ジャンは彼女が初めて分霊した人形だ。他の人形よりもエミール殿下のことを気にかけ、心配していた。それは幼い日の記憶からだと思っていた。まさか自分の身を賭してまで彼を守るとは。
「フランソワーズ、危ないから近づいてはだめだ」
セドリックがフランソワーズを抱き寄せた。その瞬間、彼女は自分の身体にジャンの魂が還ってくるのを感じた。
――結果だけを言えば、この事件で死者は出ず、複数の負傷者が出るにとどまった。
回廊の男は、皇妃の実家が雇った暗殺者だった。
皇妃派がエミール殿下の立太子に焦り、大胆な行動を起こしたということらしい。皇妃の父である宰相は処刑され、実家も取り潰しが決まった。皇妃自身もその関与を咎められ、身の回りの世話をする少数の侍従だけを連れて、辺境に幽閉された。
一方のエミール殿下はジャンの決死の体当たりで、一命をとりとめた。だが残念ながら、その右足は切断せざるを得なかった。片足を失った彼は、義足になった。それからしばらくふさぎ込んでいたが、元々素直な人だ。すぐに義足での生活に慣れ、前よりも精力的に公務に励むようになった。
夏の日差しが強いある日、ミュール公爵領に、エミール殿下とフランソワーズがいた。
「ジャン エミール皇太子を救った人形」
そう刻まれた石碑の下に、ジャンは眠っている。
あの舞踏会で、クマのジャンはシャンデリアの下敷きになった。布がビリビリに裂け、修繕に出したが、細かいガラス片が中の綿の奥深くにまで刺さって、もう元には戻せないと断られてしまった。フランソワーズは仕方なく自領の丘の上に、彼の『墓』を立てた。
「今日は無理を言って、すまなかった。ミュール公爵令嬢」
「いえ、まさかあなたがジャンのお墓参りをしたいと言い出すとは思いませんでしたわ。足がお悪いのに、こんな丘の上までありがとうございます」
「初めに謝らせて欲しい。君と君の大事な友だちを馬鹿にしてすまなかった。それとお礼を。ジャンに救われたこの命を国のために使っていく」
『ジャンはエミールのことを最期まで心配していたよ』
『なのに人形遊びだと馬鹿にして』
ウサギのエマと犬のラウルが口々に言った。『分霊術』、つまりは彼らはフランソワーズの『分身』のはずだが、人形たちもそれぞれに人格を持っていた。ジャンの魂は壊れた人形から自然と離れ、フランソワーズの魂に戻った。そして彼女の魂と融合して、ジャンとしての記憶や人格は永久に失われてしまった。
「ジャンに、君のことを一生大切にすると誓ったのに、守れなかった」
「――イザベル嬢はどうなりました?」
「毒殺未遂については、皇妃の侍女が自白したよ。彼女の持ち物から同じ毒が見つかった。だが、同時にイザベルが私に媚薬を盛ったことも明らかになった。彼女の貴族籍は正式に剥奪されたよ」
「そうでしたか」
あの舞踏会の後、フランソワーズも近衛騎士から取り調べを受けた。彼女は皇宮にいた頃に集めた諜報の記録を全て彼らに託した。
「すまなかった。イザベル嬢は私の他にも男と関係を持っていたそうだ。私はそんな女の甘言にそそのかされた。君の魔法の素晴らしさを知っていたはずなのに、あの頃の私はすっかり有頂天だった」
「分かって頂けたなら、うれしいです」
「こんなにも君に助けられていたのに、私は本当に愚かだった。感謝してもしきれない。母上が君を手放してはならないと、あれだけ口を酸っぱくして言っていたのに」
「側妃さまはどうなりました?」
「君が残した記録水晶が決め手になったよ。第二皇子の馬車に細工したという件も全て証拠が揃った。母上も、じきに幽閉されるだろう」
殿下が遠くを見つめた。
「――それで君はセドリック殿と結婚するのか」
「ええ」
婚約破棄で傷心のフランソワーズを一番近くで支えたのは、セドリックだ。彼女はいつしか彼を恋い慕うようになった。そしてセドリックもそれを温かく受け入れた。
もともとセドリックはフランソワーズが皇族に嫁ぐために連れてこられた養子だ。婚約破棄以降、フランソワーズの父であるミュール公爵も一人娘を手元に置きたいと考えた。そのためセドリックの貴族籍を一度彼の実家に戻し、フランソワーズと結婚させようということで話が落ち着いた。
「フランソワーズ」
「セドリック!」
セドリックがそっとフランソワーズを後ろから抱き寄せた。その優しいぬくもりにフランソワーズは安堵した。
「エミール殿下、ジャンの墓参りは済みましたか?」
「ああ、世話になったな。私が言うのも変だが――彼女を、そして彼女の人形たちを幸せにしてやって欲しい」
「もちろんです」
「まあ、虹だわ。裏山の麓に虹が見える」
雨上がりでもないのに遠くに虹が見えた。まるで、ジャンが三人の門出を祝福しているようだった。
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