第3話 彼女の計画 後輩の“あの視線”の意味
この物語では、
誰かが誰かを見ています。
そして、
誰かは何も言いません。
あのカフェから、一ヶ月が過ぎた。
純は、変わらず真面目な部下だった。でも、拓は時々、彼女の視線を感じることがあった。振り返ると、彼女はいつも通り書類を見ている。気のせいかと思った。
ある日、残業帰りのエレベーターで二人きりになった。
「お疲れさまです」
純が言った。拓は頷く。
「最近、どう? 仕事、慣れた?」
「はい。なんとか。ありがとうございます。」
沈黙が流れた。エレベーターがゆっくりと降りていく。
その時、純が突然言った。
「あのアカウント、まだ続けてるんですか?」
拓は一瞬、固まった。
「……ああ」
「見てます、時々。新しい投稿、面白かったです」
「面白い?」
「ええ。写真もそうだけど、その写真に添えてある文章。ああいうの、書くの好きなんですか?」
拓は答えに迷った。確かに、写真だけでなく、短い文章も添えている。自分のフェチを言葉にすることで、何かが整理される気がしていた。
「……学生の頃、小説を書いてたんだ。短いのをいくつか」
「小説?」
「文学サークルに入っててね。でも、プロになれるわけじゃないし、やめた。その代わりが、あのアカウントなのかもしれない」
純の目が、一瞬、輝いた。
「私も、書くんですよ」
「何を?」
「日記。でも、ただの日記じゃない。観たもの、感じたことを、文章にするのが好きで。中学の頃から続けてる」
「へえ……すごいな」
「すごくないです。ただ、書かずにいられないだけ」
エレベーターが一階に着いた。扉が開く。
「じゃあ、お疲れさまです」
純は、そう言って先に降りた。
拓は、その後ろ姿を見送りながら、何か引っかかるものを感じた。でも、それが何かは分からなかった。
その夜、純は日記を書いていた。
「今日、彼に『書くこと』の話をした。彼も昔、小説を書いていたらしい。私たちは、同じ穴の狢なのかもしれない。でも、彼はそれを隠している。私は、それを曝け出している。その違いが、今は愛おしい。」
「彼が『書かずにいられない』人だと知って、安心した。これで、彼のことがもっと分かる気がする。そして、もっと深く入り込める気がする。」
ペンが止まる。
「これは、観察なのか。それとも、別の何かなのか」
答えは出なかった。
でも、一つだけ確かなことがあった。彼と自分は、同じ言葉を生きている。その事実が、純には何よりの悦びだった。
先週のことだ。純からメールが来た。
「瞳さんが不倫してるみたいって噂、知ってます?」
拓はドキッとした。まさか、自分のことか。そう思った。
「拓さんじゃないよな?」という意味を込めて、すぐに返信した。
「俺じゃないよ」
純からすぐに返事が来た。
「それは分かってる」
拓は混乱した。純は拓と瞳の関係を知っているのか。それとも、ただの噂話として、たまたま拓に言っただけなのか。
返信に迷っていると、純からもう一通。
「仕事帰り、男と一緒にいたらしいですよ。瞳さん」
拓はスマホを握りしめたまま、しばらく動けなかった。
その沈黙の中で、何かが静かに軋んだ気がした。
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七部作完結済み。
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